固執に帰す

文字数 5,396文字

何も無い。何も見つからない。
次へと行く宛ても、すべき事も分からない。
ただ漠然と、帰還という目的だけがある。
「…………はぁ 」
城取暖某の口からは、五里霧中の現状を憂いてか、無意識に溜息が出ては消えていく。
得体の知れない世界故に警戒を強め過ぎ、行く先々の表面だけに視線を向けては次の場所へ、また表面だけ見て次の場所へ。その繰り返し。
確かにこれでは得られたはずのものも得られない。
草の根、までとは行かずとも、雑多に生える草共を分ける程度はすべきだったのだろう。
そう考えてまた、いつかも訪れた、見覚えのある場所へと足を運んだ。一から探し直しだ。
そうして辿り着いたのは、西南に広がる森の入口。どうにも不気味な木々の立ち並ぶ姿も、耳を引っ掻くような甲高い泣き声も、変わらずそこにある。
見上げれば、空を半分覆うように葉が揺れている。
またこの入口を、中から通るときの徒労が頭を過ぎり、暖某は目を細めて嘆息する。
下生えの草を粗雑に踏みつけて、一歩一歩、森の中へと向かっていった。
「………相変わらず嫌なとこだな」
片耳の穴を塞ぐように押さえて気味の悪い景色を進む。
虫でも出そうな現実的な不快感も、魑魅魍魎の気配を感じさせる非現実的な不快感も、どちらも拒絶するように、前は詳しい探索を諦めたのだったか。
帰る為の探索で生命を失っては元も子も無い、命あっての物種だ。
しかし、だとしてもやはり、多少はリスクを背負わなくては得られるものが何も無かったのは事実。
他にいた人は何かしら見つけているのかも知れないと思うと、何の成果も出すことのできていない現状に、少しの焦りを感じていた。
進むにつれて増えていく枝葉を払いながら暖某は奥へと向かっていく。どこかから光が差してでもいるのか、暗い森の中でも薄ぼんやりとものは見える。
ふと、視界の端を影が掠めた。等身大の影。己と同じような背格好の、人のような影だった。
あれは誰だ、前はあんな人いただろうか。急に現れたとでも言うのだろうか。
或いは、たまたま他の人がここに来ていて、先に調べているところだろうか。
前者なら多少危ういような気がするが、さっき理解し直したように、ある程度のリスクを負わなければ、有効な情報など得られない。
もし、自分と同様に巻き込まれた誰かだったのなら、合流して協力して調査することにしよう。
そう考えて、暖某は警戒は緩めずに声を掛けることにした。
今まで浮かべていた刺々しい本来の表情を、人当たりの良さそうな気のいい笑顔で包み隠す。それから声も、ワントーン高く調整。
いつもの面倒なひと手間だ。
「すみません そこの人、話がしたいんですけど──」
ふっ、と、木陰の中へ人影は消えた。見失ったのか、その姿は溶け込むように居なくなった。
思わず後を追うように視線を滑らせると、また反対側で何かが動いたのを感じる。右へ、左へ、かと思えばずっと奥へ。まるで嘲笑うかのように人影は移動していく。
「……あぁ……?」
弄ばれているような気配の動きに苛立ちが募り、思わず小さく舌を打ち鳴らす。
だが大丈夫だ、客観的にそれを自覚できるなら自分はまだ冷静だ、苛立ちに任せなければいい。
気持ち深く息を吸う。酸素に肺が膨らんで、少し頭がクリアになる。冷静に、客観的に。今置かれた状況を考える。
どうやら他の人がここを調べていた、というわけではなさそうだ。あれはおそらく、得体の知れない何かであるとみえる。
深追いはしない。
それが大正解で、普段の自分の選択だ。
だが、何の成果も得られていない今の自分はどうだ?
無能。
そう言っても差支えがない。
自分は他より優れているはずだ。無能だなんて、それは、到底認められていいことではない。
成果を持ち帰らなくては。
「……おい、待てよ!」
見失わないよう影の動きへと集中して、足を踏み出す。追い掛けることを決めた、あくまでも、誘われてやるだけだ。
右へ、左へ。それから奥へ。そう思ったらすぐ後ろへ。
……くすくす、……
目に見えぬ影に翻弄される暖某の様子を嘲るように、囁くような笑い声が響く。それはハッとするほど近くもあり、手の届かぬ場所から聴こえるようでもあった。
くすくす、くすくす。
少女のような、幼さの残る声色。おかしくておかしくてたまらないような、堪えきれないような。
それは不快極まりない音だった。
「……おい、どこから笑ってやがんだよ」
聞きなれた、誰よりも身近な声色。
ここには無いはずで、その事実だけで随分と清々していたのに。
「どこに隠れてやがるんだ」
久しぶりに聴いてしまえば、相も変わらず神経を逆撫でられる感覚がする。
仮面が剥がれる。にこやかに取り繕った仮面が、生きていくための防衛策が、その声ひとつによって。
これは、自身の片割れの声だ。
俺の一部を奪って産まれた、憎たらしい半身のものだ。
「  出てこい!!  」
何笑ってんだよ。
お前は俺だって言うのに、なんでお前はこの災難を受けてないんだよ!
ざわ、と木々が鳴った。風が通り抜けるように過ぎ去った。
眼前を木の葉が掠め、思わず目を瞑る。そして瞼を上げたその先に──すぐ先に、自分によく似た姿があった。
向かい合うように立っている。まるで鏡合わせ。違うのは表情だけ──微笑んでいるか、そうでないか。ただ両者の間を、風ばかりが駆け抜けていく。
見ているようで、見ていないような。目が合っているようで、合っていないような。通り過ぎる風が、こちらに興味の無いその視線が、間違えようのない確信を与えてくるようだった。
心底憎たらしいというように、暖某の眉が顰められる。そしてひとつ、風の名前がその口からは零れ落ちた。
風の精を冠するその名前を。
「…………記巫 」
………イライラする。
イライラする、イライラする、イライラする。
何を呑気にお前はそこにいるのか、
笑っておいてこちらが眼中に無いその目はなんだ、
かと思えば、何を考えているのか。堪えきれぬ不快で、殺そうとまでしたこともあって……けれど、結果はあまりに惨めなもので。
──誰の許可を得て生まれたんだよ、お前は。
半永久的に積み重なっていく怒りに身を任せて、暖某は半ば無意識に、話すよりも先に目の前の相手の首へと手が伸びた。
指先が細い首を掴む。そのまま力を込める。跳ねる。それを力任せに押さえつける。手の中で気味悪く動くそれがしばらくして、動かなくなって……それで終わり。
頭の中では、その景色がありありと思い描けていた。
だがしかし、どうだ。
暖某の指先は──否、手は、腕は。
動かない。
草花に飾られた蔦が、暖某の腕を絡め取っている。それは存外に固く、太く、まるで縄や綱のようにも思えた。
「ッくそが!!離せ!!」
力任せに腕を振るう、振るった気になる。
だが、鬱陶しいほどに、まるでしがみつくように縛り付けてきて、離れる気配が微塵もない。
べたべたされるのは人間だろうが動植物だろうが物だろうが大嫌いだ、気持ちが悪い。
蔓を剥がそうと、もう片腕を動かして、
……動かなくて、気付く。
両腕が縛られ、身動きが取れない。最悪だ。
憎たらしい存在が目の前にいるというのに。
振りほどけやしないかと、暖某は身体を揺する。そのたびに蔦は強度を増し、逃さぬとでも言うようにきつくきつく縛り付ける。
最早、少しの身動きも暖某には許されなかった。せめてもの反抗か、目の前の見慣れた相手をきつく睨みつけている。
一迅。
" 彼女 "と暖某を囲うように、風が吹いた。
" 彼女 " は、ふわりと、人ではない何かのように──妖精や精霊か何かのように、穏やかに微笑む。それから手を伸ばし、添えるように暖某の頬に触れた。控えめな口がゆっくりと開かれる。そこから言葉が紡がれる。
『 無様だね 』
カッと、暖某の頭が途端に怒りに塗り潰される。
「触んなッ!!」
手を払い除けてやりたいのに、空に固定されたかのように腕が動かない。目の前の笑顔が、それすら嘲笑ってるように感じられる。
「クソっ!! ざけんな、消えろ!!」
これではまるで、ただ威嚇して吠えるだけの犬と大差なくて、文字通り無様であることを認めざるを得なくて。
暖某の顔が歪む。
微かな羞恥と大きな屈辱と、巨大な憎悪が胸中で混じりあって、どうにも吐き気がする。
感情が指の先まで主導権を握った身体は、腕が動かないなら目の前の片割れを蹴飛ばしてやろうと、勝手に脚を出してみせる。
しかし、此処は生憎の雑草地帯。加えて高い木々に囲まれているためか、常に僅かな湿気を湛えている。
暖某は己の蹴り出した脚の勢いが災いし、自分の一部に振り回される形、滑稽とも言える様で大きく宙に躍った。
綱のようといってもそこはあくまで植物であるか、蔦は暖某の重さに耐えきれず、ぶちぶちと音を立てて千切れた。
支えるもののなくなった身体は、重力そのままに、強かに地を叩きつけた。
自身への客観視を捨てて、冷静さを欠けば当然、感情に乗っ取られた身体は文字通り空回るのみ。
いつもならばこの失敗で、自分は何をしているのだろう という羞恥心なりなんなりの感情をきっかけに、僅かばかりでも落ち着きを得られるはずなのだが、
「いった……、……なにすんだよ!!」
暖某はプライドの高さが災いして、冷静になれるはずだった機会すら取りこぼす。
たったひとつの、一度きりの機会を。
" 無様 " という言葉が頭を煩く反響している。何度も、何度も、繰り返される。それに邪魔されて、今のは自業自得故の転倒であることに気付けていない。
──力では自身の方が片割れに勝っている。勝っていた。
そんな過去の記憶が驕りを生み出して、現状の異常性に気付いて逃亡するという選択肢が生まれない。
逃亡しない。
故に、片割れが動くよりも先に起き上がろうとしなかった。
激情と形容できる暖某に対し、目の前の相手は至って穏やかに、ゆらりふわりと、笑みはそのままに、その場に膝をついた。
ちょうど、暖某の上にまたがる形で。
押さえつけようという意志はない。それほどの重さもない。
ただ、磔にされたように、暖某の身体は動かなかった。
その状態は、過去の記憶に重なる。
記巫は気味悪く薄く笑って、暖某は憤怒に顔を歪めて、ただあの時は立位置が逆だった。
前は自分が片割れにまたがって見下ろしていたのに、今は真逆だ。
「………どけ、……どけよ!!クソが!!」
それは暖某が記巫の首を、自身の手で絞めた記憶。
死にかけて笑みを浮かべる片割れの気味悪さに怯んで、殺し損ねた記憶。
経験を元にした勘が、危機を知らせていた。
かつての記憶が再生される。まるで走馬灯のように。
ただそれは、脳内ではなく、現実世界として。
ゆっくりと、 " 彼女 " は暖某の首元に手をかける。微笑みと共に包むように、柔らかく。
その指先に、力が加わる。
「ぐ……ぅッ、」
慣れているはずもない、首への圧迫感。
水中とはまた違った息苦しさに、対抗の仕方が直感ですら出てこず、一先ずただひたすら自身の首を絞める手を掻き毟ってでも剥がそうと試みる。
「……っは、……ぁ"、………き めぇッ ん……だよッ……!」
まだ声が出せたらしい。
けれど、力を緩ませられるような言葉では無く、怒り任せで意味を成さない、中身のないただの罵倒しか出てこなかった。
意味はない。意味はないけれど、相手はまるでその意図を理解したかのように、ゆっくりと、笑みを深めた。
ぎりぎりと喉が絞められる。どれだけ爪を立てても、その力は少しも緩まなかった。
がこん、と、何かがズレるような音がした。
暖某の頭が、それに合わせて宙を見上げた。見る間に顔は青ざめていき、それを超して白くなった。僅かにまつ毛が震えている。だがそれも直に止まる。
その力は間違いなく片割れの持てる強さではなかった。
片割れの声が聞こえない、片割れの顔が見えない、片割れの気配を感じない。
傍に憎たらしい片割れはもういない。
いいや、違う、そんなの最初からいなかったのかもしれない。
そうだ、例え片割れがいるにしたって、誰にも気づかれずにずっとあの場所に佇んでいることなんてあるものか。目で追えないほど早く駆けるなんてことあるものか。身動きが取れないほどの力をあの細腕が持っているなんてことあるものか。
こちらが、腸が煮えくり返るほどに厭う言葉を、仕草を、的確に表すなんてこと──。
──何かに弄ばれたのかもしれない。
気付くのが、あまりにも遅かった。
もう二度と、逃亡の手段を選べない。
─── ぁ、  はは、
気付いた、死んだ。
なんて無様だ、なんて無力だ、なんて滑稽だ。
何よりも嫌い、疎んだ、この世が抱える " 弱者 " 。俺もそのひとり。
憎たらしいものが、今死ぬんだ。
……つまり、片割れだってきっとすぐに──
そんな呪いのような願いが浮かんで、口角が上がっ て、  … …
ずるり、と、半ば縋るように掴んでいた暖某の手が、命を奪った肌から滑る。
それは力なく、軽く曲げた形で地に落ちた指先は、もう二度と動かないことを予感させた。
『……』
" 彼女 " は立ち上がる。永遠に凍りついた " 片割れ " の姿を見下ろし、笑みを浮かべたまま、ひとこと。
『……汚い』
冷徹で、無感情で、軽蔑するような言葉を吐き出したその瞳には──束の間、同情の色が滲んだ。
風が吹く。それは彼女と彼の間を隔てるものではなく。
彼女がそれに目を細める。それから眠るように瞼を下ろして、……姿は、霧散するように消えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み