3-2

文字数 4,537文字

 山の中腹を過ぎた頃、前にいる麓丸の様子がおかしいことにお淀は気づいた。
「麓丸はん、何してはりますの」
「別にい」
 その返事にお淀は首を覗きこませた。
「あっ!」
 もちゃもちゃと麓丸が食べていたのはごま団子だった。ごまと白玉に包まれた(あん)が、陽の光にてらてら輝いている。
「いいだろ別に。昼飯代わりだ」
「一人だけずるいわあ。ほらその包み、あと三つもあるんとちがう」
「おまえらは食わなくても平気だろ。妖怪なんだから」
「えー」
 お淀が不満を訴えていると、他二人も助太刀した。
「確かに食わずともそうそう死にはしませんが、独り占めは感心しませんなあ」
「そうっすよ。食べたい食べたい」
「おまえらまでなんだ。特に小夜子、死んでるくせにわがまま言うな」
「あーひどい。傷ついたー。霊の尊厳踏みにじられたー。いいじゃないっすか。たまに食べたくなるんですー」
「というかおまえの場合、食ったらどこに行くんだ?」
「さあ。亜空間じゃないすかね」
「おれのごま団子は食った本人すらあずかり知らぬ亜空間に送るためにあるわけじゃない」
「いいからよこしなはれっ」
 不意に伸びてきた首に腕を遠ざける。あわやかっさらわれるところだったが、団子の包みが食いちぎられるにとどまった。ひらりと舞う紙片を鞄に突っ込み、麓丸は首を押し返す。
「こら、キリンかおまえは。行儀がわるいぞ。淑女のたしなみとやらはどこいった」
 説教をしようにも、先ほどから地味に攻撃され続けているわき腹も捨て置けない。
「そのつんつんをやめろ、灌漑。水かきでやってるから普通に痛いんだよ」
 団子をめぐって、人間と妖怪の不毛で熾烈な攻防が始まろうとしていた。しかし麓丸は始まらせなかった。
「ええいっ」
 皆が「あっ」と言った時にはもう遅い。すべての団子が、麓丸の口内で無惨にもにゃちにゃちにされていた。
「最低ー」「強欲ー」「ひとでなしー」とブーイングを浴びても意に介さず、あくまで麓丸は悪びれない。
「これは元々おれの団子だ。わかるか? This is originally my DANGOだ」
 緑茶を飲みながら悠々と中学英語を並べる主人に天罰が下りますようにと、使用人らは願った。そしてそれはすぐに叶った。
「いいかね。君たちは普段、給金と称して主人を使いっぱしりにしている。今はその代償として働いているのだ。日頃のツケが、昨日今日ちょっと動いた程度で完済できるだろうか。よく考えてほしい。世の中はごま団子ほど甘くないのだ。社会とは往々にして、労働の対価に釣り合うほどの見返りは得られない。それを君たちはなんだ。借りを返さぬうちから、あまつさえ団子の追加要求とは。まったく見下げた根性だ。もっと真っ当に現実と向き合うがよかろう。この、おれのようにぐばああっ!」
 いきなり麓丸が吹っ飛び、山道を転がった。二、三度地面を跳ねた後、どうにか受け身をとったが、これには使用人たちも「なんかごめん」と思わざるを得なかった。
「誰だ! いいところだったのに」
 憤慨する彼を見下ろしながら、とさか頭の男は自身のしなやかな脚をさすっている。その腕には鹿の紋章があった。
「楽しいなあ。楽しいなあ」
 そう言ってにやにや笑いをしたかと思った次の瞬間には、男が眼前にいる。再び飛ばされつつも、麓丸は何をされたかわかった。
 蹴りだ。しかも尋常ではなく速い。
 あっという間に一行は地に這いつくばった。起き上がるたびに長い脚が跳んでくる。一撃一撃はさほどでも、確実に蓄積していく痛みがあった。
 しかし何度も受けるうち、麓丸は直撃を避けられるようになってきた。なにせ身体能力だけなら、師の折り紙つきなのだから。
「おいおい。そんな蹴りじゃ虫も殺せないぞ。何より軽い。もっと真心を込めて蹴ることだ」
 使用人たちを後ろに下がらせ、麓丸は前に出た。勝機が見えはじめていた。
 ところが男は一向に怯まない。
「……鶏には三段階ある。知っているか?」
「なんの話だ」
「最初は卵。次は雛。最後は鶏だ。そして俺の名は矮鶏(ちゃぼ)という。そしておれは段々と調子を上げるのが好きだ。そして今のは卵。そしてこれからが雛だ」
 男の靴先から鋭利な爪が出てきた。
「楽しいなあ!」
 麓丸の頬に血の筋が走った。速さは変わらない。が、射程が伸びた分、せっかく掴んできていた感覚は無に帰してしまった。
 使用人たちを前に下がらせ、麓丸は後ろに出た。勝機が消えはじめていた。
 とはいっても、「刃物はあきません。この着物けっこうするんやから」と言ってお淀は戻ってくるわ、小夜子は「物理攻撃なら余裕っす」と言って浮いているだけだわで、結局ぽつねんと灌漑が取り残された。
 (おの)が貧乏くじを呪いつつも、灌漑は防御体勢に入った。両手の水かきを合わせる秘技「盾水かき」である。ただでさえ硬い水かきが単純に厚さを増した防御力はすさまじいものがあるが、敵もさる技の使い手。いうなれば鉄板に(きり)を打ちこむような衝撃であり、決して無傷では済まない。
 何かこの状況を打破できるものはないか。麓丸は(かばん)をさぐっていた。見た目はごく普通の肩掛け鞄だが、数々の忍道具が仕込まれているのだ。
 やがてプラスチックのケースを見つけだすと、天啓のごとし閃きが降りてきた。敵に悟られぬようにして主戦場に近づき、じっくり機を待つ。
 そして灌漑に攻撃を弾かれた矮鶏が着地する時を見計らい、ケースの中身をばらまいた。
「うぐっ」
 矮鶏の靴を貫き、山道へ無数に撒かれたのは忍なら必携の道具、まきびしだ。
「正直持っているのを忘れていたが、これで貴様の足は封じさせてもらったぞ」
 刺さっていたまきびしを投げ捨て、忌々しげに辺りを見回した後、矮鶏は呟いた。
「……最後」
 彼が印を結ぶと、宙空より一帯に(つた)が張り巡らされた。山林にある木を支柱にし、網目状の特設ステージが現れた。植物を操る術、木遁に相違なかった。
 蔦に足をかけた矮鶏は、ぽんと跳ね上がった。次いで先にある蔦でまた跳ねる。跳ねる。跳ねる。また跳ねる。ぐんぐんと加速していくその姿は、もはや捉えきれない。ただ「楽しいなあ!」という声が流れるのみだった。
 麓丸の脇腹から服が裂けた。後方からの攻撃だったようだが、気づいた時にはまた蔦の間だ。前後左右に加え上下、斜め、鋭角、鈍角、仰角と縦横無尽の急襲はまるで予測がつかない。加えて自ら撒いたまきびしが回避を困難にしていた。
「坊ちゃん、もしや墓穴を掘ったのでは」
「いや待て。さっきより命中精度は落ちてるぞ。速すぎて奴自身も制御しきれないんだろう。あとはどうやって止めるかだ」
 クナイで手近な蔦の切断を試みるも、ほとんど刃が通らない。弾力性はさることながら、複数本が絡み合って一本を成すそれは、十分な強度も兼ね備えていた。
「どいつもこいつも術ばかり……」
 修行を始める前から術が使えなかった麓丸は、協会における訓練や模擬任務において、数々の辛酸を舐めてきた。入りたての子どもが行う簡単な術すらできず、落ちこぼれのレッテルを貼られ続けた。屈辱に耐えながら研鑽を重ねるその姿は、周りからすれば無駄な努力以外の何物でもなく、心が折れそうになる時もあった。
 それでも麓丸はあきらめなかった。祖先の無念、分け隔てなく接してくれる家族のため、何度でも立ち上がった。師匠だって嘆きはするが、体術の修行には真剣に取り組んでくれたものだ。不器用な自分にある限られた力を伸ばし、創意工夫によって今日までを切り抜けてきたのである。
 だから麓丸は知っている。術とは、決して万能の力ではないことを。
「奴にはおれたちがはっきり見えていない」
 小夜子とお淀に指示を出し、ひとつひとつの蔦へ腕を向けた。
 矮鶏の目まぐるしく変わる視界の中では何をやっているのか判然としなかったが、敵の位置は変わっていない。必殺の一撃を繰り出すべく、さらに跳躍を繰り返した。飛べない鳥の猛き爪が、一匹の虫を貫こうとしていた。
「楽しいなあ!」
 が、空は遠い。矮鶏は地を転がった。わけのわからぬ痛みとして、まきびしが全身に突き刺さったのだとわかったのは、木の幹に激突してからだった。
 自分がまさか踏み外すはずがない。あの瞬間、確かにおかしな力が働いた。痛みをこらえ、矮鶏がぐっと見上げると、蔦に茶褐色のものが塗布(とふ)されていた。
 最初は泥か何かだと思った。しかし目を細めるうち、段々と正体を悟っても、それがそこにある意味がわからなかった。なぜ味噌が塗られているのかを。
「食い物は粗末にしたくないんだがな」
 どうやら敵がやったらしいことは理解した。ただ矮鶏は納得できなかった。こんな意味不明な出来事で敗北してなるものかと。
「げ、あいつまだやる気だ。おい灌漑、取り押さえるぞ」
「そうは言っても、ですな、ほれこの通り、まだけっこう、まきびしが、残っておるもんですから」
 安全な場所を選んでいくも、敵はそれなりに離れた位置まで吹っ飛ばされている。もたもたしてまた跳ねられては厄介だ。矮鶏が起き上がるが早いか、麓丸らの到達が早いか。前者が優勢と言えた。
 しかしその時、まきびしの間を縫う影があった。長い朝寝から目覚めたそれは、お淀の腕の中を抜け、麓丸たちをも追い越していった。
 傷だらけの体を起こした矮鶏が、再び蔦に足をかけようとすると、急に力が抜けた。己の肉体はここが限界なのか。いやそうではない。まだ足は動く。ならばなぜ。下を見た矮鶏の目に入ったのは丸い生き物だった。
 子猫ほどの大きさで、耳がぺたんと垂れている。鼻も低いしいかにも眠そう。みゃんみゃんと妙な鳴き声だが、犬と呼べなくもなかった。
 化け犬こと、すねこすりのむにがすり寄った途端、矮鶏は脱力した。意思とは無関係に力が入らない。それはただよろめかせるだけの、小さな妖術だった。
 さらに、足首をがしりと掴む者がいた。麓丸ではない。手から先が透けているとなれば一人しかいないからだ。そして手を実体化させているということは、地中にある小夜子はとんでもない形相になっている。それはもうまったく、鬼気迫る表情なのだが、誰にも見えていない。必死極まりないのに不憫な状態だった。
 ただ、これだけ身動きを封じられては狙いも定まる。最後は遠心力によるお淀の鉄槌が、矮鶏の顔面に叩き込まれた。
 不可解そうにぐらりと倒れる彼を、麓丸は受け止め、座らせた。その指は今か今かとわなわなしている。
「おれの親指からわさびが出る理由を知ってるか?」
 むにを撫でてやりながらも、その目は笑っていない。
「貴様のように戦いを楽しいなどと抜かす阿呆の、穴という穴にねじ込むためだよ!」
 矮鶏の声にならない叫びは、全身の傷より痛そうだった。
「尻は勘弁しておいてやる」
 気を失った矮鶏を木に縛りつけた一行は、まきびしをきちんと回収した。もったいないからだ。
「灌漑、花岡は?」
「ご安心を。まっすぐ屋敷に向かっているようです」
「よし。進むぞ」
 先頭を行く麓丸に、小夜子が寄ってきた。
「ねえねえ、ろっくんろっくん」
「ろっくんって言うな」
「あたし活躍したっすよね。これで減給ちゃらっすよね」
「いや、おまえなしでもギリギリいけただろうから却下」
「指示したくせにきびしー」
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