越境

文字数 2,326文字

深い深い闇を独りでに歩く。
手持ちのスマートフォンのライトをつけ足元を照らすも、ただぼんやりとして白く光るだけ。
「暗いな、なんも見えねえよ……痛っ」
足元に意識を取られれば、突き出た枝が頬を掠った。
のろまであるも、その足を止めることはなく、結はどんどんと奥へ進んでいく。
歩みを進め、進め、進め。いつしか遠くで、祭囃子のような音が微かに聞こえ、耳に届いた。
「まただ。こんな暗いのに、なんでだぁ…?」
そう、ここに来てから何もかもが、全部が不可解だ。
以前ここへ足を運んだときも、見える光景に違いなど無いのに、途中で何かに阻まれて尻もちを二回もつかされた。
一度目。特に何もなかったが、異様な雰囲気が漂っていた。それを肌で感じた。
二度目。狐の窓とやらで見えた景色に、悪寒が走った。目を疑った。信じ難くも、それは事実であった。
そして三度目。ある物を携えて、結はここへ足を運んだ。 ” 彼女 ” から聞いただけの話だが、ただそれだけで終わらせるつもりはない。
──あそこは私たちがいっていい場所じゃない。
あそこには、クダリ様でもなんでもないのがいる。
そう告げた彼女──留の口から出た言葉を信じてないというわけではない。ただ、この不安は抱えきれないから。
結は険しい顔を崩さないまま、ただ、何処かにあるであろう、何かが起こるであろう目的の地まで、ひたすら空を睨み、歩き続けた。
囃子の音は聞こえてくる。途切れることは無い。
異様にしか感じられなかったそれは、段々と耳に馴染んで、まるで在ることが当然のように感じられてくる。
ぐるぐると頭の中が回る。思考が止まる。
ずっと先に光が見える。それを目指す。それが使命であると。
ぼんやりと霞んだ心の中に、酷く深い懐かしさの波が押し寄せた。
そうだ、あの夏の夜の日。外に出れば向こうで祭囃子が聞こえて、宵闇に灯る提灯の明かりが心地よくて、離さないようにその小さな手を引いて、人混みを懸命に掻き分けて、大きな大きな背を追って、その背に追いついて、確かに手を掴んで。
掴んだはずだったのに。
ふと、拓けた場所に出た。そこには顔を真白な紙で隠した老若男女様々な人影が円を描き、太鼓、笛、鉦、舞、思い思いに何かを祝っている。囃子に混ざり、歌う声も聞こえてくる。昔ながらの単調なリズム。繰り返しの拍子。その音は、次第に、結の頭の中を占領していく。
ぼんやりとする意識の中で、結はまるで誘われるように、一歩、一歩、踏み出す。
ふらり、またふらりとその音に、灯りに誘われ、向かって歩く。
かつん、と足に何かが当たる。
見れば、誰かの耳飾り。僅かな明かりに反射して、輝いていて。
まるで夜明けのような色をしていて。
結の脳裏に、昔日の光景が閃く。
ああ、遠く霞むあの夜を、二度と思い出さないように、忘れぬようにと心の何処かで。
思っていたそれが、
今、此処で。俺を導くのか。
霧が晴れるように、頭の中が澄んでいく。土に染み込んだ赤黒いものが、ありありと瞳に映る。
──このままでは、駄目だ。このままでは、 ” 殺される ” 。
瞳を閉じ、視界に入る情報を一旦遮断する。ここへ来る前の事を、思い出すために。
森で見つけた木箱。開ければ、そこに入っていたのは一枚の古びた半紙。何の用途があるのか、飽きるほど聞き回ったが、それでも使い方は分からなかった。だから、この場所をよく知る ” 彼女 ” の元へ足を運んだ。
彼女は言った。『行けばわかる』と。
このままだと殺されるのならば、何が彼らと違うのか。
目を凝らし、結は気づく。
── ” 彼ら ” はみな、顔を覆い隠している。
ならば、それの中に入るには、躍り出るには、顔を隠す紙が必要である。
行けばわかる、簡単で簡潔で明瞭なこの一言こそ、これこそが最大の助言だろう。
「……っと、あっぶねー……はは……あとでお礼言わんきゃな」
ポケットから折り畳まれた半紙を取り出す。黄ばんで古びた紙。これ一枚に頼るのは、随分と心許ない。
けれど、頼るしかない。
これで、死ななきゃいーんだけども。
動悸に邪魔されながら息ひとつ、半紙を顔の前に押さえ、唇で軽く食みながら、片腕で器用に紐で括ろうとする。
ぴ、とそれが結われたとき。
結の自我は、消えた。
危機感ふわり霧散して、ゆらゆらゆらりと足を進める。
知らないはずの音楽に乗る。知らないはずの舞を踊る。知らないはずの言葉を歌う。頭がふわふわと揺れ、自分と他人の境界が曖昧になっていく。
円に何かが投げ込まれた。
顔を隠した彼らはそれを、手に持った鍬やら何やらで叩き潰す。ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ、叩き潰す。
結はそれに倣って、渡された金槌を振り下ろす。ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ、振り下ろす。
何かの潰れる音に酔いしれる。恍惚な表情を浮かべながら何度も何度も何度も何度も振り下ろす、叩く、潰す、壊す、壊す、壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す 壊して、壊して、 それから 、
原型がなくなった時、結を含めた '' 彼ら '' は手を止めた。
ぐちゃぐちゃになった赤の肉塊の中から、運良く残ったまあるい眼球が、顔を隠し、失くした結を見つめている。
空色の眼球が。
それが、自分のものだと結は悟った。
瞬間、ぶつんと糸の切れるような音が頭の中で鳴った。
どっと脂汗が噴き出す。何かで堰き止められていたように、後から後から伝って落ちる。
あの瞳が、ありありと瞼の裏に残っている。潰していたあれは、あれは──
結はハッと顔を上げる。気づけば顔を隠す面は消えていた。円を作っていた者たちも、ぐちゃぐちゃになった肉塊も。
ただひとり、闇に染った山で、膝をついていた。

◎結果
櫻堂寺 結──越境
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み