Xmasはパリで!〈17〉
文字数 4,650文字
「本当に申し訳ありませんでした」
クロエ・ロザンタールは深々と頭を下げた。
戸惑って志儀 が手を振る。
「え?え? やだな全然かまわないよ。たかが興梠 さんをつけ回したことくらい。むしろ、女の人に追いかけられるなんて一生に一度の幸運かも。良かったね、興梠さん!」
「フシギ君、君は、黙っていたまえ」
弟のアンリ・ロザンタールはニヤリとして割って入った。
「それにさ、姉さんが僕らを見張っていたのは、僕のことも含めて、心配だったせいだろ? 謎が解けるかどうか? それから、古文書が偽物だと発覚しないか?」
「それもあったわ、アンリ」
静かに頷くと改めてクロエは一同を見渡した。
「私は、この同じホテルに投宿して様子を探っていました。今日、全てを察した探偵さんがフロントに託した私宛ての伝言をもらって――こうしてパーティに参加したのですが、いずれにせよ」
「――貴女は僕を訪ねてくるつもりだった」
「ええ」
「大切なものを引き取るために。やはり近くにいないと心配だったでしょう? お察ししますよ」
探偵と令嬢の意味深なやりとりに助手と弟は首を傾げた。
「何、何?」
「秘密の会話はやめろよ!」
二人声を合わせて、
「僕たちにわかるように説明して!」
クロエはほっそりした両の手を胸の前で組み合わせる。
「……古文書の原文が財産目録に過ぎないということは言ったわよね? 我がロザンタール家の特別な宝物の保管場所は代々の当主はちゃんと知っていました。今回、欧州を離れる最後の仕事として、私は、父が息を引き取る前に教えてくれたそれを回収して来たの」
「え? そうなの? それは何処?」
「イタリアのとある場所。面白いのよ。その村の教会――ではなく、同様に古い、中世に建てられた家畜舎 なの。すごく頑丈な石造りで、その石壁に刳り抜かれた巖洞があって……古文書どうり保管されていたわ」
クロエは小さく息を吐いた。
「でも、ノワイユはあれでなかなかしぶとい男なの。古文書の解読に熱を上げる一方で私のことを私立探偵を雇って始終見張らせていた。今回も旅の間中、ずっと尾行されてたわ」
憤る少年助手。
「何て奴だ! ロザンタール家に関しては、自分はもう一切興味がないって言ってたのに?」
アンリも付け足した。
「あいつ、ロザンタールの遺族が今現在、何処にいるか、新しい住所さえ全く知らないって言ってたぞ」
「そう? いかにもノワイユが言いそうなことね」
そんなわけだから、とクロエは続ける。
「私を付け回す私立探偵からの報告を受けたノワイユが、絶対、パリの北駅で私を待っているとわかってたわ。私を捕まえて何処で何をしていたか執拗に問い質すはず。荷物を検められるかもしれない。それで、私、偶然間違えて飛び込んだ車室で……宝石を預けることにしたの」
一気に言い切った。
「もちろん、ノワイユをやり過ごしたら、すぐに引き取るつもりだった。でも――」
「何という因縁!」
令嬢に代わって興梠が話しを継いだ。
「駅で貴女を待っていたノワイユは、あろうことか、貴女が宝石を預けた東洋人に接近してしまった……」
「ああ、だから? あの時の挨拶は既に〈暗号〉だったんだね?」
思い出して志儀が言う。
「Adieu (さようなら) ではなく au revoir (またお会いしましょう)!」
ここで言葉が宙に浮いた。
「って、ちょっと待って、汽車で会ったのは僕たちだってのはわかった。でも、財宝なんて預かってな…い」
目を瞬く。
「あ! あれ? 忘れてった紙袋!?」
「では、最後の謎解きを! ロザンタール家の財宝をお返しいたします」
そう言うと興梠は自室から、あの日以来預かりっぱなしになっていた可愛らしい紙袋を持って来た。
「ありがとうございます。預かっていただいたお礼に、お見せしますわ。私たちの宝を」
「ひええ! 僕も見るの初めてだ!」
アンリ・ジョルジュ・ロザンタールの声が興奮で裏返る。
「いいな! モミの木の下のクリスマスの贈り物を開けた日の興奮と喜びが蘇る。そして――これもいかにも姉さんらしいや! なるほどな! チョコレートの箱? こんなところに真珠を隠すなんて」
「あら、そっちじゃなくってよ」
姉は弟を窘 めた。
「え? チョコレートの箱に詰めてあるんじゃないの?」
「いいえ、こっち」
なんと、アドベントカレンダーの方。
チョコレートの箱よりも薄いその四角い箱にはクリスマスまでの暦が記されている。子供たちが毎朝ドキドキしながら日付の窓を開けると中から小さな玩具やお菓子が出てくる仕掛けだ。
「どうぞ、探偵さん、まず、貴方が開けてみて! クリスマスの小窓を」
「身に余る光栄です。では」
興梠は真正直に今日、〈24日〉の窓を開いた。そこには……
「わあ!」
志儀とアンリが同時に声を上げる。
「僕、真珠っていうから真っ白い、アレかと思ってた!」
「僕もだよ!」
小窓の中に入っていたのは色鮮やかな凝結。優雅な造形。
「ロザンタールの真珠は、皆、baroque です。その上、天然のゆがんだ形を利用して精緻に細工が施されているの。これは……蜻蛉 ね」
※バロック真珠=いびつな真珠の意
「昆虫 繋がりだ! 上手く引き当てたね、コオロギさんっ」
「僕にも開けさせて!」
「いいわよ、アンリ。さあ、助手さんも、どうぞ」
次々に開けられる窓、窓、窓……
全部の日にちに宝は入っていた。
馬、鯰、花、狐、猫、塔、蝶、白鳥、長靴、人魚、ドラゴン 雄羊……
アコヤ真珠は言うまでもなく、アワビガイ、クロチョウガイ……いずれも神秘の色と光を宿している……
「うふふ……数えたらちょうど24個あったので、思いついたの」
悪戯っぽく笑う令嬢だった。
「きれいだなあ!」
「このバロックの大きさといい、形といい、今ではちょっと値の付けようもないそうよ。勿論、未来永劫、売り払ったりはしません。大切に子孫に伝えるわ。古文書と一緒にね」
「では、乾杯!」
今宵の晩餐会の主催者・興梠がシャンパーニュのグラスを掲げた。一同、声を揃えて、
「今回の財宝を巡る不思議な冒険と――」
「巡り合った仲間に――」
翌、25日、Noel の日、パリは雪だった。
天からの手紙のように止む間もない純白の欠片が舞う中、パリ・リヨン駅発の列車でマルセイユまで。
その古い港町の岸壁に4人の若者の姿があった。
この日、米国へ出帆するロザンタール姉弟とそれを見送りに来た探偵と助手である。
「本当に、お世話になりました」
クロエの言葉に微笑んで首を振る探偵。
「こちらこそ、良い体験をさせてもらいました」
すかさず助手、赤毛を揺らして、
「本当なら一生見ることができない名画も見ることができたしね、ねえ、興梠さん!」
元ルカ・メロン、今は晴れてアンリ・ジョルジュ・ロザンタールがウィンクする。
「いやあ! ほんとに楽しかった! 手紙、書くよ、シギ! 赤毛の先輩助手くん!」
「僕も書くよ! 姪の七海 と一緒に写した写真も同封するからね! でも、惚れちゃ駄目だぜ」
「どうかな? 七海チャンが赤毛だったら……花嫁候補にするぞ!」
「ググ」
黒猫のように喉を詰まらせる志儀だった。
「では、お気をつけて!」
探偵が差し出した手をロザンタール嬢は強く握り返した。
「興梠さん、私たち、また再びお会いできるかしら? できますよね?」
「!」
刹那、凍る言葉。白い息だけが空へ昇って行く。
だが、口を開いた時、男の声は明朗で力強かった。
「ええ、もちろんですとも!」
興梠響 の脳裏にベルリンの街が蘇った。繁栄し伝統ある帝都。美しい堂々たる欧州1の大都市。その街路という街路、林立する黄色い広告塔にはハーケンクロイツの旗が靡いていた――
由緒あるロザンタール家の前当主・姉弟の急逝した父が移住を急いだ理由はまさにそこにある。
―― 美しい名前ほど高い金で買い取ったのさ!
ロザンタールはユダヤ系なのだった。
この先、欧州が自分たちにとって住み難くなることを鋭敏に察知したジョルジュ・ロザンタールの英断。
『血統を維持し続けるということは平穏で退屈な旅にあらず。常に猛スピードで走る馬車の手綱を操るに等しい、激動の道だ』と綴ったのは何という文豪だったろう?
「お父上の決断は正しかったと思います」
「ええ、私もそう思います。これを――」
令嬢は探偵の外套のポケットに小さな包みを滑り込ませた。
「いえ、御礼など」
「馬鹿ね、探偵さん。クリスマスのプレゼントよ。それから」
Mademoiselleは爪先を立てて頬に口づけをした。
「!」
「au revoir! また必ず、いつの日か!」
「ええ! au revoir! お元気で!」
汽笛を響かせて出港する船。
やがて、雪の一片 と同じ大きさになり、水平線の彼方へ滲んで消えて行くまで、探偵と助手は岸壁に佇んで見送った。数日後はまた自分たちも船上のひととなる。
やがて、踵を返した志儀がふいに声を上げた。
「あ、なんだったの? Mademoiselleの贈り物!」
包みから出てきたのは小さな額に入ったクロエ・ロザンタール嬢のポートレートと……
「嘘だろ! これ、昨日見たロザンタール家の財宝のひとつ!?」
そう。探偵が引き当てたあのバロックの蜻蛉だ。
志儀は目を白黒させた。
「現在では値段が付けられないって言ってたじゃないか! よくも、まあ!」
「本当に困った自由闊達なお嬢さん だ!」
またしても―― 軽々しく、財宝を見も知らぬ東洋人に託すとは!
「どうする? 興梠さん?」
「うん、いつか、お返しするさ。再会するその日まで、また 預かっておくとするか」
とはいえ、帝大で美学を修めた、芸術をこよなく愛する探偵の目はむしろ、もう一つの贈り物に釘付けになっていた。《永遠の友情を記念して》と記された小さな写真。
「……やはり似ているな! 血は争えない!」
熱っぽく語りだす。
「ああ! こうして見ると……フシギ君、あの人はマリア・ディ・コジモ1世・デ・メディチの肖像画にそっくりだよ! その絵はフィレンツェのウフィツィ美術館にあるんだが……」
「僕、そんなの知らないよ。それより――早く日本へ帰りたくなった!あいつ のヒゲを引っ張りたくなったよ!」
探偵事務所のステンドグラスから零れる光の中で。
ニャーーオ……
数日後、探偵と助手も帰路についた。
この後、欧州戦争が始まる1939年9月1日を持って日本は全欧州航路を廃止。
二人が往路に乗船した豪華客船〈靖国丸〉は1940年6月に南米西岸線に配船されたのが最後の商業航海となった。
1944年1月24日、米国の魚雷攻撃で沈没。海の藻屑となる――
歴史の残酷な歯車は確実に世界大戦へと時を刻んでいた。
だが、今は。
白波を切って、目指せ、母国へ! パールシティと呼ばれた美しいK市まで……!
クロエ・ロザンタールは深々と頭を下げた。
戸惑って
「え?え? やだな全然かまわないよ。たかが
「フシギ君、君は、黙っていたまえ」
弟のアンリ・ロザンタールはニヤリとして割って入った。
「それにさ、姉さんが僕らを見張っていたのは、僕のことも含めて、心配だったせいだろ? 謎が解けるかどうか? それから、古文書が偽物だと発覚しないか?」
「それもあったわ、アンリ」
静かに頷くと改めてクロエは一同を見渡した。
「私は、この同じホテルに投宿して様子を探っていました。今日、全てを察した探偵さんがフロントに託した私宛ての伝言をもらって――こうしてパーティに参加したのですが、いずれにせよ」
「――貴女は僕を訪ねてくるつもりだった」
「ええ」
「大切なものを引き取るために。やはり近くにいないと心配だったでしょう? お察ししますよ」
探偵と令嬢の意味深なやりとりに助手と弟は首を傾げた。
「何、何?」
「秘密の会話はやめろよ!」
二人声を合わせて、
「僕たちにわかるように説明して!」
クロエはほっそりした両の手を胸の前で組み合わせる。
「……古文書の原文が財産目録に過ぎないということは言ったわよね? 我がロザンタール家の特別な宝物の保管場所は代々の当主はちゃんと知っていました。今回、欧州を離れる最後の仕事として、私は、父が息を引き取る前に教えてくれたそれを回収して来たの」
「え? そうなの? それは何処?」
「イタリアのとある場所。面白いのよ。その村の教会――ではなく、同様に古い、中世に建てられた
クロエは小さく息を吐いた。
「でも、ノワイユはあれでなかなかしぶとい男なの。古文書の解読に熱を上げる一方で私のことを私立探偵を雇って始終見張らせていた。今回も旅の間中、ずっと尾行されてたわ」
憤る少年助手。
「何て奴だ! ロザンタール家に関しては、自分はもう一切興味がないって言ってたのに?」
アンリも付け足した。
「あいつ、ロザンタールの遺族が今現在、何処にいるか、新しい住所さえ全く知らないって言ってたぞ」
「そう? いかにもノワイユが言いそうなことね」
そんなわけだから、とクロエは続ける。
「私を付け回す私立探偵からの報告を受けたノワイユが、絶対、パリの北駅で私を待っているとわかってたわ。私を捕まえて何処で何をしていたか執拗に問い質すはず。荷物を検められるかもしれない。それで、私、偶然間違えて飛び込んだ車室で……宝石を預けることにしたの」
一気に言い切った。
「もちろん、ノワイユをやり過ごしたら、すぐに引き取るつもりだった。でも――」
「何という因縁!」
令嬢に代わって興梠が話しを継いだ。
「駅で貴女を待っていたノワイユは、あろうことか、貴女が宝石を預けた東洋人に接近してしまった……」
「ああ、だから? あの時の挨拶は既に〈暗号〉だったんだね?」
思い出して志儀が言う。
「Adieu (さようなら) ではなく au revoir (またお会いしましょう)!」
ここで言葉が宙に浮いた。
「って、ちょっと待って、汽車で会ったのは僕たちだってのはわかった。でも、財宝なんて預かってな…い」
目を瞬く。
「あ! あれ? 忘れてった紙袋!?」
「では、最後の謎解きを! ロザンタール家の財宝をお返しいたします」
そう言うと興梠は自室から、あの日以来預かりっぱなしになっていた可愛らしい紙袋を持って来た。
「ありがとうございます。預かっていただいたお礼に、お見せしますわ。私たちの宝を」
「ひええ! 僕も見るの初めてだ!」
アンリ・ジョルジュ・ロザンタールの声が興奮で裏返る。
「いいな! モミの木の下のクリスマスの贈り物を開けた日の興奮と喜びが蘇る。そして――これもいかにも姉さんらしいや! なるほどな! チョコレートの箱? こんなところに真珠を隠すなんて」
「あら、そっちじゃなくってよ」
姉は弟を
「え? チョコレートの箱に詰めてあるんじゃないの?」
「いいえ、こっち」
なんと、アドベントカレンダーの方。
チョコレートの箱よりも薄いその四角い箱にはクリスマスまでの暦が記されている。子供たちが毎朝ドキドキしながら日付の窓を開けると中から小さな玩具やお菓子が出てくる仕掛けだ。
「どうぞ、探偵さん、まず、貴方が開けてみて! クリスマスの小窓を」
「身に余る光栄です。では」
興梠は真正直に今日、〈24日〉の窓を開いた。そこには……
「わあ!」
志儀とアンリが同時に声を上げる。
「僕、真珠っていうから真っ白い、アレかと思ってた!」
「僕もだよ!」
小窓の中に入っていたのは色鮮やかな凝結。優雅な造形。
「ロザンタールの真珠は、皆、
※バロック真珠=いびつな真珠の意
「
「僕にも開けさせて!」
「いいわよ、アンリ。さあ、助手さんも、どうぞ」
次々に開けられる窓、窓、窓……
全部の日にちに宝は入っていた。
馬、鯰、花、狐、猫、塔、蝶、白鳥、長靴、人魚、ドラゴン 雄羊……
アコヤ真珠は言うまでもなく、アワビガイ、クロチョウガイ……いずれも神秘の色と光を宿している……
「うふふ……数えたらちょうど24個あったので、思いついたの」
悪戯っぽく笑う令嬢だった。
「きれいだなあ!」
「このバロックの大きさといい、形といい、今ではちょっと値の付けようもないそうよ。勿論、未来永劫、売り払ったりはしません。大切に子孫に伝えるわ。古文書と一緒にね」
「では、乾杯!」
今宵の晩餐会の主催者・興梠がシャンパーニュのグラスを掲げた。一同、声を揃えて、
「今回の財宝を巡る不思議な冒険と――」
「巡り合った仲間に――」
翌、25日、
天からの手紙のように止む間もない純白の欠片が舞う中、パリ・リヨン駅発の列車でマルセイユまで。
その古い港町の岸壁に4人の若者の姿があった。
この日、米国へ出帆するロザンタール姉弟とそれを見送りに来た探偵と助手である。
「本当に、お世話になりました」
クロエの言葉に微笑んで首を振る探偵。
「こちらこそ、良い体験をさせてもらいました」
すかさず助手、赤毛を揺らして、
「本当なら一生見ることができない名画も見ることができたしね、ねえ、興梠さん!」
元ルカ・メロン、今は晴れてアンリ・ジョルジュ・ロザンタールがウィンクする。
「いやあ! ほんとに楽しかった! 手紙、書くよ、シギ! 赤毛の先輩助手くん!」
「僕も書くよ! 姪の
「どうかな? 七海チャンが赤毛だったら……花嫁候補にするぞ!」
「ググ」
黒猫のように喉を詰まらせる志儀だった。
「では、お気をつけて!」
探偵が差し出した手をロザンタール嬢は強く握り返した。
「興梠さん、私たち、また再びお会いできるかしら? できますよね?」
「!」
刹那、凍る言葉。白い息だけが空へ昇って行く。
だが、口を開いた時、男の声は明朗で力強かった。
「ええ、もちろんですとも!」
由緒あるロザンタール家の前当主・姉弟の急逝した父が移住を急いだ理由はまさにそこにある。
―― 美しい名前ほど高い金で買い取ったのさ!
ロザンタールはユダヤ系なのだった。
この先、欧州が自分たちにとって住み難くなることを鋭敏に察知したジョルジュ・ロザンタールの英断。
『血統を維持し続けるということは平穏で退屈な旅にあらず。常に猛スピードで走る馬車の手綱を操るに等しい、激動の道だ』と綴ったのは何という文豪だったろう?
「お父上の決断は正しかったと思います」
「ええ、私もそう思います。これを――」
令嬢は探偵の外套のポケットに小さな包みを滑り込ませた。
「いえ、御礼など」
「馬鹿ね、探偵さん。クリスマスのプレゼントよ。それから」
Mademoiselleは爪先を立てて頬に口づけをした。
「!」
「au revoir! また必ず、いつの日か!」
「ええ! au revoir! お元気で!」
汽笛を響かせて出港する船。
やがて、雪の
やがて、踵を返した志儀がふいに声を上げた。
「あ、なんだったの? Mademoiselleの贈り物!」
包みから出てきたのは小さな額に入ったクロエ・ロザンタール嬢のポートレートと……
「嘘だろ! これ、昨日見たロザンタール家の財宝のひとつ!?」
そう。探偵が引き当てたあのバロックの蜻蛉だ。
志儀は目を白黒させた。
「現在では値段が付けられないって言ってたじゃないか! よくも、まあ!」
「本当に困った自由闊達な
またしても―― 軽々しく、財宝を見も知らぬ東洋人に託すとは!
「どうする? 興梠さん?」
「うん、いつか、お返しするさ。再会するその日まで、
とはいえ、帝大で美学を修めた、芸術をこよなく愛する探偵の目はむしろ、もう一つの贈り物に釘付けになっていた。《永遠の友情を記念して》と記された小さな写真。
「……やはり似ているな! 血は争えない!」
熱っぽく語りだす。
「ああ! こうして見ると……フシギ君、あの人はマリア・ディ・コジモ1世・デ・メディチの肖像画にそっくりだよ! その絵はフィレンツェのウフィツィ美術館にあるんだが……」
「僕、そんなの知らないよ。それより――早く日本へ帰りたくなった!
探偵事務所のステンドグラスから零れる光の中で。
ニャーーオ……
数日後、探偵と助手も帰路についた。
この後、欧州戦争が始まる1939年9月1日を持って日本は全欧州航路を廃止。
二人が往路に乗船した豪華客船〈靖国丸〉は1940年6月に南米西岸線に配船されたのが最後の商業航海となった。
1944年1月24日、米国の魚雷攻撃で沈没。海の藻屑となる――
歴史の残酷な歯車は確実に世界大戦へと時を刻んでいた。
だが、今は。
白波を切って、目指せ、母国へ! パールシティと呼ばれた美しいK市まで……!