俤ーおもかげー〈後〉

文字数 4,939文字

興梠(こおろぎ)さん! 興梠さん! わかったよ!」

 少年助手が頬を火照らせて駆け寄って来たのは、ちょうど探偵にとって芸術を堪能するのに十分な時間が経過した後だった。
 既に全館を巡り、再び一階入り口付近にいた興梠の腕を引っ張って助手は階段を上る。
「ここだろう!?」
 助手は探偵を2階展示場の入り口から入って、まっすぐ先、正面奥へと連れて行った。
 そこで足を止め、眼前の壁を指し示す。若い瞳が得意げに煌いている。
「他の美術館に見られない〈特異な点〉、それはここだ!」
 志儀(しぎ)が指さす壁の上部、そこには大作が飾られていた。
「僕は気づいたよ。この美術館は長方形の総二階。館内の全ての壁には大小さまざまな絵画が飾られている。これは美術館としたら当たり前だ。でも――」
 唾を飲み込んでから、
「この壁面の絵は、オカシイ」
「ほう、どこが?」
「サイズがだよ。大きさが合い過ぎている。つまり、ピッタリなんだ」
 志儀は両手を大きく横に開いた。
「特に横幅! 嵌め込まれたように壁の長さとおんなじだ!」
「ふむ? で、その意味するところ……そこから導き出される結論とは?」
「つまり――僕が推理するところ、初めからこの絵はここに飾るべく描かれた? でなきゃ、この絵をここに飾るためにこの美術館は建てられた?」
「大正解」
 満足げに興梠は頷いた。
「その通りだよ、フシギ君。正確に言うと、この絵をここにかけるべく、この美術館の壁は設計された――」
「やっぱりな!」
 満面の笑顔で鼻の頭を擦る助手だった。が、はたと気づいて探偵を振り返る。
「でも、そんなことが有り得るの?」
「有り得るとも。それはこう言う理由なんだ」

 この美術館を建てたのは実業家の大原孫三郎(おおはらまござぶろう)だが、その創設を強く推奨したのは洋画家・児島虎次郎(こじまとらじろう)だ。
 同郷の出身で年も一歳違い。親友でありパトロンでもあった大原は美術館に展示する絵画の収集も、発案者である児島に一任した。児島は三度渡欧し、欧州中を巡って、これはという作品を買い集めた。
 その際、最も気に入ったのがこの大作である。
  1922年のアントワープの展覧会に出品されていたこの絵に児島は一目で魅了された。
 ところが、当初、これを描いた画家は極東の島国へ自作を売り渡すのを躊躇したらしい。
 児島は幾度もアトリエを訪ねて交渉した。どれほどこの絵が欲しいか。この絵を中心に美術館を建てたいとまで言い切った。
 そして、その言葉通り、実行したのである――

「尤も、児島虎次郎は美術館完成を待たず死んでしまったが。遺志を汲んだ大原孫三郎が完成させた。だから、この絵は〝ここ〟にあるのさ」



「もっと、お教えください」

 気づくと、いつからそこにいたのだろう? 納季之(おさめとしゆき)が立っていた。
 学帽を胸に、歩み寄ると真剣な表情で言った。
「あの、実は僕、この絵が……凄く……一番……気に入ったんです。それで、この絵について詳しく知りたい。ぜひお教えください。もちろん貴方ならこの絵についての詳細をご存知なのでしょう?」
 目を瞠って問い返す志儀。
「へえ? この絵が気に入ったの? 〝大きさ〟じゃなく?」
「うん。この絵は他と違う。もちろん、大きさだけでなく、いろんな意味で特異だと思う。何処(どこ)がって、上手く言えないけど……アンバランスというか、とにかく気になってしようがない」
「日頃から文学を愛するだけあって繊細で鋭敏な目を持っているね、(おさめ)君。素晴らしい感性だよ」
 両手を背で組むと美学を修めた探偵は語りだした。
「確かにこの絵は、大きさだけでなく〝特異〟だ。まず数だが」
 美術館の横幅いっぱいに掛けられたその絵は、縦長の長方形、計7枚からなる。
「7枚というのは変わっている。だが、それには理由がある。実は1枚目から最後の絵が完成するまでに25年の歳月が経過しているんだ」
 まだ16年しか生きていない中学生たちは仰け反った。
「25年!」
「作者の名はフレデリック・レオン。制作年は1893年から1918 年。
 作品名は《万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん》
 僕は〈7枚〉と一括(ひとくく)りにしたが、厳密に言うと、まず最初の3枚が描かれた。
 いかにも、エネルギー溢れる若い画家が、持てる情熱の全てを注ぎ込んだ野心作だよ」
「《万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん》……」
 納は口の中でタイトルを繰り返した。
「そうですか。なるほど、題材は聖書世界……宗教的で西洋では人気のテーマですね。若い画家が挑んでみたくなるモチーフだ」
「うん、そ、そうだね、はは……ははは……なんのことかわかんないけども」
 興梠響(こおろぎひびき)の説明が続く。
「この絵はいったんここで完結した。だが――」

 歴史の歯車は回る。1914年、第一次世界大戦が勃発した。
 壮年になっていた画家は皮肉にも現実にその目で、若き日に自分の描いた地獄絵そのもの――破壊された世界、燃え盛り瓦礫となった街を見るのだ。
 それだけではなかった。失ったものは故郷の野辺や建物だけではない。画家は最愛の家族を亡くす――
 その時、画家は新たな絵を追加しようと奮い立ったのだ。

「見たまえ。
 のこり4枚を。
 前の3枚に対して、静謐(せいひつ)に満ちた優しい画面だろう?
 背景は同じく何もない大地だが、決定的に違うものが描きこまれている」
「ほんとだ! 凄いや! 特に、ここ!」
 志儀が叫んだ。
「絵のわからない僕にもわかる。ここ、一番目を引かない? ここだよ!」
 吸い寄せられるように壁に近寄って眼を瞬く。
「僕、さっきまで絵の〝大きさ〟ばかり気にして気づかなかったけど……こうして改めて見ると、ここ……」
 少年が見つめているのは大地の上で肩を寄せ合って(うずくま)る少女たち。
 (じか)に地面に腰を下ろして、身に纏うのは髪に挿した花輪のみ。
 だが、その瞳に恐怖はなかった。悲しみも、恨みも、糾弾も。
 ただ透き通った煌めきだけが明滅している。
「凄い! この部分……浮き上がって見える……」
「その通りだよ、フシギ君」
 探偵の口から吐息が漏れた。
「もはや、こういう時、説明や評論、能書きは無力だ。言葉はいらない。
 教養や学歴や知識など問わない。
 絵は直截に心に響く。目と心のほうがずっと速いのだ。僕などこんな時、言葉がもどかしくて恨みたくなるほどだよ」
 僕は言葉を見失う――
「この絵を見た人は誰でも、一瞬で心動かされる。そして諒解する」

  光を集めた少女たち。

「画家は大戦で娘を失った。
 この少女は画家の娘の似姿だ。
 画家は芸術としてではなく、祈りとしてこの一枚を描いた、と僕は思う」
 左側、3枚の絵の下に立って興梠は言った。
「最初の――情熱(ほとばし)る若き日の絵。ここには、画家が、持てる技術の限りを注いだ〈光景〉が見事に描かれている。だが、こちらは、どうだろう?」
 興梠は最後の4枚の前に移動した。
「ここには〈光景〉ではなく、描いた画家の〈心〉が封じ込まれていないかな?

 先の3部作は破壊と消滅……この世の終焉を描いた。
 後の4部作は救済と復活だ。
 少女たちの左下には、制作年、サインとともに小さく記されているよ。
 『愛する娘ガブリエルのために』 と 」


「ありがとうございます」

 若い声が館内に木霊(こだま)す。少年は深々と頭を下げた。
「貴方は僕にこれをみせたかったんですね?」
 顔を上げると少々悪戯っぽく微笑んだ。
「僕も謎を解きましたよ。僕は貴方の優秀な助手――海部(かいふ)君ほど謎解きは得意じゃないけれど」
「え? え? これは〈謎〉だったの? 興梠さんはこの美術館で〝僕〟だけじゃなく――〝僕たち〟それぞれに〈謎〉を与えてたの?」
 素っ頓狂な声を上げる助手。
「やだなあ! 僕が頼んだのは〈謎解き〉じゃなくて慰めてくれって――あ、いや、その、ゴホゴホ」
「いいんだ。君の謎も解いた。まぁ、そんなのはとっくにわかったいたけど」
 ポンと肩を叩くと、
「海部君、君のは謎でも何でもない。見え見えだよ。僕を元気づけようと画策してくれたんだね?」
 学帽を胸に抱いたまま納は絵に視線を戻した。ただ一点を見つめて、言った。
「あの子は奈津子(なつこ)にそっくりです」
「あ、言われてみれば……」
 改めて興梠に真向かう。
「僕は今日ここへ来て千の言葉より、多くのものをもらいました」
 慌てて興梠は首を振った。
「いや、謎というほどのものじゃない。むしろ、逆だよ」
 興梠もゆっくりと壁の絵を振り仰ぐ。
「君の妹さんの写真が僕にこの絵を思い出させてくれたのさ。君の言う通り、とてもよく似ている」
 光の中、髪の花を揺らして微笑む少女……
「だから――連れて来たのは僕じゃない(・・・・・)


 残された者の悲しみは深い。
 その悲しみは容易に消すすべはない。永久に心に刻まれる。
 ならば――
  ――だから?
 こちら側の人間はこれしかないのだ。 祈り。
 いつの時代も、文化や国や宗教すら超えて、残された者の言葉は一つ。ただこれだけ。


   安らかであれ

その魂よ、安らかであれ


 地に伏して天を仰ぐ娘たちの瞳がこれほど澄んでいるのは……
 それは、残された者の祈りが()っているから?
 空を見上げる少女の視線と少女を見つめる観覧者の視線が重なり、交じり合ってともに上昇する。遥か高みへと……


   ああ、どうか、
   
     安らかであれ



「ありがとう、海部君!」
 優等生は友の両腕をぎゅっと握って揺さぶった。
「僕もこれからは探偵小説も読むよ。今日、知った。この世は謎に満ちている。そう、謎と」
 今一度絵を振り仰ぐ。
「祈りに……」
「納君」
「妹を思う時、今まで僕は辛くて悔しくて顔を伏せていた。妹が埋葬された地面の方ばかり見ていた。地の底に見る奈津子の顔は悲しげで苦痛に歪んで見えた。でも――
 天を仰ぐとそこにも妹が見える。その顔は、この絵にそっくりだ。
  僕は解き放ってやれたかな……?」
 絵の方を向いたまま、助手の学友は言った。
「興梠さん、僕はこれから顔を上げて妹の(おもかげ)を探すことにします。ほら? 祈りの言葉は天に昇って行く。さながら、空へ架ける梯子のようですね?」
 興梠は唸った。
「流石、帝大の文科志望だけのことはある。美しい表現だね!」
「あ!」
 負けじと志儀が続ける。
「僕も気づいた! 〈(おもかげ)〉という字は〈(はしご)〉に似てるね?」
「それは……探偵小説しか読まない、いかにも君らしい発見だね、フシギ君」
「むぅ? 褒めてないよね? 興梠さん?」
「プッ! 探偵さんの言う通りだ、ホント、君ならではの着目点だよ、それ! あはははは……」
 久しぶりに友の笑い声を聞いた。
 顔を上げると美術館の階段の丸窓から光溢れる空が見える。
 
 が、待てよかし。

 空から見たら、三人も麗しき円形画(トンド)の絵画に見えたはず。



   (おもかげ)は (はしご)に似てる 天仰ぐ   浮鴫
   梯子(はしご)架け 会いに行きたい人がいる   納季之
   (おもかげ)や  少女を飾る 花冠    興梠




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