聖月の依頼人(続き)

文字数 9,187文字

〈7〉

 翌日の12月25日。
 
 少年の言葉通り、海府邸で催されていたのは豪勢なXマスパーティだった。
 切り出されたモミの木。マントルピースの中で燃え盛る薪。窓ガラスに燦くオーナメント……
 とはいえ興梠響(こうろぎひびき)は驚かなかった。
 自分の家もこうだったから。
 7歳のXマスまでは。
 毎年、父・興梠覚(こうろぎさとる)が催したパーティ。
 看護師や医師仲間、そして、その家族。大勢の客で丘の上の洋館はごった返した。
 祖父も父も欧州で学んだからXマスパーティは本場仕込みの筋金入りだった。
 モミの木の下に積み上げられた色とりどりの贈り物の箱。
 天井に縦横無尽に吊るされたカードやリボン。燦くキャンドルにリース……
 近所の菓子屋やパン屋に特注したケーキ(ちなみに響少年の一番のお気に入りはブッシュ・ド・ノエルだった!)やビスキュイ、プディングにアイスクリーム……
 一瞬、時間が巻き戻ったかのような錯覚に囚われた。
 それで、しみじみ探偵は思った。
 いつから? 俺はXマスを一人で過ごすようになったんだろう? 
 やはり8歳の冬からか? 
 だが、まあ、いい。
 俺は生粋の日本人でクリスチャンではないんだから。Xマスパーティなんか必要ない。
 しかし、眼が憶えていた懐かしい光景は、孤独な探偵の強がりを粉砕して心の中央にじんわりと染み入った。宛ら、グリューヴァイン(ホットワイン)のように。

「ようこそ! 待ってたよ!」
 
 明るい声に我に返る。
「ヒュウウ! 相変わらず外さないなあ!」
 悪戯っぽく少年は片眼を瞑って、
「あなたがお洒落だってことは認めるよ! それ、ドーメル社の三揃えだろ? へえ! 無理なく着こなしてる人を日本人では初めて見た!」
 かく言う少年も、今日は制服ではなくタキシード姿だった。
 幼い頃から着慣れているようでこちらも違和感がない。
「靴は? やはり、ストレートチップか!」
 西洋人の客が多いことを考慮して、この日の海府邸の大広間は上履き仕様なのである。 
「これじゃ、パーティに加わっても誰も探偵だなんて気づかないだろうな! それこそ、欧州帰りの、新しい姉さまの崇拝者だと思われる! 唯一の欠点は……その無粋な荷物だな?」
 興梠は藤色の風呂敷包みを下げていた。
「それがなけりゃ百点満点を進呈したのに。残念だなあ!」
 十数えろ。この毒舌少年め。
 心の中で数を数える探偵の腕を遠慮なく志義(しぎ)は引っ張った。
「行こう、姉さまが待ってる!」



 一際(ひときわ)人だかりのしている窓辺の一角。
 据えられたグランドピアノに座っている乙女。
 ――意外にも和服姿だった。
 濃い紫の地に(ちりば)めた艶やかな雪輪文様の振袖。
 この季節、そして自身の名前に、ぴったりではないか……!
 半衿は黒地で鶴梅の手刺繍が施されている。正絹総絞りの帯揚げは鴇色。
 白い指が、鍵盤を、何処よりも早く目覚めた春の蝶々のようにヒラヒラ行き来している。

「いやあ! 素晴らしい!」
「ブラボー!」 
「いつ聴いても六花子(ゆきこ)さんの《乙女の祈り》は素晴らしい!」
「では、次は、僕にリクエストさせてください!」
「何言ってるんだ! 次はダンスですよ! 先刻僕が予約を――」
「失礼、道を開けて!」
 探偵の腕を掴んで強行突破を図る依頼人。
「どいてったら! ほら? 通してよ! ――姉さまぁ!」
 弟の声に姉は長い髪を揺らして――今日は女学生風の髪型なのだ――立ち上がった。
 胸高に結った金襴緞子の帯の辺り。易易と飛び込む弟に取り囲む青年たちの羨望の眼差しが集中する。
「まあ! 志義ちゃんったら、相変わらず元気いっぱいだこと ホホホ」
「姉さま! 例の人がお着きですよ!」
「では、こちらが?」
 令嬢は丁寧に頭を下げた。
「この度は色々とご面倒をおかけして申し訳ありませんでした」
「姉さま、まだ礼を言うには及ばないよ。この人、な―んにもしてないんだから」
「これ、志義ちゃん!」
 弟の肩にそっと手を添えると六花子は詫びた。
「生意気ですみません。さぞやご不快な思いをされたでしょう? 私がつい甘やかしてしまって……」
「いえ、ご心配なく。全然そんなことはありませんでした。礼儀正しい良い子です」
 探偵の返答に露骨に顔を顰める志義。
 無視して興梠は口早に言った。
「それより――お話したいことがあります。短い時間で済むと思いますが」
 これには少年が吃驚した。
短い時間(・・・・)って――お手上げだから下りるって報告じゃないだろうな? 許さないぞ、今更」
「これ、志義ちゃん」
 いきり立つ弟を制して姉は花のように微笑んだ。
「わかりました。では、場所を変えましょう。どうぞ、こちらへ」

 パーティ会場を出て行く三人をまたまた崇拝者たちの羨望の視線が追った。
「だれだ、あの男?」
「〝新たな崇拝者、現る!〟か?」
「中々強敵そうじゃないか!」
「いや、あれは志義君の新しい家庭教師と見た!」
「ああ? 小峰君がいなくなって、現在、家庭教師募集中だったものな?」
「僕もその意見に一票! あの男は、絶対、それだよ、家庭教師!」
「なるほど! あの風呂敷包みには参考書が入っているんだな?」
「ふう、安心した!」
「おい、諸君、希望的推測はよしたほうがいいぞ?」




 案内された別室。
 〝こじんまりした〟という表現は先刻のパーティ会場の大広間に比して、である。
 片側に作り付けの書棚。敷き詰められたキリム。
 猫脚のアンティークのテーブルにベンチウッドの椅子、小振りのソファ。
 食後などに葉巻や煙草を楽しむ喫煙室のごとき(おもむ)きである。
 なるほど、ここなら内輪の内緒話をするには打って付けだ。
 入るなり、単刀直入に興梠は告げた。
「絵の意味がわかりましたよ」
「何だって?」
 愕然とする志義。
 だが次に、もっと衝撃を与える言葉を探偵は放った。
「とはいえ、六花子さんはとっくにおわかりと思いますが?」
「え? え? え?」
 驚天動地とはこのこと。
 少年はこれ以上無理というくらいその可愛らしい瞳を瞠って身を(よじ)った。
 かたや姉――
 海府六花子は毅然と顎を上げ、探偵を見据えた。
「何故、そのこと、おわかりになりましたの?」
 ゆっくりと興梠は乙女の手を指差した。
「確信を得たのはつい今しがた。パーティ会場に入って、ピアノを演奏されているあなたの指に――それを見た時です」
 左手の薬指に光る指輪。
 小さな青い石。
「あ!」
 弟はこの瞬間、それに気づいたようだ。
「ど、どうしたのさ、それ? そんな貧相な指輪、姉さまは持ってなかったろう?」
 掠れた声で弟は食ってかかった。
「いつも父さまが姉さまに贈ったのはダイヤモンドやエメラルドやルビー……超一等の宝石ばかりだ! そ、そんな準宝石のチャチな石、姉さまには似合わないぜ?」
「〝探偵は矛盾した意見を口にすべきではない〟」
 凛とした声で興梠は少年を諌めた。
「え? 何それ? 何処からの引用? ホームズじゃないよね?」
「典拠は興梠響(ぼく)だ。それはともかく――」
 ピシリと探偵は言った。
「君は以前、言っていなかったかい? 『僕の姉さまは青が一番似合うんだ』と」
「うっ」
 少年は紅潮して唇を噛んだ。
「それに、その石――ラピスラズリは、聖月の誕生石。聖なる、高貴な石だよ」
「――」
「古くローマ時代では〈恋人の石〉とされている。愛する人との幸せを守ってくれる石だと」
「まあ! それは本当ですの、探偵さん?」
 六花子の頬がポッと赤らんだ。
「誕生石とは存じていましたが。この石にそんな意味があるとは知りませんでしたわ!」
「いい石を選ばれましたね? おまけにその石は、ただ目先の幸福を呼ぶのではなくて――」
 喋り過ぎたろうか? 一瞬、美学を修めた博識の探偵は躊躇した。
 いつもこれで失敗する。
 が、今回は違うようだ。令嬢は目を輝かせて身を乗り出した。
「どうぞ、最後までおっしゃって。(わたくし)、全てをお聞きしたいわ」
「――超えなくてはならない試練を気づかせ、それに立ち向かい、打ち勝つ力を与えてくれるとも言われています。本当の意味で己を磨いてくれる、良きパートナーとして身につけると良い石だそうです」
「いいかげんにしろよ!」
 苛立って声を荒らげる志義。
 我に返って肩を抱き寄せようとした姉の腕を弟は振り払った。
「主題から外れてる! 絵の謎解きはどうしたんだよ? 僕が依頼したのはそれだぞ!」
「志義ちゃん……」
「そうだった!」
 依頼主の視線を受け止めると、興梠響は頷いた。
「それでは、順を追ってお話しましょう。まず届けられた四枚の絵ですが――
 あれらは四枚とも(・・・・)たった一つのこと(・・・・・・・・)を告げています」

〈8〉

 とはいえ、最初の二枚がわかりやすい。と探偵は断言した。
 下げていた風呂敷を(ほど)いて興梠(こうろぎ)は四枚の絵をソファの上に並べて行く。
「なんだ、絵が入っていたのか、その包み?」
 がっかりした声を漏らす少年。多分に皮肉も混じっている。
「僕はてっきり、持参したXマスの贈り物かと思った……」
「それは――期待させて申し訳なかったな?」
 興梠は一枚目から順に説明し始めた。
 勿論向かって右からである。
 例によってパーカー万年筆で指し示しながら、
志義(しぎ)君、これは何に見える?」
 機嫌を損ねたままのブスッとした声で少年、
「西洋人と二本の木」
「西洋人を別の言い方で言うと?」
「……白人?」
「その通り。白人と木が二本だ。どうだ、ここまで言えば読めるだろう? そう! この絵は漢字を絵で表しているのだ」
「?」
 この当時――昭和初期――の慣例に従って右から左へ読む必要がある。

 白・人・木・木 は 人・白・ 木 木 

 =伯林

「同じように二枚目を読んでごらん。もう簡単だろう?」

 鈴(西洋の鈴)・鈴(日本の鈴)で (ベル)(りん)

 =ベルリン

「……伯林(ベルリン)!」

 少年は喘いだ。
「何、それ? 欧州――ドイツの地名じゃないか? だけど、それが一体――」
「さて、三枚目と四枚目の絵はちょっとパターンが違う。それの謎解きをする前に、先にこっちを説明しよう。包み紙に記された書き損じた宛名について」
 興梠は謎めいた微笑を切れ長の涼しい目元に煌めかせた。
「それを知ったほうがこれらの絵に秘められた〈謎〉の〈真の意味〉を理解しやすいからね」
 探偵は姉に了解を取った。
「よろしいでしょうか、六花子(ゆきこ)さん?」
「もちろんですわ」
「志義君。この絵はね、実は元々はお姉さんではなく君宛てだったんだよ」
「え?」
「だが、玄関先で最初にそれを見つけたお姉さんが名前の部分を書き改めた。あの塗り(つぶ)してある部分には君の名(・・・)が書かれていたんだ」
「で、でも、何故、そんなことを姉さまがするのさ?」
「不安になったから」
 探偵ではなく姉が答えた。
「あなたに、こういう形で知らせることを、私は一旦は承諾したんだけど、でも、いざとなると怖気づいてしまった。それに一体どんな風に記してあるのかも知りたくなったの。私宛にすれば、私も一緒に見ることができると思って、咄嗟にそうしたのよ」
「慌てたから平仮名でお書きになったんですね?」
「ええ。早朝、見つけるとすぐ玄関近くの父の書斎に絵を持って行って、父の筆で書き直したんですけど、凄く緊張して……とにかく早くしようと焦って〈ゆきこ〉と書きましたの。それから、大急ぎで元あった場所――玄関の前へ戻しました」
「?」
 全く意味が分からずポカンとしている志義に構わず、探偵は更に質した。
「二枚目の宛名でもそれを繰り返したのは、あなたが送り主とまだ連絡がつかなかったからですね?」
「その通りですわ。今、あの方、引越しの準備や残務処理でとてもお忙しくて……容易には会えませんの。昨夜の私の誕生祝いも深夜になってからいらっしゃった。今日だって、やって来るのは夜遅くなるそうですわ。私がこんなにお待ちしているのに」
 思わず本音を吐露して令嬢は頬を染めた。
 小さなため息を一つはいてから本題へ戻った。
「それで、二枚目が届いた朝、また私は包みに記された弟の名を私の名に書き変えました。平仮名にしたのは一枚目をそうしたからには統一する必要があると思って。それから、私自身はそのまま、その日催されるパーティに父とともに出席しましたの」
「そのパーティで送り主(・・・)と会って、計画の変更を告げた、というわけですね?」
「ええ、そう。なんてこと! 全てお見通しなのね、探偵さん?」
 悪戯っぽく目配せする乙女。
 あまねく若い娘たちは屈託のない可憐な微笑だけでなくこの種の小悪魔めいた表情を隠し持っている。
 こちらの顔もまた魅力的だった……!
「時期尚早だと訴える私の気弱な言葉をあの人は受け入れてくれました。でも、遅かれ早かれ知らせなければならないことではあるし、宛名は私にしたまま、私が上手く誘導して志義が気づくよう持って行くことにしようと計画を変更したんです、私たち」
「もうひとつだけ。包み紙に千代紙を使った理由(わけ)は?」
 乙女は小首を傾げた。
 またその可愛らしいこと! 人形のよう――
 おっと、これは探偵には禁句である。興梠響は人形が大嫌いだった。
「あら? そんなことに特別の意味はなくってよ、探偵さん。私が差し上げたんです。適当な紙がないとおっしゃるので。男の人ってああいう可愛らしいものお持ちじゃないのね?」
「全然意味がわからないよ!」
「いや、わかるさ!」
 現実に戻って、改めて探偵は三枚目と四枚目の絵を指差した。
「これは君のために描かれた絵なんだ! 君の趣味を充分(・・・・・・・)知っている人間(・・・・・・・)が、君に知らせたくて、君へのメッセージとして描いたのだから! どうしても言い出せないお姉さんの代わりに(・・・・・・・・・)ね」
 探偵は畳み掛けた。
「一枚目と二枚目はもう解いた。〈伯林(ベルリン)〉。ところで君の趣味は何だい? 探偵小説だったんじゃないのか?」
「あ!」

 三枚目。
 日本猫のキラキラ燦く〈緑色の眼〉。
 そして――
 四枚目! 
 二本の木と鳥(鷹)とタロットカード(tarot)

 ところで、タロットの発音は西洋風では語尾消しのタロ―である。ノアローがノアールになるように。
 とすれば、音読みにすると、

 ()()(たか)tarot(タロ―)

 =木々高太郎 

 
 作家・木々高太郎が昭和11年八月、週刊朝日に発表した《緑色の眼》は伯林(ベルリン)を舞台にした珠玉の短編推理小説である。

「以上。四枚の絵は全て〈伯林(ベルリン)〉を意味している」
 搾り出すような声で志義は質した。
「地名……都市の名だというのはわかったさ! でも、それが一体、何なんだ?」
「お姉さんが向かわれる場所だから」
「?」
「もう結構です、探偵さん。そこからは私が自分の口で話しますわ」
 左手薬指に嵌った指輪を握りしめながら姉は弟に告げた。
「私、昨日の誕生日に正式に小峰累(こみねるい)さんのプロポーズをお受けしたの。これはその際いただいた婚約指輪です」

 
 深夜の海府邸。
 例年のごとく家族水入らずの誕生パーテイに遅れてやった来た元家庭教師の青年。
 父も弟も既に自室に引き上げて寝入っている。
 森閑としたリビングルームで一人だけ待っていた六花子に小峰累は小さな箱を差し出した。
『今の僕の給料ではこんなものしか買えないけれど……受け取ってもらえるだろうか?』
 令嬢の答えは聞き取れない。
 既に飛びついて青年の腕の中。
 それは恋人たちにだけしか聞こえない幸福な会話。
 くぐもった美しい重奏(デュエット)――


「私、累さんと結婚して、累さんが赴任することになった伯林へ一緒に行きます……!」
「――」
「ずっと前から心は決まっていたのよ。私たち愛し合っていたの。そう、累さんがあなたの家庭教師をなさっている頃から、ずっと。それで、累さんが大学を卒業して就職したら結婚するとお約束してたんだけど、いざとなるとあなたにそのこと言い出せなくて。だって、志義ちゃん、心から私を慕ってくれてるでしょう? あなたを悲しませると思うと私……私……」
「姉さま……?」
「そうこうするうちに、急遽、累さんが伯林に赴任することが決まって……それでもう時間がなくなってしまった!」
「ま、待ってよ……」
 暫く言葉が出てこなかった。大きく息を吸って志義は言った。
「姉さまがあんなに苦悩していたのは……僕のためだったの?」
「ごめんなさい、志義ちゃん? 姉さまを許して? そして、この結婚をどうか、どうか、祝福してちょうだい?」
 六花子の瞳からどっと涙が溢れた。
「あ、あなたに泣かれたら、反対されたら、姉さま、どうしていいか……」
「何度言わせるんだ!」
 少年の絶叫が部屋を切り裂いた。
「僕はもう泣き虫じゃないよ! 泣き虫は姉さまの方だ!」
「志義ちゃん?」
 震える声で、だが、しっかりと少年は言い切った。
「おめでとう! 幸せになってね? いや、絶対、幸せになれよ! 姉さま?」
「志義ちゃん! じゃ、許してくれるのね?」
「あ、当たり前じゃないか!」
 少年は顔を背けた。頬を零れるものを見せまいとして。
「ぼ、僕を何だと思ってるのさ? いい加減にしてよ! 僕だって、そういつまでも姉さま無しじゃいられない子供じゃないんだからね!」
「志義ちゃん!」
「姉さま……」
 固く抱きあう姉弟。
 
 既にこの時、探偵は部屋を辞していた。

 


 邸の門扉を潜って、車を止めた場所へと歩き出した時、追いかけてくる足音に気づいた。
「おーい、待ってよ、そこの……カシミアのトレンチコートを着たお洒落な探偵……興梠さ―ん!」
 ポプラ並木の街路樹の下を一直線に駆けて来る少年。海府志義。
 追いつくと依頼人は封筒を差し出した。
「はい、今回の探偵料だ!」
 探偵は首を振った。
「Xマスのパーティにプレゼントを持参しないのは無粋だからな? それは僕からの贈り物として、とっておいてくれたまえ」
 少年はニヤリとした。
「ふうん? ま、そう言うだろうとは思ったけどね。じゃ、僕からも、これ」
 封筒を引っ込めると、小脇に抱えていた包みを差し出した。
「プレゼントだよ! メリーXマス!」
「?」
「開けてみて!」
 せっつかれて包みを解くと中から現れたのは――
 「えー!?」
 エプロンだった。
 レースに縁られた華やかで、但し、品のいい、真っ白なサロンエプロン。海府商会一番の売れ筋。
「せっかくだが――」
 顔を顰めて興梠響は少年にそれを突っ返した。
「女友達がいない、という君の推理は悔しいが当たっている。だから、これは返すよ。僕には不必要な品だから」
「あーあ! 興梠さんて、てんで推理力がないんだな! それでよくあの四枚の絵の謎を解いたもんだ!」
 露骨に呆れた声をあげる志義だった。
「そんなんじゃ、探偵失格だよ? これは謎かけさ! いい? このエプロンの意味するものは――〝お手伝いをする〟ってこと。このエプロンはあなた(・・・)じゃなく()がするんだ」
「え?」
「今日から僕は〈依頼人〉じゃなく〈助手〉になる!」
 少年は真顔で宣言した。
「あなたの興梠探偵社に〈助手〉をプレゼントするよ! これが今年の僕からのXマスの贈り物さ! どう?」
 少年はタキシードの上に、海府レース商会が誇る人気のエプロンをつけるとおどけてくるりと回ってみせた。
 妙に似合っている、という言葉を興梠は飲み込んだが。
「さあて、では、早速何をお手伝いしましょう? っても、整い過ぎるくらい面白みなく整ってるものなあ、興梠探偵社は! 掃除は必要ないか?」
「しかたがない」
 興梠は嘯いた。
「じゃ、取り敢えずは――僕の飼い猫に餌をやってもらうとするかな」

 気づくとまた空から雪が舞い落ちている。
 だが、何故だろう? 
 今日の雪は天からの涙には見えなかった。
 幸福な二人、六花子と小峰累の婚約を祝って天使が撒く花びらに思えるから?
 それとも、こっちか? 天使が寿いでいるのは、こっちの二人組――新米の探偵とその助手の新しい出発?
 寄る辺のない孤独な魂たち。
 少年が、ともすると体中砕けてしまいそうな悲しみに必死で耐えていることを探偵は知っていた。
 人生の先輩として。同じ離別の思いを自分も体験したから。
 本当はあの場で泣きじゃくって姉を止めたかったに違いない。
 だが、少年はそうしなかった。自分の孤独よりも姉の幸福を優先したのだ。
 そうして、本当は追いかけたい姉ではなく、代わりに、探偵を追いかけて来た。
 大人への一歩を踏み出したのだ。
 いや、と言うよりも――
 俺たちは似た者同士なのかもな? 愛が空回りする体質。
(だったら、暫く居場所を提供してやってもいいか。)

 雪よ、もっと降れ。
 こっちの二人組だとて、そこそこ幸福でないことはない。
 新しい門出を祝福されて然るべきだ。

「〈絨毯に黒猫眠る聖夜かな〉……」
 フィアット508のドアを開けながら探偵は微苦笑した。
「何それ?」
「昨晩、僕が作った俳句だよ」
 そんなことでもしないとやってられなかった。謎を解いてしまったあとは独りで時間を持て余していた。
「愚作だな? 悪いけど」
「なあ? 僕の助手になるからには、まずその無遠慮な口の利き方を直したまえ、フシギ君」
「僕はいつも真実を言ってるだけだ。あなたこそ――その呼び方は何?」
「君の名、海府志義(かいふしぎ)を簡略化しただけさ。探偵小説っぽくていいじゃないか」
「やめてよ。からかわれているみたいで嫌だ」
「……からかってるんだよ」

 
 ともあれ、メリークリスマス!
 その日、あなたの魂が孤独ではありませんように!


   聖月の依頼人 ―― 了 ――
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