文字数 2,421文字

 ユーコとジンファンが王都へ帰還してから、数日が経っていた。
 シャミンは腰に訓練用の剣をぶら下げ、昼過ぎの街中を上機嫌で歩いていた。
 
(よっしゃ! これからユーコと一緒に過ごせるぞ)

 兵士訓練学校では卒業試験後も変わらず訓練はあったが、今日は珍しく午前で終わりだった。
 ユーコも午前中に部隊の戦闘訓練があるだけだったので、シャミンはユーコと市場で待ち合わせをして、2人で一緒に昼食と買い物を行う予定だったのだ。
 
(飯食う所は決めてるから、そのあとだよな。うーん…………武器屋。いや馬鹿か。武器屋って。いやまあ2人で見たら楽しいだろうけど。いやいやもっと、雰囲気の良い所でさ……手、手とか繋いじゃったりして)

 くぅっ……! と身悶えしながら歩いていると――突如、ガシャンと大きな音が聞こえる。
 シャミンが音のした方へ顔を向けると、市場の露店の前で、分厚い鎖をじゃらつかせる大柄な壮年の男がいた。大柄の男の前では、小さな子供と母親らしき人物が震えている。
 
(くそ……最悪だ。またあいつ、こんな町中で)

 男の正体は、『鎖』を司る伯爵階級の亜神、ブロケーオだった。ブロケーオは親子に口を開く。
 
「私は、怒っている訳ではないんだよ」
「申し訳ございません……!」

 母親は深く頭を下げ、泣く子供を庇うように前へ出る。ブロケーオはため息をついた。
 
「謝ってほしい訳でもない。マダム。私はね、平等なんだよ。故にその少年にも罰を与えてあげようと、そう考えているだけだ。さあ、おどきなさい」

 ブロケーオが分厚い鎖をじゃらつかせる。母親は子供を抱きしめ、なおも許しを請うた。
 
「申し訳ございません……! この子だけは……!」

 恐らくあの子供がブロケーオに体をぶつけたなどの、何か小さな粗相をしただけだろう。たったそれだけで、あの亜神は幼い子供にとっては致命傷にもなりかねない――分厚い鎖で激しく叩きつけるという折檻を行おうとしているのだ。
 だが、亜神に人の常識は通用しない。これは周知であり、黙認される事実であった。
 
「はあ……仕方がない。話が通じない者にも、罰を。愚かな親子は、共に死になさい」

 ブロケーオの鎖が、母親と子供へ迫る。
 ――が。
 分厚い鎖は、ギンッと音を立てて、弾かれた。
 
「あの~……流石にやり過ぎじゃないっすかね」

 シャミンが親子の前に立ち塞がり、訓練用の剣を抜いていた。その剣で、ブロケーオの鎖を弾いたのだ。
 
「誰だ? お前は」
「第5部隊所属……予定の新兵、シャミン・コウランです」

 緊張した面持ちで言うシャミンを、ブロケーオはじっと見つめる。やがて、息を吐いた。
 
「つまりお前は――上官に逆らったということだな? ならばお前も、罰を受けろ」

 ブロケーオから2本の鎖が乱れ飛ぶ。シャミンは鎖の軌道を冷静に見切り、両方の鎖を剣で弾いた。
 
「罰を、罰を拒絶したな? ならば、ならば更なる罰をお前に与える!」

 じゃらじゃらと鎖が増え、その数は6本になる。シャミンの額から汗が流れる。
 6本の鎖は意思を持つようにうねうねと動き――シャミン目がけて一斉に放たれた。
 
 ――瞬間。
 キンと澄んだ音が複数聞こえ、全ての鎖が弾き落とされた。
 
「ユーコ……!」

 シャミンが声を漏らす。シャミンの眼前には、鉄の剣を持ったユーコが立っていた。
 ブロケーオは顔を真っ赤にして騒いだ。
 
「また、増えた。どうなっているんだ。また、また罰を受ける者が、増えた!」

 その時――興奮するブロケーオに、ユーコは深々と頭を下げた。
 それを見たシャミンは思わず目を開いた。しかしそれからキュッと唇を結び、シャミンもブロケーオへ頭を下げた。
 ブロケーオの体から鎖が消える。そしてブロケーオはゆっくりとユーコに近づいていき、ユーコの頭に手を乗せた。
 直後、ユーコの体中に鎖が纏わり付く。
 
「っ……!」
 
 思わずユーコは、地面に倒れた。ブロケーオが声を荒げる。
 
「頭を下げた程度で、罰が軽くなると思ったのか?」

 ブロケーオの腕から再び分厚い鎖が現れ、唸りを上げる。倒れるユーコへ鎖が迫ろうとする。
 シャミンは咄嗟に、ユーコの上へ覆い被さる――
 
「――ブロケーオ殿!!」

 ブロケーオの鎖が、寸前でピタリと止まった。
 それはフェアラルの声だった。市場の入口に、数人の兵士を連れたフェアラルが立っていた。
 フェアラルはブロケーオの元へカツカツと近づいてくる。
 
「これは何の騒ぎですの? 民間人に手を出すのは軍律違反。ご説明を、ブロケーオ殿」
「これはこれは大英傑様。いえいえ、私は民間人には手を出しておりませんよ、まだ。この子達は、上官に剣を向けたので、その罰を少々。それだけです」

 そう言ってブロケーオは特に悪びれた様子もなく、その場を去って行った。
 ユーコの体の鎖がフッと消える。フェアラルはユーコを一瞥した後、ホッと息をつき、連れていた兵士と共に去っていった。
 立ち上がろうとするユーコに、シャミンは手を差し伸べる。
 
「ごめん……ユーコ。俺のせいで」

 伏し目がちのシャミンに、ユーコはフルフルと首を振り、そしてシャミンを抱きしめた。
 シャミンはボッと顔を赤らめ、動揺した声を上げる。
 
「ちょ、ちょっとユーコ……!」

 ――ギュッとすると、愛情が伝わるでしょ?
 
 それはいつしかの、リルの言葉だったか。
 ユーコはしばらくの間、シャミンを抱きしめていた。

 時刻はもう夕方。シャミンとユーコは手を繋ぎながら、家の前に着いた。
 庭に出ていたレイファは顔に両手を当て、目を丸くし、それからニヤニヤと笑みを浮かべる。縁側に座るジンファンは澄ました顔で、「マセガキめ」と声をかけた。
 
「う、うっさい! そんなんじゃない!」

 叫びながらも、しかしシャミンはユーコの右手を離さなかった。
 
「それじゃあ空いてるお手々は私のも~の!」

 レイファが駆け寄り、ユーコの左手を握る。ユーコの顔に、更に大きな笑みが浮かんだ。
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