ありがとう Chapter.3

文字数 9,281文字


 独白吐露を終えたサン・ジェルマン卿は、覚えた疲労感のままに虚空へと意識を逃した。
「──そして、墓荒らしも(いと)わぬ卑しい身と堕ちた。その時には〝ヨハン・コンラッド・ディッペル〟と名乗ったがね」
「また偽名を?」
 戦乙女(ヴァルキューレ)の質問に、サン・ジェルマン卿は渇いた微笑(びしょう)で答える。
「在城者が墓暴きなどをしていると知れたら〝フランケンシュタイン〟の名に泥を塗る形になる。いや、(ある)いは逃げ(・・)かも知れんな……忌まわしき罪を犯す(おの)(ごう)から目を()らす(ため)の。どちらにせよ〝死臭(ししゅう)(まみ)れの実験〟へと明け暮れたのは事実だ。そして、その実験に費やした年月の中には〝フォン・フェルシェア〟という助手もいた」
「誰です?」
「ヨーゼフ・メンゲレの師──(すなわ)ち、ウォルフガング・ゲルハルトに〝生命創造〟の盲信を伝承した人物だ」
「ッ!」
 息を呑むブリュンヒルド!
 思いもよらない因縁であった!
 まさか、このような形で〝生命創造の狂気〟が(つな)がっていようとは!
「分かるかい? ブリュンヒルド嬢? 私は〝大罪〟に祝福されし存在なのだよ。神に望まれずして生まれ落ちた〝()〟──親友と想い人の生死を(もてあそ)ぶ狂人──ナチスドイツの狂気理念を後押しした人物──そして、ウォルフガング・ゲルハルトの遠因的祖師でもあるのさ」
 あまりに凄惨な経緯に、重い間が刻まれる。 
 雷雨は()まない。
 あの日と同じように……。
 程無くして沈黙破りに開口(かいこう)したのは、ヘルであった。
「それで? あの〈()〉は、いつ完成(・・)したのだ?」
「肉体そのもの(・・・・)闇暦(あんれき)初期(・・)に完成している。だが、(かのじよ)が〈生命〉を得たのは比較的最近の事だ」
「何故だ?」
「かつて親友(フォン)が主張の根としたように、物質的な〈生命〉の根源は〈電気(・・)〉だ。しかし〈(ドルター)〉は〝再生死体〟──()わば、生の(ことわり)から除外された存在。細胞レベルから全身を再活性化させるには、実験レベルのガルバーニュ電流では全然足りなかったのだよ。それを()すには、膨大な電圧を必要とする」
「成程、そのため(・・・・)……か」
 (いかずち)を吸収還元する機械装置を、意味深に眺めるヘル。
(膨大な(かみなり)パワーそのものを、その身へと宿す(ため)の装置──だが、それ(・・)大自然のパワーそのもの(・・・・・・・・・・・)を内包させるという事と同義だ。なればこそ、兄上(フェンリル)と互角以上に渡り合える潜在戦闘力も頷ける)
 ヘルの黙考を余所(よそ)に、サン・ジェルマン卿は続ける。
「だが、仮に落雷を流し込んでも、それだけで再生するとは限らない。そこ(・・)は賭けの領域だ。実際〈(かのじょ)〉の再生には試行と失敗を繰り返した。かなりの歳月を……ね。それだけ〈生命創造〉は難業という事だ。だからこそ、独自に研究考察を重ねていたのだよ。それは皮肉にも、私自身が〈死〉を探究した理論と、彼──フォン・フランケンシュタイン──が探究した〈生〉の理論を融合させる作業だった。(すなわ)ち『生と死の両立論』だ。どちらかだけが成立していても、それは〈生命の真理〉に辿り着ける論ではない。生死とは二極一対にして表裏一体なのだから……。冥女帝たる(きみ)ならば解るだろう? ヘル?」
「……ああ」
 ()もあらん……と、冥女帝(ヘル)(ふく)んだ。
 仮に〈神々〉であっても〝生死の真理〟を完全に解き明かす事など不可能であろう。
 それは〈冥女帝〉たる自分とて例外に無い。
 ただ司る(・・)だけだ。
 その絶大な真理を〈人間〉(ごと)きが掌握しようとする……。
 (たくま)しい傲慢(ごうまん)さであった。
 苦笑(にがわら)うしかない。
「せめて『Fの書』さえあれば……それ(・・)(つぶさ)(まと)めた手記があれば〈(ドルター)〉の再生率は格段に上昇するのだが…………」
 誰に言うとでもなく虚空を仰ぐサン・ジェルマン卿。
 それに対する返答ではあるまいが、ようやくにしてブリュンヒルドも(くち)を開いた。
「なるほど……事情は分かりました」
 深い一呼吸(ひとこきゅう)に、気持ちの整理を落ち着かせる。
 と、毅然(きぜん)たる美貌を上げ、込み上げる怒り任せに大罪人(エゴイスト)糾弾(きゅうだん)した!
「サン・ジェルマン伯爵……貴方(あなた)は最悪です! 生命(いのち)(もてあそ)び、魂を愚弄し、死神との盟約に溺れた(ゆる)されざる悪徳者! 神への謀反者です!」
「ああ、その通りだ……弁明はしない」
 浴びせられる(そし)りを無抵抗に受け入れる。
 それが贖罪(しょくざい)になるとは思ってなどいないが……。
「ですが……」ブリュンヒルドの抑揚が一転して(はかな)(うれ)いを帯びた。「貴方(あなた)は〈彼女(・・)〉の創造主(ちち)なのです……間違いなく。ならば、責任(・・)を負いなさい。この世へ生み落とした責任を……」
 淡い哀しみを(ふく)み、ブリュンヒルドは一冊の手帳を取り出した。
 それは〈()〉から取り上げた〈禁忌の書物〉であった。
「それは『Fの書』!」
「……御返しします」
「何故、(きみ)それ(・・)を?」
「彼女が大事に持っていた物です。それを没収しました」
「……(かのじよ)は、コレ(・・)を?」
「読んでいません。いえ、まだ読解力が付く前に、私が取り上げました」
「……そうか」
 軽い安堵を浮かべる。
 その(さま)(うかが)い見て、ブリュンヒルドは確信するのだ──彼には、まだ救いがある。
 ウォルフガング・ゲルハルトにも、ロキにも、欠落していた感情がある。
 それは〈愛情〉だ……と。
 なればこそ、一縷(いちる)の望みを託してもいいだろう。
コレ(・・)があれば、おそらく彼女の再生確率は上がるのでしょう? 何故ならば、この書こそが彼女を造り出したバイブル(・・・・・・・・・・・・)なのですから」
「ああ。この書こそは、私の──いや、()フォン(・・・)の研究成果にして集大成だ。私と彼の叡知が合わされば、如何(いか)なる難関とて不可能など無い」
 ()くして、禁断の書物は(あるじ)の手元へ戻ったのである。
 血塗られた(ごう)に染められた手に……。
 それを手放す際、ブリュンヒルドは強い目力(めぢから)を込めて誓約を課す。
「ですが、ひとつだけ約束して下さい。この一件が片付いた際には、この禁書を──」
「──約束しよう。永遠に葬り去ると……史実の闇に!」
 確固たる意志が返す。
 それが信用に足ると思えばこそ、戦乙女(ヴァルキューレ)は握る(ちから)を潮の流れと引いた。
彼女(・・)は、コレ(・・)を『絵本』の(たぐい)だと思っていたようです」
「……そうか」
「……残酷な『絵本』です」
「ああ、紡がれるのは『救いの無い御伽話(フェアリーテール)』だ」




 煉瓦道は煙雨に霞み、体温を蝕む雨は勢いに痛い。
 大雨が叩きつける大通りに、街人達は集められていた。
 街路中央を埋める黒集(くろだか)りは皆一様に怯え、身を寄せ会うかのように固まっている。
 女子供も関係無い。
 老若男女も関係無い。
 無差別()つ問答無用に狩り集められた捕虜達であった。
 ロキによる強制だ。
 拒否といった選択肢など存在しない。
 愚かにも相手の正体(・・・・・)を見極める前に幾人(いくにん)かが抵抗を試みたが、総て些末(さまつ)(わずら)いとばかりに破壊(・・)された……指先一本で。
 その絶対無敵の暴力を()()たりにすれば、何人(なんぴと)であっても恐怖に心折れるのは当たり前であろう。
「イヒヒヒヒッ……旦那さん? 言われた通り、この界隈の住人は全員集めやしたぜ? もう家屋には(ひと)()一人(ひとり)居ませんや」
 手揉みに御機嫌を(うかが)うアイゴール。
「ああ、御苦労だったな」
 素振りもニヤケ(ヅラ)もイヤらしいが、ロキにしてみれば満足な下僕だ。
 その醜い風貌と性根は(すく)(がた)く、だからこそ〝珍品〟を所有している満足感がある。
 何よりもコイツ(・・・)は従順であった。
 圧倒的な神力(ちから)に怯え、気に入られる事による保身へと安心し、ひたすらに媚びへつらう事しか出来ない。
 その征服欲が満足を覚えさせる。
 望んだものだ。
 (ヘル)にも息子(フェンリル)にも怪物(・・)にも拒絶された欲望だ。
 良い拾い物をしたものである。
 出会い頭の非礼はチャラ(・・・)にしてやろう。
「それにしても、ウジャウジャと気持ち悪ィな? 蟻の巣をほじくり返した気分だぜ……」
 寄り添い怯える群集を(うと)み、ロキは辟易(へきえき)蔑視(べっし)を流す。
 神話の時代、それほど人間は多くなかった。
 それが永き封印の間、世を埋め尽くす(ほど)人口(じんこう)は増殖している。
 闇暦(あんれき)時代(じだい)に突入する契機となった史上最大の災厄〈終末の日(アンゴルモア・ハザード)〉によって間引きされたとは言え、その数はまだまだ多い。
 生命力(いのち)そのものは脆弱ながらも、その爆発的な繁殖力は(わずら)わしい特性である。
 だからこそ悪神(ロキ)にとっては虫ケラ(・・・)としか映らなかった。
 蝿やゴキブリと同じ害虫と変わらぬ、汚らわしくも無価値な存在でしか無い。
「で、旦那さん? コイツらを、どうするおつもりで?」
()だよ」
「餌?」
「ああ、ひとつは〝オレに楯突いたヤツラへの餌〟──もうひとつは……」
 ロキが思索に言い渋った時であった。
「この悪魔め!」
「あん?」
 怯え固まる群集の中から一人(ひとり)の男が罵詈を吐いた!
「いいか! この街には〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉が()るんだぞ! 貴様のような何処の馬の骨とも知れぬ〈怪物(・・)〉が暴虐を働こうとも、必ずや神の鉄槌(てっつい)が──」
これ(・・)か?」
 男の額にトンッと指を当てて神力を注ぐと、肉風船が赤飛沫(あかしぶき)脳脂(のうし)を散らして破裂する!
「ヘッ……神の鉄槌(・・・・)ってヤツだ」
「ひぃぃ……」「あ……ああ……」
 ざわめきに増長する恐怖!
 その畏怖を一身に浴び、ロキは悠然と毒突いた。
 が、そうした負の連鎖に在っても屈せぬ強い意思がひとつ。
 それは幼くも真っ直ぐな純心──マリーであった。




 遠くに感じた神力(しんりょく)に、冥女帝(ヘル)の眉尻がピクリと反応を示す。
「……来たか」
 確信に漏らす(つぶや)き。
 改めて再生作業に取り掛かったサン・ジェルマン卿の様子を見れば、(いま)だ悪戦苦闘の要領は拭えない。
 落雷を流し込む(たび)に〈()〉の肢体は激しく波打ったが、はたして先刻までと何が違うのかも定かに無かった。
 無論、素人目に看破出来る(たぐい)の仕事ではないが……。
(いや、好転はしているのであろう。ブリュンヒルドが手渡した書が()かは知らぬが、どうやら切り札のようであったからな。だが……)
 時間は、まだまだ掛かる──それは傍目(はため)にも明らかであった。
 最悪の場合、総てが徒労で終わる可能性も有り得るだろう。
 一方で、ブリュンヒルドは城内探索から帰って来る気配が無かった。
 当然だ。
 来るべき最終決戦へ向けて武装を整えるという目的であったが、はたして悪神(ロキ)に通用するだけの武具が人間界(・・・)に在るはずも無い。
(……いや、これで良かったのであろう)
 内なる決意を固めると、ヘルは気付かれぬように退室した。
 朱が躍り息吹く階段を下る。
 薄暗い石段は、まるで重圧の奈落に導くかの(ごと)陰鬱(いんうつ)であった。
 そうした想いの総てを受け止め、ヘルは黙々と下る。
兄上(フェンリル)と対等に渡り合った〈()〉が復活すれば、万にひとつの勝率も期待出来ただろう。ブリュンヒルドの武具が万全であれば、連携策を考じる事も出来た。しかし現状では、どちらも叶わぬ……無い物ねだりだ)
 浮かべる自嘲は諦めの心情にも似ていた。
 やがて、ヘルは凛然たる顔を上げる。
 その瞳は不思議と晴れやかささえも帯びた印象に在った。
(ならば、(わたし)(みずか)らが(おもむ)くより他は無いだろう)
 無意味な暴虐から民を護らねばならぬ。
 殺戮の毒牙から民を救わねばならぬ。
 自分は〈冥女帝(ヘル)〉──この〈ダルムシュタッド〉の領主(・・)だ。
 心に定めた〈()〉を、もはや〈()〉とは思うまい。
 (うれ)う慕情は、(すで)に忘却へと捨て去った。
 軋み開く正面玄関を抜けると、雷雨轟く闇天が舞台と出迎える。
 闘いの舞台だ。
 (おのれ)(おのれ)で在る(ため)の……。
 と、眼前に広がる暗い情景に違和感を感じ、ヘルは怪訝(けげん)に目を凝らした。
 数平方メートルにも広がる城門内の庭は粘りつく泥濘(ぬかる)みに(ひた)され、城壁越しに見える樹々は魔界の使者と(はや)()てる。
 冷たい雨が作り出した情景は、ひたすらに暗色で彩られた虚無感の箱庭だ。
 そんな荒々しい野外に佇んで待っていたのは、見覚えのあるシルエットであった。
「ブリュンヒルド?」
 一瞬の雷光が、鎧装束を克明に浮かび上がらせる。
 容赦無い雨に打ち付けられ続け、頭からずぶ濡れとなっていた。
 ()れど向けられた美貌は、薫風のように爽やかな慈しみで微笑(ほほえ)む。
「……(ひと)りで何処へ行こうというのです?」
「見掛けぬと思うたが……何故、此処に?」
「たぶん、貴女(あなた)と同じですよ」
 近くに見れば聖鎧(せいがい)の破損は修復しきっていない。
「その武装で出るつもりか?」
 ヘルの指摘に、困ったように苦笑(にがわら)う。
「仕方ありませんよ。(もと)より〈戦乙女(ヴァルキューレ)〉の武装は、神力の結晶具現です。時間を掛ければ完全修復します──体力や英気の回復と比例して。ですが、先の戦闘から時間が経っていませんからね。()してや、受けたダメージは大き過ぎた……」
 値踏み視線で、ヘルはブリュンヒルドの出で立ちを改めて眺めた。
 聖鎧(せいがい)以上に気になるのは、完膚無きまでに砕け折れた円錐槍(ランス)の方だ。
 彼女が手にしていた円錐槍(ランス)は、愛用のそれ(・・)ではない。
「……その槍は?」
「城から拝借しました。無いよりはマシですから」
「相手は悪神(ロキ)だぞ? 通用すると?」
「〈神力(しんりょく)〉を注げば、足止め程度なら」そして、決意の瞳に念を押す。「()貴女(あなた)ですよ……冥女帝(ヘル)! 私に通用する武具は無く、現状(いま)は〈(かのじょ)〉もいない。悪神(ロキ)への切り札は、貴女(あなた)しかいないのです!」
「フッ……重責だな」
 自嘲に眼差(まなざ)しを伏せると、後れ毛が色香に(こぼ)れた。






「何が〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉だ? もういねぇ(・・・)よ。何せ、オレ様が壊滅させたんだからな……ヒャハハハハハッ!」
「フォ……〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉が?」
「そ……そんな?」
「終わりだ……この街の平和な時は、もう終わりだ……」
「これで、この街も他国と同じだ……」
 ロキの声高な嘲笑に、街人達の失意は絶望へと色を変えていく。その伝染が悪神には何とも心地良い。
 もう〈怪物〉から自分達を保護してくれる存在はいない。
 その事実がもたらす無力な絶望感は、依存対象の喪失がもたらすものであった。それだけダルムシュタッドの人々にとって〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉は、大きい後ろ楯だったのである。

 人々は、次第に〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉へと依存すらしていくだろう。『自分達は、この軍隊に守ってもらっているから大丈夫だ。(いな)、守ってもらわねば生きていけない』と──それは、かつてサン・ジェルマン伯爵が指摘した通りの有様であった。

 そんな失望の渦中から、あざとくも一人(ひとり)だけ血相を変えて悪神(ロキ)へと(すが)り出る者がいた。
「オ……オレは貴方(あなた)に忠誠を誓います!」
 一部の街人には知った顔である。パレードの日に、マリーへと難癖を向けた破落戸(ゴロツキ)だ。ハリー・クラーヴァルとブリュンヒルドから手痛い制裁を加えられた男である。
「あん? 何だ? テメェ?」
「で……ですから、オレは貴方様(あなたさま)へ忠誠を誓います! 手となり足となり御役に立ちます! どうか御仕(おつか)えさせて下さい!」
「ふぅん?」醒めた邪視が値踏みに見定める。「テメェ、家族(・・)は?」
「お……おります。ス……スペインの方に……あ……そ……そうです! そうですとも! 私には大切な家族(・・・・・)がおります! 仲睦(なかむつ)まじい家族が、私の帰りを待っています!」
「ふぅん?」
「私が無事に生きているとなれば、家族もどんなに喜ぶか……偉大なる貴方様(あなたさま)への感謝も尽きぬ事でしょう! きっと家族一丸となって、貴方様(あなたさま)への信仰と畏敬も忘れません! ですから何卒(なにとぞ)、寛大なる御慈悲を! その(ため)なら、この身を捧げる事も(いと)わぬ覚悟です!」
 嘘である。
 大嘘である。
 この男には家族などいない──いや、正確には〝いた(・・)〟と言うべきか。
 年老いた母と妻……そして、六歳の息子だ。
 しかし、逃げ回るには足手まといと捨てて来た。
 その数秒後には、無数の〈デッド〉に歓迎されていたのを見届けている。
 今頃は、とっくに仲間入りだ。
「な……何なら忠誠の証に、コイツらを痛めつけてやりましょうか! いや、御望みなら処分してさえみせますとも!」
「ほぅ?」悪神(かみ)(さげす)みが目を細める。「ま、いいだろ。オマエみたいなヤツァ嫌いじゃねぇ。じゃあ、せいぜい役立ってもらうとするか」
「は……はい! 有難うございます!」
 晴れやかな安堵に染まる笑顔。
 嗚呼、命拾いをしたぜ──と。
「この恥知らずが!」
「人間のクズだわ!」
 背後から浴びせられる罵倒(ばとう)にも苛立(いらだ)ちは無い。
 むしろ絶対的な優越感を(もっ)て見下すのだ。
 ほざくな、器量無しのマヌケ共──と。
「弱虫!」
「……あ?」
 ふてぶてしい神経を逆撫でしたのは、意外にもシンプルな罵詈(ばり)であった。
 子供である。
 群衆の中から勇気を(もっ)て射抜いたのは、一人(ひとり)の幼女である。
 それを視認した途端(とたん)破落戸(ゴロツキ)の表層心理に張った平静の氷盤はミシミシと憤怒に崩れ出した!
 見覚えのある子供だ!
 いや、忘れようものか!
 コイツ(・・・)のせいで、往来にて赤っ恥を掻かされたのだから!
 勇気ある幼女──マリーは叱責を続ける!
「あなたは弱虫(・・)だわ! 乱暴されるのが怖いからって街の人達を犠牲にして、自分だけ助かろうと悪い人(・・・)の子分になるなんて! 弱虫(・・)よ!」
「このクソガキーーッ!」
「きゃ!」
 髪の毛を鷲掴(わしづか)みに引き摺り出すと、崇拝神(ロキ)への捧げ物とばかりに投げ棄てた!
「テメェ! ()に向かって物を言ってやがる! 痛い目を見ねぇと分からねぇか!」
 虎の威を借るハイエナが暴力をチラつかせて威嚇するも、凛とした幼い瞳は決して屈しない!
 そこには(がん)とした信条があるからだ!
「あなた達なんか、きっと〝お姉ちゃん〟がやっつけてくれる! そうよ……そうだわ! 〝お姉ちゃん〟よ! 兵隊さん(・・・・)なんかじゃない! 〝お姉ちゃん〟なら、みんな(・・・)を守ってくれるわ!」
お姉ちゃん(・・・・・)だァ? この間の銀髪女か! ソイツは何処にいる? ああっ?」
ブリュド(・・・・)じゃないわ! 〝お姉ちゃん(・・・・・)〟よ!」
「だから! ソイツは何処にいるってんだよ!」
「あぐっ!」
 苛立ち任せに再び髪を鷲掴(わしづか)みにすると、無慈悲に(ひね)()げた!
「ナメてんじゃねぇぞ! クソガキが!」
 苦悶を浮かべる童顔に、威圧を(はら)んだ野卑(やひ)(ヅラ)()()ける!
 そんな安っぽい忠誠(イジメ)を醒めた冷蔑(れいべつ)に流し、ロキは辟易(へきえき)とした心情を咬む──「どっちがガキ(・・)だよ」と。
 だが、それ以上に気になる事がある。
 この子供の主張だ。
 ここまで屈せぬほど無垢な心酔は、いったい何処から来るのか……いや、そもそも、これほどまでに強い信頼を植え付けるとは何者(・・)なのだ?
お姉ちゃん(・・・・・)……ねぇ?)
 ふと脳裏に浮かんだのは、あの〈女怪物(・・・)〉の存在。
(いや、有り得ねぇか。ヤツ(・・)死んだ(・・・)。何よりも〈怪物(・・)〉と〝人間〟が相容(あいい)れるはずも無ぇ)
 ロキが黙想を巡らせる中、不意に静かなる凄味が耳に届く。
「……その子から手を放せ」
 待ちわびた期待に、悪神の口角(こうかく)がニィと上がった。
 仰ぎ見る闇空に立つのは、二人の女性のシルエット──〈戦乙女(ブリュンヒルド)〉と〈冥女帝(ヘル)〉であった!
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登場人物紹介

名前:名前は無い。

   便宜上〈娘〉と呼ばれている。

(NonName/CodeName is〈Daughter〉)


性格:

 朴訥。朴念仁。

 しかしながら、それらは繊細にして博愛的な性格故である。


特徴:

 轟く豪雷から生命を授かったオカルト科学による蘇生死体。

 電気ある限り不滅と言える生命力は、闇暦に於いても稀に見る特性である。

 己のレゾンデートルに苦悩し、それを見極めようと足掻いている。

名前:

 ブリュンヒルド

 (Brunhild)


性格:

 博愛的ながらも気高く勇猛。

 また〈ヴァルキューレ〉としての性質もあってか正義感や義務感も人一倍強い。

 一方で四角四面な愚直さは、時として融通の利かない頑固さへとして現れる。


特徴:

 北欧神話に語り継がれる〈ヴァルキューレ:戦乙女〉。

 主神〝オーディン〟の使徒として〈英雄〉の魂を北欧神界の宮殿〈ヴァルハラ〉へと導く使命に従事していた。

 神話時代の彼女はブズリ王家の王女であったが、壮絶な悲恋の果てに想い人〝英雄シグルズ〟の後を追って自害──ヴァルキューレへと転生した経緯に在る。

名前:

 サン・ジェルマン

 (Saint-Germain)


性格:

 常に沈着冷静で達観的分析観を宿す理知派。

 閑雅な自信にも満ち、実際、それだけの才覚を養っている。


設定:

 史実上にて時代を越えて出没している経歴が真しやかに噂されている怪紳士であり、その特性から〝不死身の男〟とも称される。

 ドイツ・ダルムシュタッドに聳える〈フランケンシュタイン城〉に〝ハリー・クラーヴァル〟の偽名で単身居城しており、主人公たる女性型人造人間〈娘〉を造り上げた創造主。

名前:

 ロキ

 (Loki)



性格:

 邪なる性格に歪んでおり、自己顕示欲と自信が異常に強い。

 突き詰めれば〝幼稚〟とも言えるが、そこに〈神〉としての強大無比さと持ち前の狡猾さが加わっているので、かなり厄介な災厄である。



特徴:

 北欧神話に名高い〈神〉であり、時として善にも悪にも染まる自由奔放なトリックスターとして知られる。

 アース神族の一柱でありながらも、その出生背景は神敵〈霜の巨人〉という特異な背景に在る。


 北欧神話の終末戦争〈神々の黄昏:ラグナロク〉の火種である事から開戦の時まで何処かへと封印され続けていたが、闇暦世界の顕現により確定未来軸までもが変質してしまい独自復活を果たす。

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