Xmasはパリで!〈8〉

文字数 3,776文字

 探偵活動初日となる12月21日。

 興梠(こおろぎ)が希望した行き先はフランス国立図書館だった。《天正遺欧少年使節》の文献を調べるためである。
 とはいえ、そんな理由がなくともパリ滞在中一度は行ってみるつもりだった。
 2区のリュシュリュー通りにあるその建物は1368年、シャルル5世が王立文庫として創建した。フランス革命以後、国立図書館と名を変えたのだ。連続する丸天井が印象的な印刷本閲覧室は1868年から使用されている。また最近(1932)増築された新しい閲覧室は丸窓が並ぶとんでもなく広い楕円形のホールでその壁沿いの書棚には膨大な本本本本本本本……!
 興梠はここに一生住んでもいいと真剣に思った。
 一方、同じ頃、助手と補佐は……


「まったく、興梠さんてば、いつもあの調子だから。秘密主義なところがあって、付き合う方はなかなか大変なんだよ」
「いいじゃないか。謎めいている方が探偵らしいよ。それに、色々調べたいことがあるんだろう。僕らは、こうして息抜きができるし」
「そうだね! あーーーっ気持ちいい! 最高だよ、ここ!」
 興梠が図書館にいる間、好きにしてもいいというので、早速、気を利かせてメロンは少年をエッフェル塔へ連れて来た。パリを代表する観光名所である。
 1889年、フランス革命100周年を記念して開催された第4回万国博覧会の象徴たる建造物、未来の造詣、錬鉄の塔! 全長は312、3m。
「この季節は登るのを嫌がる人も多いけどね」
 理由は――展望台が柵に金網だけの吹きっさらしだから。今日もビュウビュウ風が吹いている。
「そう? そんなの全然気にならない。あーあ、いいなあ! いつの日か、僕の国にもこんなカッコイイ塔ができたらいいな!」
「できるさ。これよりずっと高い塔が、いくつも。君の国はこれからもっともっと隆盛して行くだろう。この欧州を超えて」
「だと嬉しいけど」
 柵にしがみ付いてぐるっと頭を巡らせる。
「パリ中が見渡せる!」
「フフ……鳥になった気分だろ?」
「まさにね! ってか、僕、実際、鳥なんだよ」
 志儀(しぎ)は悪戯っぽく瞬きして見せた。
「え? それはどういう謎解き?」
「いや、単に、名前が(シギ)……Snipes……鳥の名だってことだけど」
「へえ!」
「興梠さんなんか、虫だからね。秋の草むらにいる奴、cricket!」
「面白いなあ! 日本人て! 名前に意味があるのか」
「欧州人だって、そうでしょ? アインシュタインは1個の石? ロートシルトは赤い盾? ロザンタールは」
「……薔薇の谷」
「美しいなあ!」
「美しいのは高い金を出して買ったからさ。だから、旧家や名家ほど佳い名前……美しい名を持っている」
「そうなんだ? 買ったって、誰にさ?」
「王様や……時の支配者に」
 青年は話題を変えた。
「それより――」
 ポケットから例の古文書(の写し)を取り出した。一応、興梠以下、チーム全員持っているのだ。
「今、名前の話をしてて気づいたんだけど、言葉っていろんな意味がある。ということは――」
「?」



「おっと、いけない、もうこんな時間か!」
 興梠は腕時計を見て吃驚した。助手たちとはあらかじめ昼食に落ち合う約束していたのだが、気づくともうその時間に近い。
 思いのほか収穫があった。《天正遺欧少年使節》の文献の中に決定的な記述を発見したのだ。これで午前中を費やした甲斐はあった。書架へ戻そうと本を丁寧に重ねて立ち上がった時――
「?」
 隣の席に本が一冊置きっぱなしになっているのに気づいた。興梠は苦笑した。
 何処の国にもこういうダラシナイ(やから)はいるものだ。閲覧した本は責任を持って元の書棚へ。それがルールだろう? 仕方がない。この異邦人が自分の分と一緒に戻してやるとするか。
 と、興梠の手が止まる。開きっぱなしのまま机に放置されている本。そのページはフェルメールの《青いターバンの娘》ではないか。
 なんという偶然! そういえば、この画家と作品について、今一度、詳細に調べてみたいと考えていたところだ。興梠はその席に座り直して、読み始めた。




「遅いよ、興梠さん!」
「こっち、こっち!」

 既に座席に陣取っている二人の姿を見つけて興梠響(こおろぎひびき)は慌ててガラスの扉を押し開けた。
「やあ、失敬、失敬、待たせてしまったね!」
「道に迷ったんじゃないといいけど。この場所、わかりにくかったですか?」
 パリ2区にあるパッサージュ・デ・パノラマ。
 パッサージュとは日本語で言えば屋根付き商店街のことだ。商店街と言うより路地に近かったが。
 狭い通りにたくさんのビストロやカッフェが軒を連ねている。図書館同様、このパッサージュも歴史が古い。なんと、パリ最古。ガス灯が始めて燈ったのもこのパッサージュだとか。午後の集合場所としてメロン青年が選んだお薦めの店の名はサロン・ド・テ・《ラルブル・ア・カネル》。シナモンの木という意味だ。19世紀から続いている店内は木彫りのコロニアル様式が美しかった。
「大丈夫、道はすぐわかったよ。図書館で色々調べていたらつい遅くなってしまった……」
「ということは、何か見つかったんですね?」
「まあね」
 ここで暫く間が空く。ジッと新顔の探偵補佐を見つめた後で、早口に興梠は言った。
「素晴らしい手ごたえがあったよ。思った通りだった。古文書に日本語を書いたのが《天正遣欧少年使節》の誰かではないかという、僕の推察を立証できる資料を見つけたんだ」
「本当ですか?」
「凄いや!」
 興梠は抜き書きした文献の写しを若い二人に見せながら説明した。
「僕は、昨日はウロ覚えで言及したが、伊藤マンショが王女とダンスを踊ったという話は真実だった。これがその正確な記録だ。重要なのは、それに続く記述……」


 ◇1585年3月2日(天正13年旧暦2月1日)

   少年使節、リヴォルノ港着。ピサにあるトスカーナ大公宮殿に宿泊。
   宮殿ではこの日の夜、歓迎舞踏会が催された。
   伊東マンショはトスカーナ大公妃ビアンカ・カッペッロ(1548-87)
   と踊った。
   トスカーナ大公フランチェスコ1世(在位:1574年 - 1587年)は
   メディチ家の出身である。

◇1585年3月7日(天正13年旧暦2月6日)

   フィレンツェに到着。メディチ家による歓迎舞踏会に出席。



 ルカ・メロンが叫ぶ。
「メディチ家……!? やった! これで接点が明らかになりましたね!」
「うん、このメディチ家主催の舞踏会で、絶対、先祖のロザンタールは少年たちに会っている!」
 満足げに座席に背を凭せ掛ける探偵。
「ところで、興梠さん。実はね、僕らにもちょっとした発見があったんだよ!」
 志儀の瞳がキラッと煌めいた。
「僕たち――というより、メロン君の功績なんだけど、凄いこと見つけちゃった!」
 興奮を押さえ切れない様子で、
「これはかなりイケるかも知れない」
「ほう? どんなこと?」
「メロン、君が言えよ、さあ!」
「ここです。この、最後の行の言葉……」
 ルカ・メロンが古文書のその部分を指した。

    幽霊の棲家  敷布(シーツ)の 前

「言葉っていろんな意味を含んでいるでしょう?」
 青年は神妙な面持ちで語りだした。
「シギに彼の名前は〈鳥〉で、それから貴方は〈虫〉だって聞いた時、ハッとしたんです。言葉の意味は一つだけじゃない。この〈前〉って言葉は、場所を表す。つまり、位置的には敷布があって、その前……ってことだけど、時間的に見たら、どうだろう?
 つまり、〈前〉は以前、昔、古い、など〝過去の〟って意味にも取れる。〈敷布の前〉ではなく、〈古い敷布〉〈過去の敷布〉と考えられないかな?」
 一度言葉を切り、何かを探すように視線を宙に彷徨わせながら、メロンは言った。
「欧州には結婚の際、花嫁が敷布……リネンを持参する風習があります。ロザンタールはあれほどの旧家、名家だ。きっと凄い量のリネンを代々花嫁たちが持って来た。それが保管してあるはず」
「そうか! なるほど!」
「古文書に記された全部の意味はわからないけど、この部分だけでも探ってみる価値はあるんじゃないでしょうか?」
「もちろんだ! いや、素晴らしいよ、メロン君!」
 興梠は絶賛した。
「やはり、君に参加してもらったのは正解だった! 僕たちだけでは、そのことに思い至らなかったろう」

 花嫁の持参品、リネンボックス……
 宝物を隠すにはうってつけの場所ではないか!

「では、午後は、ノワイユ邸へ行って、その線で調べてみよう!」
「その前に、腹ごしらえと行こうよ! 僕はグラタンにする。デザートはチョコレートタルト!」
「いい選択だ、シギ。ここのグラタンは最高だよ。それから――ハムと野菜のタルトはいかがですか、ムシュウ・cricket! 塩味が絶妙なんです」
「いいな! では、僕はそれをいただこう」
 美味しい料理! これもまた探偵と助手たちにとって〈謎解き〉と同じくらい必要不可欠なものなのである。


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