閑話・木守りの実~空の贈り物~
文字数 5,147文字
「まったく、何で自分の気持ち一つ分からないんだろ、大人のクセに。
なあ、羽根っ子……あれ?」
執務室への坂道を登りながら、ジュジュは振り返って仰天した。
繋いでいると思った手がもぬけのカラ……
(いつ抜け出したんだよ、ナーガ様の事は放って置いてあげろよ!)
慌てて踵を返すと、遠くの坂の下に緋色の羽根が見える。
後ろ姿は道から外れて、灌木の林に吸い込まれて行く。
そちらは放牧地と全然違うし、里外れで行っても何もないぞ――っ。
「お、おーい、羽根っ子、シンリィ!」
呼んでも子供は一瞬の躊躇(ちゅうちょ)もなく、ぐんぐん歩いて行く。
この辺りの結界の境目は柵がない。そういえばサォせんせに、シンリィは平気で結界を越えてしまうから気を付けるように言われていた。
「冗談じゃない」
エノシラさんにくれぐれもと頼まれているのに。
羽根の子供は普段はとてものろいのに、何故だかぜんぜん追い付けない時がある。
足が速くなるのではなく、時間の進みがズレたような、こちらが重い水の中をかいているような、変な感覚になっちゃうんだ。
「わざとやっているのなら凄いんだけれどな。蹴り球ゲームで無双出来るって」
しかし多分あの子は分かっていない。何かに集中するとたまたまそうなってしまうみたいで、本人は自覚なくキョトンとしている。
エノシラさんもサォせんせも知らない。何かおかしいなと思っても、大人ってだいたい『自分の思い過ごし』で済ませちゃうから。
ナーガ様はどうだろ? 次期長様だからさすがに何も気付かないって事はないだろうけれど、あのヒト、この子の事となると何でか『見ないようにしている』んだよなあ。
同じ目の高さで生きる子供達の方が敏感に感じている。
あの子は何だか違う、不思議、不可思議。
だから特別ルールを作って囲った。仲間外れにならないように。
彼は異質な者・・ゴマメっ子なんだ。
月明かりの下、前を行く緋色の羽根の後ろ姿が止まった。
枝をかき分けて追い付くと、トゲのある茨(いばら)に羽根を絡ませて、物理的に動けなくなっている。それでも手を空(くう)に泳がせて、前に進もうとジタバタしている。
「待て待て、動くな。羽根が傷んじまうぞ」
小刀を取り出して、ガッツリ食い込んでいる大きな蔓(つる)を切ってやると、子供は残りの小さい蔓は引きちぎって、更に奥に進もうとする。
羽毛が散って羽根の幾つかが変な風に折れ曲がったが、気に掛ける素振りもない。
「そんなにまでして、どこに行きたいってんだよ」
この子には何かはっきりとした目的がある、やり遂げるまで誰が止めてもきっとあきらめない。
ジュジュは息を大きく吐いて、付き合ってやる決心をした。
「帰って……い・な・い?」
執務室で、自宅から引き返して来たエノシラの報告を受けて、ナーガは思わず大声をあげた。
放牧地で二人と別れてからかなりの時間が経っている。
(
また
、自分の事にかまけて、『あの子』から目を離してしまった・・・!)ナーガの顔がみるみる青ざめて行く。
「おいおい、ジュジュが一緒なんだ、そこまで心配しなくていいだろ。シンリィも最近しっかりして来たし、男の子らしくイタズラでも教わっているんじゃないのか」
おどおどしているエノシラを気遣って、ホルズが明るく言った。
「・・!」
何か言いかけるナーガの肩に、ノスリの無言の手が置かれた。
それでナーガは呼吸を整えた。
「エノシラ……エノシラは、自宅で待っていて下さい。大丈夫ですよ、僕の術で捜せます。ホルズ、すまないけれど、サォ教官のハウスにも伝言を……」
「もうちょい、そっちに足掛けて」
曲がりくねった黒い老木のてっぺん近く。
懸命によじ登る子供のすぐ下で、ジュジュは彼を支えながら一緒に登っている。
灌木帯を抜けると何故か広場になっていて、その中心に、竜のように空に伸びる大木があった。
「里にこんな場所あったっけ?」
広場は丈の高い草に覆われているが、過去に整地された跡がある。木の周囲にも人為的な手入れが見られる。
しかし長らく放置されていたんだろう。初夏だというのに、木は寒々と枯れていた。古い木みたいだし寿命なのかもしれない。
その木の幹に取り付いて、シンリィはいきなり登ろうとしたのだ。
「おいおい」
視線の先を見ると、てっぺん近くにまだ生きている枝があり、申し訳程度の葉の中に、黄色い実が一つ見える。
「あれが欲しいのか? 俺が採って来てやるよ、待ってろ」
ジュジュが靴を脱いで幹に足を掛けたのだが、その横でシンリィはなおも登ろうとしている。
どうやらこの子の前進は、『あの実を自分で採る』まで止まらないらしい。
「よし、もう届くぞ。支えているから、手を伸ばせ」
ジュジュが下肢を抱えるように支え、シンリィは枝の上につま先立って、黄色い実に手を伸ばした。
小さい指が握りこぶし程の実を捕え、パチンと音がして子供は目的を達した。
「やったな」
後はこの子を安全に下ろすだけだ。
自分一人ならギリ飛び降りられる高さだけれど、この子はそうもいかないだろう。
考えながら足元を見て、腕の力が少し緩んだ。
シンリィの身体が傾いだ。羽根も一緒に大きく揺れる。
「ああっ!」
やばい、油断した!
幹を突き放して、落ちて来る子供の頭を懐に抱く。
***
・・・・・・・・・・
落ちたのは確かだ。
ここは地面だ。
仰向けの空に三日月が浮かび、さっきまで居た梢が揺れている。
腕の中に硬直したシンリィ。
伸ばしたままの手に、しっかりと黄色い実。
こいつ……
「あいたたた……」
予期しなかった声に、ジュジュは飛び起きて振り返った。
自分たちの尻の下に、大の字にのびた次期長様。
「ナーガ様!」
「取りあえずどけてくれ。落ちて来る子供二人は、さすがにちょっと無理があった」
何で下敷きになっちゃうかな、このヒトなら風の術で俺らぐらい軽く舞い上げられるだろうに?
慌てて横にまろぶと、ナーガの顔色が異様に悪い。
目の焦点が合っておらず、汗をにじませ、肩で大きく息をしている。
「す、すみませんでした、どこを痛めましたか?」
「いや、大丈夫」
ナーガは笑って見せて、額を押さえながらゆっくり上半身を起こした。
「シンリィを捜すのに手間取って、『内なる目』の術を使い過ぎただけ。まったくどうやってこんな所まで来たの?」
「どうやってって、歩いて……」
「あるいて・・・」
ナーガが口を半開きでまじまじと見て来るので、ジュジュは戸惑って、懐に抱えたままのシンリィを伺った。
硬直していた子供はこのタイミングでナーガに気付き、今更ビクッとしている。
「ここ、蒼の里の中じゃないんですか? いつ境界を越えちゃったのかな、気付かなかったけれど。とにかくシンリィを追い掛けて来たらここに着いたんです」
「追い掛けて来たら……」
ナーガは何だか脱力して周囲を見回している。彼の知った場所なんだろうか。
「それで、あの木のてっぺんに一個だけ生っていた実を、シンリィが自分で採りたがって。
・・・シンリィ?」
不意に、ナーガの視界を黄色が覆った。
羽根の子供がいつの間にか傍らに来て、今採った黄色い実を彼に向けて差し出しているのだ。
「く、くれるの、僕に?」
ナーガが戸惑いながらも受け取ると、シンリィは何事もなかったかのようにスンとその場に座り込んだ。
「何だよ、とどのつまり、ナーガ様にその実をあげたかった訳?」
今度はジュジュが脱力した。
「回りくどいったら……」
言い掛けて留まった。
回りくどくなんかない。彼は一直線にここに歩いて来たのだ。
茨(いばら)に遮(さえぎ)られようと、羽根がボキボキ折れようと。
多分自分が居なくても、一人で木に登っただろう。
「木守(こもり)の実だね」
ナーガが老木を見上げて言った。
「コモリ……ですか?」
「うん、木が守ってくれるって意味。実を収穫する時、全部は採ってしまわないで、いざという時の為に一個か二個残して置くんだ。この木は冬を越しても実を大切に保ち続けてくれるからね」
「へえ、じゃあ、その実、去年収穫したヒトが残して置いてくれた奴ですか?」
「さあ……」
変に濁すからそちらを見ると、ナーガはゴツゴツした黄色い実に頬を寄せて目を閉じている。
話し掛けちゃ駄目な感じだ。
ジュジュは膝を抱えて顔を埋めた。
俺、居ても居なくても同じじゃん。
・・・鼻の奥を突き刺す甘酸っぱい香り?
顔を上げると、香りは目にも突き刺さってくる。
「シンリィ、駄目だよ、近付け過ぎ」
ナーガの苦笑いな声がするが、視界は真っ黄色だ。
羽根の子供が半分に割られた黄色い実を、ジュジュの眼前に突き出していた。
「君にもあげたそうだったから。半分コだよ、ジュジュ」
「えっ、いやいやいや、いいですよ、ナーガ様の何だか大切なナニカなんでしょ?」
慌てて遠慮したが、シンリィはぐいぐい胸に押し付けて来る。
「あははは、金輪際断れないだろ、こちらの気持ちなんかお構いなしに」
次期長様が笑っている、さっきまであんなに具合が悪そうだったのに。
おずおず受け取ると、ひんやりした感触と、清(すが)しい柑橘の香り。
「僕の妹もそうだった」
ナーガは実の切り口に鼻を寄せた。
「僕が落ち込んでいる時……試験の点数が悪かったり父に叱られたりとかで……この実で作った菓子をくれるんだ。干して蜂蜜に漬けた奴。いらないって言っても無理やり。自分が大好きだからって、僕もこれで慰められると思ったんだろ。大人になって伴侶が出来たら頻度は減ったけれど」
「…………」
「里には無い実だから、何処で採って来るのか聞いても、『ナイショ』って教えてくれなかった。こんな所にあったんだなあ」
一気に喋って、ナーガはもう一度老木を見上げた。
笑っていた筈なのに、頬に涙の筋があった。
三日月の空からナーガの深緑の馬が降りて来る。驚いた事にジュジュの馬を引き連れている。
「まさか、馬が必要なほど遠いんですか、ここ?」
「うん、まあ、術で捜すのに少し頑張らなきゃならなかった距離かな。シンリィ、もう勘弁してくれよ。助けたい時に術力が尽きて身体を張らなきゃならないとか、こりごりだ」
月明かりに、馬を並べて空(くう)を飛ぶ。
広場は蒼の里から馬で二刻(ふたとき)ほどの場所だが、徒歩での短時間ではありえない……らしい。
(本当に不可思議な奴)
懐の半分の実はひんやりと、相変わらず甘酸っぱい香りを放っている。
「俺にとっては何の思い出もないのに、何でくれたんだろ?」
「あげたい気持ちに『何で?』もないでしょ」
そう答えるナーガの懐では、羽根の子供が半寝でうつらうつらしている。
(ああそうか)
ジュジュは何となく気付いた。
(ナーガ様がこの香りで昔の事を思い出したように、俺はこの香りで今日の事を思い出すんだ)
例えば、今日の三日月。
素直に一本道な子供。
素直じゃない次期長様。
素直じゃない……俺。
「あの、ナーガ様」
ジュジュは改まって切り出した。
「今日の昼間、ホルズさんが修練所の所長を訪ねて来たんです。放課後に執務室で小間使いをやってくれる子供が欲しいって」
「ああ、そんな事を言っていたな」
「俺を推薦して貰えませんか?」
ナーガは真顔になって彼を見た。
「ホルズさんは、十四歳くらいの、卒業したらそのまま執務室見習いに入れる子って指定したけれど、ナーガ様の推薦なら、多少年齢が下でも通りますよね」
「それは構わないけれど……いいの? 君くらいの歳だったら、まだ放課後は蹴り球をやっていたいんじゃないの?」
「俺、早くハウスを出たいんです」
「え……」
「ハウスが嫌いってんじゃないですよ」
少年は先回りして否定した。
「ただ、いつまでもあそこの世話になっている訳にもいかないし、とっとと自立した方が恩返しにもなるかなって。小間使いになったら、執務室見習いのヒトたちと同じ下宿に入れるらしいんです」
ナーガは口を結んで彼を見た。
ハウスといっても教官の個人宅だし、場所が狭いのは否めない。後から来る子の為に、空きを作ろうとしているのだろう。
「うん、大丈夫だと思うよ、ホルズに言っておくよ」
「本当ですか、やったあ」
子供らしくガッツポーズをしながら、ジュジュは懐の実を服の上から撫でた。
あの三つ編みの女性がハウスに手伝いに来る度に目で追っていたのも、もうおしまい。
俺にも、『早く立ち直って次に行け』って事なんだろ?
ナーガの懐のシンリィは、もうすっかり夢の世界で、くぅくぅと寝息を立てている。
三日月は、おつかれさまでしたとでも言うように、二騎の先行きを照らしていた。
~閑話・了~
~ふたつめのおはなし・了~
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