Xmasはパリで!〈13〉

文字数 3,869文字

「どうした、フシギ君、眠れないのかい?」

 その夜。ベッドに横たわって天井を見つめている少年にバスルームから出て来た興梠(こおろぎ)が声をかけた。
「それとも、今夜こそ本物のクリスマスの妖精を見てやろうと待っているのかな?」
「からかうのはやめてよ、興梠さん」

 今日は長い一日だった。

 謎を解いた後、改めて3人でリネン室をかたずけた。念のため最後の点検をしたのだが、言うまでもなく部屋に保管されていた箱からは何も出てこなかった。その後、メロンは所用があるとのことで別行動となる。久しぶりに興梠と志儀(しぎ)は自分たちだけで夕食を食べた。サン・ミシェルの坂を左に曲がった処にあるイタリアンレストラン。ここは詩人や小説家に人気と聞いていた。詩人には会えなかったが意外にも、日本人の作家が数人、(つど)っていた。中の一人、Y-氏は興梠を捕まえて欧州に住む日本人青年の物語を書くのだと熱く語った。どんな作品になるのか楽しみだ。そのY―氏に勧められた羊肉とフロマージュ付きのスパゲティを堪能して、さっきホテルへ戻って来たところだ。
 メロンは先に戻っていた。シャワーを浴びた後らしくタオルを頭に巻いてバスローブ姿だった。
 ここ数日間の財宝探索の疲れ、あるいは、それなりにやり遂げた満足感からか、青年はお休みの挨拶をすると自室に引っ込んでしまった。
「パリへ来て、21日、22日、23日……」
 ベッドに腰かけて、就寝前の日課である腕時計のねじを巻きながら興梠は言った。
「明日、パリに帰還するノワイユ氏に古文書解読の報告をして、とりあえずはそこで今回の案件は終幕(フィナーレ)だな」
 やはり財宝はリネン箱に入れて何処かの海へ沈めたのだろう。

    亡霊の棲家(すみか)  敷布(シーツ)の 前……

「財宝を隠した海域までは特定できなかったが、古文書はほぼ読み解いた。聖夜に間に合って良かったよ」
「……正直言うとね、ロザンタール家の宝物が真珠だったのは、僕、チョットがっかりだよ」
 片肘をついてベッドに起き直った志儀が漏らす。
「まあねぇ。昔の人たちが真珠に注いだ熱い思いは現代人の僕らには理解しにくいかもな。そのうえ、幸運にも僕らの国、日本は現在、真珠を生産できる唯一の国だ」
 興梠はアコヤ貝のことを言っている。昭和のこの頃、最も美しい天然真珠を生み出すアコヤ貝は日本固有種と思われていた。また、天然産のみならず御木本幸吉(みきもとこうきち)見瀬辰平(みせしんぺい)西川藤吉(にしかわとうきち)らの心血を注いだ研究のおかげで養殖真珠の生産でも日本は世界をリードしている。
「その日本の1910年代のデーターだったと記憶しているが、4ミリ以上の天然真珠が取れる確率はアコヤ貝1万個に1つか2つくらいだそうだ」
「1万個に1個!? ひえー! それを聞いたら、確かに、真珠は最高の宝物だな!」
「だろ? それに真珠の人気は古代や中世で終わっていない。今世紀に入ってからだって……宝石商のカルティエ氏はNYの5番街にある大邸宅をその持ち主から〝2連の真珠のネックレス〟と物々交換で手に入れたそうだ。これは、つまり、その真珠のネックレスが100万ドル以上の価値があると見積もられたってことになる」
「じゃあさ、ロザンタールの財宝が真珠だとわかったらノワイユ氏なんか卒倒しちゃうかも。それで、隠し場所はわからないと知ってもう一度卒倒! こりゃ、見ものだな、明日が楽しみだ」
「おいおい、隠し場所を解けない僕はさんざん(しぼ)られるだろうけどね」
「今年の聖月も素晴らしかったな!」
 いきなりの話題転換。目をやると少年はまた天井を見つめている。
「ねえ、興梠さん、憶えてる? 僕たちが初めて出会ったのも今の季節だったね!」
「ああ、そうだったね」
「あのね、僕、今でも思ってるんだよ。あの年にもらったプレゼントが生涯最高……一番の贈り物だったって。興梠さんも、もちろん、そう思ってるよね?」
「あ、も、も、もちろんだとも! あのエプロンは最高だった! だからこそ、大切に仕舞い込んでるのさ。もったいないのでとても使えないよ、はははは」
 二人が初めて会った年のクリスマスに少年は探偵に自社〈海府レース〉の人気商品、純白のエプロンを贈っている。
 ムクリと体を起こす少年。
「やだ! 何言ってんだよ! エプロンの話じゃないよ! 帝大文学部卒が聞いて呆れる! 理解力ゼロだな!」
「え」
「僕が言った〈最高の贈り物〉って貴方(・・)じゃないか! 貴方と出会った(・・・・・・・)ことだよ!」
「あ」
「アッタマきた! せっかく――こんな時でもなきゃ本音を洩らせないから話したのに! もう、知らないっ」
「――」
 とんだ藪蛇。
 背を向けた少年助手は最後に悪魔染みた声で付け加えた。
「興梠さんは、いつも肝心のところでヘマをする。読み間違いをする。それって、つまり、繊細さに欠け、細心の注意を払うのを怠ってるってことさ! そんなんだから女性にモテないんだ」
「はは……はははは……」
 出てくるのは弱弱しい笑いだけ。完敗である。
  ( やれやれ。完全に怒らせてしまったな。 だが、仕方ないか……)
 もはや無駄な抗弁はせず無言でベッドに入る探偵だった。
 目を閉じ、胸の上で手を組んで興梠は思った。
 名画二点。フェルメールの《天文学者》と《青いターバンの娘》……いや《真珠の首飾りの娘》。
 今年のクリスマスプレゼントは、助手の変わりない毒舌と名画鑑賞としよう。これで十分だ!
 かくて聖月のパリで探偵が見る夢は……


  暗闇の中に浮かび上がる絵。

 忍び足で近づいて行くと少女は懐中電灯の光に驚いたようにこちらを見つめた。
 揺れる耳飾り――

 模造真珠だって? それがどうした!
 君の瞳はその耳元の模造真珠よりもキラキラ輝いている。
 ああ、何度見ても素晴らしい! もう2度と離れるものか。
 さあ、一緒に帰ろう。新しい居場所が君を待っている……
 海を渡って……僕たちともに……

 誰だそこにいるのは!

 動くな、動くと、撃つぞ!

 しまった! 見つかった――

 じっとしていろ、この泥棒め! あ、動くなというのに――
 本当に撃つぞ! 脅しだとでも思ってるのか?
 逃げるなったら!

 パン!

 銃声は何かに似ていた。なんだったっけ?


 大丈夫。あの音は、クラッカー。クリスマスパーティにはつきものだ。
 そして、ホラ、鈴の音。こちらも今の季節になくてはならないもの。聖月に鳴り響くジングルベル。

 RRR…RRRR……RRRRR……

「!」

 違う。鈴の音じゃない?
 それは枕元、ベッドサイドに置いてある電話の音だった。
 興梠響(こおろぎひびき)は吃驚して時計を見た。午前3時だ。日付が変わって、今日は12月24日。聖夜である。
 そんな日の、こんな時間に? 
 慌てて受話器を取った。
「アロー?」
「アロー、10015室 興梠様ですか? 外からお電話です。お繋ぎいたします」 
「もしもし、興梠ですが――」
「ムシュウコオロギ! 大変だ! 大変なことになった!」
「あ、ノワイユさん? もう戻られたのですか? パリには明日……おっと、もう今日か!――いえ、24日にお帰りと聞いていたのですが」
「そう、仕事が早く片付いて昨夜の深夜遅くに戻ったのだ。それより、すぐ来てくれ!」
「?」
「私の邸に侵入した者がいて、泥棒と思って撃ったところ――君の助手だった! 暗くてよく見えなかったんだ! 近寄ってみて驚いた! なんと赤毛に――」
「え?」
「ど、どうしよう! 出血してる! 医者? 医者は呼んださ! ああ、神様! 私に罪はない! これは正当防衛だ! とにかく早く――」
「フシギ君!?」
 振り向くと、ベッドは空っぽだ。探偵は氷のような冷たい床に飛び降りた。
 なんだって真夜中にノワイユ邸へ? 昨夜、俺が昔のプレゼントの件で怒らせたせいか?
 ええい、それより――

「死ぬな、志儀!」

 素早く着替えて、部屋を飛び出す探偵の脳裏に助手の声が響いた。

 ―― 興梠さん、興梠さん……

 あの聖月からいつも聞いていたこの声……!
 神よ。贈り物は取り上げられることがあるのですか? そんなはずはない! 俺は、あの聖月以来、幸福には感謝したが安心したことなど一度もなかった。当たり前だ、などと思ったことさえない!
 むしろ、これは夢なのではないか、幻ではないかと疑っていた。
 一度は失った平穏な日々を、こうして過ごせることがありがたくもフシギで……
 それこそ、毎日がクリスマスの魔法のようで……
 君はセンスがないと笑ったが、フシギ君! この名を呼ぶたび僕は心から、授かった幸運を……この眩しい日々を……不思議がっていたんだよ。

 だから、どうか、取り上げないでくれ! OÜ mon dieu!

 ―― 興梠さああああん…… ……

 掻き消えるように遠ざかる声。階段を駆け下りてホテルの前、深夜待機のタクシーに転げ込んだ。
「早く! 4区、ノワイユ邸まで!」
「えっと…」
 仮眠していたらしい運転手、瞼を擦って、
「ノ……ノア……? arche de Noé?」
「旧ロザンタール邸だよっ!」


「ああ、かしこまりました!」



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