わたし Chapter.5

文字数 7,725文字


「こ……これは?」
 雑木林の隠れ家にて、ブリュンヒルドは異変を体感した!
 大気をビリビリと震わせる(ほど)の強烈な雄叫び!
 この遠吠えは何事だというのだ? 
 毅然たる戦士の顔で方向を睨み定めると、すぐさま岸壁を跳び繋いで駆け登った!
(……まさか? いや、そんなはずは?)
 嫌な予感が脳裏を掠める。
 その心当たりが外れる事を切に願った。
 そして、見晴らしのいい頂上へ!
 街外れの遠景すらも一望できる高所だ!
 忌まわしい機械砦が陣取っていた岩盤盆地──そこに異変の正体を見定め、()しもの〈戦乙女(ヴァルキューレ)〉も驚愕に固まる!
 激しく叩きつける煙雨(えんう)に地平は陰っているものの、はっきりと元凶を視認する事が出来た!
 月夜に叫ぶ遠吠え!
 天をつんざく咆哮!
 黒月(こくげつ)さえも喰らわんと開かれた(あぎと)
 山と見紛(みまが)う獣の巨影(きょえい)
 見間違うはずもない!
「フェンリル? 何故!」
 悲しいかな、彼女の予想は無情にも的中した……。
 あれに(そび)えるは、北欧神話最大の怪物!
 ()主神(オーディン)と刺し違える事を運命付けられた最強最悪の魔狼(まろう)
 破滅の獣!
 それが現世魔界に降臨した!
「で……ですが、アレ(・・)は〈神々の黄昏(ラグナロク)〉の日まで復活しないはず! そういう運命(・・・・・・)だったはずです!」
 脅威を前に戦慄する中で、闇空から傍観する黄色い巨眼と目が合った。
「まさか? 闇暦(あんれき)となった事で〝予定調和(ラグナロク)の未来軸〟さえも狂ったと言うのですか? いえ、狂わされた(・・・・・)と?」
 微々と──そう、それは微々とした変化だが──黄色い単眼が歪んでいるような気がした。
 喜悦の視線に地上を眺めているかのように……。
 ブリュンヒルドには、そんな気がしたのだ。




 驚天動地の異状を察知したのは、ブリュンヒルドだけではない!
 街の人々もまた、恐るべき咆哮を耳にしていた!
 空気振動に家屋がビリビリと揺れ、樹々は木葉を吹雪と撒き散らす!
 その畏怖を抱かせる姿を視認したワケではないが、天を震わせる遠吠えは一人残らず耳にしていた!
 ざわざわとした懸念(けねん)口々(くちぐち)に飾り、皆が皆、玄関先へと様子見に出て来る。井戸端会議には雷雨が激しいが、ジッとしてもいられなかったのであろう。(はか)らずも不安の寄合(よりあい)(つど)った近隣者達は、根拠無き安心感を(かりそめ)に分かち合った。
「何なのかしら? いまの音は?」
「さあ? でも、大丈夫よ。この街には〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉がいるんですもの」
「そうよね。今回も、きっと解決してくれるわ」
 そんな会話に着地する。
 大人達に(まぎ)れていたマリーは、誰にも言えない思いを咬んだ。
(みんな知らないんだわ……あの人達は──あの兵隊さん(・・・・)達は、本当は怖い人(・・・)達だって)
 トラウマ的に呼び起こされる光景……。
 (みずか)らが殺され掛けた、あの状況!
 死と直面した恐怖!
 それを想起(そうき)すると、マリーはギュッと身を縮めた。
 そうするしかなかった……。

 ──マリーをいじめた(・・・・)のは、誰だ?

「ッ!」
 不意に守護天使の言葉が聞こえた。
 彼女の……彼女だけ(・・・・)の守護天使だ。
 優しく──恐ろしく──微笑(ほほえ)み──(みにく)く──強く──殺戮(さつりく)の──愛しい──忌避(きひ)すべき────。
(お姉……ちゃん……)
 混沌と撹拌(かくはん)してくる心情に自分を持て余し、幼女は熱く(うる)ませる物をグシグシと(ぬぐ)う。
 それは、小さな握り拳には(ぬぐ)いきれぬ感傷であった。





 崩落が生んだ暗闇が重圧に閉ざす。
 如何(いか)にサン・ジェルマン卿が不死身(・・・)とはいえ、瓦礫の大山を押し退けるような豪腕など持ってはいない。
「はてさて、どうしたものか……」
 一辺の光さえ奪う闇の中で、サン・ジェルマン卿は形ばかりの困惑を自嘲に飾った。
 どんな状況であろうと死ぬ事(・・・)は無い。
 ともすれば、時間は無限に有る。
 が、肝心の打開策が無ければ(かご)の鳥だ。
 ()(すべ)無く封印されているに過ぎない。
 こうしている間にも、外界では事が動いている事だろう。
 さりとも、どうする事も出来ない。
 知覚も──介入も──抵抗も────。
 それは、虚しくも歯痒い焦燥であった。
成程(なるほど)()は、こんな心境に()えてきたのだな……気の遠くなる年月を」
 少しばかり〈ロキ〉への同情を覚える。
 ()してや彼の性格を考えれば、それは根深い憎悪と嫌悪へと変わるのは必然と思えた。
「だが、認めはしないよ……ロキ」
 感慨(かんがい)すら込めぬ否定を淡白に(つぶや)く。
 それは〝他者を拒む者〟と〝(おのれ)を悔いる者〟の終着差であろうか。
 その時、轟く破砕音が幾重(いくえ)もの瓦礫を吹き飛ばした!
 一気に射す外界の光源は弱々しくも、闇に慣れた網膜には厳しい。
 サン・ジェルマン卿は細めた目を腕に(かば)い、変化に馴染むのを待つ。
 やがて霞む焦点が浮かび上がらせたのは、心配そうに覗き込む大柄な女性であった!
「……〈(ドルター)〉?」
「うん、(わたし)だ」
 引き出そうと差し出される手。
 重ねた瞬間、彼の胸中には懐かしくも愛しい想いが込み上げてくる。
 優しい温かさを感じた。
 城に居た頃は、もっと死体然と冷たく、返すもの(・・・・)が感じられなかったというのに……。
(成長したのだな……)
 創造主(おや)としては誇らしくも、(ひと)り立ちを寂しく想う。
「何故、此処に?」
 這い出されると、並び立って()うた。
 見渡す光景は残骸の山だ。
 とても科学的な基地であったとは想像出来ない。
「フランケンシュタイン城から〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉に連れて来られるのを見掛けた」
「それを追って?」
「うん」
 簡潔ながらも要点を押さえた〈(ドルター)〉の返しに、サン・ジェルマン卿はじっと顔を見つめる。
 それに気付いた〈()〉は、多少戸惑いを浮かべて(たず)ねた。
「何だ?」
「いや、ずいぶんと流暢(りゅうちょう)に話せるようになったものだ……とな」
「ああ、ブリュドに教えてもらったから」
「ブリュド?」
 初耳に困惑した復唱へ、密かな誇らしさを(ふく)んで紹介する。
「友達だ」
「……そうか」
 淡く交わす微笑(びしょう)
 ()れど双方の(ふく)みが異なっている事は、現状(いま)の無垢過ぎる〈()〉には感受出来ない機微であった。
 吹き抜けとなった外壁に臨み、遠景に遠吠えを鳴く巨獣を見据える。
アレ(・・)は何だ?」
「北欧神話最大の怪物〈神魔狼(フェンリル)〉だ。悪神ロキは、アレを復活させて世界に破壊と混乱の業火を撒き散らす気なのさ」
「何故だ?」
「おそらく、世界への復讐だろう。彼は北欧(アース)神族(しんぞく)によって、苦痛を(ともな)う封印を()いられていた……神話時代からね。それは、いつ終わるとも知れぬ孤独な苦しみだ。その屈折した感情が、世の総てを憎悪の対象としても不思議ではない」
「何故だ?」
 鸚鵡(オウム)返しのような〈(ドルター)〉の追求に、サン・ジェルマン卿は怪訝(けげん)の色を返す。
 が、正視に返す瞳は理解していない(・・・・・・・)のではない。
 別な事を回答として要求していた。
 それを察しながらも、サン・ジェルマン卿は柔らかな包容力に問わんとする真意を引き出す。
「何が……だね?」
「復讐する相手が違う。世界(・・)は、何もしていない」
 あまりにも真っ直ぐな正論。
 それに対する明答など持ち合わせてはいない。
 だから、サン・ジェルマン卿は寂しくも渇いた苦笑に首を振った。
(わたし)には解らないよ。いや、所詮、他人(ひと)の心など、誰にも分からないのかもしれないな……()してや、鬱積(うっせき)した虚無感(きょむかん)が行き着く先は…………」
「そうか」
 再び魔狼(まろう)へと注視を戻す。
 (ひと)(しき)りの自己主張に満足したのか、前足が重い一歩をズンッと刻んだ。
 直線進路上には、(せい)の温もりを灯すダルムシュタッドの街並が在る。
「これから、アイツは何をする?」
「おそらく手近な街──ダルムシュタッドを壊滅させるだろう。その次は、ミュンヘンやフランクフルトといった区々(まちまち)──そして、ドイツそのもの──やがて、戦火を欧州全土へと拡大し、最終的には全世界がロキの破壊対象となる」
「そうか」
 淡々と承知した〈()〉は、両拳を握り締め、腰を落とした構えに(りき)んだ!
 頸動脈部のボルトが青光(あおびかり)の放電を暴れさせ、身体(からだ)全体が稲妻の化身と(ほとばし)りを息吹く!
「……ハアアアァァァーーーーッ!」
「待て! 〈(ドルター)〉? 何をする気だ?」
「止める」
「無茶だ! あの体躯差を見ろ! アレは到底、人間の手に負える相手ではない!」
(わたし)は〈怪物(・・)〉だ」
「ッ!」
 言葉を呑まされるサン・ジェルマン。
(すで)に認めているというのか──(おのれ)人間(・・)の絶対的差異を……どうしても埋める事が叶わぬ溝を。その上で、(きみ)は?)
 だが、それはサン・ジェルマン卿の望む展開ではない。
 何があっても、彼女(かれ)を──(かのじよ)を失う事など、あってはならない!
 もはや、二度と!
「やめるんだ〈(ドルター)〉! 戦ったところで勝ち目など無い! そんな事をしたところで、所詮は蟷螂(とうろう)の斧だ!」
「うん。でも、やめない」
「何の意味がある? (きみ)が犠牲になる必要など無い! ここは、(わたし)と一緒に逃げるんだ! 他の国へ移れば、当面はロキと事を構えずに済む!」
 そう……()は、そうしてきた。
 彷徨(うつろ)う時代の遍歴に()いて、奇異や迫害の魔手から逃れる為に……。
 そんな消極的提案を一瞥(いちべつ)に受け止め、今度は〈()〉が持論を投げ返した。
「いつまでだ?」
「……何?」
「その旅路は、いつ終わる?」
「ッ!」
 再び言葉を呑まされる。
 まるで彼の本心を見透かしたかのような言葉であった。
 心底に潜む弱さを……。
「かつて(わたし)も迫害から逃れるべく、居場所を求めて転々とした。けれど、そこに終着など無かった。暴力の影に怯えた流浪は、次なる地でも理不尽に追われ続けるだけだ。そして、それは延々と繰り返される」
「いいか〈(ドルター)〉? 人間は定命──悠久たる時代(とき)の経過には(あらが)えない。如何(いか)なる者も死に、如何(いか)なる事態も時代の変革に鎮まる。総ては時間が解決してくれるのだ。進んで痛み(・・)を負う必要など無い」
「それは生きている(・・・・・)とは言えない」
「〈(ドルター)〉!」
「安息と平穏を得たければ、(おのれ)自身で死守するしかない。それに──」自発的に定めた()を見据えて〈()〉は決意を示す。「──此処には友達(マリー)がいる!」
 渾身の跳躍を引き金(トリガー)として、青き雷弾(らいだん)は宙を裂いた!




 獰猛な山が動く!
 荒柱が大地を踏み砕く!
 打ち付ける豪雨を物ともせずに歩み進む巨影!
 (さなが)ら天災の具象とも思える魔狼は、眼前の標的を睨み据えていた!
 (すなわ)ち、人間達が暮らすダルムシュタッドの街明かりを!
 その目は憎悪と嫌悪を燃え(たぎ)らせ、(おの)が封印の(あだ)とばかりに苦しみの逆怨みを注いでいた!
「オマエの苦しみ──怒り──オレには、よぉ~く分かるぜ? 息子(フェンリル)!」頭頂に立つ父親(ロキ)が、あからさまな同情に煽る。「一条の光さえも奪われ、暗闇の中で縛り付けられる苦しみ──恐怖──苦痛──(つれ)ぇよな? そんな責め苦をオレ達が味わっている間、地上の連中はどうだ? 神々は? どいつもこいつもオレ達の事なんざ昔話に忘れて、安穏と平和を(むさぼ)っていやがった! (あたか)も、オレ達なんか最初(ハナ)から存在していなかった(・・・・・・・・・)みてぇによ!」
 次第に加熱していくロキの語気!
 それは、いつしか彼自身から吐露された本音であったのでろう──(かたわ)らに従えるヘルは、盗み見る観察に察した。
 その浅ましい様に〈冥女帝〉は噛み締めるかのように想う。
 憐れな……と。
(この世に〝苦しみ〟を(いだ)かぬ人間などいない。安穏と生きている(いのち)など無い。個人差はあれど、皆〝苦しみ〟を……〝心の闇〟を(いだ)き、足掻き、解放されずに、それでも懸命に生を真っ当しているのだ。その前には〝善人〟も〝悪人〟も無い)
 それを知るが(ゆえ)に、彼女は鬱積(うっせき)した負念を前にして苦笑するのだ。
(魔界……か。はたして、それ(・・)何処(・・)に在るのであろうな……)
 顔を上げれば、正面の街並みは刻一刻と迫っていた。
 破滅へのカウントダウンが着実に刻まれている事を、人間達は()だ知らない。
 ()れど彼女(ヘル)には、どうする事も出来なかった。
 父親(ロキ)に刃向かう権利など無いのだから……。
(神々よ……願わくば、人間達に守護を与え(たま)え)
 そう願うしかない。
 一端の〈神〉として……。
「さぁて、フェンリルよ? ボチボチ運動しておくか?」
 飄々(ひょうひょう)とした悪意に笑い、ゾッとする意向を(くち)にした!
「ッ! 父上? 何を?」
「アン? 駆けっこだよ、駆けっこ! コイツだって、ずっと閉じ込められてストレス溜まってんだろ? なぁ? フェンリル?」
 応えるように雨天へと叫ぶ遠吠え!
 それは悪神への同調であろうか!
「この巨体が疾駆に飛び込めば、街は一瞬にして壊滅! 察知して逃げる隙すらありません! 女・子供や老人・病人までも虐殺なさるおつもりか!」
「ああ、おつもり(・・・・)だよ」
「なっ?」
 淡々と冷酷の色を染める悪神(ロキ)の非情に、(ヘル)は絶句した。
「女・子供だ? 老人・病人だ? 関係()ぇな! 再三言ってきたはずだせ? 『この世界をブッ壊す』ってな! 人間共も! 怪物共も! 神々も! みんな玩具(オモチャ)さ! このオレの手によって(もてあそ)ばれる……な! 考えみりゃ、オレ様こそ平等(・・)なもんだぜ? 対象を選定(・・)してねぇんだからな! ヒャハハハハハッ!」
「それでは、あの〝ウォルフガング・ゲルハルト〟と変わらないではありませんか! (おの)我儘(エゴイズム)(ため)だけに尊き命を(もてあそ)んだあの男(・・・)と!」
「……あ?」
 スゥと凄みに細まる()()け。
 次の瞬間、烈火の(ごと)憤慨(ふんがい)で、(ヘル)の胸元を捻り上げた!
「あんな〝脳味噌フェチ〟と一緒にしてんじゃねえ!」
「グゥ? ち……父上?」
「いいか! オレ様は〈神〉だ! 〈北欧(アース)神族(しんぞく)〉にして、その神敵〈霜の巨人〉だ! そこらの連中とは格が違うんだよ! 怪物だ? 神々だ? クソ喰らえだ! このオレが桁外れにスゲェって事を、世に知らしめてやるぜ! そうすりゃ〈北欧(アース)神族(しんぞく)〉のヤツらも、オレに一目(いちもく)置く──」(みずか)らが吐露し掛けた言葉が、加熱した頭を冷やさせた。一転した落ち着きに、(ヘル)を突き放すように解放する。「──……ともかくよ……どのみち、オレァ世界をブッ壊す。今更、老若男女もクソも()ぇんだよ」
 雨に濡れて前方に見入る。
 その横顔は、虚無感と寂しさを(はら)んでいるようにも(ヘル)には思えた。
(父上……貴方(あなた)は、やはり…………)
 その特異な出自(ゆえ)に一生(ぬぐ)えぬ劣等感(コンプレックス)──満たされぬ疎外感が転じた行き場のない憎悪────それが、おそらく悪神(ロキ)()である事を感受する。
 相手は誰でもいい。
 ただひたすらに、自己証明の暴力であった。
(ですが、世は調和にて成り立っている。だからこそ、貴方(それ)を容認など出来ないのです……(わたくし)も……〈北欧(アース)神族(しんぞく)〉も……誰一人として…………)
 悲しくも深まる心の溝。
 ここまで冷えきった情愛は、もはや再生する事も叶わないであろう……。
「グルゥゥゥ……」
 父親(ロキ)の憤りを酌んだか、フェンリルが低く唸った!
 ()を刻むしなやかな筋肉が俊敏力を蓄えたのを、ヘルは察知する!
「兄上! おやめ下さい!」
 無駄とは悟りながらも愁訴を叫ぶ!
 が、ロキの威令が、それを排斥した!
「構わねぇ! やっちまえ! フェンリル!」
「ゥオオオォォォォォーーーーン!」
 魔の遠吠え!
 黒月(こくげつ)に誇示するかの(ごと)く!
 闇暦(あんれき)の絶対的支配者に、(おの)が破壊を示さんかの(ごと)く!
 前足を低くした体勢に伸び、(ちから)を蓄えた!
 いざ! 餓狼は駆け出さんと動きを見せた!
 その瞬間!

 ──ガンッッッ!

 突如として横っ面を殴り抜ける青い雷弾!
「なっ? 何ィ?」
 狼狽を浮かべるロキ!
 しかし、それも無理はない!
 信じ(がた)い事であった!
 有り得ぬ事であった!
 倒れたのだ!
 あの(・・)巨狼(フェンリル)が!
 横倒れに魔山が崩れる!
 間一髪で(ヘル)を抱いたロキは、超人的な跳躍に場から大きく離れて惨事から逃れた!
 着地と同時に睨み据えるは、黒天の豪雨に滞空する電光の化身!
 それは、先の基地で見掛けた異質な〈女怪物〉であった!
「……またテメェか!」
「……また?」
 歯噛みの呪怨に対して怪訝(けげん)の色を返す。
 当の〈()〉にしてみれば初対面だ。
「何なんだよ! まったくテメェはよ!」
「私が知りたい」
「な……何ィ?」
 吠える悪神には()したる関心も示さず、ダメージから()い起きようとする獣へと意識を向けた。
「ふむ?」帯電する(おのれ)の拳を確認視する。「効いてはいる……が、まだまだ電圧が不足しているか」
 (ひと)り納得すると、抑揚乏しくも穏やかな口調で提言した。
「ロキ、やめてくれないか?」
「あ? 何をだ?」
「街を襲うの」
 肩越しに遠くの灯りを見遣(みや)る。
 それは〈()〉にとって、愛しく──憧れて──優しく──拒絶し──かけがえのない温もりであった。
「プッ! クックックッ……アーハッハッハッ!」ロキの嘲笑が〈()〉の関心を呼び戻す。「バカか? テメェ? テメェだって〈怪物〉だろうが?」
「うん」
「何で〝人間〟風情に肩入れしてやがる?」
「好きだから」
「あ?」
「私は〈人間〉が好き」
 あまりに実直で純朴な返答。
 臆面もなく答える姿勢には、微塵も嘘が含まれていない。
 まるで無垢な子供のような本心……。
 なればこそ、ロキの毒気は削がれるのであった。
「ま、テメェ(ごと)き〈安物怪物〉にゃ分からねぇか。このオレが、人間に……神々に……いや、世界(・・)にされた仕打ち……その憤りと苦しみはよォ?」
 自嘲めいて肩を(すく)め、虚しい苦笑を浮かべる。
 だが〈()〉は……。
「……分かる」
「な……何ィ?」
「石は痛い」
「あ? 何をホザいてやがる?」
「棒で叩かれるのも痛い」
 返ってきたのは、(うれ)いたかのような共感。
 ロキにとっては予想外の反応である。
 (ゆえ)に語らずとも察した──この〈女怪物〉も、世界の(うみ)と排斥されてきた過去を持つと。
 彼の内でも〈()〉は特別視に値する〈怪物〉と再認識されたか、先刻までの侮蔑的偏見はいつしか払拭されていた。
「……ったく何なんだ? テメェは?」
「だけど、私は〈人間〉を嫌いになれない」
「あ?」
「いつかは友達(・・)になりたい」
「………………」
 軽蔑とも嫉妬とも取れる邪視が〈()〉に注がれる。
 (おのれ)と同じ苦痛を味わいながらも、(おのれ)とは対極の答えに着地した存在──。
 それを確信したからこそ、ロキは憐憫(れんびん)を帯びた静かな返答を示すのだ。
「……平行線だな」
「そうか」
「オイ、女怪物!」
「何だ?」
「本気でオレを止めたきゃ、(ちから)尽くで来いや」
「……そうか」
 これ以上の説得は無駄だと理解した。
 だから、雄叫びに(ちから)を開放する!
「ゥオオオォォォォォーーーーッ!」
 (ほとばし)る電光!
 一層(まばゆ)い激しさを息吹く青!
 それは、彼女に内在した〈生命(いのち)〉そのもの!
(まただ……あの者からは〈死〉の波動を根に敷きながらも〈生〉の波動を力強く感じる。だが〈吸血鬼〉や〈死霊(レイス)〉等とは違う。()してや〈ゾンビ〉や〈デッド〉等とは比較にすらならない。いったい何者なのだ? 彼女は?)
 始めて眼前に観察した〈冥女帝(ヘル)〉は、改めて〈()〉の不可解さに困惑を(いだ)く。
(あの男──サン・ジェルマンとか言ったか──は、確か〈(ドルター)〉と呼んでいたな? いずれにせよ、あの時の狼狽(うろた)えようを(かんが)みれば、確実に(つな)がりがあるのは明白。謎を解く鍵は、そこ(・・)か……)
 と、沈められた巨体が復活の兆候を(うごめ)いた!
 それを視認し、ヘルは慄然と黙想から返る!
「グルゥゥゥ……ッ!」
 鈍重に身を起こし、四足に大地を踏み締める魔狼!
 険しくひそめた赤い目が、忌々しさに()()()ける!
「ゥオオオオオォォォォォーーーーン!」
 遠吠え!
 北欧怪物最強たる自尊心(プライド)を傷つけられた憤慨(ふんがい)
 しかしながら、それと同時に、知性高き獣は感じ取っていた──コイツ(・・・)は危険だ!
 自身にとって、あの〈雷神(トール)〉と同格足り得る脅威だ──と!
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登場人物紹介

名前:名前は無い。

   便宜上〈娘〉と呼ばれている。

(NonName/CodeName is〈Daughter〉)


性格:

 朴訥。朴念仁。

 しかしながら、それらは繊細にして博愛的な性格故である。


特徴:

 轟く豪雷から生命を授かったオカルト科学による蘇生死体。

 電気ある限り不滅と言える生命力は、闇暦に於いても稀に見る特性である。

 己のレゾンデートルに苦悩し、それを見極めようと足掻いている。

名前:

 ブリュンヒルド

 (Brunhild)


性格:

 博愛的ながらも気高く勇猛。

 また〈ヴァルキューレ〉としての性質もあってか正義感や義務感も人一倍強い。

 一方で四角四面な愚直さは、時として融通の利かない頑固さへとして現れる。


特徴:

 北欧神話に語り継がれる〈ヴァルキューレ:戦乙女〉。

 主神〝オーディン〟の使徒として〈英雄〉の魂を北欧神界の宮殿〈ヴァルハラ〉へと導く使命に従事していた。

 神話時代の彼女はブズリ王家の王女であったが、壮絶な悲恋の果てに想い人〝英雄シグルズ〟の後を追って自害──ヴァルキューレへと転生した経緯に在る。

名前:

 サン・ジェルマン

 (Saint-Germain)


性格:

 常に沈着冷静で達観的分析観を宿す理知派。

 閑雅な自信にも満ち、実際、それだけの才覚を養っている。


設定:

 史実上にて時代を越えて出没している経歴が真しやかに噂されている怪紳士であり、その特性から〝不死身の男〟とも称される。

 ドイツ・ダルムシュタッドに聳える〈フランケンシュタイン城〉に〝ハリー・クラーヴァル〟の偽名で単身居城しており、主人公たる女性型人造人間〈娘〉を造り上げた創造主。

名前:

 ロキ

 (Loki)



性格:

 邪なる性格に歪んでおり、自己顕示欲と自信が異常に強い。

 突き詰めれば〝幼稚〟とも言えるが、そこに〈神〉としての強大無比さと持ち前の狡猾さが加わっているので、かなり厄介な災厄である。



特徴:

 北欧神話に名高い〈神〉であり、時として善にも悪にも染まる自由奔放なトリックスターとして知られる。

 アース神族の一柱でありながらも、その出生背景は神敵〈霜の巨人〉という特異な背景に在る。


 北欧神話の終末戦争〈神々の黄昏:ラグナロク〉の火種である事から開戦の時まで何処かへと封印され続けていたが、闇暦世界の顕現により確定未来軸までもが変質してしまい独自復活を果たす。

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