第55話 ジョハリの窓 ~盲点の窓~ Aパート

文字数 5,515文字


 いくら児童たちが元気と言ってもやっぱりこの時期になって来ると暑い。川の近くと言う事もあるから街中よりかは幾分マシだとは思うけれど、一番暑い時間帯である事にも変わりはなくて、また河川敷に置いてあるウォータージャグを占有するわけにもいかないから、児童たちの健康を考慮した結果
「えー! もっと遊びたい!」
 いつもよりも短めに時間を切ろうとすると、予想通り児童たちから文句が飛び交う。
「じゃあ来週からお姉ちゃんといっぱい遊びたい人はちゃんと水筒を持ってくること。お姉ちゃんとの約束守れる人ー」
 それでも朱先輩が児童たちに声を掛けると、みんなが一斉に “はーい” と朱先輩に向かって手を上げる。だからあれだけ不満を漏らしていた児童たちも、最後はみんな笑顔で帰って行った。
「じゃあ、愛さんの相談をじっくり聞くんだよ」
 ……ひょっとしてその為に児童との時間を早めに切り上げたんじゃないかと思うくらい、この時間を待ってましたと言わんばかりのニコニコ顔で
「はい。よろしくお願いします」
 いつも通り朱先輩の家にお邪魔させてもらう。


 有無を言わさない雰囲気で朱先輩の家に案内してもらって、弱くではあるけれど、空調の効かせた部屋の中でいつも通り温かいココアを振舞ってくれる。さっきの朱先輩の様子だと先生の時のようにはならないと頭で理解していたとしても、今までも親身になってくれている朱先輩に失礼だと理解していてもどうしても身構えてしまう。
 その上に蒼ちゃんの時のように、私が相談してしまう事で朱先輩を苦しめてしまう事にならないか、思いも寄らない所で朱先輩を追い込んでしまう事にならないか、とても不安になる。
 ただ、不安な気持ちを持っている私の事を、今まで私の事をちゃんと見てくれた朱先輩が私の不安に思う気持ちに気付かない訳はなくて、
「わたしと愛さんの間では遠慮は無しなんだよ。本当にいつでも何時でもどんな事でも話してくれて良いから。私の前では取り繕う必要は無いんだよ」
 いつもの、そう。本当にいつもの言葉をかけても尚、躊躇う私の横にぴったりとくっついて
「愛さんがわたしに相談したいって思ってくれた今が、その時なんだよ」
 さっきみたいに私の手が震えてはいないかを確かめるように、そっと握ってくれる。
 そんな朱先輩の気持ちに答えるように口を開きはするけれど、
「昨日お父さんお母さんと進路について話してて」
 そんなのは自分で決める事だと言われればそれまでの話で、
「私、人の笑顔を守れるような、泣いている人・子供たちを笑顔に出来るような職業に就きたいなって」
 それでも口に、言葉に出来たのは良かった気はしないでもないけれど、これじゃあ相談ともなんか違う気がする。
「それは昨日初めてお父さんとお母さんにお話をしたの?」
 それでも私の不安を順番に溶かしていくように、朱先輩が私に優しく続きを促してくれる。
「はい。話をしたのは昨日が初めてです。自分の中でもなかなかこれって決められないままになっていて」
「じゃあ愛さんの中でわたしに相談しても良いかな? って思ってくれるくらいには決まって来たって事なんだね」
 そして私のはっきりしない漠然とした話にも嬉しそうに相槌を打ってくれる。
「今までも漠然とした気持ちはあったんですが、昨日お父さんお母さんと将来の話をしている時に気が付いたんです」
 もちろん嘘は言っていない。だけれど朱先輩が私の心を守ってくれたから、私がお父さんの事を嫌いにならずに済むようにしてくれたからこそ、気が付けたって事だって言うのは、さすがに恥ずかしくて言葉には出来なかった。
「じゃあ。愛さんの相談って言うのは人の笑顔を守れるような職に就くためには、どう言う進路を選択すれば良いって事なのかな?」
 それでも私の一番の理解者でいたいって言ってくれた朱先輩が私の言いたかった事を、上手くまとめてくれた。
「はい」
 そして私の返事にとても嬉しそうにしてくれる。
「愛さん。ちゃんとご両親とお話が出来て、仲直りが出来たんだね」
「あの時朱先輩が私の気持ちを理解してくれた上で、男の人の気持ちを、お父さんの気持ちを教えてくれたからです。本当にありがとうございました」
 なんか恥ずかしくて私の心の中だけに留めておくつもりだったのに、赤裸々に喋ってる気がしないでもない。
 ただ、実際に女性である朱先輩が一回も会った事の無い私のお父さんの事が、男の人の気持ちがどうして分かるのか。
 私がまだまだ子供だと言う事を差し引いたとしても、やっぱりすごいと思う。
「ねぇ愛さん。子供は好き?」
 私が朱先輩の事を尊敬していると、唐突に質問を投げかけられる。
「好きですよ。子供から元気を分けてもらえることも多いですし。それに子供と体を一緒に動かすのは良い気分転換にもなりますし」
 じゃなかったら、朱先輩と出会って三年と少し、用事やテスト週間は仕方がないにしても、毎週児童たちと課外活動はしていない気がする……いや、朱先輩がいてくれてたから続けてきた部分もあるのかな? よく考えると少しわからなくなる。
 ただハッキリしているのは、実際に慶の事や前の学校で友達の事で悩んでいた時でも、児童たちから元気をもらった事も人知れずたくさんあったりすると言う事だ。
「でも愛さんって子供相手じゃなくても、友達やわたしが寂しそうな表情をしていたら “お願い” 聞いてくれるよね?」
 朱先輩の悲しげな表情を思い浮かべるだけで、心臓が涙で濡れたような感覚に襲われる。
「それはやっぱり私の周りにいる人には、少しでも笑顔でいて欲しいですから」
 私自身がいくらそう思ってはいても、結果がどうしてもついて来ない蒼ちゃんの事、実祝さんの事
「……」
 どうしたって私の気持ちが落ちる。
「愛さんは福祉系の学部を目指すと良いと思うんだよ」
 少しの間黙って私を見ていた朱先輩が、少し迷うそぶりを見せて提案してくれる。
「それって今、朱先輩が通っている所もそうですよね?」
 いつか、朱先輩が福祉科に在籍している事を教えてくれたはずなのだ。
「そうなんだよ。わたしもちゃんと調べないといけないんだけど、愛さんは総合の福祉科が良いと思うんだよ」
「総合福祉?」
 よく聞きそうでその実あまり聞かない言葉だったりする。
「全国的に見てもあまり多くは無いかもしれないけど、ちゃんとあるんだよ」
 ――俺たちを頼って欲しいし、何でも相談してくれ――
 ――そうよ。わたしたちに遠慮はしないで――
 お父さんとお母さんの言葉を思い出す。
 少ないって言う事は下手をしたら家からは通えないって言う事で。
 何故か私の心の一部が凍るのを感じる。
「大丈夫なんだよ。何があったとしてもわたしが一番の理解者なんだから。週一回はどんなに忙しくてもちゃんと顔を見るんだよ」
 だからか、朱先輩の言葉すらも耳に入らない。
「でもそれって朱先輩と同じ学校でも良いんですよね?」
「……」
 自分でも分からない。ただ弱くではあるけれど空調の聞いた朱先輩の部屋の中、私はしっとりと汗をかいているにも拘らず、口の中だけは乾いている。
 私はそれをごまかすために(ぬる)く冷めたココアを口に含む。
「もちろんなんだよ。もしそうなったらわたしは毎日がとっても楽しいんだよ。それに学校案内や入試なんかの手続きなら、学校の先生の方が詳しいんだよ」
 本当ならそうなんだなって思う。
 考えるまでもなく進学校であるあの学校なら、すぐに全学校の資料くらいなら出てくると思う。
「学校の先生……一度聞いてみます」
 それでも私の相談を軽くあしらった先生。私に向ける先生の視線。
「……」
 蒼ちゃんと二人ため息をついた昨日の放課後。
 今思い返せば蒼ちゃんは、私の知らない間に男の人には見られたくない色々も見られていた事も教えようとしてくれたのかもしれない。
 それでも進路相談は先生にしないといけない。
「……えーっと朱先輩?」
 私が考え事していたからか、朱先輩が無言でこっちを見つめている。
「愛さん。先生

何かあった?」
 朱先輩がこの雰囲気の時は秘密にしようとすると確実に悲しませてしまう。
 ただあの先生は多分悪い先生じゃない……とは思う。
 もう良い先生とは思えなくなってるけれど。
「先日親友の事で先生に相談しようとしたんですけれど、相談に乗ってもらえなくて」
 私自身がそう言う目で見られているって言うのを朱先輩に知られるって言うのも嫌だったし、先生からの視線については以前から何回かはあったし、蒼ちゃんの口ぶりからすると間違いなく私は全部に気がつけてはいないんだと思う。
 この二つの事柄が絡み合ってるから分かりにくいけれどそもそもの発端は、先生が私の話を聞いてくれずにあしらわれたところからこの蒼ちゃんの問題は始まってる。
 しかも私が相談しようとしたことを、誰が聞いているかも分からない廊下で声に出して、挙句本人の前で相談に改めて乗ると言う、中学の時に蒼ちゃんをからかい続けた挙句、蒼ちゃんを傷つけたあの男子とその先生の対応を思い出す。
 本当に先生と言うは中々信用できない。
「それって、例の愛さんの親友のお話?」
「はい。人気のある男子とお付き合いを始めたんですけれど、周りの女子からの嫉妬が酷くて周りから無視もされ始めていて、更には私の知らない所で嫌がらせもあるみたいで、もう私一人だと限界を感じつつあったので、思い切って先生相談したんですけれど、全く聞いてもらえなくて」
 今となっては不用意に広めてしまうくらいなら、先生に言わなければよかった。
「それで今はどうなってるの?」
「身動きできない状態にはなってるんですが、保健の先生が今度話を聞いてくれるって言ってくれているんですけれど……」
 蒼ちゃんの事もすぐに気が付いてくれたし、優珠希ちゃんとも面識はありそうだから言っても大丈夫なのかな? とは思わない事は無いんだけれど……先生の対応が頭にあって、迷いが取れない。
「分かったんだよ。でも、どうにもならなさそうならちゃんとわたしにも言って欲しいんだよ」
 ただ何故か朱先輩は私に安心した表情を向ける。
「はい。いつも本当にありがとうございます」
 だから私の方も何の気負いもなく安心して朱先輩に返事をしたはずだった。
 だけれど朱先輩は私のほんの少しの心の隙間すらも見逃してはくれない。
「でもそれは愛さん

何かあった理由じゃないよね?」
 今度はちゃんと教えてもらうんだよって言う朱先輩の気持ちが視線に乗って伝わる。
「……」
 とっさの事に二の句が継げない私。
「愛さんの事なら何でも分かるんだよ」
 そう言って私の手と首元と言うか、襟元に視線を向ける朱先輩を見て、私は隠しきれない事を早々に悟る。
 そして結局は以前から先生の視線を感じる事、私の親友も担任の先生の私に対する視線に気づいてくれた事を伝える。
「だから担任の先生に進路の事も言い辛くて」
 これを否定されたら私は辛い。朱先輩だから無碍にはしないと分かってはいても、自分の進路の事なのに相談しないでどうするの? って言われたらって思う――
「そんなの許せないんだよ! 愛さんが親友さんの事、進路の事で真剣に悩んでいるのに、そんなのあんまりなんだよ」
 なんだか私以上に朱先輩が怒ってくれてる。
「その先生の名前は?」
「いや、ちょっと朱先輩?」
 朱先輩の剣幕に少したじろぐ。
「だって愛さんがせっかく勇気を出して相談したのに、そんな対応なんてあんまりだよ。それに愛さんさっき手、震えてたんだよ。それだけショックだったって事だよね?」
 でも私の気持ちを分かって、私のために怒ってくれてる。そんな気持ちがひしひしと伝わるから、怖い感じもしない。
「朱先輩落ち着いて下さい。私のために怒ってくれるのはとっても嬉しいんですけれど、実際に見られたとか、何かをされたとかは無いと思いますから」
「そうやって女の子はいつだって泣き寝入りをしないといけないんだよ」
 朱先輩の言ってる事も言いたい事も分かる。
 ただ、これからは私が一人で先生に近づかなければ良いだけの話で。
「ちゃんと私の親友も分かってくれてますから。それに

の中にも、先生を疑ってくれている人もいてくれますから」
 何故か私が朱先輩をなだめる事になっている。
「分かってはないけど、分かったんだよ。愛さんがそこまでしてまで黙ってるって言う事は、話を大きくしたくないんだよね?」
「はい」
 最近よく朱先輩に抱きしめられている気がする。
「じゃあもう担任の先生なんてポイしてしまって、保健の先生に相談してみるのが良いんだよ」
 ポイって……座ったままきゅっと抱きしめてくれている朱先輩がそのままの姿勢で、違う提案をしてくれる。
「でも保健の先生って、進路相談しても良いのかな?」
 私の質問に今度は顔を見ながら、
「大丈夫なんだよ。いろんな理由で保健室の先生を頼る子も多いから平気なんだよ。後、わたしの方でも同じ学部、学科がある学校を調べてみるんだよ」
 力こぶを作る仕草がなんか可愛い。
「でもさすがにそこまでしてもらう訳には……」
 朱先輩の学校案内ならいざ知らず、全く関係のない学校の資料までなんてと思ったのに
「せっかくの記念すべき初めての愛さんからの相談なんだから、遠慮は駄目なんだよ」
 そう言われてしまえば、相談している身としては何も言えないけれど、記念って……そんな私の苦笑いを見て
「そろそろ夜ご飯の準備なんだよ」
 今日も朱先輩の家でご飯を呼ばれるため、少し早い目からの準備を始める。

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