4ー①

文字数 1,787文字

 翌朝の捜査会議で、山口紫乃が九月の終わり頃からミナミのクラブで働いていたことが、一係の島崎巡査部長から報告された。
「クラブの名前と所在地は」
 植田課長が訊いた。
「宗右衛門町の『ドルジェル』です」
「──つながるねえ」
 最後列の席で、芹沢は小声で鍋島に言った。
「うん」
 頬杖をついた鍋島は軽い返事をした。
「特定の客はいたんか?」
「特定と言えるかどうかは分かりませんが、週に一回程度、四十前後のヤクザ風の男が閉店一時間ほど前に顔を出して、彼女と一緒に帰っていたそうです」
「その男が誰か分かってるんですか」誰かが訊いた。
「まだ分かりません。店の連中もよう知らんと言うてました」
「──河村の仲間か、どっかのヤクザか」
 鍋島は独り言のように呟いた。
「四十前後のヤクザ風なんて、大阪のおっさんの半分がそうだろ」
 芹沢は素っ気なく答えた。「ここにだってウジャウジャいるぜ」
「ちょっと待て、そこの店は確か──」
「河村忠広の女が勤めてる店です」
 課長の言葉に芹沢が答えた。
「河村……そうやった。ということはその四十男が河村か」
「いや、河村は確かに元暴走族ですが、風貌はヤクザっぽくはありません。若者相手の方のクラブを経営してますから、むしろやさ男と言う感じです」
「おまえとええ勝負か」
 すぐ前に座っていた湊巡査部長が振り返って笑った。
「あの程度じゃ俺の相手にゃなりませんよ」
 芹沢は肩をすくめてふんと笑った。
 島崎が報告を続けた。「それから、医師の診断によると山口紫乃は覚醒剤の常習者であるらしいことが分かりました」
 芹沢はちっ、と舌打ちした。
「奇行の原因はそれやな」
 鍋島はぽつりと言った。「ヤクをその男から買うてたんかな」
「これで杉原さんと山口泰典がコソコソ動き回ってたことの説明がつく」
「ああ。河村も一枚噛んでるな」
 そのとき、ドアがノックされて、刑事課の庶務を担当している婦警の市原香代が顔を出した。
「失礼します。鍋島巡査部長にお電話です」
 香代が言うと、その場の全員が鍋島に振り返った。鍋島はいくぶん居心地の悪さを感じながら、課長に会釈して席を立った。ドアに向かう途中で誰かが、「携帯持ってへんのかいな」と言ったのが聞こえた。

 部屋を出ると、鍋島は香代に訊いた。
「誰から?」
 香代はくすっと笑うと、その答えを耳打ちで鍋島に教えた。
「……アホか」
 鍋島は電話の相手に呆れながら廊下を戻った。
 デスクに戻った鍋島は、香代に礼を言って保留中の電話の受話器を取って耳に当てた。
「もしもし」
《鍋島さん?》男の小声が囁いた。
「……もうちょっとマシな名前を思いつかへんのか。スズキイチローなんて、偽名がバレバレや」
 鍋島は溜め息混じりに言った。「おまえに詐欺は無理やな」
《すんませんな。咄嗟に出てけぇへんかったんや》
 声の主はタツだった。
「めずらしいな。そっちから掛けてくるなんて」
《……手短に言いまっせ。あんたに頼まれた河村を探ってたら、ちょっと危なっかしいオマケがついてきましたんや》
「どう言うことや」
《河村のやつ、ゆうべから子分連れてずっと徹マンやってるんやけどね。その麻雀屋の隣の路地に、三十分ほど前から妙に意気込んだガキが潜んでるんですわ》
「意気込んだガキ? 何やそれ」
《知るかいな。でもあのガキの面構えはちょっとただごとではないで。俺もさっきまで麻雀屋にいて、今は店には河村の一行しか残ってないはずやから、ガキはおそらく河村に何か仕掛ける気や》
 タツは早口で言った。《鍋島さん、ええから早よ来なはれ》
「分かった。場所どこや」
千日前(せんにちまえ)。映画館裏手の麻雀屋。俺は外の公衆電話からです》
「すぐに行く」
《俺、このまま消えまっせ。そろそろ感づかれそうでヤバいし》
「ああ、またこっちから連絡する。ありがとうな」
《……あんたも気ぃつけて》
 電話を切った鍋島は大急ぎで会議室に戻り、ドアを開けると振り返った課長に言った。
「すいません、ちょっと抜けさせて下さい」
 そして芹沢を見て、「行くぞ」と頷いた。芹沢は渡りに舟とばかりに立ち上がって後ろのドアに向かった。
「待て、どこへ行く? まだ終わっとらんぞ!」
 課長は怒って叫んだ。──が、効き目はなかった。


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