海に降る雪・Ⅳ
文字数 2,022文字
草原の雪が消え、陽射しの暖かな時間が増える。里は少しづつ復興していた。
痛々しい焦げ跡の上にも新たなパオが建ち、日々の営みに塗りつぶされて行く。
妻を亡くしたノスリ長の所にも孫が立て続けに誕生し、命の明るさを取り戻しつつある。
生命の力強さを感じる日々。
そんな毎日から北の浜辺に足を運ぶと、時間が止まっているようだった。
出逢ってひと冬が過ぎるというのに、相変わらずシンリィには気にも止めて貰えない。
浜昼顔の群落だけ鮮やかに新芽を色付かせているのが、返って空々しく見えた。
それでもナーガは訪問をやめなかった。何の為に訪ねるのか、自分でも分からなくなっていた。
「何度来たって、どうしようもないだろう。キミはあの子の為には何も出来ない」
「ええ、出来ません。貴方の為にも」
「なら、何故来る?」
「寂しいからです、僕が」
「は……?」
「一緒にこの世の光を見た妹も、人生の灯台であった父も亡くした。物凄く寂しいです。里が復興すればするほど、そこに居ないヒトの影が僕の中で色濃くなって行く。ここに来るとその影から逃れられて、安らぐんです」
カワセミは狐に摘ままれたような顔をした。
「しっかりしろ、キミは、次期長だろう」
「次期長でもなんでも寂しいものは寂しいんです」
「ノスリに言ってみろ。あいつはそういうのはちゃんと聞いてくれるぞ」
「言える訳ないでしょう。あのヒトだって自分が立ち直るのに精いっぱいなんだ。何でよりによって一番頼れないヒトしか……」
そこまで喋って、ナーガはハッと自分の口を押えた。
「今のは……今のは、忘れて下さい。何を言っているんでしょうね、僕は」
「…………」
カワセミは風に髪をなびらせながら、黙ってナーガを見つめていた。
その日はしばらく振りの訪問だった。
ことさら霧の深い日で、かなり高度を下げるまで視界が開けなかった。
白い浜が広がるとすぐ、波打ち際を歩くシンリィが見えた。
相変わらず腕一杯の流木を抱えていたが、数歩先で波に洗われている大きな木の根に興味が行っているようだ。
「拾えるのか? あんな重そうな物」
手伝ってやりたいが、近付く訳には行かない。ナーガは馬を止めて上空で見守った。
木の根は波の行き来に弄ばれ、程なく大きな波が沖に持って行ってしまいそうになった。
子供は不器用にザブザブと追い掛け、木の根の端に手を掛ける。
「あっ!」
一瞬の出来事だった。
大きな返し波が木の根を凶器に変えた。
あっと思う間に子供を押し倒し、深みに引き摺って行く。
衣服が引っ掛かって外れなくなっているんだ。
水色の髪が海中に沈む。
「シンリィ!」
ナーガは我を忘れた。馬から飛び降りて、上空から海へ――!
――!!!!――
衝撃。
海に入る間もなく、強い力で陸へ弾き飛ばされた。
息を詰まらせながら砂の上を転がる。
痺れの残る身を起こすと、離れた砂の上に、カワセミが子供を抱いて立っていた。
白い髪と乱れた羽根から、雫がポタポタと滴(したた)り落ちる。
「・・帰れ、二度と来るな」
顔は最初の無表情に戻っていた。
「カワセミ長……」
「キミは、自分が今、何をしようとしたのか、分かっているのか」
「シンリィを助けようとしました、いけませんか。水に沈んだ甥っ子を助けようと。これが『正しい事』でないのなら、この世の何処に正しい事があるっていうんだ!?」
カワセミは子供を脇に降ろし、しゃがんでナーガに目線を合わせた。
「ナーガ、『正しい事』と『いい事』とは違う。いい事が必ずしも正しいとは限らない」
「分かりません」
ナーガは子供みたいに首を振った。
「大切な者を見捨てて『正しい事』しか追っちゃいけないのなら、僕には蒼の長なんか務まりません」
「キミがそこまでヘタレだとは思わなかった」
「ヘタレですよ……昔っから!!」
自分でも抑えられないままに、溜まっていた言葉が喉から溢れ出した。
「分かっていたんです。シンリィが生まれたあの時、妹は女性達の声に傷付いたんじゃない。一緒にこの世の光を見た筈の僕の事務的な冷たい声が、一番にあの子の心を抉ったんだ。周囲をガッカリさせないように繕い続けた僕の声が」
ナーガは両膝を抱えて顔を埋めた。
「……みんなみんな、当たり前に期待を寄せて来るけれど…… 僕は……僕は、皆が思っているような者とは違う」
「…………」
カワセミの反応がないのでそっと目を上げた。
彼は横を向いて、いささか動揺している。
隣の子供がナーガをじっと見ているのだ。
今まで無関心だったのが、初めて目に映ったかのように。
「シンリィ?」
カワセミがスッと立ち上がった。
「ナーガ、もう帰れ」
子供の手を引き、背を向けて歩き出す。
そんな、やっと意識して貰えたのに。
二度と来るなと言われた。今度こそもうお終いなのか?
「・・来られるか? 明日」
「えっ?」
「来てくれ、朝まづめの時」
何を聞く暇もなく、カワセミはシンリィの肩を抱いて霧の中へ消えた。
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