第3話 一緒にいた場所

文字数 1,941文字

 昼食を食べた後、 僕は一人で上級者用のリフトに乗りコースの中間で別のリフトに乗り継ぎながら、このスキー場の一番奥の山の山頂に着いた。
 そこで、コースの脇の木の下にスキー板を立て、僕は積もった雪に座った。そして、近くに落ちていた木の枝を拾って、その枝の先端で積もった雪をいじっていると、今朝の加奈の言葉がまた頭の中によみがえってくる。

(別れてから半年後に亡くなったなんて、原因はなんだったんだろう……)

 僕はしばらく頭の中で、幸恵と付き合っていた当時の状況を思い出していた。
 幸恵と別れる前の年までは、僕と彼女の関係は順調だったと思う。秋には僕の就職祝いのプレゼントを貰ったり、2人の将来の事を話していたくらいだ。そんな僕にとって別れは突然だった。

 ……そして僕から逃げるように、彼女は新しい彼氏が待つ新潟へと帰っていった。
 別れた後、彼女との記憶は全て消し去りたかったので、ほとんど当時は思い出さないようにしていた。

 それから5年の歳月が流れ、偶然出会った加奈との会話の後、僕の幸恵への記憶が流れるように出てきた感じだった。
 そういえばここは、幸恵の住んでいた場所だったな、そう考えるとこの雪山の景色も彼女と何度も一緒に見た景色だった。あの幸せだった時期に。

「どうした、橋本。ぼーっとして」

 僕はその声で現実に引き戻された。目の前には痩せて長身の男性が立っていた。

「あ……っいや、さっき田中さんからさ、お前らが来る前にビールを飲まされちゃったから、酔いを冷ましてたのよ」
 この時、僕は何となくごまかした。
「あははっ、断れよ、そんなの」
「出来れば苦労しないわ」
 僕は立ちあがり、安田と一緒に山を下った。

 その後、僕たちは夕方までスキーやスノーボードを楽しんだ。田中さんは、途中1周だけ滑って、後はまたビールを飲みながらスマートフォンのゲームをやっていた。
「ここナイター営業やってるけど、どうする?」
 夕方の休憩の時に安田がみんなに尋ねたが、とりあえず一度ホテルでチェックインしてから考えることになった。


 スキー場から戻ると、安田がフロントでチェックインの手続きをしている間、僕たちはロビーのソファーに座って待っていた。
 中央には大きなグランドピアノが置いてあり、初老の男性がクラシック音楽を弾いている。

「癒されるなあ……」

 田中さんが、ソファにもたれ掛りながら目を閉じていた。
「あんな、小さくて禿げたおっさんが言っても似合わないよな」
 吉宗さんが僕の耳元にささやいてきた。
「――また、聞こえますよ」
 僕が言い返すと(僕も内心はそう思っていたが)吉宗さんはにやにやしながら席を立ち、ホテルコンシェルジュで女性スタッフと何やら話を始めた。

 そして、しばらくしてチェックインを済ませた安田が戻ってきた。今日は男女9名が3部屋に別れて泊まることになっている。そして、僕は田中さんと宇野と一緒の部屋になり、僕たちの部屋のルームキーは宇野が預かった。

「あ……っ、それと橋本、受付に女性が来て、なんかお前に手紙置いていったってよ。多分、今朝会った女性だよな。お前もやるねえ」
 安田がにやけながら僕に手紙の入った封筒を渡した。
「違うって。昔付き合ってた彼女の妹だよ」
「ほんとかあ?」
「ああ……」
 封筒を受け取ると、僕は田中さんにばれない様に上着のポケットに入れた。

 部屋はベッドが2台に4畳くらいの座敷のスペースがあり、そこに布団を敷いて一人が寝れるようになっている。有無を言わせず、年功序列という田中さんの意見で僕と田中さんがベッドになった。

「橋もっちゃん」

 部屋に入ると、田中さんは僕の耳元にささやいた。何かよからぬ事を言う時の僕に対する呼び方である。
「何ですか?」
 僕は少し怪訝な様子で応えた。
「夜、宇野がすずちゃんの所に夜這いに行かないように俺達で監視しような」
 宇野にも聞こえるような声で言ったので、宇野も苦笑いした。

 それから僕たちは、魚介をふんだんに並べた夕食バイキングと大浴場を堪能して部屋に戻ってきた。
 田中さんは、ベッドに倒れ込むように横たわるとすぐにリモコンでテレビを点けた。ちょうど、テレビではこの地域のニュースをやっていて、浦佐駅にある田中角栄の銅像を話題としていた。
「俺の同姓の田中角栄大先生の銅像は浦佐駅にあるのか」
 そう言いながらも、ビールをしこたま飲んで充血した田中さんの目は、今にも閉じそうになっていた。
 今、ニュースでやっている浦佐は、幸恵の実家がある場所だった。昔、彼女と新潟へ遊びに来た時に、何度か立ち寄った事がある。

 正直、今回の旅行は心の底から楽しめなくなっていた。幸恵を思い出してから、僕の記憶にある彼女との会話や景色がその都度出てきてしまっていた。







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