第6話 初めての会話

文字数 4,101文字

 幸恵たちとの食事会当日、僕は池袋駅西口の待ち合わせ場所に立っていた。
 金曜日の夕方で人混みの多い中、僕は相変わらず緊張して落ち着かないでいた。その隣で近藤が、慣れた様子でカラオケボックスに料理の注文の電話を入れている。どうやらそこでアルバイトをしている友達がいるらしく、無理を言って頼んでいた。

「もう後10分くらいで着くから、ポテチセットとピザ出しといて。うん、いつもの、後はコーラとお茶ね。今日は酒はダメ」
 今日は酒はダメという言葉に引っかかったが、近藤は何食わぬ顔で僕に話した。
「今日は頑張ってしっかり話せよ、お前が主役みたいなもんなんだからな」
「わかってるよ!」
 少し偉そうに近藤に言われたことに対して反発して応えたが、僕もこの時は19年間続いた彼女無し生活にそろそろ終止符をうちたかった。

 待ち合わせ時間の5分前になると、前方から林さんが笑顔で近づいてきた。この日の彼女は、春っぽい花柄スカートにストライプのシャツを着こなしていた。身長も高いのでよく似合っていた。その隣の杉江さんはピンク色のガーディガンにジーンズ生地のロングスカートでかわいらしい感じ、少し遅れて歩いてきた幸恵は青色のデニムのシャツに白いジーンズでカジュアルな恰好をしていた。

 近藤が林さんに笑顔で近づいた。
「お久しぶり……っていっても、まだ2週間か、こないだから」
 以前、近藤は林さんを狙っていると話していた。理由は、自分が低身長だと逆に高身長の異性に惹かれるものだと言っていた。
「そうだね、まだそんなに経ってないね」
 林さんも笑顔で返した。
「――雨降ってきたから、そこのカラオケボックスだから入ろう」
 永田が言うと、みんな小走りで店に向かった。

「ここは、料理店並みにメニューも揃ってるし、おいしいんだよ」
 店員に案内されて廊下を歩いている間、近藤がそう言うと「近藤君、いいの? ハードル上げちゃって大丈夫?」と言って幸恵が笑った。

 そして部屋に入ると、あらかじめ近藤と話していた通り、僕は杉江さんの隣に座った。彼女は僕好みの落ち着きのある優しい感じの子だった。
 逆に、この時の僕の幸恵のイメージはよく話し、よく笑う活発な女性だった。だから初対面の僕が好きなタイプではない。
 ただ、幸恵と付き合い始めて分かった事だが、僕には大人しいタイプの女性は合わなかった。少なくとも僕のような口数の少ないタイプは相手が好きにならない。
 
 近藤が事前に頼んでくれていたので、食べ物とアルコールの入ってない飲み物がテーブルに置かれていた。
「わあ、準備いいねえ」
 女性たちが思わず声を上げると、近藤は得意げな顔をして言った。
「お菓子くらいしか頼んでないから、何か食べたいのあったら言ってね。あっ、ここまでは俺の奢り」
「え……っ、良いの?」
 女性たちが驚いた顔をして目を合わせると、近藤は「任せときっ」と言って、自分の胸を拳でドンっと叩いた。
「――こいつ、今朝の朝イチパチンコで5万出したんだよ」
「おいっ、永田。余計な事を言うんじゃない」
「あっ、ごめん」
「あはははっ」

 近藤と永田のやり取りでみんな笑ったが、一緒にパチンコをして1万円負けていた僕は心底笑えなかった。そして、この場で僕が負けた事は触れて欲しくないな、と思っていた。初印象で杉江さんにパチンコをする人だと思われたくないのと、近藤のように上手いリアクションが出来る自身もなかった。

 幸い、僕が負けた事は触れられずに、永田が再会を祝して、と乾杯して食事会が始まった。
 しかし、しばらく話をしていたが、杉江さんも僕も自分から話すタイプではないので話が全く弾まなかった。これは、近藤も昨晩の作戦会議で心配していた事だった。
 僕も何とか話を盛り上げようと頑張ってみたのだが、どうにも無理だった。少し離れた席にいた近藤の心配そうな視線が余計に僕を焦らせた。
 幸恵と付き合いだしてから、僕のこの時の様子を見ていた彼女にも、よく冷やかされたものだった。


 それから、僕はカラオケボックスの中の空調のせいなのか、慣れない事に無理をして疲れてしまったのか――おそらく後者であるが、少し気分が悪くなったので、外気に当たろうと部屋の外に出た。
 そして、ちょうど店の前にあった待ち合わせ用のベンチに座わり、僕は自分の情けなさを感じながら、ぼーっと、傘をさして歩く人の流れを見ていた。

「大丈夫?」

 突然声を掛けられ、驚いて見上げると……、そこにいたのは幸恵だった。

 彼女は持っていたペットボトルの水を僕に手渡した。
「ありがとう、大丈夫だよ。ごめんね、場しらけてない?」
「全然大丈夫だよ。今は、カラオケが始まって、永田君がマツケンサンバを躍りながら熱唱してたよ。お酒飲んでないのにあのテンション凄い」
 幸恵はそう言って笑った。
「普段そんなやつじゃないのにね。なんか今日は張り切ってるな」

 永田が張り切っている理由は、すぐにわかるのだが、僕はこの時は笑いながらも、僕がいない場所で盛り上がっている事に複雑な気持ちになった。

「ふふ、どうしてだろうね。あっ、そうそう……」
 そう言って、幸恵は僕に顔を近づけきて小声で話をした。一瞬で、僕の顔は緊張で赤くなった。

 そしてこの時、幸恵のつけていたエンジェルハートの香りがした。彼女と別れてからも部屋に残ったこの香水の匂いに苦しんだものだ。

「林さんは、どうも永田君がタイプらしくて。あの子マッチョが好きなの。あ……っ、内緒ね」
「うん、分かった」
 僕は、この時近藤の顔が目に浮かんで気の毒に思った。


「そう。あ……っ、そう言えば橋本君に少し訊きたい事あるんだけど」
「う、うん、いいよ」
 そして、僕たちは近くのハイテーブルに場所を移した。

 幸恵は見た目は大人しい感じだが、積極的に彼女から話をしてきた。今まで女性とそんな感じで会話をしたことがなかったのですごく新鮮だった。
 一方幸恵は、初めから僕の落ち着いた感じが好印象だったそうだ。口数の多い人は苦手だと初めの頃のデートでは言っていた(ここでも、近藤が気の毒な気もするが)

「それにしても、近藤君と橋本君の仲が良いってのがちょっと信じられないわ。外見もだけど、性格も全然違うよね」
「全然違うね。確かに」
 僕はそう言って微笑んだ。

 服装ひとつとっても、この日の近藤は右の膝小僧の部分が破れたジーンズ、ドクロのプリントがされた黒いTシャツに皮ジャンで、彼に言わせれば正装なんだそうだ。
 僕はベージュのズボンに父親が着ていた紺のジャケットをもらって、それを着ていた。まだ学生服を2か月前に卒業したばかりの僕にとっては唯一こういう場で着れる衣装だった。

「近藤とはね、アパートが一緒で、引っ越してきた日も一緒だったんだ。廊下で挨拶をした時に、同じ大学で学部学科も同じだって話になってね」
「へえー、そうなんだね」
 幸恵は興味深そうに頷きながら、僕の話を聞いてくれていた。

「大学ってどこにあるの?」
「大田区の大岡山」
「ふーん、行ったことないな」
「大田区だからね、あんまり遊びで来るとこじゃないかな」
「そっか」
「しかも、近藤は同じ2階同士だからね。嫌でも仲良くなってしまうね」

「――嫌でもって言い方」
 幸恵は僕の言い方がおかしかったのか、そう言って笑った。そして、このフレーズが幸恵は気に入って、しばらく使っていた。
 こういう時、近藤の話題というのは、僕が唯一女性にも饒舌に話が出来る事なので有難かった。

 幸恵は大学に入学と同時に新潟から東京にやってきた。この時は北区の王子駅周辺のアパートに住んでいる。そして、新潟には父母妹がいて警察官を目指している兄が東京に住んでいた。

 僕の実家では、名古屋で従業員10名程の小さな建築会社を経営する父と母妹がいた。僕自身は大田区の大岡山の大学からも駅からも5分程の所に住んでいる。

「そうそう、それで訊きたかったのは、魚沼に住んでたのっていつくらいなの?」
「いつだったかな……、小学校の低学年くらいだったよ、確か」
「そっか」
「どうしたの? なんか気になる事でも?」
「いや、別に気になるって程じゃないけどね。ごめんね、もう忘れて」

 その後もしばらく話をした後、二人で部屋に戻ると、ちょうど林さんと永田がいい雰囲気でデュエット曲を歌っているところだった。その様子を見て、僕は幸恵から聞いた林さんの話を思い出してしまった。    
 そうして、その後はほとんど近藤の独壇場になった。彼のこういう場を盛り上げる能力はすばらしく頼もしい奴だな、と改めて思った。

 お店から出て、待ち合わせをした池袋駅の西口の広場に戻ると、林さんと永田を見失ってしまった。杉江さんと幸恵も林さんを心配して、小声でどうしようかと話し合っていた。
 しかし、近藤は特に気にする様子もなく、二人に向かって言った。
「では、今日の所はお開きということで。杉江さん、後藤さんありがとう。また遊ぼうね」

 そして僕と近藤は、杉江さんと幸恵が途惑いながら駅の中に入っていくのを見送った。
 僕もこの時は、まだ幸恵に対して何らかな感情はなく、ただ杉江さんとの話が盛り上がらなかった事を悔やんでいた。

「永田のやつめ……、上手い事やりやがって」
 僕と二人きりになると、近藤は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、小声でボソッと言った。

「それにしても、お前結局、杉江さんを途中から諦めた感じだったな」
「俺は、しゃべるのが得意じゃないから、話が……ね」
「お前自身の問題だな、それは」
「分かってるよ、そんな事は」

 僕の怒った様子を見て、近藤は慰めるように僕の肩に手を置いて言った。
「まぁまぁ、そう怒るなよ。ラーメンでも食べて帰るか、今日はおごるわ」
 近藤の言葉を聞いて僕も冷静になった。
「いや、ごめんな悠馬。今日は俺がおごる。今回は色々やってくれたしな」
「よっしゃ、じゃあ行こう」

 そして、大岡山の駅近くのラーメン店で食べている時、僕が幸恵から聞いた林さんのマッチョ好きの話をすると、近藤は「なんだ、戦う前から勝負が決まっていたってやつか!」と言って、とても悔しがっていた。
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