Xmasはパリで!〈16〉

文字数 5,669文字

「父が破産したのは事実です。これには貴方のお国も関係する真珠大恐慌(パール・クラッシュ)も多大に影響したのよ」
 
 パール・クラッシュは1930年代に起こった養殖真珠普及による天然真珠の値崩れを云う。フランスの全銀行がある日一斉に天然真珠ディーラーに信用給与を与えず手形の割引もしないと宣言した。これにより欧米の天然真珠市場は壊滅、世界の真珠市場におけるフランスの独占にも終止符が打たれた。列車での初対面のおりロザンタール嬢は、父親が神戸の北野町に事務所を持っていたと話していたので、ジョルジュ・ロザンタール氏はその方面の事業を展開していたのかもしれない。この時代、神戸は真珠の集散拠点として名を馳せていた。パールシティと呼ばれた所以である。
「それはさておき――心労から病に倒れた父は息を引き取る前に私たち家族に欧州にある全てを処分してできるだけ早く新大陸(アメリカ)へ移住するよう命じました。幸い嫡男の弟は中学校から向こうに遊学しています。実はこれも父の計画の一つで、アメリカへの移住は早い段階で父が決めていたことだったのです。
 でも、経済的な災厄と父の急逝が私たちの移住計画に拍車をかけました。
 まず一番にすべきは邸の売却です。
 そうすることで得られる資金ももちろん重要ですが、何より父の収集した美術品、芸術作品を厳選して、できるだけ多く持ち出したかった。それには、即金で邸を丸ごと買い取ってくれる人を探す必要があったのです。売買契約を早急に成立させハイエナのような鑑定士や画商の介入を極力避けなくてはならない。この際、家具や調度品はどうでもいい。私と母は父の収集した美術品だけは何としても死守するつもりでした」
 そこでロザンタール家が白羽の矢を立てたのは新興財閥ティメオ・ノワイユだった。
 だが、仮契約までは上手く行ったものの、流石に一代で財を成したノワイユはしたたかだった。足元を見て破格の――この場合は信じられないほど安い金額――を提示してきたのだ。
「もうこうなったら狐と狸の化かし合いよ。向こうが泥棒貴族ならこちらも本家本元、歴史を生き抜いた古狐一族ですからね。狡猾さでは負けないわ」
「それで古文書の捏造を思いたった?」
 吃驚仰天の少年助手に優雅に微笑んで(うなず)くクロエ・ロザンタール嬢。
「代々伝わった古文書はあるんです。ただ、それは謎でもなんでもなく、いわば財産目録みたいなものです」
「じゃ、あの〈アオイ紅〉の文言は?」
「あれは、日本人の友人に書いてもらいました。演劇を研究しに留学された方で――私はソルボンヌでシェイクスピアについて学んでいた縁で知り合ったの。阿部正雄(あべまさお)さんて言うのだけど、最近推理小説を発表されているわ。ご存知ですか?」
「いえ、不勉強で申し訳ない」
「その方には、今回は日本語だけでなくいろいろアイディアも出していただいたのよ。ムシュウ・アベはきっと素晴らしい推理作家になられるでしょう」
「なるほどな……」
 新人作家・阿部某は知らないがクロエの言葉を聞きながら興梠(こおろぎ)は先日のサン・ミシェル坂のレストランでの光景を思い出した。芸術の都パリには画家だけでなくたくさんの留学生がやって来る。その中には日本人も多い。日本語を教えることができるのは何も〝遣欧使節団の少年たち〟だけではなかったのだ……!
「私、教わった日本語を手本にして古い羊皮紙に筆写して……ノワイユが読みやすいようにラテン語だけでなくフランス語版も作りました」
「じゃあ、あの謎のくだり……問答文っぽい謎かけはその安倍さんの協力のもと姉さん(・・・)が考えたの?」
 令嬢は頬を染めて東洋から来た探偵を見つめた。
「あの? どうでした? 探偵さん? 私の謎と暗号……それらしくできていたかしら?」
「いや、もう! 翻弄されっぱなしでしたよ」
 正直、鎧に残されていたカードを見た刹那、ロザンタール嬢が関わっていることを悟った興梠だったが――
「ギルガメッシュの引用部分が怪しいかな、とは思いました。だが、まさか、天正遣欧少年使節とメディチ家の接触説も虚構だったとは!」
 心底残念そうに唇を噛む探偵だった。
「あの部分の推理は自分でも自信があったのにな! 史学上の記録とも突き合わせて、これぞ、歴史的な発見だと有頂天になったんですよ」
「ごめんなさい」
「そういゃあ、姉さん、僕同様ホームズ愛好家(マニア)だったものな!」
 思い出したようにメロン、否、アンリ・ジョルジュ・ロザンタールが呟く。続いて志儀(しぎ)がパチンと手を打って、
「あ! 君が言ってた幼い頃一緒に夢中になって読んだ〝きょうだい〟ってクロエさんのことだったのか! こりゃあ、《マグレーヴ家の儀式》や《青い紅玉》を彷彿とさせるはずだ!」
「本当にお見事です」
 改めて興梠は頭を下げた。
「古文書が偽物だったとはいえ、僕は貴女のヒント無しには今回の謎を解くことはできなかった。貴女との謎解きでは完敗を認めます」
「ヒント? ああ、フェルメールの本が閲覧室で興梠さんの隣の席に放置されてたことだね?」
「もっとある。君の枕の下にあったメッセージさ。クリスマスの妖精の贈り物……」
「え? あのカード?」
 志儀にとってこれは衝撃だった。



      "Fille de turban bleu" est l'imitation

      《青いターバンの娘》はイミテーション



「でも、あれは夢遊病のメロン、アンリ君が書いたんだろ?」 
 ロザンタール嬢は申し訳なさそうに長い睫毛に縁取られた瞳を伏せた。
「弟の夢遊病は事実です。今回は私がそれを利用しました」
「ええええ……!」
「弟が皆さんと一緒に謎解きをする意外な展開になって、私、最初は興味深く成り行きを見守ることにしたんです。でも、そうは言っても、期限がある。母は既にアメリカへ送り出しました。私も今月末には向こうへ渡る予定す。それで、皆さん、謎解きが膠着状態のご様子だったので助け船を……」
 クロエは前日のカフェで酔った弟のポケットに封書を滑り込ませた。
「あのキャスケットの少年!? あれも貴女だったのか!」
「ええ、そうなの」
 可愛らしい舌を出すクロエ・ロザンタール。
「その夜、電話をかけて――私、弟が寝ぼけることを知ってて暗示をかけました。『探偵の部屋へ行って手紙を置いて来い』 案の定、上手く行きました」
「やられた! ってか、(ひど)いよ、姉さん、 僕をそんな風に扱うなんて!」
「そう? 昔散々、悪戯されたお返しよ」
「そういえば――メロン君が僕らの部屋へやって来る前に微かに〝鈴〟の音を聞いた気がした。あれは、メロン君のところにかかった電話の音だったのか!」
 スイートルームには各寝室にそれぞれ電話が備え付けられている――
「あ~あ、『自分の字にしては奇麗すぎる』って君が言った時、その言葉を信じてあげれば良かったな!」
 大いに納得してから志儀が訊いた。
「ところで、君はなんでノワイユ氏の前へ現れたのさ? しかも、絵画発掘人だなんて偽って」
 少年は少々恨みがましく抗議した。
「僕、ちょっとガッカリだよ。その絵画発掘人って仕事、凄く魅力的で本気で信じてたから」
「君を騙したのは謝るよ、シギ。でも、〈絵画発掘人〉はいるよ。僕は絵を父に売りに来たその人をそっくり真似たんだ」
「なるほど! だから、君のセリフには真実味があったんだね」
「姉さんも、驚かせてゴメン。でも僕には僕なりの理由があった。僕はあの絵、《青いターバンの娘》または《真珠の耳飾りの娘》を取り戻しに来たんだ」
 アンリ・ジョルジョ・ロザンタールはクロエ・ロザンタールを真正面から見据えた。
「姉さんから送られてきた絵画……父様の収集品の中に、あの絵はなかった! 僕は居ても立ってもいられなくて、自分で取り戻そうと決心したのさ」
 真剣な顔つきで弟は姉を問い質す。
「何故、あの絵を放っておいたんだ? 何故、売却した屋敷に残したんだよ!」
「それは――あれは贋作(がんさく)だって知ってたから。言ったでしょう? とにかく時間がなかったから、今回持ち出したのは真作だけよ」
「それこそ間違いだ! 最新の情報では、あれは真作の可能性が高いんだよ!」
 ロザンタールの嫡男は高々と声を張り上げた。
「アメリカのメトロポリタン美術館にね、最近、あの絵と瓜二つの作品が持ち込まれたんだよ。それを見て僕は気づいた。フェルメールの《青いターバンの娘》はたくさん存在する(・・・・・・・・)。つまり、どれがホンモノかニセモノか、まだ今の段階ではわからないんだ!」
「でも、あの絵の真作はベルギーのマウリッツハイス美術館が所蔵しているのよ。ねえ、探偵さんも、国立図書館の美術書で確認なさったでしょう? そこにもちゃんとそう書いてあったわ」
「ええ。でも、弟さんの言うことには一理ある」
 探偵は腕を組んだ。神妙な面持ちで意見を述べる。
「フェルメールの真贋認定は現状ではなかなか難しいそうです。むしろ、美術館に展示されているのはニセモノで自分が所有するものこそ本物だとこっそり笑っている所有者も多いのではないかな」
 美術界では珍しくない話なのだ。逆に言えばフェルメールに限らず世に出ていない名作が山ほど存在するということ。※1
「そもそも、ハーグの美術館にある真作と言われる絵も買い取られた際、酷く汚れていたと、これも貴女が僕に放置してくれた美術書に書かれていました。何の絵かわからないほどだったそうです」
 繰り返すが、《青いターバンの娘》=《真珠の耳飾りの娘》は1882年のオークションでわずか2.5ギルダー(1ポンド以下)で売却された。当初はその程度の扱いだったのだ。そして、このフェルメール作品の真贋に関しては、戦後、世界を震撼させる〈天才贋作画家メーヘレン事件〉が起きるのである。だが、戦前の現在、それは探偵たちには知る術がない、別の物語である―― ※2
「そういう理由(わけ)で、僕は断然、我が家のこれこそ(・・・・)、真作だと思ってる!」
「そうなの?」
 戸惑う姉に胸を張って弟は言い切った。
「そうさ! 僕に《天文学者》を貸してくれたロートシルト氏もそう言ってるよ」
「待て、メロン、ロザンタール君、じゃ、やはり《天文学者》はホンモノなんだね? それを〝貸して〟くれたって?」
「うん。ロートシルトさんは僕の学友の父親なんだけど、頼んだら快く貸してくれたよ。ホンモノを取り戻すための〈餌〉にはホンモノが必要だろ? 当然の論理じゃないか」 ケロッ。
 恐ろしい。これだから欧米の上流階級の発想にはついていけない――
 驚愕に身を震わせる興梠響(こおろぎひびき)だった。
「それはともかく――では、やはり僕はフェルメールの真作、《天文学者》と《青いターバンの娘》を二つ同時に並べて眺める幸運に浴したのか! 素晴らしすぎる! 日本人として初めてではないだろうか!」
「コホン、もちろん、僕も一緒だよ? だから、〝初めての二人の日本人〟と言ってよね、興梠さん」
 そこまで言って、ふいに悲しい声音になる少年助手。
「でも、残念だったね、メロン君。あっちは持ち出せなかったもの」
「そう思うかい、シギ? ん~……でも、そうじぁないんだなあ!」
 ペロリと舌を出した。
「姉さんの次は僕の番だ。では! 僕のクリスマス劇を披露しましょう……」
 立ち上がり、道化のごとき礼をするとロザンタール家の嫡男は話し始めた。
「昨夜、僕が旧我が家、現ノワイユ邸へ忍び込んだ本当の目的は、大好きだった《青いターバンの娘》を取り戻すためさ。預けてあった天文学者を引き取るってのは口実で、一緒に持ち出すつもりだったんだ」
 持ち出したのがわからないよう、(あらかじ)め用意していた複製画を携えてメロン=アンリ・ジョルジュ・ロザンタールは邸に侵入した。だが――
「すんでのところで、ノワイユに見つかった! その夜は不在だと聞いていたからこれには焦ったよ。しかも、銃を突き付けられた。僕はと言えば取り戻したホンモノの絵を抱えている。ここで見つかったら万事休す! 言い逃れなんてできない! 全ての計画が水の泡だ! だから、撃たれたもののなんとかその場を逃れて――リネン室へ逃げ込んだのさ。そこに絵をひとまず隠して、目を逸らせるためにシーツにぐるぐる巻きになって再び飛び出す。廊下で派手に昏倒する――」
 予想通り作戦は成功した。
「帰り際、僕はリネン室に隠したホンモノの僕の恋人を無事奪還し、《天文学者》に重ねて、ともに凱旋帰還と相成ったというわけさ!」
「え? てことは? つまり?」
「2作はここにある。もう一度、ご覧になりますか、ムシュウ・コオロギ?」
 自分のベッドルームへ戻ると青年は絵画(それ)を抱えて戻って来た。欧州広しと言えど、そして美術館は千の数を誇れど、今宵、眼前に掲げられた名画2点。
 ヨハネス・フェルメール描く《天文学者》と《青いターバンの娘》……!
「BRAVO! 今度は僕から君へこの賛辞を! BRAVO!」
「どうも!」
 青年は探偵から助手へ向き直った。
「シギ。僕が赤毛に染めたのは、万が一絵画盗難がばれて手配されることになった場合に備えて……逃走中に少しでも足がつかないようにって意味もあったのさ。もちろん、君の赤毛は素敵だから迷わずこの色にしたよ。その点に嘘はない」
「Merci monsieur!」
 探偵の万感の拍手喝采が止んだ時、再びロザンタールの令嬢が口を開いた。

「これから、最も大切なことをお話します。
 私は探偵さんと助手さんに謝らなければなりません」


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