白蓬・Ⅸ
文字数 3,840文字
三峰の山遠く、朝焼けの薄黄金(うすこがね)の空の中、ジュジュはシンリィと馬を並べて帰途に着く。
「お前結局、ここに来た目的は何だったの? やっぱりその馬をゲットする為?」
シンリィの身体は何とか回復し、今は馬を御する事に執心している。羽根を開いたり寝かせたり・・右の羽根が不揃いになったが、それにも一生懸命慣れようとしているようだ。
身体で覚えるタイプだったみたいだな。誰だよ、到底馬を配せないとか言った奴。
蒼の里の放牧地で毎晩、この世のどこかでこの馬が生まれ落ちた気配を察して、一生懸命探索していたのかもしれないな。目星が付いて迎えに行こうとした所で俺に邪魔されて、それで恨めしそうな目を向けて来たのか。分かる訳ないだろ、そんなの。
(それにしても……)
見れば見るほど変な馬。こうしてシンリィと飛んでいるんだし、草の馬って言い張れば通るかもしれないけれど、馬事係の頭領が発狂しそうだな……あれ?
馬の手綱代わりの山吹色のスカーフに、今気が付いた。
(俺のじゃん)
エノシラさんが自分の服の余り布だけどと分けてくれたスカーフ。今回、道標の術に使う為に泣く泣く裂いたのだった。
そういえば、ナーガ様が本気で追跡して来たら、とっくに追い付かれている筈なんだけれど……シンリィは会ったのか?
だとしたら何やってんだ、あのヒト!?
***
朝陽射す、五つ森の集落。
出掛けた男達はまだ帰っていない。
集落奥の繁殖場、その一番奥の、開け放されたカラの厩舎の天窓からも、朝陽が射し込んでいた。
朝陽の下には、群青色の長い髪の妖精。
マントを外して法衣となり、馬房中央の枯草の山に祈りを捧げている。
後方に一人の老人が控えている。
特徴のある団子鼻は、多分あの彼の父親で繁殖場の場長。
供えられた酒と塩は、男性に頼まれてこの老人が用意した物だ。
老人は黙って見ていた。
数か月前、遠くの親戚を訪ねた折に、海辺の灌木帯に二頭の変わった馬を見かけた。
八年前に一度だけ見た蒼の一族の草の馬だとすぐに分かった。
一切の馬具を付けておらず、一昼夜待っても持ち主が現れない。
心が動いた。あの空飛ぶ特別な馬を手に入れたいとの衝動が湧いた。
(放たれ馬になっていたのを保護するだけだ。捜しに来たら返せばいい)
自分にそう言い聞かせ、頭絡を掛けて連れ帰った。
馬は大人しく、仲睦まじく寄り添っており、長年の勘で、つがいだと思った。
だが数日たった朝、二頭とも厩で崩れて枯れ果てていた。
その枯れ草の山の間に、小さな仔馬が震えながら立っていたのだ。
(この集落で産まれたからうちのモノだ。五つ森産の草の馬、儂は草の馬を繁殖させたんだ)
あんなに胸が躍ったのは何年振りだったろう。
祝詞を唱え終わり、最後に藁山から二切れ摘まんで奉紙に包み、男性は老人に向き直った。
「この二頭を保護して下さった事、感謝致します」
多分蒼の一族であろう男性は、老人が何か聞く前に、先回りして頭を下げた。
「これは、私の妹夫妻の馬でした。お陰でこうやって供養してやる事が出来ました」
「その……妹御は……」
「草の馬というのは、主と寿命を共にする物です」
「…………」
「ただ、妹の夫君が、そういうのから解き放して自由にしてあげたみたいですね。自分達と共に朽ちる馬に憐れを覚えたのでしょうか。今となっては知りようはありませんが」
「…………」
解放された馬をまた自分が捕縛したから、術が解けて枯れてしまったのだろうか。
この男性はそういう事を責めるつもりはなさそうだった。
あの逃げた仔馬の事は言うべきだろうか。
(いやでも、そんな事より……)
「あ・・!」
法衣の男性がマントを羽織りながら、頭上を見た。
「??」
老人も釣られて天井を見上げ、何もないので目を戻したら、もう男性はいなかった。
(聞き損ねてしまった)
何でそんなに髪も法衣もボロボロなのか、その背中の大きな三本のカギ裂きは、一体どうした事なのかと。ここに来る直前まで、あの方は何処で何をやっていたのだろう。
***
ヤンが、ジュジュに教えて貰った場所へフウヤの馬を迎えに行くと、四白流星が、疲れて眠っている黒砂糖に寄り添っていた。
独りでここまで戻って来てくれたのかと感心していると、下の繁みに五つ森の団子鼻の後ろ姿が見えた。
下の方で見付けて、わざわざ連れて来てくれたのだろう。
「ありがとう」と叫んだが、反応はなかった。
『嘘』って決めつけてしまった事だけは、いつかちゃんと謝りに行きたいと思った。
遠景に、朝陽に照らされる三峰集落が見える。
いつもと変わらない風景。
でも、ジュジュに聞いた彼の受けた仕打ちは、ヤンには信じ難い事だった。九ノ沢に対してだけでも自分はあれだけショックだったのに、フウヤはどんな思いをした事だろう。
イフルート族長や他の皆と話してみても、何故一ヶ月足らずでこんな事になってしまったのか、明確な答えは誰からも出て来なかった。
切っ掛けが何だったとか、誰も思い出せない。帰って、獣の遺骸がゴロゴロ転がった広場の有様を見て、今更ながらに驚愕している者もいた。何故これをおかしいと思わなかったのだろうと。
五つ森も、九ノ沢も、きっとそうだったんだ。
それぞれのヒトの中身は変わらない。ただそのヒト達が心の奥底に持っていた欲望を露(あら)わにし、それが伝播してしまっただけ。
それだけであんなに変わってしまう物なのか。
あんなに怖い世界が実現してしまう物なのか。
足の先まで冷たくなった。黒い疫病と同じに恐ろしい災厄だったのかもしれない……
「フウヤ……」
対価を得られる者になりたいと言っていたけれど、僕らは君に、いつもいつも与えられるばかりだ。
***
赤い光に照らされる樹林の梢をかすめるように何かが走る。
野牛程もある、炎をまとった赤い狼。
後方から深緑の草の馬。
馬上に、青く光る槍を構えたナーガ。
赤い狼がジャンプして、空中のある一点に飛び込むのと、ナーガが槍を放つのと同時だった。
――ドシュ!――
槍は狼には当たらず、脇をかすめて、彼の手前から飛び出した巨大な生き物に直撃する。
黒くぬらぬら光る、三本指の目のない蜥蜴。
「破邪・・!」
ナーガが唱えると刺さった槍が光を放ち、蜥蜴はカサカサに砕かれて空中に散った。
後に小さい小さいカナヘビが残り、手足をバタ付かせながら森に落ちて行った。
「ふん、こいつで最後だろう。取り逃がしがあったとは迂闊だったなぁ、蒼の一族の時期長様よ」
鼻から火炎を吐く赤い狼の十歩手前で停止して、ナーガは剣の束に手を掛けた。
「おっと、俺様はこいつらとは無関係だぜ」
「本当に仲間ではないのか」
ナーガは狼を睨んだまま構えを崩さない。
「当たり前だ!」
狼は不機嫌に背中の炎を噴き上げた。
「俺様の縄張りでせこい真似してやがったんで、文句を付けに来ただけだ。そしたらお前さんが大勢の蜥蜴に囲まれて何だか面白そうだったから、まぁ見物していたんだが。相変わらずヘッポコで笑っちまったぜ。途中で空の天辺まで飛んじまったガキ共の面倒を見に行かなきゃならなくなって、それで隙を突かれて背中に一発喰らったりな」
せせら笑う口端から炎が洩れる。
「つまんねぇよなあ、お前さんがそんなになって何十匹の蜥蜴を倒して、下界の連中の欲の呪いを解いたって、だぁれも気付かないから感謝しても貰えない。蒼の長なんぞとんだ貧乏クジだわな、あぁん?」
ナーガが黙ってじっと見ているので、狼は更にイライラした感じで話を変えた。
「だいたい、こんなチンピラと一緒にするんじゃねぇ。欲望ってのはな、もっとギラギラと一途に澱みなく、究極まで行き着く覚悟を持っていなくちゃならねぇ。
中途半端な欲しか持っていない連中ばっかり相手にしているから、あんな醜い姿にしかなれねぇんだ。見ろ、俺様のこの美しい炎! 分かるか!?」
「・・分からない、分かりたくもないし」
「は、相変わらずつまんねぇ奴」
赤い狼はクルンと回って空中に消えた。
ナーガはまだ炎の熱をおびる空中を、じっと見据えていた。
彼の言った事は本当だ。蒼の長なんて貧乏クジもいい所なんだろう。だけれど……
「欲の呪縛が解けたのは、僕の功(こう)じゃない」
自分がやった事は、『欲望に拍車をかける呪い』を撒き散らしていた、蜥蜴の形をした魔性を退治しただけ。その欲望は、元々その者の身の内にあったモノだ。呪いが止んでも、以前の道に戻れるかどうかは本人次第なのだ。蒼の長にそこまでの手出しは出来ない。
道を一気に照らし出し、皆の顔をそちらへ向けたのは……
「フウヤ・・」
背中をやられて体力を削られ、一旦引くかと迷った刹那があった。その時、蜥蜴達に急激な変化が起こった。あんなに堅く厄介だったウロコが崩れ、目や爪と共にボロボロと剥がれ落ちたのだ。
そう、蜥蜴を肥やしていた大勢の欲の力が失せた瞬間だった。
「あの子に助けられるのは二度目だな、本人は知る由もなかろうが」
ナーガは昇る朝陽に影を縮めて行く山腹の集落を見た。
蜥蜴の呪いは、放っておけばこの辺り一帯を滅びに向かわせただろう。それを防いだのはフウヤばかりではない。彼を大切に育んでくれた三峰の民がいてこそだった。
ナーガは静かに頭を下げた。
「八年前に貴方がこの辺りの集落を回った事は、決して無駄ではなかった。すべての事に意味がある……・・でしたよね、カワセミ長」
(ログインが必要です)