海に降る雪・Ⅴ
文字数 2,846文字
自分に出来る事は限られている。本当のホントに微々たる事だ。
二日続けて里を空けるなんて勝手を、ノスリは自分が盾になって通してくれた。
それでなくても、汚(けが)れの付いた親族の元へ次期長が通うのを苦い顔で見ている者も多いのに、ノスリはそういうのすべての防波堤になってくれていた。
たとえヘタレだろうと、このヒトの為にだけでもちゃんとした次期長でいようと、ナーガは思った。
カワセミに言われた通り、朝まづめの時間に浜辺に降りた。
今まで風が止まっている時は来るなと言われていた。
空気の動いていない浜は、何だか勝手が違う。
「……??」
いつも浜辺をほっつき歩いているシンリィがいない。
霧の中、胸騒ぎを抑えながら、ナーガは目を凝らした。
小屋の前の浜昼顔はもうかなり緑に繁り、その中にうずくまる影がある。
下馬して恐る恐る近寄り……息が止まった!
砂の上に座り込んだ子供の背中に、昨日までカワセミの背にあった薄緋色の羽根が
・・あった。
子供は小さい体に羽根が重くて、立ちあがれなくてもがいているのだ。
「な、なんで、なんてコトを!?」
「・・もう近寄ってもいい」
不意な声にナーガはそちらを向いた。
小屋の御簾がたくし上げられ、中の寝台に腰掛ける長い髪のカワセミが見えた。
シルエットだが、背中に羽根が無いのが分かる。
「『羽根を譲り渡す』。何となく可能な気はしていたんだが、やってみれば出来てしまう物だな」
暗がりで表情が分からないが、今までと打って変わって、穏やかに力の抜けた声だった。
いやでも多分、想像を絶する術を使った直後なのだ。
ナーガは小屋の中とうずくまる子供を交互に見ながら、おずおずと歩を進めた。
「シンリィ?」
子供は砂の上をいざりながらこちらを見上げた。初めて間近で見る、懐かしいはなだ色の瞳。
羽根の為上半身の衣服がはだけているが、確かに黒い斑点は跡形もなく消えている。
羽根が悪魔を浄化した? 本当……本当に、この子は救われたのか?
手を伸ばして丸い頬に触れてみる。
子供はさして嫌がらず、されるままでいた。
頬から肩、腕、背中……なんて心許ない、か細い身体なんだろう。
それでもこの子は暖かかった。ちゃんと生きていてくれた。
そうだ、この子は生きていてくれた、生きていてくれた……
子供に触れながら涙を落とすナーガを、小屋の中のカワセミは静かに見つめていた。
「キミに、預ける」
「えっ?」
「里ではなくて『キミに』預ける。いいか、忘れるなよ、『キミに預ける』んだ」
「え、でも、貴方は? 里へ帰ってくれるんですよね?」
「そうだな」
カワセミは他人事のように軽く言った。
「これから、考える」
上の空な返事。何だか変だ?
「カワセミ長?」
「……ああ」
カワセミは我に返った感じでナーガに向いた。
「まずシンリィを里へ連れて行ってくれ。どのみちキミの馬一頭しかいないんだから」
道理だ。筋道は通っている。
「居なくなったりしないで下さいよ」
ナーガはカワセミの気持ちが変わらないうちにと、慌てて浜で待つ馬を引いて来た。
シンリィを抱えて鞍に押し上げたが、子供は抵抗しなかった。
小屋の中の『信頼するヒト』が、阻止せずにじっと見ているからだろうか。
「シンリィを降ろしたらすぐに戻って来ます。だから、そこに居て下さいね」
「ナーガ」
「何です?」
「すべての事に意味がある。キミが生まれて来たのにも、ユユが生まれて来たのにも」
「?? ……そ、そこに居て下さいね!」
とにかく目の前の事をすぐに片付けて、このヒトをノスリ長の元へ連れて行こう。
旧友に会えばきっと平常に戻ってくれる。
ナーガは急いて馬を発進させた。
薄暗がりの妖精は、寝台に腰掛けたまま小さく手を降っていた。
そうして、二人を乗せた馬が上空の霧に溶けてから、パタリと横に倒れた。
浜を飛び立ったナーガは、里へ向かう高空気流を探した。
前に乗せた子供にはマントを頭からすっぽり被せている。
高さに怯えないようにだが、シンリィは意外なほど大人しくしていた。
力を抜きすぎて馬の首の方へずりそうになるのを引き寄せて、腕に何か触った。
「??」
シンリィの首に掛けられた石の首飾り。
「ユーフィのピンクの石……」
カワセミが持たせたのだろう。ナーガはそれをそっと摘まんでみた。
「あれ?」
ピンクの石の横に、新しい留め具でもう一つ、半月型の半透明の石が繋がれていた。
通信用と言っていたから、ピンクの石の片割れ、カワセミが持っていた物だろう。
「なんで?」
急激な違和感。
なんで、通信用の護り石を、両方とも持たせるんだ?
……そうだ、羽根をやり取り出来ると分かっていたのなら、何故もっと早くに試さなかった?
それこそユーフィが生きている間に。
「やはりこうなってしまうか」
カワセミは寝台で丸くなった。
ようよう上げた両手には、黒い斑点が生き物のように広がって行く。
「ずっと羽根に護られて生かされて来たんだ。それだけの跳ね返りもあるんだろうさ」
こわばった指を懐に入れて、細い布きれを取り出す。
空色の巻き髪にいつも絡み付いていた、緋(あか)いリボン。
「ユユに、逢いたいな……」
暫く見つめていたそれが手から滑り落ちて、地べたに触れた瞬間、ぽうと火が着いた。
***
シンリィをしっかり懐に抱いて急降下して来たナーガは、地上を見て全身の毛穴が開いた。
干からびた小屋は、積み上げられた流木と共に、青い炎に包まれていた。
「カ、カワセミ長――!!」
地面に着くのももどかしく子供を抱えたまま飛び降りるのと、小屋が崩れ落ちて積み上げた流木に埋まるのと、同時だった。
「風! 風よ!!」
ナーガの呼んだ風が砂を巻き上げ小屋を覆ったが、白熱した炎が勝(まさ)った。
尋常な炎じゃない。明らかに強い術から生まれた炎。
「アァ――アア!!」
マントを抜け出したシンリィが小屋に向けて走り出した。
「見るな!!」
ナーガが再びマントで覆って倒れ込む。
炎が生き物のように流木を包み、瞬時に燃え上がって、そして、波が引くようにおさまった。
後には、この世の果てみたいな、白い残骸の山。
駆け寄ったナーガの前を、浜から海へ激しい風が吹き抜けた。
残骸は一瞬で風に砕かれ灰となり、大空に散る。
風が去った後には、焼け焦げた砂があるばかりだった……
浜昼顔の葉は、何事もなかったかのように、残り風に揺れている。
シンリィが、絡んだマントからようやく抜け出し、あたりをキョロキョロ見回す。
その小さな身体をナーガはしっかりと抱き寄せた。
「分かっていたんだ。そうだよ、あのヒトは『預言者』だったもの」
子供の細い肩を抱きながら、絞り出すように呟く。
「自分の子供と、自分の荼毘(だび)の為の祭壇を積み上げていたんだ」
白い灰は風に乗って灰色の海に散々(ちぢ)に舞う。
……海に降る雪みたいに…………
~海に降る雪・了~
~はじまりのおはなし・了~
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