第8話 上野公園

文字数 2,329文字

 幸恵と王子駅で偶然再会してから3日後、僕は彼女とメールのやり取りをして上野に遊びに行く日時を決めた。その時に分かった事だが、すでに林さんと永田は付き合い始めていた。

 デートの日、僕たちは上野駅公園口を出て、少し歩いた先のカフェの前で待ち合わせをした。平日の朝なので、仕事に行く会社員以外は、それほど人も多くはなく疎らだった。
 永田と先に到着して待っていると、幸恵と林さんが早足でやってきた。

 この日の幸恵の服装は、紺のマウンテンパーカーに明るいベージュのワイドパンツといったカジュアルな服装で、春の陽気にピッタリの爽やかさだった。彼女は標準的な体型だが、足が長いので何を着てもよく似合っていた。

 僕は駒込のバイト代で、デニムのジャケットと黒のジーンズを買って、この日はそれを着ていた。しかし、この時の僕の服装は、まだ洗練された都会の若者の格好とはほど遠かったと思う。幸恵と付き合いだしてから、彼女のおかげで大分マシになったと思う。

 集合をしてから、しばらく4人で歩いていたが、林さんと永田が途中飲み物を買いに行くと言ってどこかに行ってしまった。

 ……すると、しばらくして永田からメールがきた。

「ここからは別行動だ。俺たちは科学博物館で昆虫博やってるからそっちへに行く。俺が昆虫好きなの知ってるだろ? じゃあ」
 永田が昆虫好きなのは初耳だが、彼のメールを見ながら、今日くらいは一緒でも良かった気がして複雑だった。

「なんか、科博の昆虫博を見たいから別行動にしようって、永田からメールがきたよ」
「始めからそう決めてたみたいね、あの二人」
 僕が困り顔で話すと、幸恵は笑いながら言った。

 そして、二人で人通りの少ない公園を5分程歩いてから動物園の表門から入ると、すぐ右側にパンダ舎の看板が目に入った。僕たちは、そこに子供のように小走りで向かった。

「パンダって思ったより大きいね」
 パンダを見て彼女はとても興奮していた。
「俺も上野動物園は今日が初めてだったんだ。バイトしてても、こっちには来ないから」
「じゃあ、二人とも初パンダだね」
「うん、そうだね」
 嬉しそうに話す彼女を見て、可愛らしく思いながら僕は頷いた。

 そうして園内を一通り見終わると、動物園を出てさっき歩いてきた道を戻り、途中ペットボトルのお茶を買って西郷隆盛の銅像の前まで来た。
「大きいね、西郷さん。そういえば、私の住んでた浦佐の駅前にも、有名人の銅像があるのよ」
「へえ……」
「だれだか分かる?」
「うーん、分からないな」
「じゃあヒント。政治家よ」
 幸恵は、考え込む僕を楽しそうに見ていた。
「新潟の政治家か……」

 こういう時に、上手いボケでも出てくれば場も盛り上がるんだろうけど、生憎そんなセンスを僕は持ち合わせてなく真面目に考え込んでいた。
「田中角栄元総理だよ」
「ああ……、教科書で読んだことある。新潟だったね、そういえば」
「うん、そう。ただ生まれは浦佐ではないけどね」

 そして、彼女は近くのベンチに座って、持っていたペットボトルからお茶を一口飲むと、スマートフォンを取り出した。
「ねぇねぇ、橋本君。ちょっと行きたい場所があるんだけどいい?」
 そう言って、幸恵はスマートフォンの地図アプリの画面を僕に見せた。
「うん、いいよ。どこ?」
 僕は幸恵の隣に座り、横から彼女のスマートフォンを覗いた。その時、この間と同じエンジェルハートの香水の匂いがふんわりとした。

「多分ここからそんなに遠くないところに『国際こども図書館』っていうのがあるの。こないだ授業で先生が教えてくれて、一度見に行きたいんだけど……」
「うん、いいよ。でも、お昼過ぎちゃってるから、何か食べてからにしない?」

 僕はこの日のデートは昼のランチの場所までは事前に永田と決めていた。そうして午後から別行動のつもりでいたのだが、計画は朝からくずれてしまっていたのである。
 そして、午後からは東京国立博物館か国立科学博物館のどちらにするかを幸恵に訊いて決めるつもりだったので、場所は特にどこでも良かった。
「そうだね。そういえば、お腹空いたね」

 僕たちは、上野駅まで戻って、あらかじめ考えておいた洋食レストランに入った。ウェイターから席はご自由にどうぞ、と言われたので、窓際の公園の見える席に座った。
「ここのレストランのハンバーグランチが美味しいって、バイト先の店長に教えてもらったんだ」
「へえ、そうなんだ。なかなか良い感じのお店じゃん」
 幸恵は、店内を見渡しながら言った。
「うん、上野って古くからある店が多いんだけど、ここは割と新しいんだよね」
「じゃあ、おすすめのハンバーグランチにしよっかな」
 幸恵がそう言ったので、ウェイターを呼んでハンバーグランチを二つ注文した。

 注文を聞いてウェイターが去っていくと、幸恵はコップの水を一口飲んでから僕に尋ねた。
「バイトの調子はどう?」
「名古屋の時は、倉庫担当だったけど、今回は接客しなくちゃいけないからさ。本当は向いてないんだよね、俺人見知りだし」
「え……っ、じゃあどうして始めたの?」
「大学生になったから、ちょっと自分も変わらなきゃって思ってね」
「そういう事か。凄いね、立派じゃん」
「そんな大したことじゃないよ」
 僕はそう言って少し頬を赤らめた。
「私も何か始めなきゃなぁ」
 幸恵はその後、上野から近い田端駅のファミリーレストランでウェイトレスのアルバイトを始めた。

 そして、二人でハンバーグランチを食べ終わると、食後のアイスティーを飲んでから店を出た。
「あーあ、美味しかった。ありがとうね、橋本君」
「うん、店長にお礼言わなきゃ」
「うん、そうだね」

 そうして、僕たちは店を出て国際こども図書館へと向かって歩いた。

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