Xmasはパリで!〈11〉

文字数 4,106文字

 RRRRR RRRR RRR……

 遠く、どこかで、ベルの鳴る音。
 ああ、ジングルベル――クリスマスの鈴の音だ。
 耳元で優しい声が囁く。
『さあ、起きなさい、(ひびき)。サンタさんがプレゼントを持って来てるぞ』
 港町の、丘の上の大医院。どこもかしこもアルコールの匂いの染みた部屋。
 ステンドグラスを通すと雪はドロップみたいに見えた。
 父の手を引いて駆け出す。
 大急ぎで居間のクリスマスツリーの下まで行かなくちゃ! 宝物はそこにある!
『今年は何をお願いしたんだい、響?』
『船だよ! 真っ白い大きな船! 僕もいつか、お祖父様やお父様みたいに欧州へ行くんだ!』





「?」

 幸福な夢にまどろんでいた探偵は違和感を覚えて目を開けた。

 部屋に誰かいる?

 その通りだった。穏やかな寝息を立てている助手・志儀(しぎ)と自分のベッドの間に人が立っている。
 まるでマリオネットのように怪しげな挙動……

  ( あ! 君は―― )

 興梠(こおろぎ)は息を飲んだ。だが、賢明な探偵は声を上げるのを止めた。言葉を飲み込んでそのまま様子を見守ることにした。
 人影は暫くウロウロしていたが、志儀の方へ身を屈めると枕の下へなにやら差し込んで出て行った。
 飛び起きて枕元を探る。白い封筒が指先に当たった。
「これは――?」



 12月23日。
 パリでの探偵活動3日目、イブ・イブの朝が明けた。
 ホテルのスイートルームのリビングで、運ばせた朝食(クロワッサンとカフェオレ、フルーツ)を済ませてから探偵は(おもむろ)に助手たちに告げた。
「実は、重大な報告がある」
「ええ? それについては聞きましたよ、もう、昨日のうちに。《ギルガメッシュ叙事詩》の件でしょ?」
「やだなぁ、寝ぼけてるの? 興梠さん?」
 興梠は落ち着き払って、
「いや、その後の話だ。奇妙なことがあった。ゆうべ深夜、僕たちの寝室に侵入者があった――」
「ええええ! 嘘だろ? それこそ、夢じゃないの?」
「事実だとしたらホテルのセキュリティはどうなってるんだ!」
 ざわめく二人の眼前にピッと人差し指と中指――2本の指に挟んだ封書を見せる。
「その人物がフシギ君の枕の下に置いて行ったものがこれだ」
「中にはなんて?」
「何が書いてあるんです?」
 助手たちの異口同音の問いに探偵は中身を開いてテーブルに置いた。
 クリスマスカードである。そこに一行。



      "Fille de turban bleu" est l'imitation

      《青いターバンの娘》はイミテーション



「!?」
「どういうこと?」
 志儀は目を瞠った。
「あの絵がニセモノだって言ってるの?」
「何故、そんなことを言うんだ?」
 ルカ・メロンも困惑を隠せなかった。動揺した声で、
「そして、なにより、そいつ――侵入者は誰なんです? 一体、何者なんだ?」
 思わず志儀が叫ぶ。
「あ! クリスマスの妖精かセント・ニコラスじゃないの?」
「冗談を言ってる場合か? ムシュウ・コオロギ、貴方は顔を見たんですか?」
「見たよ」
 興梠はきっぱりと言い切った。
「君だった」

 長い、長い間。

 漸くメロンは言葉を吐き出した。
「僕だった? どういうことです?」
「だから、僕もそれを訊いている。何故あんな真似をしたんだ? ルカ・メロン君?」
「有り得ない! 僕は全然覚えがない――」
 探偵は静かに質した。染み入るような音調。魔法のバリトン。
「君、何か隠しているだろう? この際、本当のことを話してくれないか?」
「――」
 さっきよりはずっと短い間。
 青年ルカ・メロンは大きく息を吐くと、
「実は、思い当たることがひとつあります。そのぉ、僕は……僕……夢遊病の気があるんです」
「ええー、夢遊病って、夜中に眠ったまま歩き回るアレ?」
「君は黙っていたまえ、フシギ君」
「だけど、クソッ! すっかり治ったと思ってた! 僕が徘徊したのは子供の頃のことだ。家を離れて学校の寄宿舎へ入ってからは――つまり、大人になってからは治まっていたのに」
「ふううん? 案外、自分でそう思い込んでいただけかも」
 真夜中、寝静まった学生僚の中を独り彷徨うルカ・メロンを思い浮かべる志儀。宛ら、探偵小説ばりにミステリアスでゾクゾクする絵柄ではないか!
「――それで思い出した! 江戸川乱歩がその種の傑作を発表してるよ!
 《二廃人》と言って、主人公の大学生がね、夜な夜な下宿の友人の部屋へ侵入して、しかも自分の持ち物をこっそり置いて行く……」
「話がややこしくなるから! 君は黙っていたまえ、フシギ君!」
 これは興梠とルカ、二人同時に発した言葉だった。
「チェッ」
 少年助手が口を噤むと改めてメロンは興梠に顔を向けた。
「信じてください。ムシュウ・コオロギ! 僕の夢遊病の症状はここ何年も治まっていたんだ。そりゃあ、小さい頃は姉の部屋に侵入してテディべアを縛り上げて天井から吊るしたり……母の化粧道具を引っ掻きまわして、口紅で父の顔に落書きしたり、飼い犬にコティの白粉(おしろい)をぶっかけ……いや、とにかく、それなのに、何故? 今? 再発したんだろう?」
「ふむ、僕は医者ではないが、その理由についてなら簡単に回答できるよ。つまり、君は最近古文書の謎を解読するのに夢中で興奮状態が続いたからではないかな?」
 だが、今、何よりも問題なのは、と興梠は言った。
「このカードのメッセージの内容だ」
 カードの上に手を置く。
「何故、このような文言を君は記したのか? その意図するところは何なのか?」
「……申し訳ないですが、僕は全く憶えていません。貴方たちの寝室に侵入したことはモチロン、それ以前に、こんな奇妙なわけのわからないメッセージを書いたことも、全然記憶にない!」
 心底戸惑った様子でカードを見つめるメロン。
「うーむ、夢遊病患者は、意識下の願望や衝動に突き動かされて奇妙な行動をすると言われている。起きている時に抑制している願望や衝動が睡眠中に解き放たれるらしい」
「ってことは、そのメッセージこそ真実じゃないの?」
 興梠に代わって志儀がズバッと斬り込んだ。
「この絵をロザンタール家に持ち込んだのは君だったよね、メロン君? 実はニセモノだったから、良心の呵責に耐えかねて、寝てる間にそれを告白したんじゃないの?」
「断じて! それはないっ!」
 ドン! テーブルを叩いて絵画発掘人は言い切った。
「あの絵はホンモノ、真作だ! 命にかけて、神の御名に懸けて!」
「――」
 腕を組みジィッと青年の双眸を見つめていた興梠。やがて腰を上げると言った。
「わかった。君の言葉を信じよう。とにかく――これからすぐにノワイユ邸へ行って、改めてあの絵を見てみようじゃないか」

 これは予想外の摩訶不思議な展開ではないか。




 ノワイユ邸の第5談話室、小ホール、オルゴールの小部屋。
 いつも以上に額の中の青いターバンの娘は謎めいて見える。
「僕の仕事柄、この絵の入手先や、入手方法については明かせません。ですが、これだけは、胸を張って言える。この絵は真作、ホンモノです!」
 ルカ・メロンは言い張った。
「ロザンタール氏だって、真作と認めたから買い取ったんですよ!」
「――」
 絵を凝視する興梠。
 オカシイ。前回、魂が震える思いで見惚れたこの絵……
 何故か今日は妙な違和感がある。
 手の中の、例のクリスマスカードに目をやる。


      "Fille de turban bleu" est l'imitation

      《青いターバンの娘》はイミテーション


 何だ? この、胸のザラツキ……

「ねえ、ねえ、どうなの、興梠さん?」
 我慢ができなくなって背後から少年が声をかけた。
「この絵はホンモノなの? それとも、ここにメロン君が書いたようにイミテーション?」
「待てよ、 そもそも、それ、本当に僕が書いたんだろうか?」
 青年がカードをひったくった。
「〈絵〉を疑うんなら、〈字〉も疑うべきだ!」
 メロンは首を傾げながら、
「自分で言うのもなんだが、僕の字はこんなに綺麗だったかな?」
「だめだよ、字は当てにならないよ。なんたって意識下の君が書いてるんだから。普段の君の字と違ってもフシギじゃないさ」
 志儀は絵を指差して主張した。
「やはり重要なのは絵だよ。その絵を君はニセモノだと書いた!」
「contrefaçon《ニセモノ》じゃない! imitation《イミテーション》と書いてある。間違えるなよ」
「同じことだろ? 君こそ、揚げ足を取るなよ」
「なんて書いてあるって?」
「え?」
 絵を見つめたまま興梠が訊く。
「悪いが、メロン君、今一度、カードの文言を正確に読みあげてくれたまえ」
「はい。〝《青いターバンの娘》はイミテーション〟……」
「imitation? イミテーションだね? contrefaçon ニセモノ や Peintures Faux 贋作ではなく?」
「ええ。でも、それが何か?」
「そんなの些細な違いだろ、興梠さん?」
「いや、違う」
 イミテーションと贋作は違う。そう、サヨナラでも au revoir、と adieu が決定的に違うように。
 待てよ。
 最近何処かでこの言葉を聞かなかったか? 誰かがこの言葉を使っていたような……
 イミテーション……模造品……

 ―― セィブルの高級食器に似せて模造品(イミテーション)を売り出すんですよ!

 身じろぎもせず凍ったように絵を凝視していた興梠響(こおろぎひびき)は声を上げた。

「そうだったのか!  わかったぞ! 今度こそ……!」



☆《二廃人》……江戸川乱歩の短編作品。1924(大正13年)雑誌「新青年」掲載。
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