3ー②

文字数 2,038文字

 刑事課に着いた鍋島は、植田課長に軽く会釈すると来客用ソファに座っている真澄に視線を移した。
 真澄は迷子の子供が迎えに来た親を見つけたときのような顔で鍋島を見ていた。
 やがて真澄は立ち上がると弱々しく言った。
「勝……鍋島さん、ごめんね……」
「どないしてん」
 鍋島は溜め息混じりに呟いて、それから穏やかに微笑んだ。

 真澄を向かいの取調室と同じ並びにある小さな会議室に案内したあと、鍋島は一旦刑事課に戻って行った。
 真澄は入口のすぐそばで立ったまま、バッグの紐をきつく握り締めてじっと彼を待った。なぜだか分からなかったが、腰を下ろすと鍋島との距離がずっと開いてしまうように思えて不安だったのだ。
 眠れぬ一夜を過ごし、朝日が部屋から闇を追い出すと同時に身支度をして京都の家を出て来た。母親はこんなに早くからどこへ出掛けるのかと心配したが、ゆうべ彼女が従姉の麗子に会いに行ったのを境に明らかに様子が変わったのを知っていたので、きっと喧嘩か何かをして、今朝もそれなりの覚悟をして麗子に会いに行くのだろうと思ったらしく、あえて黙って送り出してくれたのだった。

 真澄はゆうべのことを思い出した。
 もちろん、麗子が自分に言ったことのすべてが彼女の本心だとは思っていなかった。お互い意地になっていたし、わざとひどい言葉を選んで口にしたのも分かっていた。ただ、真澄にとって一番腹が立ったのは、帰り際に麗子が投げ掛けてきた言葉だった。

 ──あんた、本当に勝也のことが好きなの? あたしへの競争心でそう思ってるだけなんじゃない?

 なんてこと言うんだろう。そう、あたしはほんまに勝ちゃんのことが好きなのに。麗子への競争心なんて言われてカッとなって、すぐには言い返せなかったけど、それからあの言葉がずっと心に引っかかって、思い出すごとに腹が立った。あんなことを言った麗子も、ちゃんと答えられなかった自分にも。
 だから、それをはっきりとさせたくてここへ来たのだ。そして麗子の無神経な言い草を鍋島にも怒って欲しかった。競争心などからではなく、心の底から想いを寄せる彼には、自分の寂しさを分かっておいて欲しかったのだ。

 ノックの後ドアが開いて、鍋島が現れた。両手にコーヒーの入った簡易型のカップを持っていた。
「あ、座って」
「あ、ええ」
 真澄はようやくバッグの紐を肩から外し、ぎこちない足取りでロの字型に並べられた机の手前の一つの席に腰を下ろした。
 鍋島はコーヒーを真澄の前に置くと、もう一つを持って彼女が座っているのとは違う右側の机の奥の椅子を引いて腰を下ろし、目の前にコーヒーを置いた。
「悪いな、こんなとこで。外へ出た方がええんやろうけど」
 鍋島は静かな口調で言った。
「ううん、急に来たこっちが悪いんやし。忙しいんや……ね?」
「まあな」と鍋島は軽く笑った。
 真澄は俯いた。その沈んだ表情を見ながら、鍋島は彼女が何か相談ごとを打ち明けに来たことを察した。だからもっと近くに座って話を聞いた方がいいのだろうなと思った。しかし、彼は自分の酒臭さが気になった。今の彼女の様子では、酒の臭いをプンプンさせている自分を非難するようなことはないにしても、普段のように笑ってやり過ごしてくれることも期待薄だった。
 鍋島は居住まいを正し、それから足を組んだ。
「で……今日はなんや?」
「実は……」と真澄は上目遣いで鍋島を見た。
「言うてみ」
「あたし……麗子とちょっと、もめてしもて」
「もめたって、喧嘩か?」
「うん、まあ」
「喧嘩って言うても、二人ともええ大人なんやから、そのうち元に戻るやろ」
「あたし、ひどいこと言われたのよ」
「ひどいこと?」鍋島は顔を上げた。「何て?」
「──いろいろ」
 鍋島はちょっと呆れていた。そんなことでこんなに朝早く、わざわざ京都から来たのか。
「何を言われたんか知らんけど、いちいち気にすんな。何でも遠慮なしに言うのがあいつの性分やし、かと言ってあいつが本気でひどいこと言うような奴やないってことぐらい、真澄が一番よう分かってるのと違うんか?」
「麗子は……!」
 と真澄は思わず声を上げたが、すぐにそのトーンを抑えて言った。
「……麗子は、勝ちゃんが思ってるような人と違うわ」
「なんやそれ」
「あの人、つき合ってた彼氏がいたんよ」
「ああ」
「知ってたの?」真澄は鍋島を見た。
「何となくな」
「それで、その人が浮気してたってことが分かって……別れることになったの」
「……まあ、そうなるか」
 鍋島はため息を吐いた。この前、部屋にやってきた麗子の様子から、そのくらいのことはとうに想像がついていたし、特に今さらどうとも思わなかった。でもそれが何で従姉妹同志の喧嘩になるんや。姉妹同然に育ってきた従姉のこととはいえ、人の別れ話を躊躇いもなく話す真澄にいささか抵抗を感じたが、鍋島はとりあえずは彼女の話を聞くことにした。

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