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文字数 2,168文字

 額の下にある穴に小石を投げ、通った数で運を占うという運試しの鳥居、授かり祈願としてご利益のある子種石、(そび)え立つ霊験あらたかな三本杉、等々。滝尾神社には訪れるべき場所がたくさんあるが、それらの観光はまたの機会になる。麓丸らが目指したのはただ一つ。「悔悟ノ途」だ。
 滝尾神社本殿の裏に、たった一歩で渡りきれるほど小さい石橋があった。行けばわかると言われていた通り、名称からしてどんぴしゃだ。「無念橋」とはよく言ったものである。
 己の身を清め、俗界と縁を切る橋と言われており、念を断ち切って空になることから、その名が付けられたという。願いがかなう「願い橋」とも呼ばれる。
 しかし、暗号を記した本人にとっては、慚愧(ざんき)に堪えぬ選択だったのだろう。奈落を行けばよかったのに、とまで残すくらいだ。切りたくない縁や煩悶(はんもん)があったにも関わらず、渡ってしまった。渡らざるを得なかったのかもしれない。どのような背景で後世に宝を託したかはわからずとも、宮の忍のものとして伝わっているからには、手に入れる権利がある。心ない不逞者(ふていしゃ)に奪われるわけにはいかないのだ。
 読み解くと、無念橋を渡らないという選択になる。ではその場合、奈落とは何か。これも一目瞭然だ。橋の下には堀があったのである。
 橋を挟んで二人は降りた。非常に狭い。水は引いていないが、陽が当たらないせいか、屈むとじめじめしているのがわかる。そして入念に調べること数分、古びた石板の一つに隠された仕掛けを発見した。周りは苔や土で埋まっているものの、ある方向にうまく力を込めると、外れる仕組みになっていたのだ。
 この時の驚きと昂揚たるや、凄まじいものがあった。ようやく今までの苦労が結実する。さぞや豪奢(ごうしゃ)で、金ぴかで、誰もが我を忘れるくらい神々しい輝きを放つものだと、そういう期待があった。
 ところが、期待というのは裏切られるために存在する。
 出てきたのは巻物だった。
「あ?」
 心の声をはっきりと漏らした麓丸は、手に取った物体をつくづくと眺め、振ったり回したり揉んだりした挙句、そっと戻そうとして花岡に止められた。黙ってかぶりを振った彼もまた残念そうに、林へ麓丸を促す。漬物石を乗せたかと思うほど肩を落としつつ、人目につかぬ場所で、そのしなびた巻物を開いてみた。さすがにかなり掠れているが、どうにか読める。

 二ツノ途ヲ辿ル時
 泡沫(うたかた)ノ夢ノ終ワリガ(たもと)

 現世ノ邂逅叶ワヌノナラ
 戦地ノ下流 竜ニ手向ケヲ

 埋蔵金や宝という言い伝えであり、暗号を記している以上、後世に向けたものなのは違いないが、本来は死者へのはなむけだったのだ。死後に財宝は無用でも、黄泉路(よみじ)を照らす(しるべ)にはなるのかもしれない。
 想定外の二重暗号に気落ちしたのも束の間、麓丸と花岡はぴんときた。さんざ四苦八苦したおかげで傾向はわかっていたし、周辺地帯もざっとは調べていたからだ。歴史に疎いところはあれど、これこそ地元民なら場所と名前くらいは知っている。「二ツノ途」「袂」「戦地ノ下流」そして「竜」、それらを繋ぎ合わせると。
 矢庭に稲光が走った。
 同時、疾風が駆け抜けた。
 振り向きざまに吹き飛ばされる体。柔らかな手の感触と微香。天よりの雷鳴。
 転瞬の間に、すべては起こった。麓丸の視界にあったのは一つだけ。倒れ伏す唯良乃の姿だった。
 駆け寄った麓丸は、指が火傷するのも厭わず、己を庇い、黒く焦げた彼女の背をさわった。仰向けにし、小さな顔の前に手をかざした。息をしていなかった。
 地面へ落ちた巻物を真雁が拾い、去っていく。花岡はとっさに動けなかった。恐怖とは違う。追うべきだと思ったが、この場を離れてはいけないような気がした。
 やがて取り出したスマートフォンを操作すると、麓丸は乾いた声で言った。
「一報を入れた。師匠と合流して奴を追え」
「しかし……」
「たのむ」
 麓丸に頼みごとをされたのはこれがニ度目だが、前回とは質が異なっていた。悲愴感などと言うのは易い。けれど本当の時に、言葉は意味を持つだろうか。押し込められたものを握りしめた花岡は、それでも駆けだした。そうするよりなかった。
 誰もいなくなった林は、かえって静けさで耳が痛かった。ずっと頭の奥で残響が続いている。終わってほしいわけではない。鳴り止んでしまったら、消えたら、その後は……。
 白い肌。長い睫毛(まつげ)。薄い唇。こんな顔をしていたんだな、と思う。いつからか、どこか面映(おもは)ゆい気持ちが邪魔をして、まともに見ていなかった。だが、今さら月並みな感想を述べてみたところで、何がどうなるわけでもない。ましてこんなことをさせるために、尾行を許していたわけじゃない。
「ろっくーん、花岡さまー、どこっすかー」
 感傷的な空気など知る由もない、ふざけた霊がやってきた。神の解説の最中にあろうことか居眠りをこいたので、置き去りにしていたのだ。
「うひょ! あらま、こりゃまた大胆な」
 唯良乃を抱きおこす麓丸の姿など、ついぞ見たことがないため、下品な誤解をしたが、あまりに麓丸が無反応なので、さすがの小夜子も異変を察した。黙って傍に行き、透けた手で唯良乃の肉体をなぞった。
 やがて彼女は、驚くべきことを口にした。
「まだ間に合うかもしれないっす」
 かつてない真剣な眼差しで主君を見た。
「麓丸様。どうかあたしについて来て下さい」
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