第4話

文字数 11,116文字

「いつまで考えているんだよ。」
 シンジの言葉でマサトは我に返った。「人生をやり直せるとしたら、いつに戻りたい?」その答えはまだ出ない。
「お前、寝てただろ。」
 観覧車は何周しただろうか。初夏の日差しは相変わらず眩しく車内に差し込んでいた。
「あの球は最初から狙っていたのか?」
 不意にマサトが質問をした。
「何の話だよ。」
「リトルリーグの決勝戦だよ。」
「ああ、あれか。」
「それまで打てる球があったのに、ピクリともしなかった。最後に一番難しい球が行ったのに、それに手を出すなんて。」
「よく覚えているな。あれはそうだな・・・。狙っていたかと言われればな・・・。」
 シンジは腕組みをして考えた。マサトにはそれが、リトルリーグでしのぎを削った大野なのか、その後人生をともに歩いたシンジなのか、よくわからなかった。
「うん。忘れた。」
「なんだよ。それ。」
 二人はケタケタと笑った。観覧車は頂上に差し掛かっていた。
「でも、不思議なもんだな。」
「何がだ?」
「リトルリーグで敵だったのに、中学でチームメイトになるなんて。」
「ああ、今思えば、隣町に住んでいたからな。小学生には、隣町でも外国のように感じるな。」
「言えてるな。俺も、隣町の大野真司を外国人を見るかのように、警戒してたぞ。野球で戦ったことはあるけど、得体のしれない変なやつ、ってな。」
「得体のしれないのはお前のほうだろ。俺が外国人なら、お前は宇宙人だ。自己紹介の時からすげーなまってたし。」
「バカ言ってんじゃねえ。その時にはなまりは直ってたよ。」
「お前、気づいてないのか。今でもなまってるぞ。」
「そ、そんなわけないだろ。」


「宮城野原小から来ました武田雅人といいます。ポジションはピッチャーです。よろしくおねがいします。」
 今度はなまりなく自己紹介ができたので、笑いは起きなかった。(これは本当である。)その代わり、ピッチャーというところに反応が起こった。
「おお、お前ピッチャー志望か。待望のサウスポーだな。」
 そう言ったのは石橋先輩だった。石橋先輩はひとつ上の二年生のキャッチャーで、身長こそ高くないが、がっしりとした丸太のような体型をしていた。強肩が持ち味で、人数が少ない三年生チームに混じって、レギュラーとして試合に出ていた。
「お前もピッチャーなんだろ?」
 石橋先輩は隣で自己紹介の番を待っていたシンジを指差した。
「はい。大野真司といいます。リトルリーグの時は・・・。」
「言わなくてもいいよ。知っているから。」
 石橋先輩は大野の言葉を遮った。
「原ノ町キングスの大野だろ?有名人じゃないか。だって、全国大会でも優勝して、世界大会に行ったんだろう?」
「はい、世界大会では一回戦負けでしたが・・・。」
「世界大会に行っただけで十分だよ。プロ野球選手の卵だよ。そんなやつが普通の公立中学に来るなんてすげーよ。」
 仙台市立宮城野中学校。そこが僕とシンジの共通の母校だ。
 野球部での初日から、僕はこの大野真司を注目していたことは言うまでもない。世界大会まで行った少年野球会のヒーロー。地区大会で惜敗した因縁の相手。僕はもう少しで大野真司に勝てていたんだ。そしたら、世界大会に行ったのは僕だったかもしれない。
「じゃあ、大野の自己紹介はいらないか。じゃあ、その隣のでかいやつ。」
 高田先輩がヨウスケを指差した。高田先輩も同じく二年生で、控えピッチャーとして三年生と一緒に試合に出ていた。
「大久保陽介といいます。マサトと同じ宮城野原ベアーズにいて・・・。」
「ちょっと待てよ!」
 ベアーズ時代のガキ大将のヨウスケの声も、さすがに石橋先輩の声にかき消されてしまった。
「せっかく世界レベルの期待の新人が入ったんだからさ。何か話してみろよ。自己紹介はいいからさ。全国大会や世界大会のこととかさ。」
 石橋先輩からの無茶振りに一瞬戸惑いながらも、シンジはすぐに話を始めた。
「ええ、そうですね・・・。世界大会は、初めての海外だったので、環境になれないままあっという間に終わってしまいましたね。それにあまり気合も入りませんでしたし。全国大会で頑張ったご褒美にアメリカに行ったって感じで。でも、一番きつかったのは全国大会の試合よりも、地区大会の決勝でしたね。」
 僕の背筋がびくっと伸びた。
「その時の対戦ピッチャーが武田くんだったんです。」
 部員全員の視線が僕に集まった。
「このサウスポー、そんなにすごいのか。チビなのにピッチャーするのかと、少しなめていたよ。」
 言っておくが、石橋先輩と僕の身長はそんなに変わらない。
「世界大会経験者と、それを最後まで苦しめたサウスポー。すげー、ゴールデンルーキーだな。」
「二人いるから、ゴールデンルーキーズだ。複数形で、ゴールデンルーキーズだ。」
「そうだ、ゴールデンルーキーズだ!」
 ゴールデンルーキーズの名前は、ここから始まった。

 その年の新入部員は20人以上いた。その中には僕とシンジの他に、ヨウスケ(結局、ヨウスケは自己紹介をさせてもらえなかった。)や泣き虫ヒロキといった宮城野原ベアーズのメンバーも含まれていた。もちろん、原ノ町キングス出身の選手も何人かいた。その中でも印象に残っているのが三人いる。
 まずは、高橋友樹。通称トモキ。抜群の身体能力で、ポジションはショートだった。とにかく守備範囲が広く、ヒット性の当たりを何本もアウトにした。守備だけだったら、もっと高いレベルで野球を続けられたかもしれない。
 それから、杉田正彦。通称スギヤン。チーム一の小柄ながらセンスは抜群だった。だが、スギヤンに関しては野球よりも、そのキャラクターが印象に残っている。お笑い芸人顔負けのひょうきんさで、いつもチームを盛り上げてくれた。
 最後に、笹田慶太郎。通称ケータロー。ケータローはキャプテンシーあふれるキャッチャーで、何かとヨウスケとキャラがかぶっていた。ふたりとも守備だけじゃなく長打力も抜群で、バッティング練習では隣のテニスコートまでよく飛ばし合っていた。僕たちの代になって、どちらが正捕手になるか激しい闘いがあったが。シンジが投げる時はケータローがキャッチャーで、ヨウスケがファースト。僕が投げる時はその逆、ということで落ち着いた。
 ちなみにこの三人にシンジを加えた四人をワールドクラスカルテットと呼んでいたが、それも最初のうちだった。野球部として苦楽をともにしていくうちに、出身チームや出身小学校といったつまらない派閥はなくなっていった。僕たちは同じ宮中野球部の一年生なのだ。
 僕たちにとって、最初の試練は先輩との上下関係だった。特に2つ上の三年生が引退するまでの2ヶ月は過酷だった。それまで先輩後輩といった上下関係のないリトルリーグの世界で生きてきた。そこには敬語を使う必要がないし、野球が上手ければ自分のほうがでかい顔をすることができた。
 だが、中学は別世界だった。学年が違うだけで、まるで身分が違った。ちょっとしたことで理不尽に仕打ちを受けた。特に、その年の三年生にはいわゆる「ヤンキー」っぽい人が多かった。2つ年上のヤンキーっぽい人が、ときに血相を変えて怒鳴ってくるのだから、その恐怖は尋常ではなかった。
 それに、野球部なのに野球ができないのも辛かった。三年生の中総体が終わるまでは、完全に三年生中心の練習だ。二年生なら石橋先輩や高田先輩のように練習に参加できる人もいたが、一年生は球拾いのみだ。それまでリトルリーグでそれなりに実績を重ねてきた選手には耐え難い屈辱だったに違いない。
 結局三年生が引退する頃には、20人以上いた新入部員が15人くらいにまで減っていた。そして、最後まで残ったのは10人だけだった。
 三年生が引退し、新チームが発足する頃になると、野球以外の個性も見えてきた。すでに言ったように、スギヤンは完全にお笑い担当。いつも面白いことばかりするので、その分先輩からも可愛がられた。もちろん、別の意味の「可愛がり」も結構あった。みんな同じようにぼーっと球拾いをしていると、何故かスギヤンばかり怒られた。「杉田、お前だけグランド10周だ。」と言われると、本当にスギヤンだけが10周した。あれじゃすぐやめてしまうんじゃないかとみんな心配したが、本人はいたって平気だった。どんな苦難も笑いで乗り切る才能があったのかもしれない。
 スギヤンとは対象的に、ヨウスケとケータローはあまり先輩に怒られなかった。体がでかいので、先輩も警戒していたのかもしれない。二人は個性が強いのでぶつかり合うこともあったが、総じてお互いを認め合ういい友達だった。
 人一倍先輩のことをビビっていた僕も、あまり怒られる方ではなかった。野球を除けばあまり個性がなく、存在感が薄かったのが幸いしたのかもしれない。
 先輩から怒られない、という点では、シンジに叶うものはいなかった。それは、ヨウスケたちのようにキャラが強かったからでも、僕のように存在感がなかったからでもない。非の打ち所がなかったのだ。
 野球がうまいことは入部前から証明済みだったが、先輩への受け答えも完璧だった。僕なんかは緊張して変なことを言ってしまうが、シンジは常に卒のない返事をした。たとえそれが、髪の毛を茶色に染めたヤンキーの先輩でも。
 さらに勉強の方も優秀だった。5月にあった中間テストで学年1位を取ったのだ。野球も上手ければ、勉強もできる。絵に描いたような優等生だった。
 ちなみに僕の中間テストの成績は20位だった。悪くない成績だが、どうしてもシンジと比べると見劣りしてしまう。こうして、同じゴールデンルーキーズでも、一方は完全無欠の優等生、一方は特徴のない普通の人、そんな区分けができてしまった。
 
「今日からは、また、一からのチーム作りになる。」
 三年生の中総体が終わって最初の練習で、顧問の鈴木先生はそう言った。三年生たちは結局二回戦であっけなく負けてしまった。個々の能力だけを見るともう少し上位に行っても良さそうであったが、不思議とチームとなると力を発揮できなかった。二年生の中にも、レギュラーキャッチャーの石橋先輩の他、高田先輩がリリーフで力投したが、力及ばなかった。
「一年生も二年生も関係ない。うまいやつを試合に出す。実力主義だ。目標は県大会優勝。お前らなら、それができると思う。」
 僕はヨウスケたちと顔を見合わせた。
「よし、ようやく野球ができるぞ。」
 きっと僕たちの代の人間、みんながそう思っただろう。なにせ、それまではヤンキーの先輩に怯えながら球拾いを続ける日々だったのだから。そして、実力主義という言葉にも心ときめいた。僕たちにはワールドクラスカルテットを始め、リトルリーグの実力者がそろっている。県大会優勝を目指すなら、当然僕たちを使うんだろう。
 だが、そんなうぬぼれも、おなじ「実力主義」という言葉の前に、もろくも崩れ去ってしまった。
 中学に入って初めて参加したシートバッティングで、僕はレフトに入った。メインはピッチャーだったが、外野手としても強肩で何度もチームを救ってきた。ある程度は通用するだろうと思っていた。
 だが、強肩を活かすどころか、まるで打球に反応できない。リトルリーグの感覚でフライを取りに行こうとすると、そこから打球がひと伸びもふた伸びもする。左中間の手前だと思って取りに行った打球が僕のはるか頭の上を飛んでいったこともあった。そこにはセンターの守備に入っていた先輩がグラブを構えていた。
 他の一年生たちも少なからず同じような衝撃を感じていたようだった。ショートを守ったトモキも簡単なゴロを何度もエラーした。世界大会に出場したはずの輝きはそこにはなかった。ヨウスケやケータローに至っては、「お前ら、本当にキャッチャーやっていたのか?」と先輩に殴られる始末だった。
 シンジはと言えば、やっぱり彼だけは、格が違っていた。二年生のピッチャーに続いてマウンドに上がると、次々と先輩たち相手に凡打の山を築いていった。しなやかなフォームから放たれる伸びのある球は、あの時と変わらない。だが、時々投げる大きく曲がるスローボールはなんだ?みんなタイミングが合わず腰砕けになっているぞ。
「おーい、武田。ピッチャーやってみろ。」
 鈴木先生が声をかけたのは、そんなシンジの芸術のようなピッチングのあとだった。
 よーし、やってやるぞ。
 宮城野原ベアーズでの最初の練習を思い出した。あの時も外野から監督に呼ばれて、エースにまで駆け上ったんだ。今回だって、同じように実力を見せつけてやる。
「ストライーク!」
 振り遅れの空振りだった。打席に立っていたのは一年生だったが、十分に実力差を見せつけられたと思った。ベンチにどっかりと座る鈴木先生の方を見た。その前では石橋先輩が素振りをしている。
「ストライーク、三振バッターアウト!」
 立て続けに同級生を三振に取ると、最後に石橋先輩が打席に入った。
 いよいよ真打ちだな。
 あの時も最後にヨウスケが打席に入った。他のバッターとはまるで違う風格があった。きっと二年生からレギュラーで出いていた石橋先輩も、強打者独特の雰囲気を持っているんだろう。
 よし、ここで抑えて、アピールするぞ!
 顔を上げた僕の視界に入ったのは、僕の想像した石橋先輩とはまるで正反対の姿だった。バットを肩に担いだまま、ただまっすぐに立っている。これから打球を打ち込もうと意欲をまるで感じない。
「早く投げろよ。」
 あっけにとられた僕に、石橋先輩が催促をする。
「あ、はい、すいません。」
 なんだか気合が入らない。あんな構えで本当に打つ気があるんだろうか。もしかしたら、初球は見逃して球筋を確かめるのかもしれない。
 疑心暗鬼の中投げた球は、悪くないクロスファイアだった。スピードもある、コースもいい。これならまず、ファール以上にはならないだろう。
 そう思った瞬間だった。カーン、と乾いた音を立てたボールは、レフトを越え、その先のテニスコートを越え、さらにその向こうのプールにポチャリと音を立てて落ちた。
 なぜなんだ。僕の頭の中で、これまでの常識が激しく音を立てて崩れていくのがわかった。クロスファイアは、僕にとっての絶対的な武器だった。リトルリーグの決勝でシンジに打たれはしたが、それはあの試合独特の緊張感がシンジに驚異的な集中力を与えたからであって、そんな奇跡はそうは続けて起きるものじゃない・・・。
「もう一球打つか?」
「いや、俺はもういいっす。」
 この球では練習にならない、と言わんばかりにあっさりとベンチに引き上げていった。それを合図に守備に散っていた人たちもぞろぞろとベンチに戻っていく。
 僕だけはマウンドの上で混乱したままだった。
 何なんだ。なんであれが打たれんだ。本当に僕は打たれたのか?
 石橋先輩の球道の痕跡を、いつまでも見つめていた。

「お前はどうして、変化球を投げないんだ?」
 その日の練習後、石橋先輩から思わぬ質問を受けた。
「変化球・・・って何ですか?」
「嘘だろーー!」
 石橋先輩はグランド中に響くような声で驚いた。
「お前、本気で言っているのか?カーブとかスライダーとか、知らずにここまで野球してきたのか?」
「ええ、まあ・・・。」
「マジか!どうりでストレートしか投げてこないわけだ。それでここまでこれたんだから、ある意味にすごいけどな。でもな、ここからじゃまっすぐだけじゃ打ち取れない。野茂英雄だって、フォークがあればこそだからな。おーい、大野、ちょっと来てみろ。」
 帰り支度を始めていたシンジを呼んだ。
「おい、聞いたか?コイツ、変化球知らないんだって。」
「はい、聞いていました。それだけでも十分ということでしょう。」
「バカ、十分なものか。お前だってカーブ投げてただろ。」
「はい。でも、僕も最近覚えたんですよ。」
「じゃあ、ちょうどいい。コイツにも変化球を教えてやれよ。」
 そこから、僕とシンジの、文字通り肩を並べてのピッチング練習の日々が始まった。思えば、そこからの数ヶ月だけだったかもしれない。少年の僕とシンジが本当の意味で同じ世界にいられたのは。そこから先の人生は、二人の生きる世界があまりに違ってしまったから。
 放課後、授業が終わったら、掃除当番の仕事もそこそこに校庭に繰り出していく。そこにはどう掃除をサボったのか、すでに多くの運動部員たち準備運動を始めていた。一面しかないテニスコートでは、軟式と硬式のボールか同じネットの上を行き来している。その隣にはサッカー部。同じクラスの加藤も下手なリフティングを繰り返してる。その奥にはソフトボール部がいて、外周では陸上部が長距離走をしている。よくあんなに狭いところに、人間を敷き詰めたものだ。
 もちろん、一番でかい顔をして校庭を占拠していたのは野球部だ。どこにボールが飛んでいこうが構わずど真ん中で練習を開始する。この校庭では野球部が王者なのだ。(ちなみに、体育館の王者は、バスケ部であったらしい。)
 僕は王者の一員で、一年生ながらピッチャーだ。そんな小さな優越感が僕の気持ちを大きくさせた。そして、僕は「あのシンジ」と一緒にピッチング練習をする。
 彼は中間テストでトップを取ったことを皮切りに、校内での名声を高めていった。頭もよくスポーツ万能で、リトルリーグでは世界大会に行ったプロ野球選手の卵。彼を直接知らない違うクラスの人や、違う学年の人からも知られるようになった。当然、先生たちも一目を置く。さらには、女子からも人気があったことは言うまでもない。
「おい、今日も窓から、女子がお前のこと見ているぞ。」
「そうか?サッカー部じゃないのか?加藤もいるし。」
「加藤なわけないだろ。あの視線は、絶対野球部の方だ。」
「ただ野球が好きなんだろ。」
 女子生徒の目当てがシンジだったことは、その時からわかっていた。だが、練習中はそんなことで浮ついた態度を見せるシンジではなかった。
「スライダーはストレートと同じ振りで、最後に指を切るようにして投げる。カーブは肘から投げるイメージ。ストレートと違う腕の振りになるので、バッターからは見切られやすい。でも、投げやすいのはカーブだから、最初はカーブからマスターしたほうがいい。」
 実演を混ぜながらする彼の解説は、的確でわかりやすかった。最初は「こんなションベン、使い物になんねえな」と石橋先輩に揶揄されていた僕のカーブも、数週間のうちに「いいブレーキが効くようになったじゃねえか」と褒められるようになってきた。
 シンジはシンジで高田先輩から次々に技術を吸収。カーブやスライダーの他に、チェンジアップやシュートといった高度な変化球を会得していった。カーブ一つで苦労している僕とは、いかにも対象的だ。
 だが、彼の武器はなんといってもストレートだと思う。打者の手前でホップするように伸びるあの球は、リトルリーグ時代から更に威力を増している。あのストレートだけは、どれだけ隣で見ていても真似できるものではない。一種の才能だと思う。

 新チームになって初めての練習試合が組まれたのは、シンジとの差を少しづつ感じ始めた夏休みの直前だった。
「秋の新人戦に向けて、レギュラー争いの第一歩になる。うまいやつを試合に出す。実力主義は変わらない。」
 鈴木先生は実力主義という言葉を繰り返した。同じ言葉に一ヶ月前はどれほど心躍らせただろう。ようやく野球ができるとほとんどの一年生が期待したはずだ。だが、それからの練習で、同じ言葉が重くのしかかった。やはり、二年生はうまい。かろうじてワールドクラスカルテット(そう呼ばれていたのもこの頃までだったと思う)が、二年生に肉薄していたくらいで、他のものはレベルの差が歴然だった。
 実際、この日の練習試合でも、先発で出場したのは全員二年生だった。
「ああ、結局、ベンチから試合を見るだけか。これじゃ三年生がいた頃と変わんねえな。」
 と、ヨウスケが影で悪態をつく。
「誰かケガすればいいのにな。」
 と、ケータローも呼応する。
「おい、先輩に聞こえたらまずいだろ。」
 もっとも僕も心のなかでは同じように思っていたが。
 試合は終始、宮城野中ペースで進んだ。石橋先輩を始め打線がコンスタントに得点を重ね、投げては高田先輩が凡打の山を築いた。
「そろそろ俺たちを出してくれてもいいんじゃないか?}
 ようやく一年生の出番が許されたのは、大量リードがついた5回の守りからだった。マウンドには満を持しての大野真司、キャッチャーはリトルリーグ時代からの相棒、ケータローがマスクをかぶった。
「ゴールデンルーキーズの一番手、とくとお手並み拝見だな。」
 ベンチに戻った石橋先輩が言った。
 マウンド上のシンジは、中学で初めての試合とは思えないほど落ち着いて見えた。背番号こそ10番だが、高田先輩同じような貫禄があった。
「ストライーク!」
 投げるたびに小さなどよめきが起こった。年上であるはずの相手バッターがストレートにタイミングが合わず、次々と空振りしていった。
「ストライーク、三振バッターアウト!」
 あっという間に三者凡退に打ち取ると、さっそうとベンチに戻ってきた。
「さすが、ゴールデンルーキーズ!やるじゃねえか!」
 石橋先輩を始め、ベンチ全員がハイタッチで彼を迎えた。
「ありがとうございます。ありがとうございます。」
 全球ストレートの三振劇に僕もあっけにとられていた。練習であれだけ一緒に変化球を投げ込んでいたのは何だったんだ。
「おい、マサト。シンジは次の回までだ。7回はお前に投げさせるから、準備しておけ。」
 不意に鈴木先生から出番を告げられた。
「あっ・・・。」
「何してる、行くぞ!」
 ヨウスケから声を掛けられて、ようやくピッチング練習に向かった。
 あれはシンジなりのアピールなんだな。変化球など使わなくても抑えられる。自分の実力見せつけているんだ。
「ストライーク、三振バッターアウト!」
 僕の予想を裏付けるように、次の回もストレートだけで三者凡退に打ち取ってしまった。
「すげーな、ワールドクラスのピッチングだよ!」
 ベンチでみんなから祝福されるシンジをブルペンから見ていた。僕にだってできる。決勝戦で互角のピッチングをしたんだ。実力を証明してやる。
 中学に入って初めて対戦したバッターは、たぶん一年生だった。彼の僕同様試合の終盤から守備に入った控え選手で、これが最初の打席だった。
 よし、同級生には負けられないぞ。
 ヨウスケのサインはカーブだった。覚えたての変化球を試したかったんだろう。
 僕は首を振った。
 真っ向ストレート勝負だ。
「ストライーク!」
 どんなもんだい。僕は振り遅れの空振りに満足した。その後もストレート押し、三振を奪った。
「こっちのゴールデンルーキーズもやるじゃねえか!」
 だが、その後のバッターに対しては、思うようにはいかなかった。ストレートで押して見るものの際どい球はことごとくファールにされた。決めに行ったクロスファイアも、簡単に見切られてしまった。
 ワンアウト、ランナー一塁。たまたまフォアボールになっただけで、まだ大丈夫だ。そんな強がりも、次の打者に初球を痛打され揺らいでしまった。
「なぜカーブを投げないんだ?」
 ランナー二三塁というところで、ヨウスケが詰め寄ってきた。
「シンジと張り合おうとしているんだろ?」
「・・・。」
 ズバリ言い当てられてしまい、返す言葉がなかった。
「シンジと同格だと思うな。お前は抑えられば、それでいいんだ。多くを求めようとするな。」
「・・・わかったよ。カーブを投げればいいんだろ。」
 妥協で投げ始めたカーブだが、確かに効果はあった。特にストレートが決まったあとだと、面白いように空振りが取れた。あんなにバッターを腰砕けにできるとは、今までに感じたことのなかった快感だ。
「それでいいぞ!」
 一つアウトを取ると、それが癖になってきた。僕は、ヨウスケのサインも構わず、カーブばかり投げ込んだ。
「ストライーク!」
「ファール!」
「ファール!」
 相手もカーブとわかっているはずなのにタイミングが合わない。へっぴり腰のスイングではあたってもファールにしかならない。
 よし、これで決めてやる。
 カキーン!
 5球続けたところで、ついにレフト前に運ばれた。塁上のランナーが一気に二人返ってきた。

「バカヤロ。」
 試合後、ヨウスケにそう言われてしまった。
「同じ球を続けていれば、誰にだって打たれるに決まっているだろ。」
 試合はその後、カーブを滅多打ちされ、大量点を相手に与えてしまった。辛くも試合は逃げ切ったものの、ほろ苦い中学デビューとなってしまった。
「でも、リトルリーグでは、ストレートだけだったじゃないか。それでも抑えてたぞ。中学でも、それができないはずがないだろ。」
「だから、バカだと言ってるんだよ。」
 ヨウスケは僕の言葉を一蹴した。
「リトルリーグと中学じゃレベルが違うだろ。リトルリーグは野球が下手なやつも、運動音痴のやつも、親に連れられてみんなやってくるんだよ。中学でも野球を続けるやつは、その中でもうまかったやつだよ。ベアーズでもキングスでも全員が野球部に入ったわけじゃないだろ。」
「でも、俺たちは、決勝まで行っただろ。もしあそこで勝っていたら、世界大会に行ったのは、俺たちだったかもしれないんだぞ。」
「ふん。シンジのリップサービスを真に受けやがって。地区大会敗退のくせに、世界レベル気取りになるんじゃねえ。」

 今思うと、ここがゴールデンルーキーズの明暗が別れた分岐点だったのかもしれない。
 夏休みに入ると、毎日のように練習試合が組まれた。僕は渋々ではあるが、ストレートとカーブを織り交ぜるようにした。確かに、そのほうがどちらか一辺倒の投球よりは遥かに抑えられた。だが、シンジの後の当板となると、ただ抑えるだけでは何か物足りない。鈴木先生にアピールするには、もっと強いインパクトを残さなければという気になってしまう。
 なにせシンジの投球ときたら、初登板のときでさえ十分すごかったのに、そこからさらに凄みを増していった。ストレートだけでも打たれる気配がないのに、さらにカーブやスライダーといった変化球が冴え、どのチームを相手にしても全く付け入る隙きを与えなかった。これには鈴木先生も「さすがはゴールデンルーキーだ」と唸るしかなかった。
 僕も鈴木先生に認められたい。僕だってゴールデンルーキーなんだ。だが、そんな気持ちが大きくなればばるほど、僕のピッチングは乱れていった。2試合目以降はコンビネーションンで抑えることを覚えていったが、だんだんそれもうまく行かなくなってしまった。カーブというのは厄介な代物で、力めば力むほど曲がらない。曲がらないカーブなど遅いストレートと同じだ。しかも、必ずと行っていいほど高めの甘いところに行く。
 カーブがダメだとなると、ストレートに頼るしかない。しかし、ストレートだけで勝てる時代は終わった。クロスファイアがいいところに決まれば抑えられるが、少しでも甘いところに入ると必ずと言っていいほど痛打された。
 中学生になり新たなピッチングのステージに入ったシンジとは対照的に、僕は「困ったときのクロスファイア頼み」というリトルリーグ時代のモデルから脱却することができなかった。
 こうして、夏休みが終わることには「ゴールデンルーキーズ」と呼ばれることもなくなっていった。
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