ダルムシュタット周域は、豊かな自然に囲われた穏やかな情景に
在った。
天空は慢性的な闇に支配された魔空と化し、地上の生態系は
既に破綻している
この時代に……だ。
生ける
屍が害敵と
徘徊し、
顕現した〈怪物〉逹が覇権争いの戦火を繰り広げる
この時代に……である。
それは
稀な奇跡とも言える。
その恩恵を授けているのは、領主〝ウォルフガング・ゲルハルト〟率いる〈
完璧なる軍隊〉であった。
町外れをぐるりと
囲う有刺鉄線の
柵。
その外界には雑木林が
拓け、旧暦時代の名残である舗装車道が続いている──
闇暦現在では何処に続いているかは
定かでないが。情景を呑む深い闇へと吸い込まれる道は、
宛ら地獄への一本道にすら感じられる。
そうした開放的な空間は、旧暦時代ならば豊かな自然との協和を
営なめる
羨むべき環境だ。
さりながら、
闇暦に
於いては、決して恵まれた環境と機能するとは限らない。
世界中に
徘徊している〈
動く屍〉のせいだ。
開放的な空間
故に、何処からともなく迷い混んで来る。
或いは、街に漂う
生者の気配が呼び寄せるのか……。
いずれにせよ、日々〈
屍〉は群がる。
今日も今日とて、数体が押し寄せていた。
「くあぁっ!」「があぁぁ!」
しなりに破れぬ金網を
鷲掴みにし、
威嚇とも
飢餓とも取れる
獣の
唸りを
猛り続ける!
有刺鉄線が
掌の肉を
抉ろうと、痛覚が欠落した彼等は御構い無しだ。
生気無く青冷めた顔からは普段の
虚ろな表情が消え失せ、
鬼気迫る執念であるかのような
本能だけが支配していた。
そんな
群獣を前に立ちはだかる一団──〈
完璧なる軍隊〉の
科学武装兵士部隊であった。
彼等は金網の柵越しに対峙するも、まるで微動だにしない。直立姿勢で横並びに整列し、バリケード然と待機していた。
上官からの命令待ちだ。
その無機質無感情な様は、ある意味〈デッド〉とは異なる不気味さを感受させる。
「フン……毎日毎日、飽きもせずに」
兵士達に
紛れるウォルフガングが、
辟易とした
蔑視に
毒突く。
「排除しろ」
右手を挙げて命じると、
科学武装兵士達の後ろへと下がった。
どうせ
定番の流れ作業だ。見届ける価値すら無い。
一斉に点る
科学武装兵士達の
赤眼!
ゴーグル越しの目が
標的を定め、右腕の甲に仕込まれた内蔵型小銃を敵へと向ける!
発砲──乱射──一斉射撃──!
銃弾の雨が狂ったように乱れ飛び、死体の血肉を
貫き
削ぐ!
そして、
僅か数十秒で死体は沈黙した……。
夥しい血の池と肉片が散乱し、その中で
肉塊が転がり沈む。
「フン……いつものように後始末もしておけよ。街の付近で腐敗されては衛生的に迷惑だからな」
残骸への
蔑みを含んだ事後処理を指示すると、ウォルフガングは後方待機中の指揮車へと
踵を返す。
こうした惨殺光景が、ダルムシュタッドでは日常的に繰り返されていた。
いずれにしても、一時
凌ぎだ。
正直、排斥してもキリがない。
と、ウォルフガングは足を止めた。
ふと感じた違和感に呼ばれたかの如く。
科学武装兵士達が、次なる行動を起こさない。
まるで警戒を継続しているかのように、前方を見据えたまま直立していた。
敵は排斥したにも関わらず……だ。
訝しみに振り返り、肩越しに目線を追った。
地面には無数の
肉塊が赤の極彩に散らばるだけ。
免れたデッドはいない。
しかし、警戒が解かれぬ理由は一目瞭然と解った。
死体が転がる大地を黙々と
歩み来る
一人の女──。
科学武装兵士達は、彼女の存在を〝新たな警戒対象〟として認識したのだ。
線の細い美女である。
肌は白雪のような透明感を宿し、薄く通った鼻筋は凛然とした美貌を刻んだ。こちらを見据える
眼差しは、好戦的な意志と物悲しい
愁いを等しく宿している。
白銀の甲冑が露出した上腕と
腿の白さを色香と映えさせ、左右に大きな羽根飾りを据えた兜からは銀色の長髪が鮮やかに零れ流れる。
左腕に構えた
小型円盤盾──右手に握り締めているのは
円錐槍だ。
翼と広がる赤きビロードマントは、彼女が〝戦いの子〟たる宿命の
証か……。
その特徴的な出で立ちを視認するなり、ウォルフガングは正体を看破した。
「……〈
戦乙女〉か」
北欧神界は
北欧神館の聖戦士〈
戦乙女〉──主神〈オーディン〉に
従える清廉なる魂。
珍しい
来訪客である。
強烈な魔気に閉ざされた
闇暦世界に
於いて、
神界の
力は
遮蔽されているのだから。
況してや此処〝ドイツ〟は、神話圏では北欧に属しながらも『北欧神話』は求心力を失っている。旧暦中期には『キリスト教』の布教が浸透した
為だ。
そうした
排斥的な環境にて、何故〈
戦乙女〉などが現れたのか……実に興味深い。
さりながら、それ以上にウォルフガングの好奇心を強く
誘うのは『
研究材料としての価値』に間違いないが。
迎撃指示を待つ兵士達を左手上げに制し、ウォルフガングは前へと進み出た。
進み来る〈
戦乙女〉もまた、刻む
歩を終える。
有刺鉄線の金網越しに対峙する値踏みと
美貌。
「
貴公が、この街の領主か?」
「
如何にも」
疎むかのような
眼差しで〈
戦乙女〉は周囲の惨状へと
一顧を投げた。
「……
酷い」
零れた呟きを拾い、ウォルフガングは鼻で笑う。
「ハッ、何がだ? 奴等〈デッド〉は、所詮〝再活動した死体〟に過ぎん。
我々生者の害敵を駆除して、何が悪い?」
「仮にそうであったとしても、ここまで容赦無き必用があるのですか?」
「貴様達のように剣を
交えて〝誇り〟を重んじろ……とでも? クックックッ……とんだ時代錯誤だな。非効率極まりない。現代では引き金だけで充分。無数の弾幕が、敵を
蜂の巣にしてくれる時代なのだよ」
内なる怒りと
憐れみを無感情に押し殺した〈
戦乙女〉は、背後に居並ぶ兵士達へと関心を
推移した。
「あの者達は
貴公の兵団か?」
「そうだ!
我が〈
完璧なる軍隊〉の誇る
科学武装兵士達だ!」
物々しく猛るウォルフガングを
一瞥に捨て〈
戦乙女〉は観察に意識を集中する。
コバルトブルーの澄んだ瞳が、
微々と霊力の光を
灯す。
微弱ながら〝
生命の波動〟は感じるが〝魂の波動〟は感じられない──
即ち〝
感情〟だ。
「……
人間ではないのですか?」
「
素材は
人間だ」
「何をしたのです?」
「貴様のような化石頭に理解できるとは思わんが……『ロボトミー』というのを知っているか? 脳の不要部分を切除する外科技術だ。着目すべきは〝
偏桃体〟と呼ばれる部位だ。コイツを
弄る事によって、人間の感情や心すら排斥できる──『クリューバー・ビューシー症候群』や『ウルバッハ・ヴィーテ病』が好例だ。それは
即ち〝恐怖〟や〝痛み〟すら
克服できるという事。まさに〈兵士〉としては理想的だと思わんか?」
「ですが〝喜び〟や〝悲しみ〟も失う」
「不要だ」
「……そうですか」
これだけの
抗弁で〈
戦乙女〉は悟った──「この男の価値観とは平行線。永遠に折り合わぬ」と。
失望とも
憤りとも取れる
一息を吐くと、彼女は臨戦意思に武装を身構える!
「
我が名は〝ブリュンヒルド〟!
主神〈オーディン〉に
仕える〈
戦乙女〉の名に
於いて、
貴公の悪行を裁く!」
凛々しくも気高き名乗り!
そして、彼女は地を蹴った!
超人的な跳躍に高々と舞い、境界線とする
金網柵さえ無意味と飛び越える!
「撃てぇぇぇーーっ!」
上官が右手を上げるのを合図に、
科学武装兵士達が新たなる
標的を
捕捉した!
上空へと
翳した
拳が火花を狂想曲と
奏で、無数の銃弾を乱射する!
さりながら、ブリュンヒルドの回避は超人的であった!
まるで四方が足場と
云わんばかりに、軽やかな
体捌きで宙を踊る!
それを撃ち抜くのは、大気に浮かぶ羽根を矢で射抜くかのような難行であった!
運良く捕らえた弾丸も、
小型円盤盾によって弾かれてしまう!
悠然と敵陣の中へと着地する
戦乙女!
然れば、
一呼吸の間すら置かずに駆け
屠る!
「おおおぉぉぉーーっ!」
「お姉ちゃん、寄ればいいのに」
家の庭先までマリーを届けた〈
娘〉は、そこで別れる事とした。
名残惜しむ幼女は、不服そうに
唇を
尖らせる。
「わたし、お母さんにも紹介したいのよ? だって、もうずっと〝ひみつのおともだち〟なんだもん」
「うん、ありがとう。でも、ダメ……」
「どうして?」
「怖がる」
「顔のこと?」
「うん。体も……」
上腕の
接ぎ
痕を眺めた。
無感情ながらも、
眼差しは悲しげに
愁う。
「平気よ。こわいのは、最初だけだもん。わたしが、お母さんに言ってあげる。お姉ちゃんは、やさしいんだって」
「ありがとう」
「ね? だから一緒に行こう? あ、そうだわ! 今日はお泊まりしましょう? そうすれば、お母さんだって、お姉ちゃんの事が分かるもの。うん、いい考えだわ! ね?」
「ありがとう。でも、ダメ」
「え~?」
「また今度……」
愚図る少女を納得させるために〈
娘〉は、また
嘘をついた。
いつまでも「今度」など無い。
訪れる気は無い。
自分は
訪れては
いけない。
何故だろう……これだけで胸がチクチクと痛い。
その時、家の玄関が開いた。
「マリー? 帰って来たの?」
母親だ。
病床に
患わされるが
故に、常時着ている
寝間着の上からガウンだけを羽織っていた。
「あ、お母さん!」
マリーの顔が明るくなる。
絶好の機会だ。
鉢合わせた以上、もう〝お姉ちゃん〟は逃げられない。
「勝手に出て行って、こんな時間まで……心配したんだよ?」
「は~い、ごめんなさい。ね、ね、それよりも──あれ?」
嬉々と振り返るも、そこには誰も居なかった。「……お姉ちゃん?」
キョロキョロと周囲を見渡すマリーは、やがて母親に連れられて家の中へと入っていった。
その様子を屋根から見届けた〈
娘〉は、温かな灯りに優しく
微笑みを
捧げる。
「おやすみなさい」
そして、
跳んだ!
超人的な脚力で!
闇空の
巨眼に届かんばかりに、高々とした跳躍を
繋ぐ
巨躯!
屋根や高木を足場に、向かい風を裂き続ける!
と、不意に〈
娘〉は足を
止めた。
「……銃声」
常人には捕らえられない
微弱な
喧騒を聞き取る。
更に意識を集中し、その方角を特定した。
「南方……町外れ……戦っている……」
風に運ばれる音が〈
娘〉に哀しさを
抱かせる。
また
誰かが傷付く──自分と同じように────。
そう思うだけで、胸が苦しくなった。
さりとも、そんな想いを
愁いたところで、何の
救いにもなりはしない。
闇暦とは、そんな世界だ。
どこまでも不毛な時代である。
「ハアッ!」
華麗
且つ勇猛に、
戦乙女は
戦舞を踊る!
奮う
円錐槍が
凪げば数体の敵が弾き飛ばされ、
渾身に突けば風穴が開いた!
一時といえども、一ヶ所には
留まらない!
駆けて、駆けて、駆け抜けて──
刹那の瞬間に
貫く!
その戦いぶりは、まさに
疾風迅雷の
如し!
次々と機能停止へと
陥る
科学武装兵士達!
実戦に
培われた技量の前には、
定石情報処理に
基づいた
戦闘対応論法など無意味!
だが──「フン……さすがに〈神の戦士〉という肩書は
伊達ではないか」──ウォルフガングは冷静然と分析した。
「コード
Vへ移行しろ」
軍服の襟へと仕込んだマイクロマイクに改めて指令を下す。
点る
赤眼──大破した者を
除いて、全兵士が
再起動した。
その違和感は〈
戦乙女〉にも伝わる。
「……何だ?」
敵が間合いを取り始めた。
先刻までの密集戦とは明らかに陣形が異なる。
気付けば彼女
一人を取り囲むように再構成されていた。
そして──!
「うあぁぁぁーーーーっ!」
四方八方から踊り迫る電撃!
科学武装兵士は銃弾攻撃を
止め、前腕部コイルからの放電攻撃プラン『コード
V』へと推移したのだ!
青く
迸る
光舌が、毒蛇と化して全身へと噛み付く!
「ああっ! うああっ! あああぁぁぁーーっ!」
「対電極──
即ち、標的に収束されるとはいえ、その間に
於いて電撃は網形状に拡散する。
如何に貴様が素早かろうと、広範囲の射程からは
逃れられまい……クックックッ」
進み出たウォルフガングが、優越に
嘲笑った。
「こ……れは……〈
雷神〉の
力か……クウッ!」
「
科学だよ。古くは〝ベンジャミン・フランクリン〟が着目し、そして〝ニコル・テスラ〟が飛躍的に拡張させた──
如何なる時代でも、科学に
於いて〈電気〉は絶対的な基盤だ」
「人……間が……クッ……〈神〉の領分を……侵そうなどと……思い上がりも……うあぁぁぁーーーーっ!」
挙げた右手に電圧が上がる!
生身であれば一瞬で
黒焦げとなっていたであろう。
さりながら〈
戦乙女〉は、魂が具現化した戦士──半実体半霊体的な特異存在だ。
故に、幸運にも死刑を
免れていた。
否、むしろ不運であるやもしれぬ。
生きながらにして、悪意の拷問に
晒され続けるのだから……。
「さて……」ウォルフガングが冷徹な観察視を注いだ。「
北欧神館の聖戦士〈
戦乙女〉よ……私は、いま悩んでいる」
「な……に?」
「貴様は貴重な
実験台だ。その存在を解析して
科学武装兵士へと
還元すれば、
我が〈
完璧なる軍隊〉は
更なる飛躍発展を
遂げる。しかしながら、貴様は
独り……
故に悩んでいるのだ」
「何を……クゥ……言っている!」
「つまりだな? 貴様を
脳改造化して私兵へと組み込むか──それとも、細切れにしてプロセス解析へと回すか──だ。貴様自身は、どちらがいい?」
「ふざける……ぅあああっ!」
更に電圧を上げ、反抗心を黙らせる!
悉く無力化させられる
口惜しさに、ブリュンヒルドは
悔しさを噛んだ。
(
汚らわしい!)
清廉なる高潔が、
己の
辱しめを
嘆く。
(
汚らわしい!
汚らわしい!
汚らわしい!)
彼女の心が
忌避に拒絶するのは当然だ。
普通の男ならば、無抵抗と化した彼女を前にして
性的欲望すら
抱くところであろう。
それだけでもゾッとする
汚らわしさだが、この男には
それすら無い。
有るのは、徹底して相手を
実験台と
蔑む狂気だ。
だからこそ、
汚らわしい!
魂そのものが
汚らわしい!
真性の
汚らわしさだ!
「まぁ、いい。連れ帰ってから、ゆっくり考えるさ」
踵を返して、右手を挙げた。
これまで以上の電撃が狂い咬む!
「ぅあぁあぁあぁぁぁぁぁーーーーっ!」
「心配するな。殺しはせん。意識果てるまで浴びせるだけだ」
「いや……いやあぁぁぁーーっ!」
聖女の悲鳴が
闇空を染めた瞬間──ズシャアアァァァ──突如として
濛々たる土煙が
噴き
荒れる!
爆発力に拡散した土の粒子が、電撃を
掻き消した!
その正体は、天空より降って来た影!
「何っ?」
想定外の乱入者に
狼狽えるウォルフガング!
女であった!
約二メートル弱の
体躯をした大きな
女であった!
伸び荒れた黒髪で右顔を隠し、
襤褸の
長外套で
裸身を覆っている。
そして、色白く
覗ける
肢体は、
醜くも
継ぎ
接ぎだらけだ。
粗暴と
美麗──
相反する印象が共存するのは、露出した左顔が繊細な
美貌を刻むせいだろうか。
これが〈
娘〉と〝ウォルフガング・ゲルハルト〟との
初接触であった。