文字数 3,838文字

「あれあれ~? ハオユーちゃん思考停止しちゃった感じぃ?」

 町の南門。陽気に笑う『音』の亜神ソニードを無視し、ハオユーは冷静になるべく息を整えていた。と、そこに、
 
「ハ、ハオユー様、あれは……!」

 動揺する部下の声が聞こえた。その部下――ヨウランは、南門ではなく、町へ伸びる街道を指していた。
 ハオユーはヨウランの指す方向へ視線を向ける。ハオユーの視界に入ってきたのは、ふらふらとした足取りでやってくる、槍を持った1人の女だった。
 その女とは――フェアラルだった。
 ヨウランが馬に乗ったまま、フェアラルへと駆け寄っていく。
 
「フェアラル様! こんなところで何を!? あなたの持ち場は――」
「ヨウラン!」
 
 異変に気付いたハオユーが声を荒げた。「駄目だ! 近づくな!」

 だが、僅かに遅かった。フェアラルの槍が、ヨウランの腹部を貫いた。ヨウランは吐血し、そのまま馬から崩れ落ちる。
 ハオユー隊に、激しく動揺が走った。
 当のフェアラルは、小刻みに震えながら、何かぶつぶつと言葉を吐いている。
 
「ち、違う……! わた、私は、こんな、こと……! からだ、が」

 その時だった。
 突如、南門上空の空間が裂け、その裂け目は大きな円となる。
 その中に、カオスの姿が映し出されていた。しかし映っているカオスは、城の王の間で、悠然と玉座に座っている。この裂け目は、空間と空間を繋ぐ魔術のようだった。

「諸君。クーデターは順調か?」

 カオスの声だった。地上とは遥かに距離があるはずなのに、その声は鮮明に聞こえた。
 それはハオユーだけでなく、この場にいる全員が聞こえているようだった。ソニードが右手をひらひらと上げる。
 
「ああ今の、あーしの術でーす。音声拡大してまーす」

 ハオユーは、考え得る最悪の事態が起こったと直感していた。
 同時に、自身の胸中に湧き上がる様々な動揺を押し殺していた。
 実際、ハオユーはこの状況下で、努めて冷静だったように思える。

「どういうことだ……?」
 
 しかし――いつ如何なる時も気高く反亜神派を導いてくれた――あのフェアラルが激しく取り乱している姿だけは、看破できなかった。

「お前ら、フェアラルに何をした!?」

 フェアラルは体を震わせながらも、なおもその槍をハオユー達へ差し向けている。

「なに。そなたらはサプライズを用意してくれたのだろう? 余からもそのお返しだよ」

 カオスは今の状況を心底楽しむようにハオユー達へ語った。「我が術にてフェアラルの心を惑わし、その肉体の行動権を支配しているのだ」
 
「馬鹿な……! フェアラルの心を、信念を惑わすことなど……!」
「無論、易々たることではなかったが――」

 カオスは妖艶に笑い、話を続ける。
 カオスはこれまで、幾度となくフェアラルを王の間へ呼んだ。そしてその度に、自身への忠誠を誓わせた。
 無論フェアラルは、彼らを欺くために全霊を持ってその演技を行っていたのだが……それが仇となってしまった。自身を偽る言葉は、カオスの術により、そのまま真言となって彼女の心へ返り、フェアラルを蝕んでいたのだ。
 そうしてついに今、カオスの術は完全にフェアラルの内へと浸透した。フェアラルの意志さえも凌駕し、彼女の体は、亜神のために動く傀儡と化したのだった。
 
「ああ。やはり美しいな、フェアラル。混沌に(まみ)れるその姿を、余はずっと見たかったぞ」

 カオスの狂喜に満ちた声が響いた。ハオユーは刺すような視線をカオスへ向ける。

「だったらその悪趣味な変態術で、フェアラルからクーデターの情報を聞き出したのか?」
「いいや。一度この状態にさせてしまえば、そなたらを泳がすことはできないからな」
「ハオユーさん、俺です。間抜けな反亜神派の、ジンファンです」

 突如、ジンファンの声がした。それは確かに、ジンファンの声だった。
 驚くハオユーをよそに、次にハオユーの声、フェアラルの声が続けて聞こえてくる。
 それは、ソニードの声だった。しかしその声は――ものまねという領域を超えた――まったくもって本人と同じ声色であった。
「まさか……!」と、声を漏らすハオユーに、ソニードが「キャハハ」と笑う。

「みーんな真夜中に、誰だかわかんないよーにフードとか被ってたじゃん? あれがいけなかったねー? ほとんど声だけが頼りだかんさ、数人くらいならすっかり騙されんだよねー」

 ソニードに続いて、グンロンも口を開く。
 
「こちらでもある程度は、疑わしき者は絞れていたからな。案外と容易に情報は頂けたよ。将軍各種の声色を利用し、事前に君らの合言葉も奪えていたしな」

 彼らの話を聞き終え、ハオユーは唇を噛んだ。
 余りにも迂闊だった。ハオユーはそう思った。
 確かにソニードはこれまで、その声真似の力を見せてはいなかった。
 だが奴は『音』の亜神。その可能性を考慮しなかった自分自身に、ハオユーは憤慨した。
 
「今更自らの愚かさを悔やんでも仕方がない」

 ハオユーの心情を見透かしたように、カオスは言った。

「そもそも精霊たる余らに逆らおうという考えを抱いたことが、最大の愚鈍であったのだ」
「なぜ……なぜそこまで分かっていて、事前に俺達を処罰しなかったのだ!?」
「面白いからだ」

 カオスは平然と言った。「余は、混沌を好む。人という同じ種族が虚しく殺し合うこと程、愉悦な混沌があろうか? 故に、クーデターを生じさせたのだ。余はこれから特等席で、それを愉しませてもらうとしよう。さあ――」

 皆殺しの時間だ。

 カオスが凍えるような声で言った。
 次の瞬間――ソニードが動いた。ソニードは大きく息を吸い込み、ハオユー隊に向かって何かを叫ぶような動作を取った。
 
「ぐっ……!?」

 ハオユー達は咄嗟に耳を塞ぐ。どうやらハオユー隊の周辺だけに騒音が発生しているようだった。
 それからグンロン隊が、一斉に弓を放つ。作戦の不首尾によりただでさえ動揺を隠せないハオユーの部下達は、騒音も相まって動きが鈍くなり、次々と矢の餌食となっていく。
 
「一か所に固まるな! 散開し、班になって戦え!」

 ハオユーはすぐに号令をかける。だがその直後、

「いや違う! やはり散開するな、まだ固まれ!」

 というハオユーの声が聞こえた。隊は混乱し、その場を動くことができないでいる。
 ハオユーは舌打ちする。
 ソニードだった。ソニードの声が、ハオユー隊をかく乱する。そして結局固まったままのハオユー隊に、グンロン隊が突撃を始めた――。
 

 フェアラルは惨殺されていくハオユーの部下達を見据えながら、激しい怒りによって打ち震えていた。
 しかし頭の中に鳴り響くカオスの声で、やはり体を思うように動かすことができない。そこに、本物のカオスの声が響いた。
 
「さあ愛しのフェアラルよ。そなたもその殺戮のホールで、踊ろうではないか」

 フェアラルの足がふるふると勝手に動き出し、馬から落ちたハオユーの部下の元へと近づいていく。
 部下の男は足の怪我で、逃げ出すことができないでいた。できることと言えば、一歩、また一歩と近づいてくるフェアラルへ、ただ怯えた眼差しを向けることだけ。
 ついにフェアラルが、男の眼前にまで辿り着いた。男は小さく悲鳴を上げた。
 フェアラルは震える右手で槍を振りかぶり――そのまま、自分自身の左手に、槍を突き刺した。
 男は「え?」と、小さく声を漏らした。カオスの眉が、僅かに上がっていた。

「ああ――ようやく頭の中が、スッキリしましたわ」

 フェアラルは自身の左手から槍を引き抜き、苦い笑顔を作る。
 彼女の左手からはドクドクと血が流れ出ているが、迫るグンロン隊の騎馬の馬を2頭、鋭い突きで貫き、転倒させた。
 カオスが「ほう」と、口を開いた。
 
「なけなしの理性で自らに激痛を与え、無理やり余の術から抜け出したか。……だが」

 カオスは嘲笑する。「それが何だ? お前が正気に戻った所で、戦局は何も変わらない」

 カオスが指を鳴らすと、上空にもう1つ裂け目が増える。
 裂け目には、ジンファン隊のいる北門の様子が映し出されていた。
 彼らはクルト隊とティタンの連携に、苦戦していた。クルトは狂気の笑みを浮かべながら、ティタンはただただ冷淡に、ジンファンの部下達を蹂躙している。
 カオスは薄く笑う。
 
「無論彼らだけではない。自由国の連中も、そなたが取り逃がしたアムズによって苦戦を強いられているだろう。よもやそなた1人でこの戦局を、ひっくり返せるとでも?」
「――私がお前の術を解いたこと、歯車が狂ったことが、そんなに恐ろしいんですの?」

「なに?」と、カオスは声を漏らした。フェアラルは上空のカオスへ嘲笑し返した。
 
「混沌が好きという割には、何やら饒舌になったかと存じまして。本当に心配頂けているようでしたら、それも無用ですわ。反亜神派は、そんなにヤワではございませんから」

 フェアラルはカオスに、鋭い両眼を送る。

「我々には、信念がある。どんな苦境にも活路を見出さんとする意志がある。虐げられる者を想いそれを力にできる愛がある。故に我々は諦めない。混沌上等、混戦は新たな希望だって呼び込む。これは、そういう戦いだろうが!」

 フェアラルが声を上げた時――空間の裂け目に映るティタンの胴体から、鋭い3本の刀身が貫き(・・・・・・・・・・)、飛び出した。
 ティタンの核は砕かれ、ティタンは呻き声を上げながら、地面に崩れ落ちる。
 
「よかったですわね」

 フェアラルは微笑する。「またあなたのお好きな、混沌ですわよ」
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