比類に帰す

文字数 3,026文字

ふと、どこかから音が聞こえた。
「……っ、なんだろう……?やだやだ、早く帰りたいよ、も〜……」
祭囃子だ。
「お、お祭り……?楽しそうだけど……ここでそんな音がするのは流石におかしい、よね!?」
暗い 暗い 山の中 闇の中。
優子は歩いている。
「よ、よし!危なくなったら帰る!絶対!」
胸に大きく巣食って消えない不安を、無理やり押し潰すように、独り言にしては大きな声色で決断を口に出す。
少しだけ竦む脚を持ち上げて、一歩。進む。
ざく、ざく、さく、ざく、さく、と 脚にまとわりつくような草の上を行く。長く伸びた葉は、足を彩る網を抜け、ぐさりぐさりと肌を突き刺していく。
痛み、それと真っ暗闇の不安感と共に、けれど少しの好奇心を持って、歩く。
ぱっ と 拓けた場所に出た。
沢山の人が円を描き、太鼓、笛、鉦、舞、思い思いに騒いでいる。それはまるで祭りの熱狂のようで、それはまるで何かに取り憑かれたかのようにも見えた。目を引くのは、その人影だ。明らかに現代のものとは違う服装、そして、顔を隠す白い紙。
囃子に混ざり、歌う声も聞こえてくる。
知らない言語。単調なリズム。繰り返しの拍子。独特な強弱。次第にその声は大きくなり、囃子の音と重なり合って、空間を震わす程に響く。
その調和は、段々と優子の頭の中を占領していく。不安、恐怖、危険、そんなものはまるで霧のように消えていく。
ぼんやりとした意識の中で、優子はまるで誘われるように、一歩、一歩、踏み出す。
頭のずっと奥深くより放たれる、引き返せという危険信号、しかしそれに従う肉体はとうにない。
ふらりふらあり、踊り出る。彼らの独壇場に、
異分子は踊り出る。
優子の姿が見えた途端、人影は一斉に振り向いた。音楽は止み、踊りは中断し、歌声は消えた。
『螟悶?縺ォ繧馴俣縺?!』
円の中の誰かが、高らかに叫んだ。
その声にハッと意識を取り戻し、あなたは現実に引き戻される。踵を返し、下へ下へ、走る。
『騾?£縺溘◇?!』
『謐輔∪縺医m?!』
後方から降りかかる声を聞きながら、走る、走る、走る、走る、走る。
爪先に、何かが引っかかる。石か、欠けた地か。真相は果たして分からなかったが、優子には関係のないことだった。
「きゃ……っ!?」
走る勢いそのままにつんのめり、前傾に。体勢は崩れ、手をつく間もなく、転がった。
「いっ、たぁ……」
服は汚れ、タイツは大きく裂け、隙間の肌から赤が覗いている。転がった時にぶつけてしまったのか、ズキズキと身体の至る所が痛む。
顔を顰めて上半身を起こす。頭もぐらぐらと揺れ、視界は不明瞭。
浅い呼吸を整えようと懸命に肺を動かす優子の耳に、『彼ら』の、咆哮にも似た声が届く。
「ゃ、やば……っ!!何アレ……っ!!」
立ち上がろうと足に力を入れる。
が、
困惑する優子の背を誰かがおさえつける。
「い゛……っ?!や、やだ…、離してよ゛……っ!!」
ひやり 頬を冷たい汗が伝う。
ばたばたと手脚を動かし逃れようとするも、それを上回る力で、
腕を脚を肩を手を足を腰を首を
誰かは押さえつける。
「…… う、動けな、……っ!!ゃだっ ……っ!!」
──早く逃げなきゃ。
ここで捕まったらどうなるか分からないけど、……絶対に、やばい。
押さえつけられた首をぐいっと捻り、周りを見渡そうと試みる。
幾つもの赤い光が優子の視界に映る。
それは、瞳だった。
自分を押さえつける者たちの顔を隠す紙の下から覗く、爛々と光る不気味な瞳だった。
ぞわりと背筋が粟立つ。どこか非現実的で信じられなかった未知が、自分自身の自由を奪っている。
「ひ、ッ………!」
抑えつける人外じみた怪力と見つめる無数の眼光に、悟るまでもなく理解する。
──あたしの力じゃ『彼ら』に敵わない。
ならば、と息をひとつ吸う。
話すのは得意だ。今までずっとそうしてきたように、相手に嫌われないように──
口を開く。
「ね、ねぇ……っ!!ごめんなさい、急に入っちゃって……!!あ、謝るからっ……!」
言葉が届いているのか、いないのか。人影は虚ろな赤い目を湛えながらぼんやりと、しかしハッキリとこちらを見つめている。
「……ぅ、……っ!」
優子の顔が歪む。懇願するような声色、眉を下げた表情から、一変。
「ねぇ、ってばっ!!ちょっと聞いてんの!?ねえ、あたしを殺す気なんでしょ!?ちょっと!!答えなさいよ!!!」
反応が無い。
焦りが強まるのにつれて、次第に語気が荒くなっていく。自覚しても尚、抑えられない。
──今ここで死ぬなんて、ふざけんじゃないわよ。
「あたしを今ここで殺したって何もいいことないわよ……ッ!!……だから、ね、話をしよ?」
優子を抑えている者らが、一斉にこくんと頷いた。
ように、見えた。
腕を引かれる。
誰かに甘えるような、そんな可愛いものではなく
人のものとは思えない力で左右に、引きちぎらんばかりに強く、強く、強く強く強く引かれる。
「ぃ゛…… っ、だ、……っ!!……ゃだ、 離して、……って、ば……っ!!」
──話が、通じない。
自分の唯一の武器が使えない。
優子の瞳が絶望の色に染まっていく。
話さえ通じればどうとでも出来た。和解まではいかなくとも、条件付きの説得程度なら、きっと。
それが出来ないのなら、自分に勝ち目はない。
そう、それこそ、
身代わりでもいなければ。
「……ぁ、あたしじゃなくたっていいでしょ……ッ!?……あたしより弱そうな子なんて他にもっといるじゃない、……ねえッ!!」
'' だ か ら 自 分 の 代 わ り に 別 の 人 間 を 殺 せ ''
ぼろぼろと剥がれ、零れ落ちる、これが本音だった。
そんな身を切るような思いも、無垢に落ちる雫も、彼らは気にもとめない。
ああしかし、救いであろうか。ぱっと、引いていた沢山の腕が離された。
「…… は、ぁ゛…… っ?!……な、なんで……?!」
逃げなきゃ。
今のうちに、今の、なんとかなるうちに。
少しでも遠く、遠く、遠く、遠く!
無様な姿を晒しながらもがき、逃げ出そうと起き上がる。
静かな夜の闇へ駆け出そうと足に力を込めた。
彼等は手を離している。身体を起こす優子をただ見ているだけだ。
──今なら……!
がくん
と、そんな音を空耳する程の衝撃。
突然動けなくなる。
否、動かなくなる。地に伏せる。押さえつけられる。
まるで巨大な手に鷲掴みにされたように。
「ぃ゛………、 ッ ぁ゛……ッ ?」
姿は無い。見下ろしている彼等しか、優子の視界には映らない。
誰も、優子の身体に触れてなどいないのだ。
「な゛……んで…… …ッ?、……」
今度こそもう、逃げられなかった。
言い様の無い絶望、それから諦観。
大きな瞳から、ぼろぼろと優子は涙を流す。それは、土に汚れた頬を少しだけ洗う。
──どうして。
ぐい、と思い切り、しかしゆっくりと、優子の頭が何かに引かれる。
首から下は動かない。けれどその力は止まらない。
首が伸びきる。限界を迎える。皮膚の突っ張る感覚、筋線維が悲鳴をあげる。
けれど、まだ引っ張られる。ぶちぶちと嫌な音が聞こえる。嫌な感触がする。
かぽりと、軽い、何かの外れるような、間抜けな音が頭に響いた。
力は尚も止まらない。
限界を超えるまで。そのずっと向こうまで。
「……が、ッ………! ァ゛…… ッ !」
優子の口が開かれる。何かを告げようと息を僅かに吐く。
千切れ出す。血が出る。思いはひとつ。
──誰でもいい、あたしの代わりに死ね。
ぶちぶちぶち。
ぐちゃり。
ばき、ばき、ばきり。
……ぼとり。
そして後には、静寂だけが遺った。
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