白蓬・Ⅹ
文字数 2,191文字
蒼の里、朝イチの執務室。
今帰ったナーガが、長椅子で伸びている。
「嫌ですよ、あんな場所に出て行くの。空気変わっちゃうじゃないですか」
ホルズは腕組みをして鼻から息を吐いた
「連れ戻しに行った二人に姿も見せないで、先に帰って来ちまうのも分からん」
「カッコ悪いでしょう、こんなヨレヨレの姿。追い掛けやすいように細工されていたのも何だか癪(しゃく)に触ったし。まあいいんじゃないですか? 結構充実した家出みたいだったから。気が済んで自分の意思でおうちに帰るまでが家出ですよ。あいたたた・・」
ナーガは顔をしかめた。背中の負傷にはオウネ婆さん特製の湿布が貼られている。
高空飛行でここまで飛ぶのが精一杯で、充分に治癒する術力も残っていなかったのだ。
「しかし、他の二部族はともかく、三峰に対しては、何も無しって訳には行かないぞ。ジュジュと草の馬を監禁されたのは事実だからな。シンリィにだって良からぬ計画を立てていたのだろう?」
「言ったでしょう、心に悪影響を及ぼす性質(たち)の悪い魔性が大繁殖しちゃってたんですよ。まあ、栄養をあげていたのはあのヒト達ですが……もういいじゃないですか、退治したんだし」
「そういう問題じゃないだろ」
ナーガはだるそうに寝返りを打った。
「じゃ、ジュジュの報告を受けてから、それなりの裁定をして下さい。夕方には帰って来るでしょうから」
「投げやりな奴だな」
「ちょっと寝かせて下さいよぉ。超苦手な破邪の術を連発で、おまけにあんな高さまで蜥蜴を振り切って急上昇させられて・・何だよ、あれ、あんな規格外な馬、反則だろ・・勘弁してくれよ、シンリィ・・ うぐぅ、頭痛い・・」
大机の奥で黙って聞いていたノスリが、聞こえない声でボソッと呟いた。
「カワセミがそこにいるみたいだ」
***
万年雪の神殿。
エントランスの階段で、白いヴェールの女性が、風に吹かれている。
「あら、居たのですか?」
女性は機嫌がよさそうに、振り向いた。
「ずぅっと居たんだがな、そんなに面白かったのか、今の風が持って来た噂話は?」
赤い狼は退屈そうに寝そべった。相変わらずこの神殿にいる時は、彼の炎はチロチロと瞬(またた)くのみだ。
「ええ、シンリィが自分の馬に出逢えたんですって」
「ああ、何かそんな事になっていたな。主に似てトンでもなく抜けてる馬で、大笑いだったがな」
「そうなのですか?」
「羽根のガキと会う前に、たまたま出会った山岳民族(ハイランダー)のガキを気に入っちまって、勝手に主認定しようとしやがったんだ。あのガキの愛馬が必死に『この子はボクのモノ!』って説得して諦めさせたんだが」
「あらあら」
「草の馬の自覚あんのかって話だぜ、まったく」
「それ、実現したらどんな事になっていたでしょうね。ちょっと見てみたかった気もするわ、うふふ」
「阿呆ぅ、お前さんの息子がストレスで禿げ散らかすぞ」
「それは困るわ」
女性は、ヴェールを揺らして棚の端まで歩いた。遠くに霞む下界は、この万年雪の山と違って季節が移ろう。
「ナーガがシンリィに出逢ってそろそろ一年ね」
世界は少しづつ変わって行く。
蒼の里も、それを取り巻く草原も、来年の今頃は今よりずっと変わっているのだろう。
***
初雪の薄い白に蹄跡(ていせき)を連ねて、二つの騎馬が行く。
「おーい、無理するな。包帯が取れたばっかりなんだぞ」
ヤンが、イフルートに借りて来た地図を広げながら、先を行く子供に叫んだ。
「大丈夫だよ。……あ、あれ! あの山の間の谷だよ」
秋からかなり背の伸びたフウヤが、弾んだ声で指差した。
腕の長い彼にピッタリのセーターは、糸玉夫人の特製品だ。
冬の間、三峰では狩猟の頻度を落とす。
冬を生き抜く強い獣を狩り過ぎると、山が活力を失うからだ。
それで二人は旅に出たいと願い出た。
秋の三部族の争いは、二人にとってショックだった。
でも、自分達の知る範囲はとても狭いという事を知った。
もっと世の中の沢山の事を見たい、知りたい、そう言うと、イフルートは目を細めて送り出してくれた。
「僕達が大人になって今よりもっと強くなったら、今度は族長さんを送り出してあげるね」
生意気を言う白い子供を軽く小突いて、鷲羽の族長は峰の上で見送ってくれた。
幾つもの塔のそそり立つ谷に二人が到着したのは、冬空が微かな夕色に染まる頃だった。
馬から降りて、二人並んで倒木に腰掛ける。
一際高い塔から一つの音が流れ、一拍置いて沢山の音が空から降って来た。
「よかった、『音合わせ』、ヤンに聞かせたかったんだ」
「うん」
ヤンは谷に満ちる音が見えているかのように目を細めた。
「フウヤはこの音を聞いて育ったんだね」
二人はしばらく目を閉じて、音を心に沁み込ませた。
「寄ってく? フウヤ」
「ううん、行ったってお姉ちゃんには会えないもの。僕、もう風露の者じゃないから」
「……」
「平気だよ。ちゃんと帰る場所があるんだ、僕には」
居場所って、頑張って無理やり作る物じゃない。
色んなヒトに出逢って、好きになったり好きになって貰ったりして、自然に出来て行く物だったんだ。
茜に変わって行く空を見つめながら、フウヤは心の中で、大好きなお姉ちゃんに別れを告げた。
~白蓬・了~
~みっつめのおはなし・了~
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