第11話

文字数 5,446文字

 再びの観覧車。
 仙台の春の日差しが、相変わらず気持ちがいい。マサトは窓からマウンド付近を見つめていた。燃えるような天然芝の真ん中に、きれいに整地された小さな丘。あの日、確かに、僕たちはあの場所にいた。
 「人生をやり直せるとしたら、いつに戻りたい?」その答えはまだ出ていない。
「おい、携帯なんかいじるなよ。お前、今写真撮ろうとしてただろ?」
 マサトが言った。
「あいつが久しぶりに会いたいと言っているからな。とりあえず、その間抜けな寝顔でも送ってやろうかと思って。」
「寝てないぞ。」
「寝てなくても間抜けだな。」
「バカ言ってるんじゃねえ。でも、しばらく会ってないからな。あの頃から続いているのは、お前と彼女くらいだからな。どうだ、元気してるか?」
「ああ、相変わらず。元気すぎて困るよ。」
「意識不明の病人を叩き起こして球場まで連れてくるくらいだからな。並の人間の発想じゃないよな。」
 二人でケタケタと笑った。
「でも、俺はわかってるぞ。」
「何がだ?」
「本当は逆なんだろ?」
「ん?」
「本当はアリサがお前を連れてったんじゃない。アリサが止めるのも聞かずにお前が自分の意志で行ったんだろ?」
「・・・ん?そうだったかな?」
「絶対そうだ。」
「忘れたよ。」
「また、それか。まさか、脳震盪の後遺症がまだ続いてるんじゃないだろうな。」
「かもな・・・。でも、不思議なもんだな。」
「何がだ?」
 シンジは携帯をポケットにしまった。
「学生の時の進路選択って、一生を左右する人生最大の決断かと思っていたんだが、案外そうでもないんだな。」
「人生の決断は、その後も何度もやってくるよ。そのたびに間違うことはあっても、結局は落ち着くところに落ち着くもんだよ。」
「そうだな。その時は人生を決める決断だと思っていても、全く関係のない職業につくこともあるよな。」
「お前と俺のようにな。」


 その時、僕は人生の岐路に立っていた。(少なくともその時はそう思っていた。)
 放課後の教室に、母親と担任の教師。僕はただ、黙ってその会話を聞いていた。
「お子さんの成績であれば、一高を目指すのがいいと思いますよ。」
「あら、そうですかね。」
「毎年、当校からは20名程度のものが、一高に進学しています。安全圏とは言えないまでも、十分に合格圏内です。合わせて受験するなら、学院高校でしょう。」
「そうですかね。」
「ええ、お子さんは十分優秀ですよ。部活も最後までやり通しましたし、内申点も悪くはならないはずです。」
「むしろ、部活ばっかりで心配でしたけどね。夜遅くまで練習していて。一体いつ勉強しているのやら。」
「効率がいいということですよ。時間の使い方が非常に上手いんだと思います。」
「あら、そうかしら。」
 窓の外では、下級生たちが部活動に精を出していた。広くはない校庭に、陸上部、ソフトボール部、サッカー部など、多くの運動部がひしめいている。もちろん、その真中を陣取るのは、野球部だ。ピッチャーの塚田がキャプテンの座を引き継いでいた。一年後、彼らは僕らの果たせなかった夢を果たしてくれるだろうか。
「雅人君からは何か言いたいことはありますか?」
「いえ、何も・・・。」
 急に振られた話に、僕は反射的にそう答えざるを得なかった。
「それでは、今日のところはこのへんで。過去問もそろそろ始めてくださいね。一高と学院高校も。特に私立高校は、学校の定期試験とは違って独特ですから、びっくりすると思いますよ。」
「わかりました。ぜひ、買わせるようにいたします。今日はありがとうございました。」
「こちらこそ、ご足労いただき・・・。」
 二人とも立ち上がりかけていた。僕の知らないところで、僕の人生が決まりかけようとしている。
「ちょっと、待ってください・・・。」
「どうしました。過去問はやりたくないのですか?」
「いえ、そうわけじゃないんですが・・・。」
「じゃあ、よかった。過去問をやらずに本番を迎えるのは危険すぎますからね。」
「いえ、だから、そういうことじゃないんです。」
「じゃあ、なんですか?」
 そう言いながらも、時計を気にしている。次の面接が詰まっているのだろう。
「どうしても、一高じゃなきゃダメですか?」
「ダメじゃないですけど、事実上、その一択でしょう。大学への進学率は宮城県トップクラスですし、うまくけば東北大学だって狙える。伝統ある学校で、自由を重んじる校風は雅人君に向いていると思いますよ。それに公立校ですから、ご両親も助かると思いますよ。」
「でも、運動部は弱いでしょう。」
「ものにもよりますが、確かに私立高校に比べたら、全般的に・・・。でも、それがなにか問題でも?」
「・・・。」
 なかなかうまく言えない自分にもどかしさを感じていた。自分の本当の気持ちはそこじゃないのに、どうしても一直線にその場所に行くことができない。
「僕は野球を続けたいんです。」
「それは結構なことです。一高にも野球部はありますよ。」
「でも、甲子園には行けないです。」
「それはわかりませんよ。戦前になりますが、一高にも出場経験はありますから。」
「先生の言いたいことはわかります。一高を出て、東北大学に行って、有名な会社にはいる。先生としては、そういう進路指導をしたいんでしょう。でも、僕は、そんな典型的な生き方をしたいわけではないんです。」
「そ、そうですか・・・。」
 ようやく立ち上がりかけた腰を下ろした。それに合わせるように、母親も席に座った。
「僕はこれからも野球を続けたいんです。続けるからには上を目指したいんです。甲子園に行きたいし、プロにもなりたい。そのためには、野球の実績のある、東北学園高校か育英高校に行くのがいいと思うんです。」
 二人の顔を見ないように、うつむいたまま一気にしゃべった。心臓がバクバク鳴っているのがわかった。
「そうですか・・・。」
 担任は一瞬言葉を詰まらせたが、またすぐに元の調子でこう言った。
「それはもったいないことだと思いますよ。人生の幅を狭めるだけですから。確かに、私立の甲子園常連高に行けば、野球に打ち込める環境を手に入れることができるでしょう。でも、残念ながら、それは野球しかできない環境でもあります。勉強を始め、他のあらゆることを犠牲にして初めて成り立つ世界です。野球で成功して、スポーツ枠で大学に進学できれば幸運です。でも、大抵の人はそれが叶わず、学力もないため、安定した職業につけないのが現実です。一方、一高に行けば、話は違います。野球をやることも、勉強をすることもできます。一高の進学率を考えれば、ある程度名の通った大学に進学することができるでしょう。そうすれば、就職は選び放題です。金融でも、マスコミでも、商社でも、それから公務員でも、どんな業界でもその気になれば、就職することができます。」
「でも、プロ野球選手にはなれませんよね。」
「確かに、可能性としては、ぐっと低くなりますがね・・・。」
「だったら、やっぱり・・・。」
「でも、それは育英に行こうが、東北に行こうが、同じことです。宮城育英の野球部員が全員プロ野球選手になれるかといえば、そんな事はありません。年に一人いるかいないかでしょう。さらに、プロとして大成した選手となれば、育英にも東北にも数えるほどしかいません。大半の人は数年で首になって、そこから人生をやり直さなければならないのです。」
「同じように難しいことだったら、まずは挑戦すべきではないでしょうか。何もせずに諦めるくらいなら、まずは思い切り野球をやってみるべきだと思うんです。」
「武田くんね・・・。」
 担任はもう一度ちらりと時計を見た。
「勘違いしているようだけど、私立に行ったからって、野球に専念できるわけじゃないですからね。そういう高校は野球部員だけで数百人といる。君も知っているとおり、試合に出れるのは9人しかいない。ベンチ入りも含めても15人程度だ。試合に出れる見込みのない人は、球拾いに回されて、まともに練習すらさせてもらえないよ。君の大切な高校生活を球拾いに使っていいの。」
「でも、・・・。」
「わかってる。その中でレギュラーをめざすと言うんだろ。もちろん、君が野球がうまいことはわかっている。でなきゃ、決勝戦まで行けないよ。でも、決勝戦ではどうだった?」
「・・・負けましたけど。」
「だろ。つまり、残念ながら君のレベルは、宮城県レベルということなんだよ。全国的に見てそれほど高くない宮城県のレベル止まりなんだよ、厳しいことを言えば。でも、育英にしろ、東北にしろ、部員は全国から来る。東京からも、そして、レベルの高い関西地方からも。宮城県の中だけだって勝てない相手がいるのに、全国レベルで通用するわけがないよ。」
「・・・。」
「それよりは、一高でしっかり勉強して、まっとうな人生を歩いたほうがご両親も安心じゃないのか。ねえ?、お母さん。」

「父さんは反対だな。」
 進路相談の話をすると、そういう答えが返ってきた。
「野球は楽しいスポーツだ。だが、それは趣味でやっている場合に限るよ。大人になっても趣味で続けれるように、ちゃんとした職業につく。そのために良い高校に行く。そう思えば、勉強にだってやる気が湧くだろ。」
 それだけ言い終わると、読みかけていた新聞をもう一度開いた。
「趣味のために勉強するなんて、僕にはできないよ。」
「そうか、何でもいいから目的を持っているというのは、いいことだよ。大抵の人は、そういうのもないまま、なんとなく生きているだけだからな。」
「でも、どうせやるんなら、とことんやりたい。中途半端にやって、後悔したくない。」
「若いな・・・。」
 父は再び新聞を閉じた。
「後悔するのは、他のすべての可能性を捨てたときの方だ。プロ野球なんて、まともに生活が送れているのは、ごく一部の人たちだけで、それ以外の人の生活はひどいもんだよ。平均年収にしてみたら、会社員や公務員とそんなに変わらない。いや、生涯年収で言ったら、もっと低いかもしれない。何しろ、2,3年でクビになるからな。そこからいい職に付ける人なんて、まずいないからな。」
「人生に安定ばかり求めるなんて、かっこ悪いよ・・・。」
「お前も、時間が経てばわかるようになるよ。」
「時間が経てばって、どれくらい?」
「10年もすればわかる。学校を卒業して、社会に出るようになれば、父さんの言った意味がわかるようになるさ。」
「10年って。そんなに待ってたら、大人になっちゃうよ。」
「大人になればわかる。」
「じゃあ、それまで10年間も、納得の行かないまま生きなきゃいけないの?それじゃ、生きている意味ないよ。」
 段々と僕も大きな声になってきた。考えてみれば、父と真面目に話をするのは、初めてかもしれない。父の姿を見て野球を知り、父に連れられて野球を始めた僕だが、どんな考えで野球をしてきたのか、まるで知らなかった。
「人生を棒に振るってまで、野球をする覚悟はあるのか?そこまで野球が好きなのか?」
「も、もちろんだよ・・・。」
「本当にそうか?」
「・・・。」
「聞けば、しばらく部活に行ってなかった時期があるそうじゃないか。続けていれば、もっと辛いことはたくさんあるぞ。本当に乗り切れられるのか。本当に野球が好きなのか?」

「俺は野球が好きだ。ただ、それだけなんだ。」
 シンジの進路選択は至ってシンプルだった。進路希望カードに「宮城育英」とだけ書くと、早々に提出してしまった。
「おい、本当にいいのか?もっと考えなくていいのか?」
「考えるったって、他に何を考えるんだよ?高いレベルで野球ができるなら、それ以外に考えることはないだろ。」
「でも、先生や親は反対しなかったのか?」
「親は何も言わなかった。でも、先生は目の色を変えて怒ってきたよ。『お前は周りからプロになれると踊らされて、勘違いしているんじゃないか。いくら中学レベルで活躍できても、現実はそんなに甘くないぞ』ってね。」
「そうだろ。俺だってお前はうまいと思ってるさ。でも、俺は全国レベルというものを知らない。本当はどこまで通用するかどうか・・・。」
「通用しなかったら、それはその時さ。それに、周りの意見は関係ないよ。これは俺の人生だし。」
「でも、お前なら、一高に行けるだろ。一高に行ったほうが、その後の人生の選択肢が増えるんだぞ。」
「一高は良い高校だと思うよ。でも、俺は育英で野球がしたいんだ。」
「どうして育英じゃなきゃダメなんだ。野球をするだけなら、一高でもできるじゃないか。」
「どうしてかな。やっぱり、憧れなんじゃなかな。子供の頃から、甲子園をテレビで見てきたから、あのユニフォームを着てみたいんだよね。」
「でも、お前知っているか。育英には全国から野球がうまいやつが集まってくるんだぞ。宮城県だけじゃない。東京や大阪から、全国クラスの選手が来るんだぞ。下手をすると、試合は愚か練習すらさせてもらえないかもしれないぞ。そしたら、野球もできない、勉強もできない、ってことになりかねないぞ。」
「言いたいことはわかるさ。でも、今しかできないことを優先させたいんだよね。勉強だって、就職だって大人になってからもできる。もちろん、野球だって。でも、高校野球は高校のときにしかできない。リスクがあることはわかっているけど、やって後悔するなら本望だよ。後悔すらしない人生なんて、つまらないだろ。」

 こうして、彼は育英に入った。
 こうして、僕は一高に入った。
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