第55話 ジョハリの窓 ~盲点の窓~ Bパート

文字数 3,672文字


 そして早い目の夕食も頂いて、帰るまでの少しの時間、朱先輩が
「愛さんの手が震えるほど緊張していたのは、先生の視線とは別に相談に乗ってくれなかったからなんだね」
 確信を持って聞いてくれるけれど、どうしてこの微妙なニアンスの違いまで分かるんだろう?
「でもこの年になって、相談一つ乗って貰えないくらいで怖がったり緊張したりするなんておかしいですよね?」
 世の中を見渡せば、会社に入って仕事をするようになれば、厳しい事を言われるなんてそれこそいくらでもありそうなものなのに、自分自身の弱さを実感する。
「違うんだよ愛さん。自分の悩みを人に打ち明けるのって本当はすごく勇気のいる事なんだよ。特に愛さんの場合は他人に甘えるような相談事じゃなくて、親友の為に何とかしたくて勇気を出したんだから怖くなったり、緊張してしまうのは当たり前の事なんだよ」
 だけれど朱先輩は私の弱さを否定してくれる。
「愛さんによぉく思い出して欲しいんだけど、先生に親友さんの事で相談して、でも相談に乗ってもらえなくて、ショックを受けて、怖くなってしまった時、間に何かなかった?」
「間?」
「そう間。愛さんが勇気を出して相談して、先生が相手すらしてくれなくて、『その直後』先生には相談出来ない! ってなる間」
 私は自分の想いもそこそこに朱先輩に言われるまま、あの時の自分の気持ちを出来るだけ細かく思い出す。ただあの時の事を思い出すと、どうしても先生に期待していた分、大きかった“落胆”も思い――あ!
 私の表情を見て、朱先輩が表情をほころばせる。
「ね? ちゃんとあった気持ちを見つけられたんだね。愛さんのそれは何だった?」
「えっと “落胆” でした」
 私自身でも分からなかった、見落としていた感情。
 本当に朱先輩は私にとって魔法使いみたいな人だ。
「そうなんだね。だからせっかく愛さんが相談しようとした先生への{期待}を裏切って“落胆”させた先生が全部悪いんだよ」
 そうか、やっぱり私、先生に期待していたんだ。
 そして思い出す。それまでは生徒目線で考えてくれる良い先生だって思っていた事や、なんだかんだ言いつつも、私のお願いは聞ける範囲で聞いてくれていた事に。
「だから愛さんには念のためにもう一回言っておくんだよ。わたしはどんな事があっても愛さんの味方だから。だから愛さんはもう少しワガママになっても良いし、先生のせいにしてしまっても良いんだよ」
 朱先輩はそう言ってくれているけれど、本当にこれ、先生のせいにしてしまっても良いのかな? 先生の今までを思い出すと、また迷いが出てしまう。
「愛さんが何を考えているのか教えて欲しいんだよ」
 いつの間にか朱先輩が吐息のかかりそうなほどの至近距離から、私の瞳をじっと見つめてくる。
「えっと……」
「えっと?」
 朱先輩が私の言葉のすぐ(あと)を追いかけてくる。
「本当に先生のせいにしてしまって良いのかなって。どうしても今までの先生が浮かんできてしまって」
 そして結局は朱先輩には何一つどんな些細な事でも、あの手この手を使って私の本音を引きずり出そうとしてくれるから、やっぱり秘密を作らせてもらえない。
「愛さんのそれは弱さでもワガママでもないんだよ」
 ただ、私が考慮していなかった朱先輩の言葉に驚く。
「愛さんの事だから、今まで先生に良くしてもらってとか、一回相談に乗ってもらえなかったくらいでって思ってそうだけど、逆に相談に乗ってもらえなくて怒ってる人を見たら、怖いなって思う?」
 朱先輩の質問に対して想像してみる。
「程度にもよるかもしれません」
 先生に対して不信感を持つかもしれないし、相談した人に対して怖いと思う事もあるかもしれない。
「目の前で暴力とか大きな声を出されたら、わたしだって怖いんだよ」
 朱先輩もそう言ってくれるのなら
「だったら、腹も立つし、怒るのも分かるかも」
 ただ、そう言う感情が中々湧いてこないから、上手く想像できない。
 それでも朱先輩は私の答えに満足したのか
「そうなんだよ。怒る人もいれば、ショックを受ける人もいる。そして程度が大きくなれば怖いと思う事もあるし、愛さんが思ったように弱いからって思う人もいるかもしれない。でもそれはその人の“個性”なんだよ。強いとか弱いとか良いとか悪いとかじゃないんだよ。もちろん暴力だけは何があっても駄目だけど、愛さんがワガママかなって思ったり、怖くなったりって言うのは愛さんの優しさなんだよ」
「弱さやワガママじゃなくて優しさ?」
 さっきの説明をさらにかみ砕いてくれたんだろうけれど、イマイチ優しさにつながらない気がする。
 私が分かっていない事が嬉しいのか、
「愛さんが知らなくて、わたしだけが知っている愛さんの秘密なんだよ」
 朱先輩がとても上機嫌になる。
「これがジョハリの窓で言う盲点の窓なんだよ」
 そう言ってしたり顔を向けてくれるけれど
「ジョハリの窓って言うなら、一枚目の窓を大きくするために私にも教えて下さいよ」
 私のお願いに “うっ?! 愛さんとの共通……” なんてうめいて迷いを見せる朱先輩。
 しばらく迷っていたかと思うと
「愛さん。時間大丈夫?」
 ハッと気づいたかのように、朱先輩がカーテンを少し開ける。
 外がほとんど夜と言って良い暗さになっているのを見て、大慌てで帰る準備をする。


 そして帰る間際
「暗くて危ないし途中まででも一緒に行く?」
 いつも通り私の心配をしてくれる朱先輩だけれど、
「大丈夫ですよ。さっき家に電話したらお父さんが駅まで迎えに来てくれるって言ってくれましたし」
 朱先輩ほどきれいな人を一人夜道を歩かせるなんて事は私には出来ない。
「分かったんだよ。じゃあ最後にいつもの言葉なんだけど、さっき二つとも言ったから、一個だけ。わたしは何があっても愛さんの味方だから、それだけは忘れたらダメなんだよ」
 本当に本当に、朱先輩には助けてもらってばかりだ。
「それとこれからはもっとわたしにも相談して欲しいんだよ」
「分かりました。また何かあればよろしくお願いします」
 そうは言っても朱先輩の負担にならない様に気を付けはするけれど。
「じゃあまた連絡するんだよ」
「今日もありがとうございました」
 そして名残惜しそうな朱先輩の視線を背に、私はお父さんが待ってくれている最寄り駅まで向かう。


 帰り道、お父さんの運転する二人きりの車の中、私は助手席に座らせてもらう。
 車でなら、家までの短い時間、お父さんが何か言いたそうにしているのが伝わるけれど、お父さんは口を開かない。
「お父さん。少しくらいなら遠回りをしても大丈夫だよ」
 あの時の事を気にしているのは明らかだからこそ、本当に他意も底意も無かったって分かる。だからお父さんにはもう何の嫌悪もない。
「今日は知り合いの女の人の所で、昨日お父さんとお母さんに話してた進路の相談に乗ってもらって遅くなったの。心配かけたならごめんなさい」
 彼氏が出来た事をお父さんに言えないのは、年頃の女の子なら分かってはもらえると思うけれど、それ以外の話なら私には抵抗はない。
「相談って事はもうある程度のこうしたい! って事は頭の中にあるのか?」
 それに自分の子供の事を知ろうとしてくれているのは私的には安心できる。
 やっぱり独りぼっちって寂しいと思うから。
「うん。だけれど志望校とか学科とか、どう選んだらいいのか分かりにくくて」
 だからなのか、なんなのか、一人暮らしの事は言わないし言えない。
「もし何か聞きたい事とか、力になれる事とかがありそうなら明日にでも聞くぞ?」
 それでも少しでも私の力になろうとしてくれるお父さんとお母さん。
 本当にこの家の子供で良かったなって今なら思える。
「明日は図書館の方で集中して勉強しようと思って」
「そうか。分かった。週の真ん中でもいつでも直接お父さんに連絡をくれて良いからな」
 何となくお父さんの元気が無くなった気がするけれど、明日は優希君と二人で一日図書館デート。
 雪野さんとの事、妹さんとの事もあるから、明日の予定は変えられないけれど、
「明日の夜はまた家族四人でご飯食べよう」
 家族と過ごす時間だって私にとっては大切な時間には変わりなくて。
「ありがとう愛美」
 お父さんのお礼に私は
「うん。お父さんも私たちの為にいつも頑張ってくれてありがとうっ」
 自分に出来る笑顔をお父さんに送ったところで、お父さんとの二人っきりのドライブは終わりを迎える。


―――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――
            「会話したぐらいで大げさな」
                照れる娘
         「ええ愛美。思いっきり楽しんで来なさい」
                からかう母
           「さすが愛美さん。ありがとう」 
             穏やかな二人だけの時間

     「分かった。スカートを穿くのは優希君の前だけにする」

            56話 逢瀬 ~図書館デート~

       
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み