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文字数 4,345文字

 宇都宮市といえば関東最大級の都市であり、特に駅前周辺は栄えている。ずらずらとビルディングが林立し、ターミナルにはバスが居並び、色とりどりの食事処や家電量販店、映画館と百貨店、金融会社に不動産屋にドン・キホーテとなんでもござれ。ぱちくりお目々を描いた商業施設、ひっそりと建つ蛙の像と餃子の像など、かわいらしさも備わっているほどだ。
 片側二車線の道路は広く、宮の橋交差点は広く、県道十号線には絶えず人の流れがある。駅の中心から少し離れてもまだ、オリオン通り、ひのまち通り、バンバ通りはさまざまな商店で賑わい、足繁く訪れる人々がいる。どこへ行っても人がいるといって過言ではなかろう。
 麓丸たちが暮らすのは郊外。都市部の喧騒を離れた閑静な住宅街である。住宅街といえど、家々が敷き詰められているわけではなく、あくまでゆったりとした間隔だ。田舎とまではいかないにせよ、ビニールハウスによる農業はそれなりに盛んで、つくしや菜の花畑などの自然も見受けられる。住み心地のよい穏やかな町といえよう。
 ところが道場からの帰路、暮れかかる晩春の小径(こみち)を歩く麓丸の耳に、地鳴りのような音が入った。その音はだんだん大きくなって、否、怒涛の勢いで近づいてくるようだ。そこまできて麓丸は、ああ奴がきたかと悟った。
 足の裏が燃えそうなほど急な減速で、ぴたりとその人物が麓丸の前に止まると、追ってきた突風が吹き荒び、電線が痙攣し、足型に地面が割れた。実際、彼の裸足の裏は白煙が立っている。
 顔見知りだが、未だに慣れぬ登場にやや圧されながらも、麓丸は挨拶した。
「よう。陀羅(だら)じゃないか」
「おっす」
 挙げた手は、麓丸の顔より下にある。虎柄の腰巻きを身につけた童子はにかっと笑った。ぼさぼさ頭の上には二本の角が生えている。
「久しぶりだな。配達か?」
「そうだよ。えらいだろ」
 小鬼の陀羅は、担いでいた棒の先端についている木箱を開け、書簡を取りだした。「ほい」
「ご苦労さん。おや、協会からだな」
 宛名は書いていないが、矢文に結びつける折り方の黒い便箋は、すなわち忍者協会を指す。
「ふむ。招集か」
「みたいだなあ。みんなに配ってるから、おいら、いそがしくってさ」
 陀羅は飛脚をやっている。理由は楽しいからというのみであり、深い思索はない。どの組織にも所属せず、妖怪ゆえに常人には見えぬおかげで重宝されているのだ。配達が騒がしいのが玉にきずでもあるのだが、誰にも奪われる心配がないと言い切れる存在は他にない。
「ところでよう」
 物欲しそうな視線を受け、麓丸は懐中から小瓶を出すと蓋を開けた。
「ほれ」小さな手にあめ玉を置いてやる。
 配達代として陀羅へ渡すのは食べ物である。特に甘いものが好物で、ゆえに大抵の忍は何かしら常備している。ただ、こちらが頼んでいるわけではなく協会から送られてくるわりに、受け取り側が支払うという、要するに着払いなのは如何(いかん)ともしがたい。
 しかし、陀羅に何も渡さないのはありえない。なぜなら駄賃がもらえないと駄々をこねるからだ。陀羅に駄々をこねさせると死を招く。本人に自覚はないが、彼がひとたび暴れると周囲が壊滅する。駆ければ疾風迅雷、嵐を引き起こす。振れば剛腕無双、あらゆるものを粉砕する。()けば頑健強靭、いかなる一撃をも無効化する。
 わっぱのなりをして、どこにそんな力が備わっているやら、誰の手にも負えぬほどに強いのだ。術を極めた選り抜きの忍が腕試しに挑み、命からがら落ち延びたという逸話は数え切れない。しかも無自覚で、本人はじゃれているつもりなだけに、負けた忍の面目はもれなく粉々である。
「いただきまーす。ぐうう。がああ」
 たとえ食べた途端に寝てしまうとしてもだ。
 車にひかれても効かんがまあ一応と、麓丸は立ったまま寝ている陀羅の脇を抱え、町内掲示板の裏に横たわらせた。
「さて、今晩だ」
 帰宅して弟の作る食事をとった後、夜半に家を出た。
 忍が隆盛を極めたのは戦国時代。歴史の影に潜み、暗躍していた。しかし戦が終わり、時流が移ろうにつれ、その数は減少の一途をたどっている。昔に比べて現代は実に多種多様な職があるというのも、要因の一つと言えよう。
 これじゃいかんと、皆で力を合わせ、忍を存続させていこうじゃないか、との提唱によりできたのが忍者協会である。全国に支部があり、仕事の斡旋や営業活動といった根回し、あるいは若輩の養成機関という面において、太いパイプで繋がっている。ただ忍ゆえ、存在は公にされていない。あくまで人知れず存在を知らせなければいけないのが難しいところだ。
 麓丸は表に提灯が出ているのを認めると、定食屋の戸を開けた。真四角の机と、壁に貼られた手書きのメニュー。こじんまりとした店内には、仕事終わりのサラリーマンや、作業服を着た労働者風の男たちが各々ちびりとやっており、むっとした香気がする。(さかな)はしもつかれとアイソの田楽。ナイター中継が良いところなのか、宇都宮焼きそばを持ち上げたまま見入っている人もいた。
「なにしましょか」
 作務衣(さむえ)を着た店主が注文を伺うと、麓丸は袖に仕込んだ便箋をちらと見せた。途端、相手の目つきが変わる。
「では……」
 奥へ促され、暖簾(のれん)をくぐる。厨房の裏手、客からは見えないところにある床板をめくると縄梯子(なわばしご)が現れた。ひんやりとした仄暗い空間を一段ずつ降りていくたび、絞るような音が響く。
 最下層に立ち、最奥の扉を開けた。靴を脱ぐための三和土(たたき)と、畳が敷かれた広間。こここそが忍者協会宇都宮支部である。むろん、客も店主も協会員だ。
 先に現着していた忍たちは、麓丸が部屋に入るなり、聞こえよがしにささやき声を交わした。その眼には明らかな嘲りと侮蔑が込められている。毎回飽きない奴らだなと思いながら、麓丸は憮然として、三人掛けの座机の真ん中に陣取った。
 しばらくすると支部長がやってきた。柔和な顔つきは、いつも微笑んでいるように見える。
「はいお疲れさん。今日はよく来てくれましたね。前回のあれは、年末でしたか。年度が変わって、新しい生活を始めた方も多いのではないでしょうか」
 挨拶もそこそこに、支部長はリモコンを持った。
「では本題へ」
 前方の巨大スクリーンに映像が流れた。リポーターが豪邸を背景に何やらしゃべっている。画面が切り替わり、キャスターがニュースを読み上げる中、邸内の様子が映し出された。案内しているのは、小太りで全体的にてかてかした中年男性だ。麓丸はどこかで見覚えがあった気がした。
「ここ!」
 支部長が止め、さらに一部を拡大表示させる。ただ解像度が低いために不鮮明で、どれを強調したいのかは直接語られた。
「皆さんは知っておられるかな。ある巻物のことを」
 埋蔵金の在り処を示した巻物。その存在は、まことしやかなる口伝として語り継がれてきた。色や形の情報はあれど、所在だけは誰にもわからない、いわゆる伝説だけが一人歩きしている状態だった。忍なら噂くらいはまず聞いたことがある。だが少し話題に上がっても、所詮は夢物語だと、一笑に付されてきたものだ。無理もない。そんな手垢まみれの代物を誰しも信じるほど、忍はおめでたくない。むしろ現実主義者が多いといえる。
「あったのですよ。それが」
 映像に映っていたのは陳福(ちんぷく)という大富豪だった。彼は好事家(こうずか)で、面白そうなものは古今東西ありとあらゆるものを収集する、珍品コレクターでもあったのだが、先ごろ脱税が発覚し、逮捕されたのだ。新聞に出ていたのを麓丸は思い出した。
「画面は荒いですが、伝わっている特徴と一致しています。どんな巡り合わせで陳氏の宅に保管されたかは不明ですが、あれは元々我らのもの。それに今後、財産が差し押さえられる可能性を加味すれば、速やかなる回収が求められます」
 にわかに室内がざわついてきた。当然だ。情報通りなら、時価にして三億はくだらないと言われている。
「さて本題です。上層部で話しあった結果、回収は君たちの中から任ずることに決まりました。我々ベテランが赴いた方が達成の確率は高まりますが、若い芽が育たないのでね。重要な任務であれば尚更、よき経験になるでしょう。それで誰に行ってもらうかですが……」
 広間に緊張が走る中、麓丸だけは違っていた。これはもらったか。いやもらっただろうと、膨らむ期待を自信に転じようとしていた。というのも、麓丸は昨年の忘年会の席で、支部長に「頑張っていますね」と声を掛けられていたのだ。物腰は柔らかいけれど、人を見る目は厳しいと評判の支部長にだ。今にして思えば、あれは有事の際には頼むよという意味だったのかもしれない。そうだそうに違いない。三億の高揚感も手伝い、自信は確信に変わった。
 今か今かと、支部長の口から名を呼ばれるのを心待ちにし、そわそわした。術が使えないせいで不憫な思いをし、涙ぐましい努力で体術に特化せざるを得なかった自分の頑張りは無駄ではなかった。協会の内外で馬鹿にされ、耐え続けてきた日々がようやく報われる。早く、早く「ひ」と言ってくれ。そして「だ」と言うのだ。
 願ったときに限って、というより、むしろ願いや祈りというのは、たいていの場合、かえって予定調和を助長させるものでしかない。麓丸はその可能性を考えなかった。
 ゆえに支部長が「は」といって「な」と続けた瞬間、彼の頭はまっさらになった。
「花岡くん。君に行ってもらう」
「はっ」
 謹んで拝命する斜め前方の男を、麓丸は呆然と眺めた。周囲からは「花岡なら」「適任だな」「まあ当然か」などと聞こえてくるが、空っぽの頭には留まらず素通りしていく。ただ断片的な記憶が流れるばかりだ。
 良家の。剣技に長け。おれを歯牙にもかけぬ。恵まれた。苦労知らず。跡取り。誰からも。屈辱。比べて。環境が。優遇。認められ。
 ぐるぐると混濁した言葉が渦巻くうち、ぼうっとしてきた。
 なんか説明を受けてるやつがいるな。あれはおれが受けるべきものだ。ではどうしたことか。なんで指令書をあいつが持ってるんだろう。そうか、あいつの方が席が近いからだ。わざわざおれに取りに行かせて、任務前に疲れさせてはいかんという皆の気遣いだな。別にいいのに、悪いなあ。あれえ。あいつ出ていくぞ。他のやつもだ。支部長まで。そうか、任務前の精神集中を妨げまいとする粋なはからいだな。別にいいのに。残ってくれていいのに。おれでいいのに。おれがいいだろうに。
「なんでおれじゃないんだっ!」
 我に返り、湧き上がった怒りと共に放たれた咆哮が、誰もいない広間に響いた。荒々しく息を吐き、向けるべき矛先を求めてぎらぎらと据わった眼は、すでにたった一つの感情に支配されている。
 許さん。花岡の野郎、蹴落としてやる。
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