第1話 偶然の再開
文字数 2,764文字
2010年4月、僕は都内にある大学を卒業して東京日本橋に本社のある大手ゼネコンの竹岡建設に入社した。僕は設計部に配属され、作図や工事現場の設計管理をしている。
そして、入社してから4年が過ぎた2015年1月、会社の連休を利用して、本社に勤める同僚と新潟の神立高原スキー場へ行くことになった。
「まもなく越後湯沢です。ほくほく線はお乗換えです。お降りのお客様はお忘れ物のないようご支度ください。越後湯沢の次は浦佐に停まります」
上越新幹線の車内放送が流れ始めた。
「着いた、着いたぁ」
前の座席に座っている田中さんが、車内放送の音で目を覚まして、背筋を大きく伸ばしている。
「大宮駅で乗ってきてから、ずっと寝てましたね」
田中さんと同じ営業部の吉宗さんが、頭上の荷物棚から大きな鞄を下しながら言った。今回、田中さんだけは大宮駅から合流した。
「今日の為に昨日は残業して仕事を片づけてたんだよ! さぁて、遊ぶぞ」
「とりあえず、シャトルバスに乗ってホテルに荷物を預けに行きますね」
今回の幹事は僕と同期入社で、同じ設計部のしっかり者の安田が担当しているからみんな安心して任せっきりだ。
「ホテルで着替えてから行くんだよな?」
田中さんもようやく自分の荷物を整理し始めながら安田に訊いた。
「ええ、そうっすよ。ホテルのクロークで荷物預けるので、貴重品は分けておいてくださいね」
「りょーかい」
そして、新幹線はホームにスピードを落としながら入っていく。僕は電車での旅行の時はいつもこの瞬間が特にワクワクする。
「さぁ、降りますよ、忘れ物のないようにね」
そう言って、安田はみんなの座席に忘れ物がないかチェックをしてから,最後に新幹線を降りた。
「やっぱ外は寒いな」
僕がポツリと独り言を言いながらホームの窓から外を見ると、街は辺り一面真っ白な雪景色になっていた。
「ちょっと新幹線の暖房効き過ぎじゃなかった?」
「俺の座席はそうでもなかったよ」
僕が隣で歩いていた安田と話しながら改札を出て来た時、思いがけない人と出会った。
「あれっ、哲也さん? 久しぶり」
その女性は、僕に向けて微笑みながら手を振っている。僕は少し目を細めてその女性を見た。
「えっ……あっ、久しぶりだね」
僕は懐かしいその顔に、驚きながら手を挙げた。
会社の仲間達もみんな何事かといった様子で足を止めてじっと僕達の方を見ている。僕が女性に声をかけられるのは珍しい事なので興味津々だ、しかも美しい女性に……。
彼女は、大学時代に付き合っていた後藤幸恵の妹の加奈だった。何度か彼女が、東京の幸恵の家に遊びに来ていた時に会った事がある。当時、見た目は大人しい感じの幸恵とは違い、おかっぱ頭で外見も性格も活発な印象の高校生だった。
今では、サラサラのロングヘアーに背も伸びてスラッとしたスタイルになり、紺のムートンコートに白いホワイトパンツといった大人っぽい服装も着こなす綺麗な女性になっている。
ただこの時、加奈の僕に対する親しげな様子とは裏腹に、僕の内心は少し気まずさを感じていた。その理由は、加奈の姉の幸恵との別れ方が、僕にとってあまり気分の良いものではなかったからだった。
加奈は事情を知っているはずなので、それをごまかす為なのか、わざと明るい口調で僕に話しかけている気がした。
「哲也さん、しばらく見ないうちにちょっと太ったんじゃない?」
彼女は悪戯っぽくそう言ってから、すぐに「うそうそ、冗談よ」と手を左右に振った。
外見は大人びても性格は相変わらずだな、僕はなんとなく嬉しく思った。
「あんまり体型は変わってないと思うけど、5年経ってるからね。それにしても加奈ちゃんは大人になったね、びっくりしたよ」
「あの頃は、まだ高校生だったからね」
「そうだね。確か……、こっちの友達とディズニーランドに行くからって、夏休みに東京に出て来て一緒に行ったんだよね、それ以来か」
「うん、そうそう。あの時はありがとうございました。いろいろとごちそうになりまして、なつかしいな」
「ほんとなつかしいね」
「それで、今日はどうしたの? あっ、スキーか」
「うん、そうだよ。会社の仲間とね」
僕はそう言って、会社の同僚がいる方向を指さした。
その時、僕と加奈が話している様子を興味津々で見ていた彼らは、指をさされた事に気付くと、あわてて軽くお辞儀をした。その様子を見て、どうも、と加奈も頭を下げた。
それから、僕は内心一番訊きたかった事を何気ない素振りで加奈に訊いた。
「ところで幸恵……は今、元気にしてるの?」
僕が幸恵の事を訊いた瞬間、今まで明るかった加奈の顔が一瞬にして曇った。出来ればそれは聞いて欲しくなかったかのようだった。
「……う、うん」
「どうしたの? 何かあったの?」
加奈の様子の変化に、僕は心配になって少し声を落として尋ねた。
そして、彼女はしばらく沈黙してから僕を真っ直ぐ見て話した。それは何かを覚悟をした目だった。
「実は、哲也さんと別れてから半年後に亡くなったの、お姉ちゃん」
「えっ! どうして……?」
予想すらしなかった言葉に僕は思わず絶句した。
そして、その理由を訊こうとした時……。
「――おーい、橋本! ホテルに行くシャトルバスが待ってるぞ。急げよー」
美人と話している僕を妬んでいるのか、田中さんはわざと大声で言っているように思えた。
うるさいな、僕は内心そう思い、小さく舌打ちした。
「あっはい、すいません。今行きます。じゃあ加奈ちゃん。またね」
「うん、またね。何かあったら連絡してね、じゃあ」
(幸恵が亡くなった……?)
僕はみんなが待つバス停に向かって走りながら、加奈が言った言葉を反芻した。
この時、直ぐにでも加奈に理由を詳しく訊きたかったが、みんなを待たせるわけにもいかず、バスのトランクに大急ぎで荷物を積み込んでからバスに乗り込んだ。
越後湯沢駅を出発して、幾つかのホテルとスキー場を周るシャトルバスが発車した。僕は窓際の座席に座ると、気持ちの整理もつかないまま、窓の外を眺めていた。
僕は大学を卒業する直前の1月に幸恵に別れを告げられた。その理由は地元に彼氏が出来たからという事だった。僕と別れると彼女は仕事を辞めてすぐに新潟へ帰ってしまったので、その後、彼女がどうなったのかは全く知らなかった。
幸恵と付き合っていた年数は3年半、大学生活のほとんどを彼女といたことになる。僕は別れたショックから立ち直るのに時間が掛かってしまい、大学を卒業する事も危なくなったくらいだった。
それから5年が経ち、最近ではようやく苦い思い出の一つとして記憶の片隅に残っている程度になっている。
それにしても別れて数か月後に亡くなっていたとはな、その時の彼氏や幸恵の事を思うと少し胸が痛んだ。
そして、入社してから4年が過ぎた2015年1月、会社の連休を利用して、本社に勤める同僚と新潟の神立高原スキー場へ行くことになった。
「まもなく越後湯沢です。ほくほく線はお乗換えです。お降りのお客様はお忘れ物のないようご支度ください。越後湯沢の次は浦佐に停まります」
上越新幹線の車内放送が流れ始めた。
「着いた、着いたぁ」
前の座席に座っている田中さんが、車内放送の音で目を覚まして、背筋を大きく伸ばしている。
「大宮駅で乗ってきてから、ずっと寝てましたね」
田中さんと同じ営業部の吉宗さんが、頭上の荷物棚から大きな鞄を下しながら言った。今回、田中さんだけは大宮駅から合流した。
「今日の為に昨日は残業して仕事を片づけてたんだよ! さぁて、遊ぶぞ」
「とりあえず、シャトルバスに乗ってホテルに荷物を預けに行きますね」
今回の幹事は僕と同期入社で、同じ設計部のしっかり者の安田が担当しているからみんな安心して任せっきりだ。
「ホテルで着替えてから行くんだよな?」
田中さんもようやく自分の荷物を整理し始めながら安田に訊いた。
「ええ、そうっすよ。ホテルのクロークで荷物預けるので、貴重品は分けておいてくださいね」
「りょーかい」
そして、新幹線はホームにスピードを落としながら入っていく。僕は電車での旅行の時はいつもこの瞬間が特にワクワクする。
「さぁ、降りますよ、忘れ物のないようにね」
そう言って、安田はみんなの座席に忘れ物がないかチェックをしてから,最後に新幹線を降りた。
「やっぱ外は寒いな」
僕がポツリと独り言を言いながらホームの窓から外を見ると、街は辺り一面真っ白な雪景色になっていた。
「ちょっと新幹線の暖房効き過ぎじゃなかった?」
「俺の座席はそうでもなかったよ」
僕が隣で歩いていた安田と話しながら改札を出て来た時、思いがけない人と出会った。
「あれっ、哲也さん? 久しぶり」
その女性は、僕に向けて微笑みながら手を振っている。僕は少し目を細めてその女性を見た。
「えっ……あっ、久しぶりだね」
僕は懐かしいその顔に、驚きながら手を挙げた。
会社の仲間達もみんな何事かといった様子で足を止めてじっと僕達の方を見ている。僕が女性に声をかけられるのは珍しい事なので興味津々だ、しかも美しい女性に……。
彼女は、大学時代に付き合っていた後藤幸恵の妹の加奈だった。何度か彼女が、東京の幸恵の家に遊びに来ていた時に会った事がある。当時、見た目は大人しい感じの幸恵とは違い、おかっぱ頭で外見も性格も活発な印象の高校生だった。
今では、サラサラのロングヘアーに背も伸びてスラッとしたスタイルになり、紺のムートンコートに白いホワイトパンツといった大人っぽい服装も着こなす綺麗な女性になっている。
ただこの時、加奈の僕に対する親しげな様子とは裏腹に、僕の内心は少し気まずさを感じていた。その理由は、加奈の姉の幸恵との別れ方が、僕にとってあまり気分の良いものではなかったからだった。
加奈は事情を知っているはずなので、それをごまかす為なのか、わざと明るい口調で僕に話しかけている気がした。
「哲也さん、しばらく見ないうちにちょっと太ったんじゃない?」
彼女は悪戯っぽくそう言ってから、すぐに「うそうそ、冗談よ」と手を左右に振った。
外見は大人びても性格は相変わらずだな、僕はなんとなく嬉しく思った。
「あんまり体型は変わってないと思うけど、5年経ってるからね。それにしても加奈ちゃんは大人になったね、びっくりしたよ」
「あの頃は、まだ高校生だったからね」
「そうだね。確か……、こっちの友達とディズニーランドに行くからって、夏休みに東京に出て来て一緒に行ったんだよね、それ以来か」
「うん、そうそう。あの時はありがとうございました。いろいろとごちそうになりまして、なつかしいな」
「ほんとなつかしいね」
「それで、今日はどうしたの? あっ、スキーか」
「うん、そうだよ。会社の仲間とね」
僕はそう言って、会社の同僚がいる方向を指さした。
その時、僕と加奈が話している様子を興味津々で見ていた彼らは、指をさされた事に気付くと、あわてて軽くお辞儀をした。その様子を見て、どうも、と加奈も頭を下げた。
それから、僕は内心一番訊きたかった事を何気ない素振りで加奈に訊いた。
「ところで幸恵……は今、元気にしてるの?」
僕が幸恵の事を訊いた瞬間、今まで明るかった加奈の顔が一瞬にして曇った。出来ればそれは聞いて欲しくなかったかのようだった。
「……う、うん」
「どうしたの? 何かあったの?」
加奈の様子の変化に、僕は心配になって少し声を落として尋ねた。
そして、彼女はしばらく沈黙してから僕を真っ直ぐ見て話した。それは何かを覚悟をした目だった。
「実は、哲也さんと別れてから半年後に亡くなったの、お姉ちゃん」
「えっ! どうして……?」
予想すらしなかった言葉に僕は思わず絶句した。
そして、その理由を訊こうとした時……。
「――おーい、橋本! ホテルに行くシャトルバスが待ってるぞ。急げよー」
美人と話している僕を妬んでいるのか、田中さんはわざと大声で言っているように思えた。
うるさいな、僕は内心そう思い、小さく舌打ちした。
「あっはい、すいません。今行きます。じゃあ加奈ちゃん。またね」
「うん、またね。何かあったら連絡してね、じゃあ」
(幸恵が亡くなった……?)
僕はみんなが待つバス停に向かって走りながら、加奈が言った言葉を反芻した。
この時、直ぐにでも加奈に理由を詳しく訊きたかったが、みんなを待たせるわけにもいかず、バスのトランクに大急ぎで荷物を積み込んでからバスに乗り込んだ。
越後湯沢駅を出発して、幾つかのホテルとスキー場を周るシャトルバスが発車した。僕は窓際の座席に座ると、気持ちの整理もつかないまま、窓の外を眺めていた。
僕は大学を卒業する直前の1月に幸恵に別れを告げられた。その理由は地元に彼氏が出来たからという事だった。僕と別れると彼女は仕事を辞めてすぐに新潟へ帰ってしまったので、その後、彼女がどうなったのかは全く知らなかった。
幸恵と付き合っていた年数は3年半、大学生活のほとんどを彼女といたことになる。僕は別れたショックから立ち直るのに時間が掛かってしまい、大学を卒業する事も危なくなったくらいだった。
それから5年が経ち、最近ではようやく苦い思い出の一つとして記憶の片隅に残っている程度になっている。
それにしても別れて数か月後に亡くなっていたとはな、その時の彼氏や幸恵の事を思うと少し胸が痛んだ。