隠れ家解放

文字数 3,659文字

赤と青。二対の狛犬を前に、縁雅は頬を弛める。
「森で、結くんから聞いたんです」
脳裏で、結の言葉が蘇る。この狛犬が話をするらしいこと、彼らが赤と青の組紐を欲していること。
──考えてみれば、何とも奇妙な話だ。しかし、ここに来てから様々な出来事に遭遇し、それで思考が慣らされてしまったのか、喋る狛犬と聞いても、嗚呼そういうものなのか、とごく自然に納得できてしまう。
「も、もしも~し……こんにちは~……」
しかし、納得したとはいえ、やはり他者の目の前で無機物──であろうもの──に話しかけるというのは、少し気恥ずかしい。
鎮座する狛犬が早く返答してくれることを願いながら、おずおずと縁雅は彼らを見る。
『……何用だ』
『暇なのか』
「はっ……! しゃ、しゃべった…… 」
縁雅は思わず驚愕し、一歩後ずさる。
──まさか本当に意思の疎通が出来るとは。
分かっていたとはいえ俄には信じられず、縁雅は行き場なく同行者の顔を見た。
しかしその光景に驚いたのは、傍らの美浩も同じだったらしい。ぽかんと少しだけ口を開いたまま目を丸くしている。
「わ……びっくりした。喋るんだね、この子達……ええと、初めまして?」
機械仕掛けには見えない。今更そういうものが潜んでいるとも思えない。
けれどどうにも現実感が湧かず、話しかける目線は中空を彷徨っていた。
美浩のその様子を見て、縁雅はごくり、と固唾を飲む。驚いてばかりもいられまい。
驚愕に退いた一歩を再び踏み出し、ひとつ呼吸し、本題に入る。
「私は霧夜 縁雅。狛犬さん、あなたたちが組紐を探しているって聞いたよ」
狛犬にそう語りかけた後、促すように縁雅は美浩を見た。その視線を受け、ハッとしたように美浩も口を開いた。
「えっと……美浩、渡美浩だよ!」
とりあえず、彼に倣って名乗ってみる。やや吃ったのはご愛嬌。
そうして、今回此処に来た理由を。
「この組紐、見つけたんだ」
美浩は、二色の紐がらせんに絡むそれを取り出して、狛犬に掲げて見せた。
ちり、と鈴が小さく鳴った。
『うむ、確かに』
『それは我々のものだ』
二対の狛犬は爛々と、青と紅に眼を光らせる。話している口元は布に隠されて見えないが、首をひねったりなどしないことから、身体を動かすことが出来ないのだと悟る。
硝子玉のような瞳のまま、狛犬はふたりに語りかける。
『そのらせんを解き』
『我々の口元に近づけたまえ』
「解けばいいの?んーと……これ二人とも片腕だね。協力の時だよ!」
「あっ……そう言えばそうでしたね。それでは」
頷くと、縁雅は左手で二色の紐の片方を解こうと摘まむ。
とりあえずは引っ張ってみよう、と軽く力を入れる。
と、するりとらせんは解け、紅、蒼、二本の紐となった。
「……結構、素直に解けたね」
ぱちぱちと、美浩は瞬きする。目を凝らしての紐との長い格闘を覚悟していたが、案外簡単に解けたそれに肩透かしを食らった気分になる。
紅、それから蒼。美浩は狛犬の方を見て言う。
「目の色とお揃いのが欲しいのかな?」
『無論。それぞれが』
『我等の一部であるが故に』
「そっかあ……じゃあ、霧夜さん赤い子にお願いねぇ」
「お任せください!」
和やかに言う美浩に対して、縁雅は少々はしゃいだ様子で紅の紐を受け取る。
ぱたぱたと小走りで、縁雅は紐と同じ紅い瞳の狛犬の元へ近づく。膝を僅かに折って目線を合わせ、どうぞ、と恭しく差し出した。
なんだか楽しそうだなあ、とその背を見ながら思いつつ、美浩も同じように蒼の紐を差し出した。
口元に近づけると、ぐわり、二匹の狛犬は大きく口を開いた。ひらりと拍子に布が翻り、大きな歯列が晒される。
そして、寸分のズレなく同時に、ぱくん!とくわえた。
紐先が宙に躍る。ちりん、と鈴が鳴ると同時に、狛犬は台座から離れ、その場で跳び上がり、くるりと回った。
とす、と音もなく地に降り立ったのは、十五、六ほどの歳の少年とも少女ともつかない見た目の子どもだった。彼らは慣れた手つきで紐を片腕に巻き付けた。
「……こども……?」
眼前の光景への驚きと同時に、ここに来てから不思議な子どもとよく会うなぁ、とどこか呑気に縁雅は思った。
真っ白な少女、笑う生首、蠢く影。
美浩は此処に来てから見たものを思い出した。不思議なものなどたくさん見てきたし、今しがた石像が話したのだ。毎回思い返す度にもう驚くことはないと感じるのだけれど、やっぱりびっくりしてしまう。目をまんまるにしたまま、美浩は声をかける。
「わあ、綺麗だねぇ。その姿でも狛犬さん?でいいのかな」
『そも、我等は其々名を持つのだ』
『赤目は紅右、青目は蒼左』
こうう、そうさ、と美浩は口の中で呟いた。縁雅は変わらず楽しそうな様子で話しかけている。
「紅右さん、それに蒼左さん。よろしくね」
「よろしくねぇ」
美浩は少しだけ屈んで、狛犬だったものに目線を合わせた。きっと自分より年上だろうけれど、小さな子どもを安心させるように。
──例えそうでなくとも、見下ろすよりは敬っていることになりはしないだろうか?
「ええと、紐、なんで探してたの?落としちゃったから?」
話しかけられた二体は同時に、ぷく、と対称に片頬を膨らませた。
『我等は幼子ではない』
『貴様らよりも長寿だ』
しかしそれを気にしていても仕方ないと思ったか、直ぐにピッと姿勢を正し、言葉を続けた。
『奪われたのだ、』
『クダリとかいうものに』
『あやつめ、我等を此処に縛り』
『置物のように扱うなど言語道断』
「じゃあ、やっぱりあそこで唸り声をあげているのは……」
縁雅は怯えがちに本殿の方を見やった。
「唸り声……」
つられて美浩も本殿の方を見れば、暗いばかりの社が居を構えている。闇に溶けるように不気味なばかり、辺りを包む静寂が耳に痛い。
「……あっち、誰かいるの?」
『応とも。あれこそ』
『クダリというものだ』
木々が不意にざわめいた。幾ら耳を澄ませど、此処からでは何も聞こえなかった。
「私たちはその贄となるべく呼ばれたと聞いたよ。当然、大人しく従うつもりはないけれど」
神妙な面持ちで、縁雅は紅右と蒼左に問いかける。
「……教えて欲しい。ここから出るにはどうすれば良い?」
『我等には分からぬ』
『然し、我等の主なら知るやもしれぬ』
「あなたたちの主、って……」
おそらく、本来この神社の本殿に居たであろう存在。
……しかし、今は “ クダリ ” にその座を奪われていると彼らは言った。
「今はどこにいるんだい?」
『知らぬ』
『知らぬ』
二匹はあっさりと、むしろ堂々とそう言い放った。
『主が箱庭の中にいるのかさえ分からぬ』
『我等も見放されているやも知れぬ』
哀愁混じりにそう言うと、はぁ、と同時に肩を落としてため息をついた。
「そ、そんな……」
可哀想に、という気持ちと、もう帰る手段が無いかも知れないというかすかな絶望に、縁雅は思わず項垂れる。
しかし何か思い当たったか、バッと顔を上げ、二匹を見つめて声をあげた。
「そ、そうだ! しろさんのことを知っていますか。誰かから伝言されていたり、私たちにこれをくれた方なのですが」
縁雅はそう言って、いつかにしろから渡された " みがわりひとがた " と呼ばれた紙片を見せる。頼りないそれは、てのひらの中でひらひらと揺れている。
「あなたたちの主から遣わされていたりするんじゃないですか?」
その様子を見て、美浩は少し物思う。
「……いつの間にか、居なくなっちゃったもんね。お話もあまり出来なかったなぁ……」
暗い中に薄らと浮かぶ白を思い描く。最後にあれと話してから、ひとがたを渡されてから、どれだけ経った?
それは、此処に来てからの時間にも比例する。ふと翳った美浩の思考を引き上げるように、狛犬だった二匹は意外な言葉を事も無げに発した。
『あの形代か。あれはとうに消えた』
『そして遣わしたのは我等の主ではない』
「……!? えっ、じゃあ……」
縁雅の顔が少し強張る。
──今考えられる限りでも、目の前にいる彼らのような神社の勢力、留や怪異のようなクダリの勢力、しろたちその他の勢力がいる、ということか……?
だとしたら、
「しろちゃんは一体誰に……?」
『知らぬ。しかし、』
『大した力は持たぬ者であろう』
もうこの話には興味がないというように、二匹はそう言い放った。そして振り払うように軽く手を振ると、動きに合わせて二重に濁った鈴の音がちりんと響いた。
『さて、礼をしなければ』
『礼をしなければ』
『嗚呼そうだ、』
『過去を暴くのはどうだ?』
対称に顔を見合わせ、うんうん、と狛犬は頷いた。
「過去……?」
怪訝そうに見つめる縁雅など気にも止めないかのように、二匹はスっと右手を左手を挙げた。そしてまっすぐにふたりを見つめて声高らかに口を開き、
『『三、二、一』』
ぱちん、と指を鳴らした。
瞬間、直ぐ背後で、ばりんと何かが割れる音が耳を劈いた。
思わず振り返るが、景色に変化はない。ただ何かが " 空いた " ことだけを脳は認識していた。
今のは何か、と尋ねようと美浩は狛犬の居た方へ視線を向けた。
しかし彼等は姿を消し、空の台座だけが残っていた。

◎隠しマップ:隠れ家解放
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