第5話

文字数 10,537文字

 二学期が始まって秋季大会(新人戦)。
 僕は背番号がもらえないものと覚悟していたが、ギリギリのところで背番号18をもらえた。万が一のリリーフ、あるいは足だけはそれなりに速かったので、代走としては使えると考えていたのかもしれない。だが、その万が一は訪れず、ずっとベンチに居るばかりだったが。
「あ〜あ、つまんねえ。お前のせいだぞ。」
 ヨウスケは背番号17だった。僕とのバッテリー要員の彼も、当然出番がない。
「俺のせいじゃないからな。お前が打てないから、出れないんだからな。」
 結局、一年生でベンチ入りできたのは、僕らの他に、シンジとケータローだけだった。シンジはピッチャーとして申し分のない成績を残し、シンジとバッテリーを組むことが多かったケータローも一緒にベンチ入りした。だが、ケータローが選ばれたのは、シンジの女房役としてではなかった。
 マスクをかぶるのはすべて石橋先輩で、ケータローはなにかあると「バット振っとけ」と鈴木先生に言われるのがお決まりだった。つまり、打力を買われていたのだ。準決勝までの4試合で3度代打に立ち、2度ヒットを打った。貴重な左打ちの長距離砲というところも、ポイントだったのかもしれない。
 もちろん、一年生の中で一番の戦力はシンジであることは間違いない。先発こそ高田先輩が努めたが、少しでも雲行きが怪しくなると、すぐにシンジに交代する。そして、それがことごとく決まっていく。ピンチでマウンドに立っても、見事に「火消し」をやってのけるのだ。
 これはシンジの実力によるものではあったが、高田先輩とのコンビネーションがなせる技でもあったと思う。高田先輩は変化球中心の技巧派だ。この年代にしては珍しいくらいに多彩な変化球を操ってくる。最初のうちはそれに幻惑されて手も足も出ないが、2巡目3巡目となると段々と順応してくる。ストライクからボールになる変化球を見切られてしまうと、とたんにピッチングが苦しくなるのだ。
 そこでシンジの登場となる。シンジは高田先輩とは対照的に、ストレート中心にストライクゾーンで勝負するタイプだ。磨きのかかったホップするストレートでカウントを整え、最後は変化球で空振りを取る。特にスライダーのキレはベンチで見ていても、震えが起きるほどだった。
「ゲームセット!」
 準決勝のこの日もシンジが最後まで投げきって決勝進出を決めた。
「ナイスピッチ!」
「炎のストッパー!」
「大魔神みたいだな!」
 先輩たちにもみくちゃにされながら祝福されるシンジをよそに、僕たちは急いで用具を片付けて次のチームにベンチを譲った。ベンチ入りしたとはいえ、一年生の仕事は変わらない。

 決勝の舞台は宮城球場だった。
「やっぱ、宮球は広いな〜。上の方までスタンドだよ。」
 ヨウスケが、ぽかんと口を開けてベンチの外を見回している。
「さすが、プロが使うだけのことはあるな。」
 大人になってから、いろいろな球場を見てきた今からしてみると、あまりに世間知らずで田舎臭いセリフにも感じる。なにせ、イーグルスがここを本拠地としてから幾度も増築を重ねているのに、他の球場に比べて収容者数はずっと少ないのだから。
 でも、その頃の僕たちにとっては、それは紛れのもないプロの球場であり、そこでプレイすることは一つの憧れであった。
「おっ、いよいよ、シンジがマウンドに上ったぞ。」
 いつもと同じユニフォームでいつもと同じようにマウンドに向かうシンジが、あたかもプロ野球選手のように見えた。
「なんで決勝の大事な試合で、先発がシンジだなんだよ。これまでずっと高田先輩だったのに。」
「仕方ないだろ。鈴木先生が決めたんだし。」
 そうは言いつつ、悔しさは感じていた。同じゴールデンルーキーだったはずなのに、ハントしてこんなにも差がついてしまった。
 マウンド上のシンジは、その球場にふさわしい、堂々たる立ち上がりを見せた。ストレートはこれまで以上に切れ、ときおり見せる変化球も効果的だった。
「ストライーク、三振バッターアウト!」
 あっという間の三者凡退。思わず「もう終わりかよ」とつぶやいてしまった。
「いいぞ、シンジ。ナイスピッチングだ。」
 先輩たちの祝福に、シンジはハイタッチでこたえた。
「あれだけシンジが凄いピッチングをしていたんじゃ、この試合も楽勝だな。」
 ヨウスケの楽観論をよそに、試合は予想外の接戦となった。相手ピッチャーも好投を続けたのだ。シンジと同じ背番号10番の左の本格派だ。
「ストライーク、三振バッターアウト!」
 右バッターが並ぶ宮中打線の懐に、気持ちがいいくらいにクロスファイアを決めていった。
「上背があるだけ、あいつのクロスファイアのほうがいいかもな。」
 ヨウスケがちくりと言う。
「別に比べる必要ねえよ。それにあいつは二年生なんだろ。一年後には俺も背が伸びてるよ。」
「あいつも一年らしいぞ。」
 ケータローが横から入ってきた。
「リトルリーグはやってなかったんだろうな。なんとなく投げ方が、素人っぽい。たぶん、左投げで背がデカかったから誘われたんだろう。」
「野球素人で、あんなピッチングするのか!」
「まあ、もともと運動神経はいいんだろうな。伸びしろを考えると、これから厄介なライバルになる。」
 言われてみると、確かに動きはぎこちない。流れるようにスムーズなシンジの投球フォームとは正反対だ。それに、コントロールもあまり良くない。ズバッとインローにきれいに決まったかと思えば、とんでもないスッポ抜けボールをバックネットまで飛ばしたりもする。
 だが、暴れているからこそ打ちにくかった。ボールが三つ続いてフォアボールだろうと思っていると、完璧なクロスファイアが三つ続く。変化球はまずストライクが入らないから、ストレートに的を絞るが、スピードは結構あるから、振り遅れのファールになる。そして、強烈なクロスファイア。結局は打ち取られてしまう。
「ランディ・ジョンソンみたいだな。」
 後で知ったのだが、この和製ランディ・ジョンソンは奥山武史と言って、本当に中学まで野球をやっていなかったそうだ。この大会でもほとんどマウンドに上がっておらず、まさに秘密兵器である。
 ピッチングスタイルこそ違え、スコアボードにゼロを重ねていく点では両者同じだった。「高めは捨てろ」とか、「バントでゆさぶれ」とか鈴木先生もあれこれ指示を出すが、どれもうまくいかない。そして、ついに6回になり、奇策に出た。
「マサト、代打だ。」
「え!?僕ですか!?」
 試合に出るにしても、ピッチャーか代走だと思っていた。それに代打を出すなら、右のヨウスケのほうがいいのでは・・・?左ピッチャーには右打者の方が有利というのがセオリーなはずだ。
 バッタボックスから見る奥山は、なお一層長身に見えた。180・・・、いや、185はある。マウンドまでが近く感じる。
「さー、来い!」
 気合の掛け声を書けてみるも、足は緊張と恐怖で震えている。
「ボール!」
 初球は外角に大きくハズレた。速くて重たそうな球だ。
「ボール!」
 同じく外角に外れた。足の震えは続いているが、目は慣れてきたように感じる。次はカウントを取ってくるはずだから、狙えるはずだ。
「ストライーク!」
 絶好球、と思って手を出した球もあえなく空振り。味方ベンチからも野次が飛ぶ。
「おい、どこ振ってるんだよ。」
「完全なボール球だぞ。」
 なんだって、あれがボール球!?ど真ん中に見えたぞ。
 次の球も同じ球筋だった。追い込まれてもいいやと、思い切って見送ってみた。
「ボール!」
 確かに・・・。ボールを取ったキャッチャーのミットは、はるか向こうにある。
「フォアボール!」
 次のボールも同じようなボール球だった。
「いいぞ、よく見たぞ!」
 これが鈴木先生の狙いだったのかもしれない。左ピッチャーはあまりいないが、左バッターもあまりいない。僕が左ピッチャーの球筋を見極められなかったのと同じように、彼も慣れない左バッターには投げにくかったのかもしれない。それに、左バッターにはクロスファイアは投げられない。「左対左はピッチャー有利」は、あくまでプロ野球での話だ。
 同じく左打ちのケータローが代打で続いて、確信した。野球歴の短い彼なら、なお左は投げにくいだろう。
 一塁についた僕は、わざと彼の視界に入るように、右に左にちょこまかと動いた。左ピッチャーがされて嫌なことは、僕がよく知っている。
「ボール!」
 ノーコンに拍車が掛かる。キャッチャーもボールを押さえるのが精一杯だ。
「ボール!」
 僕よりは野球経験の豊富なケータローは、左でも苦に感じないのだろうか。完全にボールを見切っている。
「フォアボール!」
 結局一球もストライクが入ることなく、ノーアウト一二塁になった。
 ここで登場したのがシンジだった。
 ここまでのシンジは2打席凡退に倒れてはいるものの、時折強烈なファールを飛ばしており、宮中打線の中ではいちばん可能性を感じさた。
「よし、シンジならやってくれるぞ。」
 リトルリーグの決勝戦のことを思い出した。あれほど見事にクロスファイアを捉えられたシンジなら、奥山の球だってとらえられないことはない。
「ストライーク、ツー!」
 だが、僕の期待とは裏腹に簡単に追い込まれてしまった。右バッターを相手にした奥山は人が変わったようにコントロールがまとまってきた。
「ファール!」
 3球続けてファールで粘った。段々とタイミングが合ってきている。それにつれて、奥山にも力みが出てきている。
「これはワイルドピッチもありうるぞ!」
 思ったとおりだった。空振りを狙った奥山の球がすっぽ抜け、ノーバウンドでバックネットまで達した。僕たちは労せずして進塁。ノーアウト2,3塁。
「よし、これ先制点に近づいた。」
 ここからは2人の根比べだった。奥山も強気に内角を攻め続け、シンジもカットバッティングで食らいつく。
「ファール!」
 この打席の10球目の投球だった。
 ボコッ!
 バットの根っこでとらえた時特有の低い音が響いた。どん詰まりの打球は、それでもショートの頭は超えそうだ。レフトが猛然とダッシュしてくる。
 取るなー!
 打球はレフトの前にポトリと落ちだ。レフトはショートバウンドを体に当て、拾い直すのに手間取っている。
「ゴー!」
 コーチャーの合図とともに、まずは僕が先制のフォームを踏んだ。さらに二塁ランナーのケータローも三塁を回ろうとしている。
 ケータローは鈍足である。でかい体を左右に揺らしながら、フォームに突っ込んでくるが、なかなか前に進まない。
 その時、ようやくレフトがボールを拾い直した。ショートのやや後ろから、ワンバウンドでキャッチャーに返球する。タイミングはアウトだ。
「滑ろー!!」
 ホームベースの後ろで大声で叫んだ。ケータローの体はまだホームには届かない。
 返球を取ろうとするキャッチャーのミットから、ボールがこぼれた。そのスキにケータローが真正面から思い切ってスライディングした。
「セーフ!」
 吹き飛ばされたキャッチャーは2メートル後方で仰向けになった。
「いいぞ、シンジ!」
 ケータローとハイタッチをかわすと、二塁を陥れていたシンジに向かって手を上げた。シンジもガッツポーズでそれに応えた。一度のガッツポーズでは飽き足らず、二度も三度も繰り返した。
 後続は倒れてしまったが、僕たちはそれで勝利を確信した。残るイニングは1回。2点しか入らなかったが、今日のシンジのピッチングを考えると十分すぎるリードだ。ここまで許したヒットはわずかに2本。いずれも当たり損ねのポテンヒットだった。まさに打者を圧倒。打たれる気配さえなかった。
「僕は投げません。交代させてください。」
 だから、このシンジの発言には誰もが耳を疑った。
「お前、本気でそう言っているのか!?」
「はい、本気です。」
「いいか、野球には流れってものがあるんだぞ。せっかくこっちのいい流れになってるんだから、それを変えるようなことはわざわざしなくていい。」
「いえ、僕は投げません。」
 シンジの意思は固かった。
「流れと言うなら、決勝までの流れを作ってきたのは、高田先輩です。最後の瞬間は高田先輩がマウンドに立っているのが、流れというものだと思います。」
 ライトファールゾーンのブルペンで投げ込む高田先輩を見た。チームの輪に加わることもなく、試合序盤からいつでも行けるように肩を作っていた。この瞬間にもキャッチャーミットを強く叩く無言の声が聞こえていた。
「・・・わかった。お前がいうことも正論だ。」

 この試合両チームを通じて初めて背番号1がマウンドに立った。
 代打で出た僕はレフトの、ケータローはファーストの守備についた。シンジはベンチで戦況を見守っている。
 万が一のためにシンジをどこかの守備においておくというのも手だったのかもしれない。だが、それではエースをマウンドに立たせる意味がない。たぶん、それが鈴木先生の、そしてシンジの想いなのだろう。
「プレイ!」
 優勝に向け、最後の守りが始まった。
 レフトから見る高田先輩のピッチングは、いつになく力んでいるように見えた。変化球を丁寧に低めに集めるのが持ち味なのに、妙にストレートにこだわっているような。それに変化球も全部高い。
 僕と同じパターンだな。ピンとくるものがあった。僕もシンジの後に登板すると、どうしても自分のピッチングを忘れてしまう。ストレートとカーブを上手く組み合わせればいいはずなのに、シンジと同じようにストレートで空振りを取りたくなる。力んでストレートを投げれば投げるほど、変化球にも切れがなくなってくる。さらに力みが増す・・・。僕がはまった悪循環に高田先輩もはまり、あっという間にランナーが二人溜まってしまった。
「お前がエースだろ!しっかりしろよ!」
 内野手がマウンドに集まった。石橋先輩が外野にまで聞こえる声で叱責している。それが効いたかどうか、高田先輩はそこから内野ゴロを二つ打たせ、ツーアウトランナー一二塁までこぎつけた。
 よし、これならなんとか行けるかも。そう思った瞬間だった。
 カーン!
 乾いた音が響いた。平凡なレフトフライだ。
「オーライ!オーライ!」
 二三歩前進した。良かった。これなら取れる。
 いや・・・。結構伸びるぞ。
 前進していた足を止めた。
 前じゃない。後ろだ。定位置くらいまでは来る。
 急いで後ろに下がった。
 大丈夫だ。まだ間に合う。
 グラブを構えた。
 よし、あと一歩。
「あっ!!!」
 足が絡まって転倒した。
 背中を派手に地面に打ち付けた僕は、倒れたままボールの行方を目で追った。レフトフェンスに向かって点々としている。
 やばい!
 僕が起き上がる前に、バックアップに入ったセンターがボールを掴んだ。
「バックホーム!」
 2塁ランナーはすでにホームに返っている。同点を阻止するためには、3塁を回りかけている1塁ランナーを刺すしかない。
「セーフ!」
 球審が大きく両手を開くのを、外野で見つめるしかなかった。
 俺は何をやってるんだ。
 高田先輩が苦労して取った3つ目のアウト。本来なら、ここでゲームセット。優勝決定だったはずなのに。
「ドンマーイ!」
 ベンチからそんな声が飛んでいたが、慰めにはならない。ランニングホームランにならなかったことだけが唯一の救いだった。
「お願いします。抑えてください・・・。」
 レフトでただひたすら祈り続けた。同点で延長線ならまだチャンスはある。だが、より気が動転していたのは高田先輩の方だ。レフトに打球が飛んだ瞬間、勝利を確信したはずだ。それが一転、今はランナーを三塁に置き、サヨナラのピンチだ。
「ボール!」
 腕が縮こまっているのが僕にもわかった。置きにいった球はなかなかストライクと判定されない。「ボール」というコールが響くたびに、僕の胸も締め付けられた。
「フォアボール!」
 2者連続のフォアボール。満塁となってしまった。
「タイム!」
 ベンチから伝令が飛んだ。放心状態の高田先輩は話を聞いているのかわからない。
 ああ、僕がエラーさえしなければ・・・。いや、そもそもシンジが代わったのが悪いんだ。あいつがおとなしく続投していれば、こんなややこしいことにはならなかったんだ。カッコつけてベンチに引っ込みやがって。これじゃ高田先輩が続投するしかないじゃないか。
 その時、高田先輩が伝令に促されてベンチに戻っていく。
 あれ!?交代!?じゃあ、誰が投げるんだ?
「マサト。お前が投げろ。」
 えっ、俺!?
 確かに、僕しかピッチャーは残っていない。でも、僕のミスで招いたピンチだ。僕がグランドの一番高い場所に立つ資格などあるのだろうか。
「お前の失敗なんだから、お前が取り戻せよ。」
 レフトからマウンドに駆けつけた僕に、石橋先輩が言った。ここは、もう、開き直るしかない。
 セットポジションにはいる。イケイケの相手ベンチからは、サヨナラを期待する大きな声が響いている。完全に流れは向こうだ。
 石橋先輩のサインは、ストレート。力んではいけない。空振りでなくていいから、まずはカウントを取ることだ。
「ストライーク!」
 まずまずのクロスファイアが決まった。久しぶりの当番だが、調子は悪くないようだ。
「ストライーク!」
 続いてもストレート。外角低めにコントロールして追い込んだ。よし、案外いけるかもしれない。これでミスを帳消しにできる。
「勝ち急ぐなよ!」
 はやる気僕の気持ちを見透かしたかのように、石橋先輩は一球高めに外させた。
 ワンボール、ツーストライク。ここで初めてのカーブのサイン。これで三振に取る。
「ボール!」
 すっぽ抜けた。石橋先輩が慌てて飛びついた。
「おい、どこに投げてるんだよ。やっぱり、お前にはカーブは無理だな。」
 そう言いながらも、サインはカーブ。裏をかく作戦だ。
 よし、さっきは縫い目にボールが上手くかからなかった。今度はしっかり回転を掛けてやる。
 えい!
「やばい。ワイルドピッチだ!」
 引っ掛けすぎたボールはベースの一メートル前でワンバウンド。石橋先輩は膝をついて、体で抑えようとしている。
 バスッ!
 プロテクターに当たり、三塁方向に小さくはねた。これなら間に合うかもしれない。僕は猛然とホームへとカバーに走った。
 三塁ランナーもやや遅れて走り出した。このタイミングならいける。
 先にホームに着いたのは、僕だった。ボールに追いついた石橋先輩から、ボールが返ってくる。
 よし、アウトだ!
 ズドーン!
 勢いよく滑り込んできたランナーと激しく交錯した。僕は後ろ向きに一回転した。
 ・・・。
 強い衝撃を受けて、しばらく目を開けられなかった。
 「セーフ」と叫ぶ審判の声が聞こえた。「アウトだろ!」と抗議する石橋先輩の声も聞こえた。「あんなラフプレー許されるのか。」「お前らだってさっきしただろ。」両チームがやりあっているのが聞こえる。
 はっきりしているのは、僕たちは負けたということだ。一瞬の暗闇が開け、視力が戻ると、そこ映ったのは相手チームの歓喜の輪だった。
「ゲームセット!」
 審判が整列するように促す。僕はまだ立ち上がることができない。
「ありがとう。いいピッチングだったよ。」
 手を差し伸べてきたのはシンジだった。
「ありがとう。・・・。」
 それ以上の言葉は出なかった。なにか言ったら、泣いているのがバレそうだったから。


 仙台の冬は長い。
 新人戦の頃はあんなに暑かったのに、それが終わると急に風が冷たくなった。放課後もすぐに暗くなり、ボールを使った練習はできなくなった。
「それにしても、シンジのやつ、あれはないよな。」
 冬の練習は主に走り込みだ。この日も近くの榴岡公園でヨウスケと一緒に走っていた。この公園には一周500メートルの内周コースがあり、野球部以外の部活はもちろん、宮城育英高校のケニア人留学生もたまに練習に来ていた。(当たり前だが、むちゃくちゃ速かった。)
「カッコつけて、途中で代わりやがって。あいつが最後まで投げてれば、絶対に勝ってたんだから。」
 走る時はだいたいヨウスケと一緒だった。(たまにヒロキも。)そして、話す内容も大体一緒だった。
「ただでさえ活躍して評価されてるんだから、これ以上何を望むんだ。『先輩のエースにマウンドを譲った、できる後輩』とでも思われたかったのか。」
 あれ以来、派閥のようなものができてしまった。シンジを中心とする旧キングス組と、僕たちベアーズ組。別の言い方をすると、勝利に貢献した組と、逆転の原因を作った組だ。あの試合のせいで、せっかく一つになったリトルリーグ時代の二つのチームが、また2つに分かれてしまった。
 それはもしかしたら、僕だけがそう感じていただけで、そんなものはなかったのかもしれない。もともと仲の良かった連中が、冬の練習でつるむ時間が長くなっただけで、本当は何も変わっていなかったのかもしれない。
「まあ、そうは言っても、最終的には鈴木先生の判断だし。」
 試合が終わって一週間くらいは、頭の中で犯人探しばかりしていた。一体誰のせいで負けたのか。
 好投していたのに、途中で降りると直訴したシンジ。それを許した鈴木先生。いつもどおりのピッチングができなかった高田先輩。レフトフライを落とした僕。暴投を投げた僕。それを止められなかった石橋先輩。ピッチャー相手にタックルしてきたランナー。その布石を作ったケータロー。正しいジャッジをしなかった審判。いや、そもそも言えば、素人同然の一年生ピッチャーを打ちあぐねた打線が悪いのかもしれない。
「練習してうまくなるしかないよ。」
 結局はそういう答えになる。
「お前、いいこと言うな。」
 もっとも、これはシンジの受け売りなのだが。そのシンジとはすっかり会話が少なくなってしまった。もともとピッチング練習のとき以外はあまり話す仲ではなかった。でも、それが試合後の「ありがとう」が心のなかに溝ができていたのも事実だ。
「でも、それは正論だな。」
「それの何が悪いんだ。正論は正しいだろ。」
「正しいからこそ、めんどくさいんだよ。あいつと同じでな。」
 前方を走るシンジを指差した。その距離は走れば走るほど広がっていった。

 仙台の春は突風とともに始まる。日本海から運ばれてきた西風が、奥羽山脈を越えるときに勢いを増すのだ。
 「静」から「動」への変化だ。仙台の冬は「静」。東北地方でありながら雪は降らない。乾燥した晴れた空に、緊張した冷たい空気。豪雪地帯の青森から越してきた僕には、しばらくこの空気感が慣れなかった。
 春は「動」。強い風に顔をしかめながら、春休みの部活に通った。
 激しい季節の移り変わりとは裏腹に、僕の野球生活には大きな変化はなかった。新学期が始まる直前に春季大会があったが、あっという間に終わった。確かベスト4まで行ったと思う。成績そのものは悪くはないのだが、全然試合に出してもらえなかったので、ほとんど印象に残っていない。例によって、ヨウスケと愚痴ばかり並べていたんだと思う。
 正直に言って、試合に出れなかったことに、半分ホッとしていた。あんな惨めな思いをするのはゴメンだ。せっかく先輩たちが作ってきたリードを、僕一人で台無しにするなんて、精神的に耐えられなかった。
 でも、シンジのメンタリティは僕とは違っているんだろうな。同じくベンチに座る彼を見てそう思うことがあった。彼ならリベンジを狙うはずだ。失敗を恐れて縮こまるなんて、あいつらしくない。
 だが、残念なことに、そして、不思議なことに、この大会での彼の出番もなかった。この大会は全て2年生での戦いとなった。1年生を出して嫌な負け方をした秋季大会の反省なのか、それとも2年生への配慮なのかはわからない。確かに、あんな形でマウンドを譲られて、あんな形で優勝を逃してしまったら、高田先輩も精神的に辛いだろう。それよりは、やれるところまでやらして、自分の現在地をわからせたほうがスッキリする。そういう意図が鈴木先生にはあったのかもしれない。
 そして出た結果がこれである。優勝はできなかった。それが現在地だ。このチームの目標はあくまで県大会優勝であるはずだ。あと一歩まで行った秋季大会を考えれば、それは果たさなければならない目標だった。
 やはり、高田先輩だけではダメなんじゃないだろうか。シンジをメインに投げさせなければダメなんじゃないだろうか。口にはしないが、誰もがそんなことを感じながら新しい学年を迎えた。
 そこから中総体までの2ヶ月は、どちらがエースを務めるのか、それがチームの一番の関心事だった。真剣に優勝を狙うなら、シンジだろう。
 高田先輩もいいピッチングをしていた。ヒットを打たれたりランナーを出すことは多かったものの、要所を締めるピッチングで、確実に試合を作っていた。
 だが、シンジのそれは、圧倒的だった。練習試合ではほとんど打たれることはなかった。たまに打たれても、あたり損ねのポテンヒットばかり。決して相手に自分のバッティングをさせることはなかった。
 高田先輩で優勝できれば一番いいのだろう。変なしこりは残らない。だが、相手チームも強くなっている。特に青葉台中には警戒が必要だ。宮中も秋季大会で打ちあぐねた奥山がさらに成長している。春季大会の決勝をスタンドから見たが、別人のピッチングになっていた。
 あの時は球が速いだけのノーコンピッチャーだったが(それでも打たなかったが)、一冬を経て制球力を身に着けてきた。もちろん、シンジや高田先生にくれべれば荒球には違いないが、フォアボールを連発して自滅するということはなさそうだ。秋も春も優勝、さらに伸びしろのある大型左腕を要するとなれば、青葉台中が最大のライバルであることは間違いない。
 ちなみに、練習試合での僕の登板はほとんどなかった。ピッチャーは二人いれば十分ということなんだろう。万が一に備えてのリリーフ要員兼代走要員というポジションは変わらないままであり、それに甘んじている自分もいた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み