最高の絵〈4〉

文字数 2,373文字

 三回目の訪問となるその日。
 寝台の上に広げられた少女たちの微笑の乱舞。

 ムリーリョ《無原罪の御宿り》/ソフィ・アンダーソン《ライラックを持つ少女》/メリー・スティルマン《クロイスターリリーズ》/フランク・デックシー《ミランダ》/ベルト・モリゾ《スミレの花束の女》/モディリアニ《ヴィクトリア》……

「どれももうひとつね」
 鷲司(わしつかさ)家の令嬢・薫子(かおるこ)は口をへの字に曲げて首を振った。
 断るまでもなく、それでも可愛らしい。
「こんな絵、全然つまんない。甘過ぎて飽きちゃうわ!」
 言うことは全然可愛らしくない。
「おい! 『自分に似てる絵が見たい』って言うから、興梠(こおろぎ)さんが散々苦労して探して来たんだぜ? 尤も――」
 ここで堪えきれずに志儀(しぎ)は笑みを漏らした。
「言い得てる! この手の顔は甘過ぎて食傷しちゃうよな! うん、僕も好みじゃないよ。可愛らしいだけで、全然ツマンナァイ……!」
「まあ! 私が言ったのは〈人〉だけ見続けるのは飽きてしまうって意味です!」
「そういうこともあるかと――群集の絵も持って来ましたよ」
 巧みに割って入る興梠響(こおろぎひびき)。
 今や助手と令嬢は完全に犬猿の仲だった。
「これなどいかがです? 賑やかで楽しそうでしょう?」
「――」
「シュテファン・ロッホナー《薔薇園の聖母》」
 可愛らしい天使に囲まれたマリア。
「それから、これ。これは僕も好きな1枚です。ボッティチェルリの《柘榴の聖母》」
 薫子は声を上げた。
「まあ! こちらの天使はたいそう大人びて――少年っぽいのね?」
 先のロッホナーの天使が幼児ならこちらはまさしくハイティーンである。
「素敵でしょう? 気に入りましたか?」
 微笑む探偵に令嬢は画集を突き返した。
「嫌いだわ。気に入りません」
「え――――っ?」
 またしても憤慨の声は助手である。
「ボッティチェルリってマリア様もイエス様も素敵だけど……左側の天使、百合を持ったこの子の顔がいや!」
 すかさず志儀、
「何わがまま言ってんだ!」
「だって、この子、あなた・・・に似ているもの。ほら、なんて生意気そうな顔!」
「言ったな? 生意気ってのはおまえ・・・みたいなコのことさ!」
 あしらうように片手を振ると薫子は探偵に向き直った。
「他には? 探偵さん?」
「群集モノなら、変わったところでルノアールの《雨傘》はどうかな?」
 その絵を見たとたん薫子は小さな叫び声をあげた。
「これがルノアール? その画家なら私も少しは知っててよ。有名ですもの。お父様なんかレプリカなんかじゃなくて本物をどうにかして手に入れたがってる。でもこれ、私の知ってる画家の絵と全然違うわ……!」
「でしょう?」
 探偵の落ち着いた微笑。
 少女の傍らに浅く腰を下ろして語り始める。
 いや、違う、あれは〝落ち着いた〟ではなく〝柔らかな〟だ。
 窓に寄りかかって助手は目を細めた。
 実際、令嬢あのコといる時の興梠さんは柔らか過ぎる。
 生意気でわがままな少女の言動以上にソレが志儀をイラつかせるのだ。

(何だか――)

 志儀は胸の内で呟いた。
 自分がノアローになった気分だ。面白くない。
 ああ、ここにあの黒猫がいたらいいのに。
 賭けてもいい。あの娘、絶対引っ掛かれるぞ!

「これはね、画家が苦悩していた迷いの時代に描いた絵なんです」
 寝台の上では探偵の説明が続いている。
「だから、一つの画面にいろいろな手法が取り入れられている」
 目を瞬いて令嬢が問う。
「ルノアールでも苦悩した時期があるの?」
「勿論ですよ。苦悩しなかった画家など存在しません」
 画集を持ち直して興梠は続ける。
「?」
 志儀は気づいた。
「この画家は天性の明るさで光溢れた画風故に、幸せな画家の代名詞のように思われがちですが、実際は人生と奮闘し続けた……」
「まあ?」
 薫子の見ているのは美術書ではなく探偵の顔じゃないか!
「画風に迷いが出て描けなくなった時期や、その後では実際にリユウマチで描けなくなった。それでも、車椅子に乗り、絵筆を指にくくりつけて描き続けました。ゴッホにだって劣らない、執念の画家ですよ」
「知らなかったわ。でも、彼の描く乙女たちのなんて愛らしいこと!」
 桜色の指を胸の前で組み合わせる子爵令嬢。
「技法なんて素人にはどうでもいいわ。ほら、この眼差し! この笑顔! 見る側は微笑まずにはいられないわ」
「全くです」
「……」 

 ああ、本当に面白くない。
 我慢できず助手は口に出して抗議してみた。

「ニャーオ」

 勿論、探偵も少女も全く気づかなかった。
 弛みなく続いて行く会話。
「あら? この絵は好きよ! 素敵だわ!」
「お目が高いな? ルネサンス期の名画のひとつです。《美しき姫君》。実はレオナルド・ダヴィンチの作とも言われている。ため息が出るような横顔でしょう?」
 ほら?
「姫君って、どなたなの?」
「伝わる処ではミラノ公の娘、ビアンカ・スフォルツアとか」
 ほら? まただ。
「本当に……何でもご存知なのね? 探偵さん!」
 また、少女の頬が薔薇色に染まった。
「いや、知ってることしか言ってないだけです」 

 こんどこそ人間の声で志儀は不満を漏らした。

「何が〈最高の絵〉を推理する、だ! 全く、いい加減にしろよ?」

 僕が最初に危惧したように、やはり、こんなのは正統な〈探偵の仕事〉なんかじゃない。
 これは――〈子守〉だ……!


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