Xmasはパリで!〈6〉

文字数 3,297文字

「あ、そっちじゃない、こちらです」

 実際、〈第五談話室〉、〈小サロン〉、〈オルゴールの小部屋〉へ到着するまでノワイユは何度も道を間違えた。その都度、メロンが指摘して、最後はほとんど彼が導いた。
「仕方がないさ。私はこの古めかしくてやたらデカい館に引っ越してまで半月なのだ!」
 ボソボソ言い訳をするノワイユ。
「その上、私は忙しい身だからね。まだ落ち着いて邸の隅々まで見て歩く時間がない。最低限の生活空間、食堂、第一、二応接室、書斎、主寝室とまぁこのくらいしか使っていない――」
「こっちです。こう行ったほうが断然近道だ」
「むむ」
「わあ! ここ、外から見た塔の部分だよね? 中はこんななのか!」
 少年が感嘆の声を上げる。旧ロザンタール邸・現ノワイユ邸の、正面五本の天を指す塔はその中が螺旋階段になっていた。
 裳裾(もすそ)を引いたお姫様がこっそり付いてくる気がして志儀(しぎ)は幾度か後ろを振り返らずにはいられなかった。
 かくして至った談話室――


 そこは最上階の小部屋。
 小部屋と言っても十八畳くらいの縦長の部屋だ。天井には、外から見た時、陽に煌めいていた紋章付きの天窓が嵌め込まれている。三つのテーブル、カウチ、肘掛け椅子……そして、別称〈オルゴールの小部屋〉の由来通り片面の壁にずらっとオルゴールが並んでいた。
 ここで要注意。オルゴールと聞いて可愛らしい小箱を連想するのは現代人である。(もっと言えばその、宝石箱に小型化したオルゴールを埋め込んで売り出したのは戦後の日本人なのだが)
 オルゴールはエジソンが蓄音機を発明するまで、音楽を自由に聞くための装置だった。
 シリンダー型、ディスク型、二種類があったがどちらも高価で、所有できたのは主に王侯貴族だけ。だから、この部屋はロザンタール家のまさに富裕の歴史を物語っている。
「ほう! ドイツのポリフォン社製……フッフェルト社製もあるのか! こっちはディスク型のスイスのミラとステラだな? 凄いじゃないか……!」
 だが、オルゴールに目を奪われているのはノワイユだけだった。その片側の壁――
 天窓の下、欄干つきの高窓の手前に、その絵は彼らを待っていた。

「やあ、久しぶり……」

 絵画発掘人、ルカ・メロンはまっすぐにその絵の前へ歩み寄ると挨拶した。
「また会えて……よかったよ!」
 探偵の声はくぐもってかすれている。
「これは……《青いターバンの娘》……?」
「ご明察! 貴方、ほんとに絵画に詳しいんだな!」
 一方、新当主、漸くスイス製ステーション・オルゴールから身を起こすと、
「ふーん? まあ、こっちの絵のほうが幾分マシだな。描かれているのが若い娘だし、青い色味もあるし」
 慣れた手つきでメロンは抱えていた《天文学者》を壁の絵の隣りに飾った。
「どうです! こうしてフェルメールの二作品が並ぶと、圧巻ですね! どこの美術館にも負けない至福の光景だ。 さあ、存分にお味わいください!」
「――」

《青いターバンの娘》と《天文学者》。
 ともに50×45前後の小品。

「へえ? 同じくらいの大きさだね? それに――どちらにも署名がある。IVMee……」
「そう。これは珍しいことなんだよ。フェルメールの作品には署名がない物の方が多いから。そして、この《青いターバンの娘》もけっして安寧な境遇ではなかった。画家の死後、居場所を転々としたんだ。記録に残っている最後の競売が1881年のハーグのオークション。そこで他の絵とともにわずか2ギルダー30セントで落札されたってさ」
 (これは現在・平成の日本円で1万円に満たない。)
 絵を眺めながらルカ・メロンは感慨深げに息を吸い込んだ。
「それにしても――これを手に入れたジョルジョ・ロザンタール氏は慧眼だったな! この先、何年、いや何十年経とうと、フェルメールの〈真作〉なんてあと何作、出て来るかわからないからね」
 満面の笑顔を新当主に向ける。
「どうです? 商談成立? 僕も古文書解読の仲間に入れてください!」
「うーむ」
 未だノワイエは躊躇していた。
「目当ては何なのだ? 探偵なら守秘義務があるが、おまえは秘密を守れるのか? 私はこの件――ロザンタールの財宝に関する古文書のことは極力、内密にしたい。絶対世間に晒されたくないのだ。それに」
 泥棒貴族は言った。
「おまえを採用するとしても、探偵補佐という名目で、給金は日割り計算だぞ。ここにおられる探偵・ムシュウ・コオロギが欧州を出帆するまでに、晴れて、謎を解明しても」
ノワイユはより具体的に言い直した。
「財宝が見つかっても、その財宝は私だけのものだ。分けてやるつもりはないからな」
「いやだなあ! 貴方は僕を誤解している!」
 カラカラと声を上げて青年は笑った。
「いいですか? 僕がこの件に係りたいのは、あくまで、純粋に、古文書の謎解きに興味を持ったからです」
 抱きしめるように両腕を胸の前で交差させる。
「ああ、このワクワク感……高鳴る胸の鼓動……! 子供の頃、サンタを待ちつつ過ごしたNoel《クリスマス》が蘇ってくる! シビレルなぁ!」
 金の雲のように青年の髪が揺れた。
「僕も少年時代、例にもれず探偵小説の大ファンだったんです。きょうだいで取り合って読んだアルセーヌ・ルパンやシャーロック・ホームズ。貴方の古文書はあれに似てる――」
 ここで、こらえきれず志儀が叫んだ。
「《マスグレーヴ家の儀式》でしょ!」
「そう、それ! 君も気づいたかい?」
「もちろんだよ! 僕、そのことを指摘したくてウズウズしてたっ!」
「『それは誰のものか?』……」
「『去りし人の物なり』」
「『それは誰が持つべきか?』」
「『来たりし人が持つべき物なり』……!」
 すっかり意気投合した絵画発掘人と探偵助手。いったん床に目を落とし、再び顔を上げるとノワイユは言い渡した。
「いいだろう。ルカ・メロン。おまえを今回、探偵補佐として採用しよう」
「やった!」
「改めてよろしくね、メロンさん。僕は海府志儀(かいふしぎ)。探偵助手です」
「こちらこそ、よろしく、少年助手君。君のほうが先輩だから〝さん〟はいらないよ。探偵助手の心得、色々教えてくれよ」
 和気藹藹(わきあいあい)で盛り上がる古株探偵助手&新顔探偵補佐の喧噪の傍らで……
 肝心の探偵は何処にいる? 声が全く聞こえないが?
 探偵は――
 二枚の絵画の前にいた。声もなく佇立(ちょりつ)している。
 いや、探偵・興梠響(こおろぎひびき)がいたのは遥か17世紀のオランダ。ネーデルランドの都市デルフトだったかもしれない。
 今しも画家は少女の赤い唇の両脇に光の滴、白い2点を加えようとしている。刹那、少女の微笑みが生き生きと煌めき出した……!
「あ、まただ、自分の世界にドップリ漬かり切っちゃってる! この人、絵の前で、よくこうなるんだ。興梠(こおろぎ)さん! 興梠さんってば! おーい、戻ってこーい!」
 ままよ。暫し酔い痴れても、それは仕方がないではないか?
 ここはパリ……欧州……!
 中世からルネサンスを経て近代に至る偉大な芸術を生み、育んだ世界。数多の美しい都が何処までも陸続きで繋がっているのだ……!
 この小さな一室にいても、壁紙、床の絨毯、カーテン……陰り始めた冬日を投げ落とす天窓まで、全て憧れの欧州の香りに満ちていた。
 鳴り出したcarillon《カリオン》は幻聴なのか? それとも、本当に響き渡っている?
 Ding Dong Ding Dong……Ding Dong Ding Dong……

 鐘の中、ほら、また、天文学者が天球儀を廻し、少女は恥ずかしげに視線揺らした。




☆《マスグレーヴ家の儀式》コナン・ドイル著シャーロック・ホームズシリーズの56作中18番目の短編。「ストランド・マガジン」1893年5月号発表。同年発行の第2短編集「シャーロック・ホームズの思い出」収録。
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