巣立ちの雛鳥
文字数 5,980文字
早朝の、蒼の里の放牧地。
冬の繋ぎ目のない空の中、溶け込みそうな白蓬(しろよもぎ)色の馬が舞う。
馬上には、目一杯羽根を広げたシンリィ。
デジャブな感覚に囚われながら、ナーガはそれを見上げて歩いている。
「馬術もクソもないな。馬と一つの生き物みたいだ」
「ナーガ様」
土手の上にはジュジュが座っていた。ナーガを見止めると、立ち上がって礼をする。
「さっき縦回転を決めたんですよ。羽根が欠けてるのにもすっかり慣れたみたいだし。あーあ、早く俺もやってみたい」
「乗馬禁止罰はまだ解けないの?」
「まさか無制限って喰らうとは思わなかったです」
「すまなかったね、馬事係の頭領にお願いしたんだけれど、やっぱりケジメだって言われて。シンリィは掃除罰だけで済んだのに」
「あいつ、建前では馬を持っていない事になっているから」
白蓬(しろよもぎ)を連れ帰ったシンリィだが、馬事係は『草の馬』とは見なさなかった。おかげで規則に縛られずに乗りたい放題な訳だが。
「大人っておかしいよ」
「そうじゃないよ、ジュジュ。馬事係はいさぎ良かった。自分達が括(くく)る物じゃないと判断したんだ」
「それって……」
依怙贔屓(えこひいき)、と言い掛けてジュジュは呑み込んだ。その言葉を自分が使うのは、何だか悔しかった。
「無制限にしたのは、いつでも解いてやれるように、だと思うよ」
「まさか」
ところで、と言う感じで、ナーガは口調を変えた。
「この間から、旅装の子供二人の目撃情報が入っているって言っただろ? 多分君の友達の」
「はい、聞いた特徴だとぜったいあの二人だなって。え、もしかしてこの辺りに来ているとか?」
「夕べ遅くに帰って来た者の話だと、ハイマツの丘近くで夜営していたって」
「ええっ、うあああ!」
ジュジュは頭をかきむしった。乗馬禁止罰って、実質『外出禁止』みたいな物だ。友達が近くに来ているのに会いに行けないなんて。
結界に守られている蒼の里は、外からは見えない。
「ジュジュお兄ちゃん!」
ハウスの小さい子供が駆けて来た。
「お馬のトウリョウが、お兄ちゃんにすぐ来るようにって」
「!!」
ジュジュは目をまん丸にして、ナーガを振り向いた。
「罰則終了の訓告がちょっと長いだろうけれど、我慢するんだよ」
「は、はい、はいぃい!!」
泡喰って土手を滑り下りる少年の背中に、ナーガはもう一度声を掛けた。
「で、何て言ったっけ、その友達の名前」
「ヤンとカペラです!」
駆け去る後ろ姿を見送りながら、ナーガは肩を落として溜め息を付いた。
フウヤは自分に対して、あくまで身を隠していたいようだ。
(独り立ちしたがっている男の子の成長を、大人しく喜んであげるべきなんだろうか)
ジュジュだって、執務室を困惑させた。
三峰で監禁された事を、まったく報告しなかったのだ。
彼がいない所でノスリとホルズと額突き合わせて議論して、結局そのまま何も無しという方針を、ナーガが強引に押し通した。
だって『正しい裁定』は、既に下されていたのだ。白い子供の行動で、彼らが自ら『内なる目』を見開き、自分の『正しさ』を思い出すという形で。
蒼の長の出る幕はなかった。
ナーガは今一度空を見上げた。馬と子供は羽根を震わせて、急降下と急上昇を楽しんでいる。
あやふやに草を丸めただけの馬で、よくぞあんな真似が出来るもんだ。
「表面だけでもちゃんと編んでやろうとしたんですぜ。しかしまったく触らせてくれん」
先程会った馬事係の頭領は、そう言って肩を竦めていた。
「ヤワな見かけとは裏腹に、気性は相当荒いですぜ」
「まあ、編まなくても大丈夫じゃないでしょうか。空の色が変わる所まで急上昇しても平気でスンとしていましたし」
「そいつぁ……」
草の馬を知り尽くしている馬事係から見ても、この白い馬は不可思議でしようがないみたいだ。
「俺は思うんだが……元々の風の末裔の依り代は、あんな容(かたち)だったんじゃなかろうか。それを我々が誰でも乗れるように改造して行って、今の草の馬に行き着いたんじゃねぇか……そんな気がして来やした」
「偶然の先祖返りって事でしょうか」
「そうだな」
(カワセミ長の羽根と同じように……)
それも偶然なのだろうか。
風の神殿に暮らしていた有翼人が野に降り、大地の精霊と交わって発生したのが、今の蒼の一族。自分達に伝わる伝承ではそうだ。
だが口伝えのみで、それを詳しく記す文献(ぶんけん)等は残っていない。
想像の範疇でしかないが、彼らはシンリィと同じように、『言葉』を使わなかった……必要にしなかったのではないだろうか。
多分、一番最初の蒼の長は、そういう存在だったんだ。
退化して『変わって』しまったのは、自分達の方なのかもしれない……
上昇していたシンリィが、不意に方向を変えた。
「ヤン達を見付けたんだな」
修練所の厩の方から、ジュジュの馬も飛び上がった所だ。
二頭の馬は、絡まるようにクルクルと螺旋を描きながら、ハイマツの丘の方へ飛んで行った。
***
「え・・シンリィが・・?」
執務室前の玄関デッキで、ジュジュの唐突な報告に、ナーガは動きが止まった。
「ああ、はい、多分そうだと思います。ヤンとカペラは、親御さんに許しを貰って来たら構わないよって、今、ハイマツの丘で待ってくれています」
ジュジュは神妙に言った。ハイマツの丘で旧交を温めあった四人だが、どうやらシンリィが二人の旅に着いて行きたがっているらしいのだ。
「ジュジュ、君は?」
「まあそりゃ、行きたいっちゃ行きたいですけれど……いや、俺はあいつと同じではいられない。俺には俺の身の丈があるし、修練所も執務室も俺にとっちゃ大事ですから」
「…………」
「ちょっとジュジュ、どういう事なの?」
エノシラがシンリィを伴って坂を上がって来た。
神妙な顔の子供の脇には、旅装用の鞍袋がしっかりと抱えられている。
「いつの間にこんな物……シンリィが自分で用意したとは思えないんだけれど、ねえ」
「エ、エノシラさん、仕事は?」
「今日はオウネお婆さんが出掛けているからお休みです。残念だったわね、こっそり出て行けなくて。さあどっちが先にお尻をぶたれたい?」
最近のエノシラは、ナーガの前だろうと遠慮しない。
ジュジュが慌てて、家出じゃない事を説明した。
「シンリィが行きたいってんだから、行かせてやったらいいじゃん、エノシラさん」
「旅行に行くなとは言わないわ、けど何もこれから冬に向かう時期に。暖かくなってからじゃ駄目なの?」
「行きたい時が行き時でしょ」
「連れて行ってくれるのも子供なんでしょ? 熱を出したらどうするの、怪我をしたらどうするの」
言い合いをする二人の傍らで、ナーガは屈んでシンリィに目線を合わせた。
はなだ色のまん丸な瞳が、まっすぐに見つめて来る。
(あの二人に着いて行きたいからじゃない……)
何だかナーガには分かった。
この子はいつだって、自分が何処へ行ってどうするべきか、スルリと分かって行動していた。
今は……
「……うん、いいんじゃないかな……シンリィが、行きたいなら、うん……」
ナーガは声が上ずらないように努力しながら、やっと言った。
ナーガにそう言われれば、エノシラも反対している訳には行かず、渋々と承知した。ハイマツの丘に行って同行の子供達に挨拶する為に、ジュジュとシンリィと共に厩に向かう。
坂を下りる三人を、ナーガはぼぉっと眺めていた。
「お前は見送りに行かなくていいのか?」
いきなり後ろから耳元に囁かれて、ナーガは飛び上がった。
「ノ、ノスリ長……」
「シンリィがお前を必要にしなくなっちまった気がして、寂しいんだろ」
「な、何言ってるんですか、フウヤが僕に会ったら罰悪かろうと思っただけです。ちょっとの間いなくなるだけじゃありませんか。嫌だな、必要にするとかしないとか大袈裟な。そんな子供みたいに寂しがったりしませんよ、僕は」
「そうか?」
「そうですよ、さ、今日の仕事だ」
ナーガは身支度をする為に、一旦自宅に戻った。執務室のすぐ裏の、一段高くなっている家だ。
扉を開けると、やけにガランと広く感じる。
何で? シンリィはエノシラの家に居る方が多かったのに。
「??」
真ん中の小卓の上に、何かがあるのに気が付いた。
シンリィの持ち物? 近寄ったナーガは、思わず飛び退いた。
「こ、これ・・! 何で、これがっ!!」
そこにあったのは、『あの』木彫りの人形。
「砕けたはず……?」
気持ち悪いモノを感じた。
目を合わさぬようによく見ると、あの古びた不気味人形ではなかった。
同じ作りだが、彫り跡がきれいだ。
新しい物? だけれど薄っすら光っている。
ナーガは入り口の鏡を取り、そおっと人形の前に立ててみた。
果たして、鏡には人形ではないモノが映った。
銅色の鏡面に浮かび上がったのは、はなだ色の瞳の羽根の子供。
その小さい唇が開く。
《・・ナーガ・・》
小鳥のような声に呼ばれた。
遠い記憶にある声……ユーフィ……いや、ユユの声だ……
―― ナーガ あ り が と ――
パキンと音がして、人形はまた砕けた。
***
ナーガは立ち上がって家を飛び出した。
執務室のデッキで、ノスリとホルズが立ち話をしている。
「どうした、血相変えて」
「すみません、すぐ戻ります!」
それだけ言って走り去ろうとするナーガの肩を、でっかい掌が捉えた。
「ノスリ長?」
「すぐ戻んなくていい。お前が納得するまで、ちゃんと『見送って』来い」
ナーガは目だけで応えて、駆けて行った。
「親父ィ・・」
「午前中、俺が倍働けばいいんだろ。まぁったく世話の焼ける子供ばかりだ」
厩の前の交差道で、誰かにぶつかった。こんな時に……!
助け起こした相手は、さっきシンリィを見送りに行った筈の娘だった。
「エノシラ?」
「ああ、ナーガ様、ごめんなさい、急いでいて」
「どうしたの?」
彼女がぶちまけた沢山の布を拾ってやりながら聞く。
「お産です、そこの家のおかみさんが急に産気付いたって。さっき厩の手前でいきなり呼ばれて」
「ええっ、一人で大丈夫なの?」
今日はオウネお婆さんは、他所の部族のお産に、ベテランの助産師を伴って出掛けている筈。
「大丈夫も何も行かなくちゃ、あたしの役割だもの」
ナーガが心配する間もなく、坂の上からノスリ家の女性陣が、桶やら何やらを抱えて物凄い迫力で駆け下りて来た。
執務室の扉が開いて外の雑音が入る。
「早かったな、もうシンリィを見送って来たのか?」
ホルズは大机の書き物から目を上げないで聞いた。
「いえ、見送りはやめました」
「どうして?」
ホルズは顔を上げた。
机の前に立つナーガは逆光で表情が分からないが、先程とは別人のような落ち着いた声をしていた。
「親鳥から離れて独り立ちしようって子供に、僕が追いすがっちゃ駄目だと思って」
ホルズは目を丸くしたが、ほお、まあ、そうだな、と呟いて、書類に目を戻した。
ナーガは群青色の長い髪をひるがえして、自分の役割、今日の仕事に駆け下りて行った。
夕刻の執務室に斜めの夕陽が入る。
ホルズは書き物を一段落し終え、大きく伸びをした。
目の前の長椅子では昨日まで、羽根の子供が一生懸命に書類の綴付け作業をやっていた。
「今頃、どのあたりを歩いているんだろうな。馬から落っこちていなければいいが」
五か月前、言葉を解しない貧弱な子供をナーガが連れ帰った時は、子供の血統に期待を寄せていた周囲と同様に、自分も心底ガッカリしたものだ。その頃を思い返して苦笑いする。
扉が開いてノスリが入って来た。一瞬長椅子に目を向けてから、大机の方へ歩く。
親父はどうやら、羽根の子供が長椅子に収まっている風景が好きだったのだ。
「早かったな、親父」
「ああ、見習い連中に任せて来た。あいつら、もう俺がいなくても大丈夫だ。次から単独で出していいぞ」
「じゃあ、簡単な仕事から回してやっか」
「それからな、この機会にあの話、具体的に考えて行かないか?」
「ナーガの事か?」
この機会とは、シンリィが旅に出た機会で、あの話とは、ナーガの『次期長』の『次期』を取っ払う事だ。
「まだ頼りないっちゃ頼りないが……俺が長を襲名した時はもっと頼りなかった。まあ三人長って強みはあったが。その分ナーガには、俺達がフォローしてやりゃいいだろ」
「ああ、そうだな、カワセミ長から託された子供も、あそこまできちんと育てる事が出来たんだから、役目も果たしたって言えるだろうし」
「ああん?」
ノスリが眉端を上げて顔を寄せて来たので、ホルズは戸惑った。
「俺、おかしな事を言ったか?」
「俺は途中から気付いていたんだけれどな」
ノスリは両手を腰に当ててゆっくり言った。
「カワセミは、ナーガに、シンリィを、託したんじゃない。
あの野郎、シンリィ『に』、ナーガ『を』、
……ヘタレで泣き虫でどうしようもない雛鳥を……
託しやがったんだ」
「…………」
「役目を果たして離れて行ったのは、あの子供の方だよ」
下の居住区で、何かの合図のような元気な産声。一拍置いて、喜びの歓声。
里の命は永々と引き継がれて行く。
シンリィにとって、この世は複雑で分からない記号だらけだ。
だけれど、それらの隙間に、様々な仕掛けがひっそりと隠されている。
それは、とっても、不思議な事だ……
それは、とっても、愛(いとお)しい事だ……
~赤い羽根のおはなし・完了~
【おまけの小品】
~二重奏~
尖塔の谷、風露の里に、二胡の音が流れる。
珍しく霧のない澄んだ夜で、青い月の空間に音色が染み込むようだ。
「僕の父が初めて母に聴かせたのが、この曲だったらしいです。老師殿に合格点を貰って、その足で山に飛んだとか」
蒼の妖精は群青色の長い髪を揺らして、弓弦(ゆづる)を降ろした。
「そう、お母上、嬉しかったでしょうね」
風露の娘は正面で柔らかく微笑んだ。
「それで、曲を弾き終えた父は、母に言ったんです」
「……はい?」
「貴女は、この青い月のように、どこに居ても、その明るい光で僕を照らして下さいますか?」
「…………」
「貴女は、貴女の生きる場所で、僕と肩を並べて人生を歩んで下さい」
とおに交代に来ていた番人の若者が、外の窓の下で溜め息と共に呟く。
「遠回し過ぎる」
狭い谷間の帯状の空に糠星(ぬかぼし)が煌めき、まるで星の川のようだ。
外の椅子で天河を眺めていたラゥ老師の耳に、毎週の上達を楽しみにしている二胡奏が聞こえて来た。
「良き奏(かなで)じゃ」
二胡の音色はいつしか重なり、塔の間を寄り添うように流れる。
音は心を繋ぎ、未来(さき)の星空にも届く。
~ fin ~
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