9-2

文字数 2,322文字

 書院造(しょいんづくり)の天守閣はがらんとしていて、屏風(びょうぶ)や掛け軸がある他は何もない。ただ一つ、唯良乃の足元に千両箱が置いてあった。
 息を荒げながら、麓丸は指差した。
「それを返せ」
 唯良乃は答えず、屏風の裏から急須を持ってきた。
「今お茶淹れるから」
「返せ」
「お茶うけもあるの。ロクの好きなヨモギ大福よ」
「返せ!」
 叫び、切々と訴えた。
「おまえは、それにどれほどの想いが詰まっているか知らないのか。蔑視(べっし)されてきた飛騨家にとって、千載一遇の好機なんだ。手柄を立てれば少しは見直される。父上もまた忍としてやれるかもしれない。悲願なんだ。やすやすと他人の気まぐれで奪われていいものじゃないんだよ」
「よく引っかかるのだけれど、『おもい』と言う時に想像の想の字をあてると、なんだか痛々しくなる気がしない?」
「そこじゃないしおれは痛々しくねえ!」
 やはり力押しでは、のらりくらりとかわされる。いつもながら嘆息したが、ここで諦めるわけにはいかない。
「……なんでこんなことした」
「ほら、わたしってロクのこと愛してるじゃない」
「愛する者への仕打ちとしては奇行が過ぎやしないか」
「愛の前では何事も正しい行いになるのよ」
「そんなのは暴論だ。思考停止だ。しかし、おまえと議論する気はない。おれの質問に答えろ」
「答えろだなんて強引なお方。いいわよ」
「いいのかよ。まずさっきの真雁、やったのはおまえか?」
「そうね」
「そうねって……だいたいなんでアロハシャツなんだ」
「元から着ていたのよ。ハワイ旅行していたからね」
「やめてさしあげろ。遺恨はあれど、引退してのんびり過ごしていただろうに」
「でもね、アロハシャツじゃないといけない理由があったのは事実。あなたにわかるかしら」
「アロハシャツじゃないと……?」
「そう、他の服では駄目だったの。しかもあそこで見せつけておく必要があった。そうすることによって何が起こるか。考えてみるといいわ」
 ところが麓丸としては、特に考えることなどなかった。
「おまえ……意味もなくおれを惑わせてるだろう」
「ばれちゃあ、しょうがねえ」
「それ言いたいだけだろ!」
 いたずらっぽく唯良乃は笑う。
「さすがロク。わたしのことならなんでもお見通しね」
「お見通せてないからこの惨状なんだが」
「なるほど。一本取られたわ」
「頭がどうにかなりそうだが、進めることにする。ということは、昨日までの真雁は」
「わたしが化けてたの。あなたにはできない変化の術でね」
「鹿沼の支部で花岡の報告を聞いていた時から……いや、違うな。花岡の話だと、真雁がこの界隈で目撃されたから調査をするということだった。つまりその頃からか」
「正解。よくできました」
「ふん。それで鹿沼の長として復活した真雁を、沼の三人はまんまと信じたわけだ」
「あなたもね。身がすくむほど」
「うるさい。あんな迫力を出せるおまえがおかしいんだ」
「女の子はいつだって演技をしているもの。あれくらいできて当然なのよ」
「そんなレベルじゃなかったと思うが、おまえに言って通用するとは思えんからこの話は終わりにするとして、それより梅之助を(さら)わせたのはおまえの指示か?」
「いいえ。そこは誓って言うけれど、彼らの独断ね。だからわたしが手を貸すことになったの」
「いろんな意味で安心した。じゃあ、人質交渉の時に一時間待たせたのは、おまえの指示だな?」
「そうそう」
「ずっと疑問に思っていたんだ。あの場面で猶予を与える理由がない。梅之助を連れてきて、とっとと巻物を出させればいい話だからな」
「準備する時間をあげないと勝てそうになかったから」
「やかましい、次だ次。これは不可解なことだが、山で真雁が現れた時、同時におまえはおれの後ろにいた。あの真雁は誰だ?」
「あれはわたし」
「おれの後ろにいたのは?」
「あれもわたし」
「ちょっと意味がわからんのだが」
「分身の術よ。ロクには使えないやつね」
「いやいや待て待て。真雁の姿だろ」
「それは変化の術じゃない。鳥頭ねえ」
「いや、違う、阿保、併用かよ!」
「なんだ、そんなこと? 石頭ねえ」
 体がぐでんぐでんになってきた。
「……滝尾神社で襲ってきたのは?」
「わたし」
「おれを庇って倒れたのは?」
「わたし」
「おまえづくしかよ!」
「幸せでしょう?」
「がっ……」
 絶句した。理解が追いつかない。というか理解する必要があるのか。どこへ向かっているのか。出口はあるのか。
「ちなみに小夜子さんは、わたしが冥土に行きかけてると言ってたけど、分身って存在が不安定だから誤解したみたい」
「あー、へー、そうかい、なるほど、ふむふむ、なっとくなっとく、ほー、そうかそうか」
 ひとしきり話を聞いて、数秒間、麓丸は完全に停止した。それから急に、混沌を振り払うように()えた。
「てやんでい!」
「ロクってば、さすが生粋の江戸っ子ね」
「そこで間髪入れずに乗ってくるおまえは本当にアレだな。しかし、てやんでいの一つや二つも出るぞこれは。いくらなんでもやりすぎだ」
「わたしとしては丁度なんだけどな」
「人に電撃を浴びせるのがおまえの丁度か」
「あれでもロクは加減しておいたのよ。ちゃんと追ってこれるように」
「そういうことじゃなく……」
 ふと麓丸は思った。誰にも看破されない完成度で変化と分身を使い、遠隔で別々に動かす。風遁は言わずもがな、滑るように空を飛翔し、重量物でさえ自在に操ってしまう。そして雷遁の範囲と出力は思うがまま。瞬間移動じみた芸当まで可能ときた。その雷遁も、使えると知ったのがついさっきのことで、いつ習得したのかまるで不明だ。これらは只事ではない。
「……おまえは一体、何者なんだ」
「忘れたの?」
 唯良乃は不敵な笑みを浮かべた。
「わたしったら才能のかたまりなのよ」
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