文字数 5,072文字


「さ、寒すぎる……!」

 大部屋にいる誰かが、思わず声を上げた。
 部屋の温度がまた下がったようだった。部屋の奥にある扉や周囲の窓も、その全てが凍り付いている。
 ジルバがシェリーに声をかける。
 
「見る限り……そのフラウって亜神、氷を扱うのか?」
「はい、そうですけど」
「そうか……やっぱりビンゴかもな」
「え?」

 ジルバの目が鋭くなる。少しの沈黙の後、ジルバは再び口を開いた。

「実は俺達がこの町へやってきたのは、偶然じゃない。ある筋から、亜神の情報を入手してな。……言っただろ? 俺には、殺したい奴がいるって」

 シェリーの目が大きく開いた。それからわなわなと声を震わせる。

「ま、まさか……! 亜神を殺したいっていうの……!?」

「そうだ」と、ジルバは短く言った。
 シェリーの頭には様々な言葉が浮かんだが、結局彼女の口から漏れ出たのは、「なんで……!」という端的な言葉だった。
 ジルバはシェリーの目を見て答えた。
 
「ルフス国……氷漬けになった国の生き残りなんだ、俺は」
「氷漬けになった、国?」
「知らないか……。まあルパ国からは距離のある小国だしな」
「ごめんなさい……」
「謝ることはないさ。だが――」

 ジルバの両眼に、静かに炎が灯った。「ついに、見つけたか(・・・・・)
 
 その時、大部屋の奥にある扉の氷が溶けた。次いで、扉が音を立てて開く。
 
「絶望してるかい? 人間ども」

 扉から真っ青なガウンを着た優男が、ニヤニヤと笑みを浮かべながら入ってきた。
 
「僕がこの町の領主。『氷』を司る精霊、フラウ様だよ」

 軽薄な口調とは裏腹に、男から放たれるその威圧感は凄まじかった。部屋内はすっかり冷え切っているはずなのに、シェリーの体からは冷や汗が噴き出した。

「てめえ……てめえは……!」

 呟くように声を漏らしたジルバの顔にも、一筋の汗が流れていた。加えてその顔には、焦りの表情も滲んでいる。
 ジルバとフラウの、目が合った。その刹那、ジルバは叫んでいた。
 
「てめえは誰だあ!?」

 誰だあ……誰だあ……誰だあ……と、ジルバの間の抜けた声が、大部屋に木霊したように感じた。
 フラウは怪訝そうな顔をジルバに向ける。
 
「なんだい? キミは」
「いやお前こそ誰だよ! おま、お前、ルフス国を襲った亜神じゃあないのか!?」
「ルフス国? いや知らないよ」
「いやいやいや、とぼけんじゃあねえぜ。……整形? 整形か? お前魔法で顔を変えたんだろ? だってお前氷使うんだろ? だったらお前しかいねえじゃねえか!」
「氷を扱う精霊は、僕だけじゃないよ」
「なにぃ!? マ、マジな話か!?」

 フラウはコクリと頷いた。
 ジルバは口をパクパクさせ、「ふざけんな!」と叫んだ。
 ジルバの虚しい声が、再び部屋中に響いた。ジルバはがっくりと落胆する。
 
「くそ……! 紛らわしい真似を……!」

しばしの沈黙の後、フラウは「ふぅ」と息をついた。そして、

「今回の贄は活きが良いねぇ。もうちょっとさぁ……」
 
 絶望してよ
 
 凍るような声でフラウは呟くと、部屋の温度は更に下がった。
 部屋にいる者達は、ガチガチガチガチと体を震わす。彼らの中にはすでに凍傷になりかけている者もいた。
 
「この部屋にもう少しいるとさ、みーんな氷漬けになっちゃうよ」

 フラウは薄く笑いながら言った。

「ぬ、ぬおおおおお!!」

 突如、国の公認傭兵だと言っていた男が、縛られた状態で走り出した。
 男はフラウの出てきた扉へ必死に駆ける。そしてそのまま、扉に体当たりをした。
 その衝撃によって、扉が鈍い音を立てて開いた。男の顔に笑みが浮かぶ。
 
「やっ……た?」

 だが、男の顔はすぐに絶望へと変わる。
 奥の部屋には、氷漬けにされた機獣兵が大量にいたのだ。
 機獣大狼、機獣大蠍、大きな獅子型の機獣――機獣獅子。それらの機獣全てに、核が2つ埋め込まれている。
 
「さぁて……楽しい楽しい、ダンスの時間だよ」

 フラウが指を鳴らすと、機獣達の氷は解け、機獣兵がギシギシと動き出す。
 男は悲鳴を上げながら大部屋へ戻ってきた。その数秒後、大量の機獣兵も部屋になだれ込む。中の人々は蜘蛛の子を散らすように、大部屋の四方へと駆け出した。
 部屋は一瞬にして大混乱に陥った。

「あははは。やっぱりこの瞬間が1番面白いな」

 フラウは逃げ惑う人々を満足そうに眺めている。

「絶望に染まった魂の味がさ、また格別なんだよね。これなら……()にも良い味のものを献上できそうだ」

「ちっ」と、ジルバは舌打ちしながら、この場を静観していた。
 機獣兵のは、特に動くものに反応するという性質を持つ。今は他の人々が逃げ回っているおかげで、静かに佇むジルバとシェリーには向かってこない。
 ジルバは動けないもどかしさに耐えながら、じっとその時を待っていた(・・・・・・・・・)
 
「もし致命傷を負ったら、僕が瞬間冷凍してあげるからね」

 フラウはニヤニヤと笑う。「だから最期の最期までさ、安心して逃げ惑って――」

 その時だった。
 部屋の入口の扉が、ドンドンドンと激しく鳴った。続けて、

「大変ですフラウ様!」

 部屋の外から、衛兵達の大声が聞こえる。
 フラウは不機嫌そうに扉へ顔を向けた。外の衛兵は続ける。
 
「こ、この部屋に、町の人間達が迫っています! 1人の、銀髪の女を先頭に!」

「あぁ?」と、フラウは声を漏らす。同時に、ジルバはニヤリと口角を上げた。

「――遅いぜ、ユーコ」
「ジルバさん! 前! 前!」

 シェリーの悲鳴にも似た声。前方には1体の機獣獅子が、ついにジルバ達へ迫っていた。
 しかしジルバには少しも動じる様子はなかった。ジルバは右足で左脚の義足を小突くと、義足がヴヴヴと機械音を上げる。次いでジルバは縛られた両手で器用にシェリーを掴むと、義足の力で大きく跳躍した。機獣獅子の爪は空を切る。
 
「かの自由国(・・・)特製の機械義足だ。ポンコツ機獣じゃあ、爪一本触れられねえよ」

 ジルバはシェリーと共に扉の隣に着地する。直後、扉が鋭い斬撃で粉々になった。
 扉の後ろには、光の小剣を持ったユーコが立っていた。そしてその後ろには――
 
「ルカ、ジョズ、エスタ!? それに町の皆も!」

 思わずシェリーは声を上げた。扉の先に、武装したルカ達3人、更には彼らの地区の町人十数人が立ち並んでいたからだ。

「よかったシェリー……! 無事だったか」
 
 彼らはシェリーの顔を見て、安堵の表情を浮かべた。数人の町人がルカ達3人とユーコを見て言う。

「こいつらがここへ行くって聞かなくてな」
「でもおかげで俺達の目も覚めた」
「天国のアンヌさんに怒られちまう。シェリーちゃんは俺達が守る……!」

 潤んだ瞳で彼らを見やるシェリーの横で、ジルバが「ははは」と呑気に笑い、ユーコへ顔を向ける。

「まさかこんな大人数を従えてくるとはな、ユーコ。よっ、頭領」

 けらけらと笑うジルバの顔を見て、ユーコもホッと息をついた。
 それからユーコは光剣でジルバとシェリーの縄を斬り解く。最後にユーコは、ジルバに長刀を手渡した。ジルバは鞘から刀身を引き抜き、鋭い眼光を前方へ向けた。
 
「さあて……そんじゃあとっとと――終わらせるか」

 瞬間、ジルバとユーコは、暴れる機獣兵達の元へ駆け出した。
 ジルバの義足が再び機械音を上げ、ジルバは大きく跳んだ。下には、今にも機獣大狼の爪の餌食になろうとしている傭兵の男。ジルバは落下と同時に、その機獣大狼を核ごと両断する。
 傭兵の男が小さく悲鳴を上げると、周囲の機獣兵数体が一斉にジルバを向いた。――が、ジルバは少しも怯むことなく、それら1体1体を、全て一撃の元に斬り伏せていった。
 部屋の人々を助けようと入ってきた町人達が、思わず声を上げる。
 
「な、なんだこの人……!」
「アンヌさんと同じ、いや、それ以上じゃないか……!?」
「赤髪の……凄腕の、長刀使い……?」
 
 突如、傭兵の男がジルバを見ながらぶつぶつと声を漏らした。「いや、まさか、そんなはずは……」

 ルカが傭兵の男に近寄り、男の縄を解きながら声をかける。

「あなた、ジルバさんを知っているんですか?」

 その言葉を聞き、男は目を開いた。そして、わなわなと口を開く。
 
「ジルバ……! やはりこの男、ジルバ・ラディーンか!? 〝大英傑〟の!」
「大英傑!?」

 大英傑――亜神誕生以前の帝国ヤギンとの戦いにて、最上等級(Aランク)となる大型機獣兵を討ち倒すのに貢献した8人の英傑を、特に大英傑と称した。
 だが大英傑の大半は、機獣大戦にてその命を落としたとされている。
 
「その僅かに生存されたお方が……ジルバさんだって言うのか……?」

 ルカが驚きの声を上げている間にも、部屋の機獣兵達はジルバとユーコによって次々と倒されていき――ついに全ての機獣兵が、ただの機械の塊と成り果てた。
 ジルバは部屋の奥に立つフラウに、長刀の鋭い切っ先を向けた。
 
「仇の亜神じゃあねえが、てめえもついでだ。やっちまうか」
「そうかそうか……なるほど。お前が我が同胞『樹』のドライアドをやった、2人組という訳か」
「あの樹の亜神、この町についても話してくれたぜ。あいつ、自分が負けるとは露にも思ってなかったようでな。口が軽かったよ。ったく、亜神ってのは傲慢でいけねえや。お前も俺達の話が入ってたんなら……もっと慎重になるべきだったな」
「傲慢けっこう」

 フラウは冷たく笑う。「それが僕達、精霊だからねえ!」

 言いながらフラウは、上空に小さな氷の槍を大量に作り出し――それらを一斉にジルバとユーコに落とした。
 2人は冷静に、降りかかる氷槍を全て剣で叩き落とす。
 フラウはこの隙に、両手を合わせ、多量の魔力を解放した。
 パキンと、大きな氷が割れたような音がする。その数秒後、屋敷の外で、機獣兵の鳴き声が聞こえた気がした。
 
「町の中央の施設で凍らせていた、とっておきの大型機獣さ」

 フラウは言いながら、更に懐から小さな機械を取り出し、それを起動させる。機械から不快な高音が鳴り始めた。

「これで機獣はこの屋敷目がけて駆けてくる。建物も人間も、全てを滅茶苦茶にしながらね」

 その言葉に、町人達の顔色は一気に青くなる。ジルバはルカ達3人に顔を向けた。

「君達、もうひと踏ん張りできるか?」

 ルカ達3人の手は震えていたが、彼らは「はい」と頷いた。ジルバは小さく笑う。

「ユーコ。あいつらのこと、任せたぞ」

 ユーコは力強く頷いた。それからユーコは剣を掲げ、部屋から飛び出していく。
 
「ゆ、ユーコさんに続けー!」

 ルカの号令で、町人達も部屋から飛び出した。機獣に襲われ怪我をしていた部屋の者達は、シェリーやエスタ達に支えられながら部屋を出ていった。
 中には、ジルバとフラウだけが残された。
 
「たった1人で大丈夫かい? 亜神様、神様相手に」
「生憎、俺は無神論者でね」

 フラウは薄く笑う。続いて床に両手を置いた。
 するとフラウを中心に、部屋の床が瞬く間に凍りついていく。
 ジルバは咄嗟に、フラウ目がけて大きく跳躍した。が、フラウも大きく後退していた。
 
「その跳躍では僕には届かない。床も凍った。もう自由に地を駆けることはできないねぇ」

 フラウの嘲笑混じりの声が響く。
 しかしジルバは落下しながら、再び義足を起動させた。義足から、激しい蒸気のような煙が噴出する。そして床へ着地せず――そのまま宙を駆けた(・・・・・)
 
「なにぃっ!?」
「良い反応ありがとうよ。分かるぜ。自由国の機械技術ってすげえよな」

 空中を2、3蹴り、フラウの眼前に到達するジルバ。
 フラウは咄嗟に氷の壁を作ろうとする。しかしジルバから発する威圧感に、フラウに本能とも呼べる危機感知が働いた。
 ――氷の壁ごと両断される。と。
 ジルバは長刀を振り抜いた。フラウはそれを、のけ反って避ける。
 間一髪、胴体の両断は免れたが、フラウの右腕は切断され、凍りついた床にドサリと落ちた。
 なおもジルバは追撃しようと刀を構える。フラウは落ちた右腕を回収し、再び大きく後退した。
 
「人間如きがぁ……!」

 フラウは吐き捨てるように言い、「もうお遊びはやめだ」と、冷たく呟いた。
 突如、フラウの胸元が煌めく。同時に、右肩の切断面から機械のコードのようなものが数本伸び、右腕の切断面に絡み付くと――右腕が再びフラウに付着した。
 次いでフラウは両腕を床につけ、四足歩行の構えをとる。パキパキパキと体全体を厚い氷が覆い、背中には氷の棘、腰下に鋭い氷の尻尾、両手両足には氷の爪が生え――まるで大きな氷の獣と化す。
 
「機体進化……氷ノ神獣(フェンリル)形態。――次の一撃でぇ、お終いにしようか」
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