閑話・宵待ち草
文字数 5,967文字
「そっち行ったぞ、走れ!」
「戻って戻って、守れー!」
昼休みの修練所前広場。
十人ばかりの子供が蹴り球(けりだま)遊びに興じている。
シュロの葉を固く巻いた球は軽くてよく弾む。それを手を使わないで奪い合い、杭を立てたゴールに蹴り込んで点を取るゲームだ。
「ちょっとルールが変わったか? 俺らの頃は一点取る毎に陣地替えとかあったけれど」
所用で修練所に来ていたホルズは、土手の上から懐かしそうに見物していた。
「ルールは子供達でその都度変えて行っているみたいですね。元々子供が考えたゲームでしょう?」
隣で受け答えするのは、今年から新任の若い男性教官。名をサォといい、子供達に人気がある。
「あの球の巻き方も上の子から代々伝授しているみたいだし、本当に子供って何かを作り出す天才ですよね」
「ああ、そうかもな……んん?」
ホルズは身を乗り出した。
蹴り球がそれて土手の下まで転がったのだが、丁度そこに羽根の子供がフヨフヨ歩いて来たのだ。
「おーい、羽根っ子、ゴマメっ子」
子供の一人がシンリィに向けて両手を振った。
「それこっちに投げてくれ」
シンリィは神妙な顔で蹴り球を拾った。
その瞬間子供達は止まった。走りかけていた子は片足立ちでグラグラしている。
「どうしたのかな?」
「羽根の子供が蹴り球に触っている間は動いちゃいけないってルールが、最近出来たみたいですよ」
「はあ?」
シンリィは両手を頭の上に振り上げて、精一杯の動作で球を放り投げた。
それでも男の子達の大分手前で落ちてテンテンと転がる。
「サンキュ、羽根っ子」
球が落ちると同時に子供達は動き出し、ゲームが再開された。
「どういう意味があるんだ?」
「さあ、私もちゃんと問いただした事はないのですが」
「ゴマメっ子だからだよ、センセ」
土手の反対側から一人の男の子が駆けて来た。当番で遅くなった子だ。
「あの子、羽根が重くてすぐ後ろにひっくり返るでしょ。目の前まで走り込んで急かしたら、慌てさせちゃって危ないじゃん。だからあの子が蹴り球に触っている間は、時間を止めてあげるんだって」
「ふむ」
確かにシンリィの運動神経は壊滅的だ。身体に比べてデカ過ぎる羽根を背負っているんだから、しようがない。
「そういうルールって皆で考えるのか?」
「うん、大体ジュジュが言い出すかな。センセ、僕もう行っていい? 昼休み終わっちゃう」
「おう、行け行け」
男の子は大急ぎで皆の中へ駆けて行った。ほんの少しの時間でも蹴り球に参加していたいのは、男の子の性(さが)だ。
「ジュジュってどの子だ?」
「あちらのゴールを守っている年長の子ですよ。髪の色の鮮やかな」
コバルトブルーとも言える明るい髪色の少年が、難しいコースをキャッチして喝采を浴びている所だ。年齢は十一,二歳、腕に巻いている山吹色のスカーフが髪に映えて、何気に目を引く子だ。
「子供達のリーダー格なのか?」
「うーん、そうでもないんですが。年齢の割には大人びた気配りが出来て、それで皆に一目置かれているって感じかな。うちで寝起きしていますが、小さい子の面倒もよく見てくれます」
「そうか、ハウスの……」
先の病渦で、里には親を失くした子供が少なからずいる。
サォ教官はそんな子供の為に、教習生時代から自宅を開放している。
正式に引き取った子は数人なのだが、誰でも好きに出入り出来るようにしている内に、子供達のたまり場になった。
親戚の家に身を寄せている子も、何となくいつの間にかそちらで暮している。
多分皆、この裏表のない熱血教官に心を許しているのだろう。
子供達はいつしかそこを『ハウス』と呼ぶようになった。
『安心して帰れる家』という意味だ。
そんなサォ教官だが、シンリィが修練所に通うのにも結構骨折ってくれた。わざわざエノシラの所に出向いて、色々と話し合ってくれたらしい。まだ若いのに物怖じしない有言実行っぷりに、ホルズは密かに一目置いている。
「シンリィは『自然法術』が大好きで、毎日この時間には必ず来るんですよ」
「あいつ、講義を聞いて分かるのか?」
「さあ、それは私達には知りようがないです。担当の先輩教官は、あんまり食い入るように見つめられるんで緊張するって言っていました」
「ふむぅ」
「ホルズ殿、あの子は脳みそが欠けてなんかいない、ちょっと繋がり方が違うだけなんじゃないかと思います」
そのシンリィは、校舎の方まで歩いて行ったものの、途中で止まって足踏みしている。
校舎の入り口では昼休みを終えた女の子達が固まって、ワキャワキャと立ち話をしていた。
「なんだあいつ。女の子が嫌なのか?」
「ああ、何ででしょうか嫌がりますよね。甲高い声が駄目なんでしょうか」
「はは、カワセミ長とおんなじじゃないか」
ホルズがククッと笑った。
「親父に聞いた話だけれどね。子供時代、女の子が近付くと、『術が逃げる』って意味不明な事を叫んで逃げ回っていたらしい。うちのお袋が『ヘタレ、ヘタレ』ってからかいながら、嫌がるあのヒトを追い掛け回していたって」
「フィフィ教官ですか!?」
サォ教官が目を輝かせた。
「あ? ああ」
ホルズの母のフィフィは、自分の子育てを終えた後、修練所の教官を務めていた。その頃のノスリ家には、色んな子供がわちゃわちゃ出入りしていて、丁度今のハウスのようだった。
「私はちょっとひねくれていた時期がありまして。あの方の親身な指導がなければどうなっていたか。本当に感謝しているんです」
「へえ……」
ホルズは生返事だった。いい大人になってから母親を褒められるのは、非常にこそばゆい。
「素晴らしい女性でした。凛々しく雄々しく温かく、時には聖母のような……」
スイッチの入ってしまった教官の傍らで、半笑いを浮かべるしかないホルズ。
(天然なんだろうけど、この空気を読まない所が、良い所でもあり、心配な所でもあるな……)
何とか話を変えようと、ホルズは頑張って話題をヒリ出した。
「そ、そういえば、今日ナーガの仕事は山の神殿の近くなんだが、シンリィを連れて行けば良かったのにな。行ったついでに会わせてやったら、お袋さんも喜んだろうに」
「エノシラが、また連れて行って貰ったみたいですよ」
「なに?」
自分の知らない情報が転がり出て、ホルズは今度は喰い付いた。
「彼女、ナーガ様の母君に用事があるらしいです。前日には分かっていたので、オウネお婆さんの所は休みを貰って。あ、帰って来るまでシンリィはハウスの方で預かりますので」
「ほほお・・」
ナーガの奴、またエノシラと出掛けるのを隠しやがって。帰ったら袈裟固めだな。
***
雪を頂いた氷の神殿。
玄関エントランスから空色の髪の女性が、ヴェールをひるがえして駆け下りて来た。
「ああ、エノシラさん、よくいらしてくれたわ。寒かったでしょう、ささ、中へ中へ。あらナーガいたの?」
相変わらずの息子の空気扱いっぷりにうんざりしながら、ナーガは事務的に述べた。
「今日はこちら方面に所用があったのです。僕はご一緒出来ませんが、夕方また迎えに来ますので」
「はいはい構いませんよ。あっそうそう、可愛いお菓子があったのよ、生姜味はお好き? あらナーガ、まだいたの」
苦虫を噛み潰した顔の息子が「では後ほど」と言って飛び立つや、女性はエノシラに腕を絡めて、弾むように神殿内に誘(いざな)った。
「来て下さって嬉しいわ。こんな寒い何も無い山、若い娘さんにはつまらないでしょうに」
「いえ、ここから見る景色は素晴らしいし、今日も楽しみにしておりました。あの、これ、先日のお礼です」
エノシラは鞄から小さなツボを取り出した。
前回の訪問時、「寒いでしょう」と真っ白い毛皮のケープを頂いた。里に帰ると叔母達が飛び上がって驚いて、絶対にお礼をしなければ駄目よと口々に言われたのだ。
「お口に合えばいいのですが」
フワリと甘酸っぱい香り。里の水辺で採れるエビガライチゴの砂糖漬けだ。
「あらあら、いいのにお礼なんて、いいのにいいのに……ああいい香り」
女性はニコニコして目を細めた。
居間の小テーブルを挟んで、エノシラはシンリィの近況を話した。
女性はうなずきながらひとつひとつを嬉しそうに聞く。
話し終えると、エノシラは少し間を置き、居ずまいを正して切り出した。
「あの、実は相談したい事があるのです。相談っていうか、えっと、ご意見を伺いたい事……です」
「あらあらあら」
お茶のお代わりの手を止めて、女性は目を輝かせて顔を上げた。
「当ててみましょうか。恋の悩みでしょう」
エノシラは湯気が見えるかと思えるくらい真っ赤になった。
「そそ、そんなんじゃ、そんな大それた……ただもう、どうしたらいいのか分からなくて。あたしこの通りのみすぼらしい外面だし、頭悪いしドジだし」
女性は立って隣に歩いて来て、指まで茹で上がった娘の手を取った。
「そして思いやりと勇気に溢れた美しい魂の持ち主だわ。しいて悪い所を捜すなら、そんな自分に気付いていない所かしら」
「…………」
「もっと胸をお張りなさいな」
***
夕刻の蒼の里、坂の上の執務室。
「えーと??」
ノスリとホルズの執務室コンビは、上手く呑み込めなくて、三回聞き直した。
目の前には、組んだ指をモジモジさせるエノシラ。
確か今日はナーガと出掛けた筈だが、何故か彼女だけでやって来た。
そして重ねて何故か、隣に修練所のサォ教官。
「もう一回、順を追って説明してくれるか?」
ノスリが額に手を当てて、何回聞いても同じであろう答えを聞いた。
教官が緊張気味の声で答える。
「はい、私には目標があります。尊敬するフィフィ教官のように、寂しい子供達の居場所になれる暖かな家庭を築く事です。そして、その礎(いしずえ)となる生涯の伴侶はこのヒトしかいない! と、一目会った時、天啓のように閃いたのです」
「そ、それでエノシラ、君は彼の申し込みを受けた……のか?」
「はい」
エノシラはまつ毛を伏せて、はにかみながら答えた。
「あたしは修行中の身だし、一緒になるのはまだまだ先だと思うんです。でも、あたしがシンリィのお母さんをやっている以上、長様方にきちんと報告をしなければと思って。ナーガ様にはさっき帰って来る馬上でお伝えしました」
「ああ……そう……」
ナーガが里に戻っているのに執務室に顔を出さない理由が分かった。
「最初、シンリィの面倒を見ているのだからナーガ殿の決まったお相手だと思って、一目惚れした途端失恋かあ……と、勝手に落ち込んでいたのです。でも別にそうでもないって聞いて、思わずその場でプロポーズしてしまいました」
「サォ教官に申し込まれて、ずっと悩んでいたんです。でも『あるヒト』に相談して、励まして頂きました。もっと胸を張りなさいって」
誰だあっ? そんな余計な後押ししちゃったのはっ!!
「究極のアホウだな」
赤い狼は、その周辺の氷がすべて溶けるかと思える程の大きな溜め息を吐いた。
「だって、恋の悩みって、ナーガの事だとしか思わなかったんですもの」
白い神殿前の階段で、女性がヴェールごと頭を抱えて丸まっている。
「やっと進展してくれたかと大喜びで励まして、でも途中でどうやら相手が違うのではと気付いたのだけれど、もう話をくつがえす訳にも行かなくて……」
「大した母親だな」
「言わないで……」
「あの娘、見かけによらず大物だったぜ。でかい魚を逃がしたな。ふむ、この砂糖漬けうめぇ。おい、もっと酒ねぇか」
「ああ・・何がいけなかったのでしょう、私(わたくし)の自慢の息子なのに。素直で可愛くて性格も良くて……でも頑張って普段からベタベタしないように努力していたんですよ。今時の娘さんってそういうのにドン引きするのでしょう?」
狼は聞こえない声で「そういう所だぜ・・」と呟いた。
「あいつ今頃、弱り切ってるだろうな。そうだ、今なら容易(たやす)く誘惑に乗ってくれるやもしれんな」
狼は愉しそうにクスクス笑った。
しかし背後に、ズゴゴゴゴ・・・と、オーラを感じる。
「冗談だ、冗談。あんたを怒らせる程命知らずじゃねぇよ」
***
蒼の里の放牧地。
今昇った三日月に照らされて、土手の上に膝を抱える影ひとつ。
「ナーガ様?」
声がして、子供が二人、オレンジのカンテラを灯してやって来る。
背の低い方は羽根を背負ったシンリィ。
背の高い方は十二歳くらいの明るい髪色の少年。
「あ、えっと、ハウスの……?」
「ジュジュです。この子を送って行く途中だったんですが」
「そう、ありがとう」
ナーガは手を伸ばしてシンリィの頭をなでた。
「ただいま、シンリィ」
優しく言ったが彼は座り込んだままで、立ち上がる様子がなかった。
「あー、今日の仕事でちょっと術を使い過ぎて。少し休んだら回復するから、すまないけれどシンリィを先にエノシラの所に送って…… シンリィ?」
羽根の子供はナーガの前に突っ立ったまま動かない。
表情のない子供と表情の死んでいる大人の双方を見比べて、ジュジュはそぉっと言った。
「あの、ナーガ様、元気出して下さい、次がありますって」
ナーガはしゃっくりしたみたいにせき込んだ。
「いや、僕は別にそんな、いやだな、勘違いだよ、僕はそんなんじゃなかったし」
「そうですか? だったらいいんですけど」
ジュジュはシラッと目を反らし、執務室の方を見た。
「センセは天然な所あるけど、俺にでも分かる事、大人のクセに何で気付かないかなあと思っていました」
「だ、だから君の思い過ごしだってば。サォ教官は素晴らしい人物だよ、うん。そんなヒトが僕らの恩人のエノシラを見初めてくれるなんて、喜ばしい以外の何物でもないよ」
「…………」
「ただ……びっくりしたんだ、いきなり過ぎて。エノシラも言ってくれればよかったのに。なあ、シンリィ」
ナーガは紛らわすように傍らの子供の頭をなでた。
シンリィは髪をワシャワシャされながら、そのままユラユラ揺れている。
「……あの、ナーガ様」
「ん?」
言い掛けて、ジュジュは呑み込んだ。
「あ、やっぱいいや、いいです。じゃあ俺ら、行きます」
「そう?」
「ナーガ様も冷えない内に帰って下さいね」
ジュジュは羽根の子供の手を引いて、土手の道を下った。
シンリィは振り返りながらも、素直に彼に従って歩いて行った。
三日月が中天高く昇り、里の灯りが半分になった頃、ナーガはのろのろ立ち上がる。
「はあ、あんな子供にまで心配されるなんて」
これじゃ、ノスリ長やホルズにどれだけ気の毒がられる事か。そちらの方が気が重いんだ。
本当に、皆、早合点し過ぎなんだ、僕自身は、まったく、どうって事、ない、のに。
立ち上がりはしたが、膝がカクカクとよろめく。
「あれ、おかしいな、しびれちゃったかな」
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