3ー③

文字数 3,307文字


「──それで、理由は何や」
 刑事課長の植田匡彦(うえだ)《まさひこ》警部が言った。少年の事情聴取を一通り終えた芹沢と鍋島の報告を、刑事課のデスクで受けている中での質問だった。
「あいつは要らんから、ということだそうです」鍋島が答えた。
「要らん? 用なしってことか」
「そうです。あいつは疫病神や、と言うてました。少年にとっても、母親にとっても」
「しかし女房は亭主の女性問題がこじれて言い争いになったと言うて通報してきたそうやけど」
 課長のデスク脇に立った高野(たかの)(しげる)警部補が言った。彼は一係の係長で、鍋島と芹沢の直接の上司ということになる。
「そんな言い方したら、まるでおかんが嫉妬してるみたいやんか、と言ってましたよ」
 芹沢は明らかに間違ったイントネーションで少年の言葉を再現し、その下手くそさに自分で苦笑しながら、なおも努力して続けた。
「ちっとも働かんと、店の売上全部バクチと女につぎ込んで、たまに家にいるかと思ったら酒ばっかり飲んでおかんに暴力や。おかんが泣き暮らさなあかんのはあいつのせいやねんで、ってね」
「お上手」
 高野は困ったように微笑みながら胸元で小さく手を叩いた。「しかし金輪際真似して言うな。おまえの関西弁聞いてたら気色悪い」
「……分かってますよ。リアリティーを出そうとしたんです」
「母親は息子をかばわなあかんという一心やったんやろうから、まあ嘘もつくわな。問題はその子供にどれだけの意志があったかや。父親をほんまに殺そうと思ってやったんか、母親を助けるためか、あるいはただの衝動か」課長は腕組みをした。「夫婦が落ち着いた時点で、両方からじっくり話を聞かんといかんやろ」
「少年課に手伝ってもらうことになりますかね」と高野が言った。
「せやな、中学生やし。どっちかって言うとあっちの事件や」
「難しそうな坊主ですから。生意気で、偏屈で」
「おまえみたいにか」
「俺のどこがです? こんなに従順なのに」
 と芹沢は肩をすくめて隣の鍋島に振り返った。「もう三時になろうかってのに、まだメシも食ってねえもんな」
「……もう死にそう」
 鍋島が消え入りそうな声で呟いた。

 少年の事情聴取は今後少年課と調整しながら進めることになり、二人は一係のデスクに戻った。そして食事を摂ってから今度は両親の収容されている病院に行くことにした。とにかく、腹が減って何も考えられなくなっていたのである。
 席に戻ると、向かいのデスクからさっき現場で居合わせた島崎主任が訊いてきた。
「杉原主任は? 外出中やったんか」
「休みみたいでしたよ」芹沢は答えた。
「あ、それで米原か。おまえにしちゃめずらしいと思たんや。あの人を呼んでけぇへんなんて」
 芹沢はこの先輩の言い草がちょっと気に食わなかったが、普段からおよそ悪気というものとは無縁な人柄の男であることは彼にもよく分かっていたから、ここはあえて笑顔で訊いた。
「俺、そんなに杉原さんびいきに映りますか」
「その逆や。杉原さんがおまえのことを特別気に掛けてるのと違うか」
「まるで自分が関わった事件の子供らみたいにね」
 隣でデスクの上を片づけていた鍋島が愉しそうに口を挟んだ。「同じようなもんやから。生意気で、偏屈で 」
「……るせえ。その台詞はそっくりそっちに返すぜ」
「へえ、どう言う意味や」
「おまえだって、十五年前に一歩間違えてりゃさっきのガキみてえになっててもおかしかねえって言ってんだよ」
「………………」
 たちまち鍋島が真顔になったのを見て、島崎が仲裁に入った。
「やめとけ。俺のひとことがゴング替わりになるなんてごめんやで」
 二人は互いから視線を逸らし、それぞれのデスクに向き直った。鍋島は小さく舌打ちした。島崎はふうっと肩で息をすると、ちょっと怒ったように眉を寄せて言った。
「……頼むぞあんたら。何のことか知らんけど、それこそ子供みたいな真似せんといてや。制服着たら三本線のバッジが着いてんのやろ」
 制服の階級章が三本線入りというのは、巡査部長の階級にある証だ。
「ただの階級ですよ。特に俺らの場合は」
 と鍋島が肩をすくめた。「一係兼雑用担当巡査部長」
「アホらし。またしょーもない僻みかい」
 島崎は呆れて言い、席を立って行った。

 大阪府西天満警察署刑事課には四つの係(班)があり、それぞれ九人の捜査員で構成されていた。各班の係長に警部補が就き、その下に二人ないし三人の巡査部長が主任として控えている。残りは特別な肩書きのないヒラ刑事たちで、そのほとんどが巡査長か巡査だったが、中に例外として二名だけ、巡査部長の階級を持つ者がいた。それが鍋島と芹沢の二人である。
 彼らはそれぞれに制服警官を一年あまり勤めただけの、当時二十五歳の若さで昇任試験に合格し、今から二年前に揃って西天満署に異動してきたのだが、はっきり言ってこの昇格は異例の早さだった。大卒なら巡査の実務経験を一年積めばその受験資格が得られるにしても、昇格定員もあれば難易度も高く、実際はそう簡単に受かるものではない。
 それをたった一年そこそこ、警察官としては無論、社会人としてもまだまだ駆け出しの半人前もいいところの二人がどうしてその難関を突破し、合格を勝ち得たのか。当時は様々な憶測が飛び交った。
 その頃、鍋島勝也の父親は同じ府警の長堀(ながほり)署長の地位にあり、彼は完全に「ゲタを履かせてもらって」試験に臨んだのだとか、事前に問題を知らされていたのだとか。芹沢貴志には巡査時代にちょっとした越権行為の失敗歴があり、ところがそのことが上司に刑事としての資質の高さを見出されるきっかけになったのだ、とか。
 およそあり得ない噂がそれぞれの周囲で囁かれ、肥大化していった。二人はまるで意に介さなかったが、彼らがそれぞれに研修を終え、鍋島の場合は先に巡査時代と同じ署で一年間の刑事経験を積み、やがて揃って西天満署の刑事課に配属されるに至っては、さすがに何らかの意図が働いてのことではないかと誰もが考えた。実際のところは刑事課長が折に触れて上層部に「次の異動では若手の活きの良いのを二人ほど寄越してくれないか」と打診していたからというだけのことなのだが、ここまで条件の同じ──しかもはっきり言って悪条件だ──二人が送られてくるとは課長自身も思っていなかったらしい。
 自分も随分見くびられたものだ、と課長は腹立ちのあまりヤケになったかどうかは分からないが、思い切ったことにこの二人を組ませることにしたのである。
 普通、巡査部長同士がコンビを組むことなど滅多にないのだが、とてもではないが彼らを『部長(チョウ)』の『刑事(デカ)』として扱う気にはなれなかったのだろう。かと言ってそこそこの階級なだけに誰とでも組ませられるわけでもなく──彼らの教育係としては、少なくとも巡査部長以上の階級でなければお互いにやりにくいだろうという気の回し方をしたのだ──結局は二人をチームにすることによって、事実上彼らを「諦めた」のだった。
 そういう経緯もあったせいか、署員の中で彼らのことを「刑事(デカ)長」と呼ぶ者は一人もいない。正真正銘の「刑事長」である他の巡査部長たちと区別する意味で「巡査部長」と呼ぶか、もしくはただ名前を呼ぶことが多かった。彼らの特殊な立場を皮肉っているらしいが、当の本人たちにとってはどっちだっていいことだった。
「──とにかくメシや。腹減りすぎて気持ち悪いわ」
 鍋島は実際にかなり気分が悪そうで──機嫌かも知れないが──シャツの上から腹の辺りをさすりながら言った。
 そして二人が席を立って廊下に向かうところで、植田課長が彼らを呼び止めた。
「おい、病院行く前に朝の売人の調書取り終えといてくれよ」
「このままメシの続きに病院に行こうと思ってるんですけど」
「あかんあかん。生安課が夕方には引き渡してくれって言うて来てるんや。せやからそれまでにこっちの調べを全部終わっときたいし、メシ済ませたら戻ってこい」
「今のうちに誰かに頼めませんか」
 課長は首を振った。「みんな手一杯なんや。あの小僧はおまえらの担当やろ」
 芹沢は憮然として鍋島に振り返ると、
「肩書き変更。『一係・ガキ専門巡査部長』だ」
 と吐き捨てた。 


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