第3話 つむじ風

文字数 785文字

又、治承四年卯月のころ、中御門京極のほどより、大きなるつじ風おこりて、六条わたりまで吹ける事はべりき。三四町を吹きまくるあひだれに、こもれる家ども、大きなるもの、小さきも、一つとして破れざるはなし。さながら、ひらに倒れたるもあり。桁、柱ばかりのこれるもあり。
 かどを吹き放ちて、四五町がほかにおき、又、垣を吹きはらひて、となりとひとつになせり。いわむや、いへのうちの資財、かずをつくしてそらにあり。ひはだ、ふきいたのたぐい、冬の木の葉の風に乱れるが如し。ちりを煙のごとく吹きたてたれば、すべて目もみえず、おびただしく鳴りどよむほどに、ものいうこえもきこえず。彼の地獄の業の風なりとも、かばかりにこそはとぞおぼゆる。
 ※治承4年4月は1180年は、安元の後、養和の前。1177年(安元の大火事)から1181年までの期間。この時代の天皇は高倉天皇、安徳天皇。高倉天皇は大火事にあい、つむじ風にもあった。
治承期は、平氏政権の本格的な確立期である。それに反発して起こった全国的な内乱、すなわち治承・寿永の乱の初期に当たる。源頼朝の関東政権では、この先の養和・寿永の元号を使わず、治承を引き続き使用した。
 治承・寿永の乱は、平安時代末期の1180年から1185年にかけての6年間にわたる国内各地の内乱。平清盛に対する反乱。板東平氏など遠戚間の対立、嫉妬に契機を発した抗争。日宋貿易で得た富を中央政府が独占。財と権力で栄華を極め、傍若無人の平家に他勢力が不満、反乱を招いた。平家物語冒頭の「驕れる者も久しからず」の文は「財や地位、権力を盾に威張る者は平家のように滅びる」の諺にもなっている。
後白河法皇の皇子以仁王の挙兵を契機に起こり、最終的に平氏政権は打倒された。源頼朝を中心武士集団が平氏政権勢力打倒の中心的役割をつとめ、鎌倉幕府の樹立に至った。一般的には
「源平合戦ともいわれる。
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