白蓬・Ⅶ

文字数 4,197文字

「それなら尚更、急いで三峰に戻らなきゃ!」

 麓の谷の小尾根。
 ヤンは正面の男性にキッパリ言った。
「僕の相棒が先に三峰に向かったんだ。僕が五つ森に拉致されそうって助けを求めている筈だから、おじさんが言ったようにイフルート族長がおかしくなっているんなら、どうなっちゃうか分からない」

「そりゃ確かに、即座に殴り込みに行きかねんな。三峰からだと下りだから早いし」
 九ノ沢の男性は、顎を押さえて表情を曇らせた。
「いや、それはまずいぞ」

「どうしたんです」

「三峰との境界に斥候を立たせているんだ。奴らがこんな夜更けに山を下り出したら、九ノ沢にも即座に知らせが行って、応戦に出るぞ」

「ええっ」

「族長の所に説明をしに行かねば」
 男性が動きかけた時……


「こんな所にいやがった!」
 いきなり別の男の怒号と、まばゆい松明。

 五人ばかりの九ノ沢の男が藪を飛び越え、武器を向けて囲んで来た。
「おお、お前、よくやったな。羽根の子供もいるじゃないか、でかした!」

 男性は狼狽した。
「い、いや、俺は本当に一人でこっそり来たんだ、信じてくれ」

「信じますよ……」
 ヤンはうんざりと言った。どっちにしたってこの状況は変わらない。

 だけど、こちらには切り札がある。ヤンは子供と馬を後ろ手で庇いながら、男達を観察した。
 五人の内四人は、頭や手足に布を巻いている。さっき妖獣に襲われた面々だ。

「行かせて下さい。邪魔したら、あの妖獣を呼び寄せます」
 指で輪っかを作って口にくわえる。案の定、男達はビビってくれた。

 ヤンは指笛を構えながら、男達の間を割って前進した。距離を取ってから乗馬して、どちらかの谷に駆け下りて姿をくらまそう。
 知り合いのおじさんは困惑した表情でこちらを見ているが、とりあえず口出しせずに黙ってくれている。

 しかし怪我をしていない一人が、ズカズカと迫って腕を掴んだ。
「獣一匹に何をビビッているんだ。お前ら九ノ沢の戦士だろうが。こんなガキ、とっととフン縛って簀巻きにしちまえばいいんだよ」

「お、おい……」
 他の四人は及び腰だ。
 普段、熊だのウルバリンだのも相手にしている九ノ沢の猟民だが、あんな、何を考えているか分からない、まったく動きの読めない不自然な獣に遭遇したのは、初めてだったのだ。
 彼らの経験から来る本能が、あれは関わってはならぬ物だと告げていた。


 ――ふすっ――

 気の抜けた音。
 腕を掴んだ男とヤンは、思わずそちらを見上げた。
 羽根の子供が馬上で、ヤンの真似をして指をくわえている。

 ――ふすっ ふすっ――
 子供は真剣だ。

「あのさ、指笛ってそんなに簡単に鳴らせるモンじゃないぞ」
 ヤンの呆れた声に、その場の空気が少し緩んだ。

「有翼人ったって子供だな」
 腕を掴んでいる男まで苦笑いをしている。

 ・・と、ガフッと、動物の威嚇する声。
 その場の全員が硬直した。

 が、声の出所はヤンの馬だった。鼻を広げてグフグフと荒い息をしている。
「驚かすなよ、坊主の馬かよ」

 言いながら男は、馬の視線の先を見て戦慄した。
 数十歩先の藪の奥、夕陽みたいな赤い瞳が二つ、闇に爛々(らんらん)と燃えている。
「き、来やがった」

 たちまち緊張が走った。男達は後退りしたが、ヤンだって怖い。
 『恩返し』なんてこちらが勝手に想像しているだけで、ただの好戦的な凶獣かもしれないのだ。

「お、おい、坊主、平和的に行こうって話を付けてくれ」
「いやそんな無理です」
「お前のオトモダチだろうが……おぉおうっ!」

 いつの間に、羽根の子供が馬を降りて、赤い目に向かってフヨフヨ歩き出している。

「止まれ坊主!」
「やめろって、また蹴とばされるぞ!」

 子供を止めに行こうとするヤンを、男は腕を掴み直して引き戻した。
「いや待て待て、自分達だけ逃げて、俺らを襲わせるつもりだろ」
「だったら貴方達が先に逃げたらどうです!」

 子供は羽根を揺らしながら横にずれ、獣の左斜め前から近寄って行く。
 律儀だな、いや、教えたからって、やれって言った訳じゃないからっ!

 妖獣が一歩前進し、暗がりから姿を現した。グシャグシャのタテガミを逆立てて、喉から低い唸りを発している。
 ヤンの馬も同じように唸り出した。

「お前の馬に、ケンカを売るなって言ってくれ!」
「それも無理です!」

 子供がついに獣の真ん前に立った。獣は歯を剥いて鎌首を持ち上げる。

「逃げろっ 早くっ 逃げろ――っ!」
 ヤンは掴まれたまま身悶えた。男はどうやっても離してくれない。


 長い短い時間が過ぎた。
 獣は止まっていた。

 子供が右手で獣の鼻先を押さえているように見える。
 いや違う、右手には一本の緋色の羽根。
 獣は寄り目でその羽根を凝視して、止まっている。

「すげえ・・」
 ヤンの腕を掴んだまま、男が呟いた。
「あれが、護りの羽根の威力って奴か?」

「やはり絶対に得なければならぬ」
 後方の男の一人が、何かに取り憑かれたようにささやく。
「幸いにして幼い男子だ。天が我らにもたらしてくれたに違いない」

「な、何を言っているんです。あの子迷子でしょ? 蒼の一族のヒト達がきっと捜していますよ」
 ヤンの言葉を、男達は口々に遮る。

「身柄さえ拘束すれば、後はどうとでもなる」
「岩屋に隠してしまえば、見つかりはしない」
「何、幼子だ。故郷の事などすぐ忘れる」

 ヤンは背筋がザワザワした。会話が成り立たない。
 本当に、このヒト達、九ノ沢のヒト?

「分からないです、この辺りの部族はみんな、災厄の時に有翼のあのヒトに助けて貰ったんじゃないんですか? 僕はずっと恩を感じていたんだけれど、九ノ沢では違うんですか?」

「血を取り込むんだとよ! 九ノ沢の部族をもっともっと強くするんだ!」

 ヤンの喉がヒヤリとした。
 男が腕を拘束したまま、山刀を抜いて押し当てて来たのだ。
「おい、そこのバケモンと坊主、こいつの首がブランとなるのを見たくなかったら、大人しくしていろ!」

 他の四人の男は、ロープを投げ輪に作って、ゆっくりと四方に散っている。

「頼む、この子を傷付けないでくれ」
 最初の知り合いの男性が、山刀の男の側に寄って言った。

「ああそうか、お前が目を付けていたガキだったな」
 男の言葉を他の男も受けた。
「宴席で言っていたな、三峰に父親のいない健康な男の子がいるから狙ってるって」

「あ、あれは酒の席の冗談だ」

「酒の席だから本音が出るんだぜ。お前だって一人息子を悪魔に持って行かれたんだ。欲しがる権利はあるだろうが!」

「やめて! もう沢山!」


 妖獣が飛んだ。
 助走もなく、その場でギュッと縮んで、恐るべきバネで跳ね上がったのだ。

 男達は、予想外の動きに呆気に取られて反応出来なかった。

 獣はその一歩でヤンの真ん前に来た。
 グシャグシャのタテガミに、羽根の子供がしがみついてぶら下がっている。


 その先の記憶は、ヤンにとって断片的だった。

 子供の手と獣の口に捕まれて引っ張られたのは、何となく覚えている。

 次には、山刀を持った男の腕をおじさんが押さえているのと、自分の馬が谷側に逃げるのが、何故か足の下の遠くに見えた。

 男達が指さして見上げているのは、もっと小さく見えた。



   ***

 ―― あ は は は は は ―― 
     ―― あ は は は は は ――

 耳の奥がキンキンする。
 頭に響く笑い声に、ヤンは意識を引き戻された。
(寒い、すごく寒い)

 動物に跨(またが)っているのは分かる。
 馬? じゃないよな、ガサガサしたおかしな感触。

 ・・って、これ、あの凶暴な妖獣!!

 前に羽根の子供が跨っているのも分かる。
 目一杯左右に広げた翼が、トンボの羽根みたいにブンブン震えている。

 そして凄い勢いで上昇しているのも分かった。
 斜めじゃない、真上だ。動物は水平を向いているのに、真上に上がっている。

「笑っていたの、お前か?」
 子供ははじけた笑顔で振り向いた。はなだ色の瞳をまん丸に見開いて、口の端いっぱいに興奮をたたえている。

 ――この子はこちらの方が本来の姿だ!
 ヤンは直感で分かった。
 大き過ぎる羽根は、地面で生活する為にあったんじゃない。
 馬に跨って左右に広げて、初めて鳶のような丁度いいバランスになるんだ!
 
 もちろん馬具なんか付けていない。子供の指はグシャグシャのたてがみを握っている。
 ヤンはその子供の胴体にしがみ付いていた。とてもじゃないが、そうしなければ乗っていられない。

「上がるのを止められないか? 耳が痛くて痛くて」
 子供も羽根を広げたまま均衡を保つのに精いっぱいに見える。彼にもコントロール出来ていないのか。
 動物はますます上昇し続け、何だか知らない冷たい粒が、バシバシ身体中に当たる。

「頼む、止まってくれ、僕、もう……」
 空飛ぶ馬に乗りたいとは思っていたけれど……これ、違う……



「シンリィ、止まれ!」

 凛とした声。グラグラするヤンの身体を、力強い腕が支えた。

 上昇は止まっていた。

 隣にいつの間にか大きな馬がいて、馬上のヒトが身を乗り出して自分を支えてくれている。
 目が回って顔を上げる事が出来ない。そのヒトの群青色の長い髪が目の前に滑って来た。
 見た事のある髪……? と思ったが、頭が働かない。

「あ、ありがとうございます……」
 やっと言えたが、返事はなかった。腕は消えていた。いたと思った大きな馬もいない。
 幻覚? まさか。

 半(なか)ばもうろうとしながら、ヤンは紺碧の空を見た。
 いつもの水色の空は見慣れた白雲と一緒に、遥か足下にあった。
 湾曲した地平線に見た事もない大きな太陽が一筋の光を伸ばし始めている。


 動物はゆっくりと下降を始めていた。
 前の子供は羽根を上げたり下げたり、広げて踏ん張ったりしている。制御出来るようになったのか?

 よく見ると、山吹色の布を繋いで輪っかにした物を馬の口に掛け、手綱の代用にしている。
 スカーフみたいだけれど、あんなの持っていたっけ?

 昇る時はあっという間だったが、降りるのは時間を掛けてくれた。耳が痛いままだったので、助かった。


 朝焼けの薄明かりの中、山の木々の形が見える所まで降りた頃、山の中腹の谷に、松明がポツポツと見えた。
 丁度、三峰と五つ森と九ノ沢の三つの部族の中間辺りだ。灯りはそちらに集まって行く。

 胸騒ぎがした。

「ね、あそこに降りられる?」
 子供が羽根を傾けると、動物は向きを変えてくれた。




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登場人物紹介

ナーガ・ラクシャ:♂ 蒼の妖精

蒼の里の次期長。幼名ナナ。

書物の知識は豊富だが、実は知らない事だらけ。

シンリィ・ファ:♂ 蒼の妖精

カワセミとユーフィの一粒種。ナーガの甥っ子。

何も欲しがらないのは、生まれながらに母親からすべてを貰っているから。

カワセミ:♂ 蒼の妖精

前の代の蒼の長だったが、放棄している。シンリィの父。

天啓のまま生きる。

ユーフィ:♀ 蒼の妖精

成長したユユ。カワセミの妻。シンリィの母。故人。

自分の生まれて来た意味を考えながら、風みたいに駆け抜けた。

ユユ:♀ 蒼の妖精

ユーフィの幼名時代。ナナ(ナーガ)の双子の妹。

天真爛漫、自由に我が道を行く子供だった、外見は。

ナナ:♂ 蒼の妖精

ナーガの幼名時代。

次期長として申し分のない、放っておいても大丈夫な子供だった、外見は。

ノスリ:♂ 蒼の妖精

当代の蒼の長。近々ナーガに譲る予定。

同僚達と妻をいっぺんに失くした中、災厄で被害を受けた里を立て直さねばならず、余裕がない。

ホルズ:♂ 蒼の妖精

ノスリの長男。執務室の統括者。ナーガの兄貴分。

前任者が引き継ぎをしないまま災厄で全滅した執務室を、五里霧中で回す新人管理職。


エノシラ:♀ 蒼の妖精

ノスリ家の遠縁。両親を災厄で失くす。助産師見習い。

癒し系でふわふわしているが、芯は強く石のように頑固。

赤い狼:?? ???

ヒトの欲望を糧に生きる戦神(いくさがみ)。

イイヒト呼ばわりは大嫌い。

アイスレディ:♀ 蒼の妖精

ナーガとユーフィの母。先先代の蒼の長の妹。

遠方の雪山の、風の神を祀る神殿の守り人。

ジュジュ:♂ 蒼の妖精

親兄弟すべて災厄で失くしてハウスで育つ。

身の丈に合った堅実な暮らしがしたいのに、何だかトラブルに巻き込まれる。

フウリ:♀ 風露の民

風露の職人。二胡造りの名手。ナーガの気になる相手。

狭い世界で生きている割に、視野は広い。

フウヤ:♂ 風露の民

フウリの弟。二つ年下のシンリィと、初対面でウマが合う。

自信満々なのは、自分から自信を取ったら何も残らないと知っているから。

ヤン:♂ 三峰の民

蒼の里の統括地から外れた三峰山に住む、狩猟民族の子供。父弟を災厄で失くし、母と二人暮らし。

ややナーバスな母に育てられ、嫌でもしっかりしてしまう。

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