白蓬・Ⅴ
文字数 4,436文字
「わぁあ――っ!」
悲鳴とともにフウヤは、地面に投げ出されて転がった。
青い髪の少年と草の馬も、離れた所に砂煙をあげて引っくり返っている。
「だから空を飛ぶのは嫌なんだ!」
ふて腐れながらフウヤは起き上る。
初対面のジュジュという少年に三峰に送られる途中、風もないのにいきなり馬が傾(かし)いで、キリモミしながら墜落したのだ。
そういえば、さっきも目の前で斜めに落っこちて来たんだった。
このヒト、もしかしなくても……
「飛ぶの下手?」
悪態付いたが、少年は動かない。馬は首を上げたが、立ち上がれないでいる。
「ええっ ちょっと、冗談でしょ」
蒼の一族が空から落っこちて動けなくなるなんて?
「フウヤ!」
声に振り向くと、鷲羽のイフルートをはじめその取り巻きたちが突っ立って、茫然とこちらを見ている。
見回すと、そこは馴染みのある筈の三峰集落の広場だった。馴染みがある筈なのに、すぐに分からなかった。だって、あまりにも様相が違っていたから。
「フウヤ、一体どうしたのだ。ヤンはどうした? その少年は?」
「え、えっと・・」
とにもかくにもフウヤは、五つ森であった事、ヤンが捕まったかもしれない事、この少年と出逢った経緯等を、最短で話した。
話しながらも、広場に吊るされた沢山の獣の遺骸と血の匂いに、意識が遠くなりそうだった。
ひと群れ分の鹿、イタチ、狐、普段は見逃す子供の兎まで。
いつもは獲物は持ち帰ってすぐ感謝の祈り共に解体し、骨の一片まで綺麗に消費する。こんな風景は見た事がない。いったい何がどうしちゃったの。
「ねえ、何でこんなに獲物を獲って放ったらかしなの?」
フウヤは思った事を素直に聞いた。
「裕福になる為だ」
族長は少し眉を動かしたが、怒った態度は見せず、噛んで含めるようにゆっくりと答えた。
「肝や皮などの高額で売れる所を優先的に取って、後は必要に応じて解体する。傷んだら廃棄して、また新たに獲れば、高価な部位が手に入る。裕福になる為にはその方が効率が良い」
フウヤの聞きたい事とはズレている。何だかいつものイフルートと違う。
「でも、族長さんがいつも僕に言っていたじゃない。調子に乗って獲り過ぎたら三峰の山から獣がいなくなっちゃうぞって」
「奪えばいい」
側近の男が横から口を挟んだ。
「うばう・・?」
他の男も口々に言う。
「猟場は奪えばいい。『取り尽くしても、足りなくなったら奪えばいい』、こんな簡単な事、何で今まで思い至らなかったんだ」
「我々には奪う力がある。奴らに数では負けるが、一人一人の能力では上回っている」
「え、・・ええ・・?」
イフルートは硬直しているフウヤから視線を外して、てきぱきと指示を出し始めた。
「ヤンを取り戻しに行かねば。人数を集めろ。装備は怠るな」
側近の一人が、は、と返事をして夜闇に走って行った。
「そちらの少年はどうだ?」
ジュジュの側に屈んでいた男性が、彼のあちこちを探りながら答えた。
「頭は打っていないようですが。目を回したのかな、蒼の一族だろうに。息は安定しているし、すぐに意識を戻すと思いますよ。後はすり傷程度です」
「そうか、運んで寝かせて置いてやれ。ああ、鍵のかかる所だぞ。馬は家畜小屋の一番奥に……」
「あ、あの……そのヒト、誰かとはぐれたって……」
フウヤの言い掛けた言葉は、激しく叫ぶ女性の声に遮られた。
「フウヤ! フウヤ! 帰ったのね、よかった! 全然手紙に返事をくれないんだもの。ヤンは? 一緒ではないの?」
ヤンの母親だ。でも何だか、このヒトも、感じが……違う?
「ヤンとは別々に帰途に着いたそうだ。大丈夫だマァサ。なに、たとえ一戦交える事になっても、必ず取り戻して来る。任せろ。我らの財に手出しする者は容赦せぬ」
「財……」
イフルートの物言いに頭が追い付かないフウヤだが、ヤンの母親に抱えられて無理矢理歩かされた。
青い髪の少年は担がれて運ばれ、草の馬はそれとは反対方向に引かれて行くのが見えた。
「ヤンと一緒じゃなくてごめんなさい」
家路を辿りながらフウヤは謝った。
「いいのよ、族長様が迎えに行ってくれるんだから、大丈夫。そう、きっと朝には元気で帰って来るわ。とにかく貴方が無事でよかった」
自宅に戻るとヤンの母親は、先にフウヤを押し込んで、後ろ手で掛け金をガチャリと閉めた。
「そんなの……あったっけ?」
「付けたのよ、鍵をかけないと盗られるから、守らなきゃ」
「盗るヒトなんていないでしょ?」
「いるわよ」
ヤンの母親は頑なに言って、フウヤに近寄った。
「とにかく、貴方はうちの子なの。今更欲しがるヒトがいたって、うちが最初に取ったんだから」
「……??」
カンテラの灯りに照らされて、違和感の正体が分かった。
彼女はありったけの装飾品を身に付けている。普段は質素で身綺麗なヒトだったのに、今はゴテゴテと着飾って、逆にだらしない。
分厚く紅を塗った唇から流れる言葉は、耳を疑う物だった。
「ああ私は運がいい、神様はちゃんと見ていてくれた。一生懸命ガマンしていたら、ティコやビィの代わりを寄越してくれたもの。私は頑張った、可哀そうだった、だからご褒美なの、そうでしょう、私の坊や」
「・・!!」
フウヤは身をかわし、後退りで鍵を開けて外に飛び出した。
「何処へ行くの、他所のヒトとお話してはダメよ!」
甘ったるい声を振り切り、闇雲に走った。
顔見知りの男性に正面からぶつかった。
「ご、ごめんなさ……」
「おおフウヤか、物は相談だが、うちの子にならないか? うちに来たら跡取りだ、好きな物を好きなだけ与えてやる」
「い、いらない」
横にすり抜けて逃げたが、しつこく追って来る。
「マァサの所は一人生き残ったじゃないか」
「不公平だ、子供を失った家に配するべきじゃないのか」
「あの子みたいな狩りの名手は、猟師の居ない家に寄越すべきだ」
いつの間にか追い掛ける人数が増え、人数分の理屈を振りかざしながら迫って来る。
何でこんな夜中に、地霊みたいに皆出歩いているんだよ!
「もうやだ! いつもの三峰に戻してぇ!」
***
角を曲がった所で、足元に糸玉が転がって来た。
糸の伸びている窓から、三つ編みの婦人が手招きしている。
迷っている余裕はなく、フウヤは窓枠に手を掛けて飛び込んだ。
婦人が窓を閉めると、直後に大勢のけたたましい足音が外を駆け抜けて行った。
「もう大丈夫ですよ」
女性の声で、フウヤはベッドの下から這い出した。
「……ありがとう」
このヒトは大丈夫だろうか?
「どういたしまして。えと、貴方はマァサの所に居候している子供ね。フウヤ、でしたっけ? いつかは参(しん)を有り難うね」
女性はカンテラの灯りを絞りながら、明朗に喋った。
よかった、今日は頭がちゃんとしているみたいだ。
「何かイタズラでもしたの? あんなに大勢のヒトに追い掛けられて」
「何もしていないんだけれど。あ、そうだ、おばさん、今の三峰の皆って変だと思う?」
「う~~ん?」
女性はこめかみに指を当てて小首を傾げた。
「別にこれといって…… ああ、ここ最近、皆さん、素直になったと思うわ」
「す、素直?」
「そう。欲しい物は欲しい、やりたい事はやりたい、嫌いな物は嫌い、悲しい事は悲しい。そういうのを我慢せずに素直に言ったりやったりするようになったわね」
「…………」
「もっと早くにそうすればよかったのに、ねぇ」
「それって、何か切っ掛けとかあったの? 悪い奴が魔法をかけに来たとか」
フウヤの質問に、女性はクスリと笑った。
「悪い奴の魔法? 凄い事考え付くのね。う~ん、違うと思うわ。だって元々皆の心にあった事だもの。最初からあった心が表に出ただけで悪い魔法っていうのなら、そのヒトは元々悪いヒトだったのかしら」
「…………」
「そうそう、丁度よかった、肩幅を合わさせてちょうだい」
女性はベッド脇のカゴから編みかけのセーターを取り出した。
「え……それ、カペラのじゃなかった?」
フウヤはマジマジと女性の顔を見た。
「ええ、カペラのよ」
「………」
「だってフウヤはカペラだもの」
フウヤはがっくりと肩を落とした。このヒトに何を期待したのだろう。
「僕、カペラじゃない。ヤンのお母さんは、僕をティコやビィの代わりだって言うし、皆は僕を物みたいに公平に分配するって言うし。でも僕はフウヤなの、フウヤでしかないの」
いつもは受け流す所を、イラついて反発が口を付いて出た。
「そうね、貴方はフウヤだわ」
女性は俯いてセーターを見つめた。
「でも、私の心の中だけでは、カペラが私を慰める為に貴方にイタズラを働いて、三峰に来るよう仕向けたと思っていたいの。マァサにとってはティコやビィなの。そう思うだけでどれだけ心が救われるか。
あのね、フウヤ、マァサも皆もずっとそういう風に思っていたの。面と向かって言わなかったのは、貴方を傷付けたくなかったから。でも私は、貴方が与えられるばかりの幼い子供ではない事を知っているわ」
「………」
「だからね、フウヤ、貴方、マァサを許してあげてね」
「………」
「村の皆も許してあげてね」
集落の広場に、白い子供が立った。
周囲を囲んでゴチャゴチャ言って来る者を無視して、出立の指示を出しているイフルートの所に、真っ直ぐに歩いて行く。
「おお、どうしたフウヤ。ヤンが心配か? 大丈夫だ、必ず取り戻して来る」
それには答えないで、フウヤは彼の真ん前に立った。
「ね、イフルート族長、三峰が裕福になるのが、貴方の望みなの?」
族長は顎に手を当てて少し考える素振りをした。
「裕福だけでは駄目だな。俺は安心が欲しい」
「安心?」
「そう、三峰が蒼の一族のように強く揺るぎのない部族になれば、俺は安心して旅に出られる」
「旅に、出たいの?」
「そうだ・・俺は、いつだって旅に出たかった、旅に、出た かっ た」
つい出てしまった言葉を、イフルートは噛み締めるように繰り返した。
「一度しかない人生だ、このまま二度と旅にも出られず終わるかと、ふと夜に目覚めたりするんだ。若いお前たちが羨ましかった。だが俺は三峰を愛している。この集落が寄る辺ない今の状態でいる限り、俺はここを離れる訳には行かぬ」
それは、たった数ヶ月しかここで暮らしていないフウヤにも分かった。
この集落はそんなに順調ではない。小さな困窮は度々起こっている。その度に、鷲羽のイフルートが皆を励まし鼓舞し、皆がそれに応える形で乗り切って来た。
彼がいないと駄目なのだ。
「そう、それが、素直になった貴方の望みなんだね……」
瞳を伏せて呟いた後、白い子供はキッと顔を上げた。
「僕は、三峰が好きだ」
「ん?」
「ヤンも、ヤンのお母さんも、イフルート族長も、この村の皆が好きだ。だから、皆の役に立って、ここに骨を埋(うず)めたい」
「それは正式に三峰の民になるという事か?」
族長がフウヤの澄んだ目を見つめながら聞いた。
「うん・・」
水の底にいるみたいなシンとした声だった。
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