第5話 出会い

文字数 2,848文字

 2006年4月26日、幸恵と初めて出会った場所は、大学1年の時のインカレサークルの新入生歓迎会だった。

 インカレサークルというのはテニス等のスポーツや旅行などを通じて、周辺の大学の学生同士の交流を目的の一つとしている部活の事で、このサークルの新入生歓迎会に参加しようと近藤と永田から誘われた。スポーツ等を真剣にやっているインカレサークルはたくさんあるのだが、近藤が探してきたのは、少し目的が緩めのスキーサークルだった。
 最初に近藤がこの話を持ってきた時、あまり人が集まる場所が好きではない僕は渋々といった感じだった。

 近藤悠馬と永田健二は、同じ大学の工学部建築学科の同級生だった。近藤は大学内のバンドのサークルにも入っていて髪の毛を染めて茶色にし、体も細くて見た目はチャラい感じ、永田は短髪のがっしり系で背も高くて硬派な感じだった。
 僕は、この両極端な二人に比べると中肉中背で、決して外見が劣っているとは思わないが、パッと見た感じでは地味だったと思う。
 さらに高校は進学校で、女子もあまりいない理工系だったので、異性と話す機会も少なく、当然恋愛経験もなかった。

 新入生歓迎会が行われた会場は7階建ての雑居ビルの1、2階にある居酒屋チェーン店で、この日はそこの2階部分を貸切りで行われ、参加者は60人くらい集まっていた。
 歓迎会が始まる前には、サークル幹部との挨拶もそこそこに近藤と永田は好みの女子がいる席に目を走らせていた。

「あそこは女の子三人だし良くないか」
「いや、あれは先輩だぞ、いくなら新入生だろ」
 ……などと、二人は小声で真剣に話をしている。この時、僕はその隣でどうしていいか分からずに、立ち尽くしていた。
 すると、誰かが僕に声をかけてきた。

「あの……、ここに座っても良いですか?」

 それは、幸恵のグループのリーダー格の林絵里だった。
「1年生の方ですか?」
 近藤が、すかさず僕を押しのけて彼女に訊いた。
「はい、そうです」
 林さんが笑顔で答えると、近藤は両手をややオーバーに広げて「どうぞ、どうぞ」と言って、僕たちのテーブルのある席に誘導した。

 この時、近藤と永田は目を合わせて嬉しそうに小さくうなづいた。
 それはまるで、二匹の悪いオオカミが獲物を見つけてニンマリしている童話の一場面のような気がして可笑しかった。

 しばらくすると、幹部の女性がみんなに聞こえるような大きな声で呼びかけた。
「じゃあ、始めますのでみなさん座ってくださいね」
 そして、サークル代表の挨拶の後、乾杯が行われて新入生歓迎会が始まった。

「どこの大学なんですか?」
 正面に座っていた林さんが、僕に訊いてきた。
「あ……っ、東邦工業大です」
 僕はこの日、おそらくここに来て初めてまともに発した言葉だった。
「東邦だってすごい! 国立ですよね?」
「ええ、でも工業大だから男ばかりの大学です」
「林さんたちはどこなの?」」
 僕の隣の席に座っていた永田が尋ねた。
「晴嵐短期大学。……分かるかな?」
「保育士になる為の大学なの」
 林さんの言葉に幸恵が続けた。
「じゃあ、みんな子供が好きなんだね」
 永田が言うと、三人とも笑顔で頷いた。

 そして、しばらくはみんなの故郷の話や方言で盛り上がっていた。林さんと一緒にいた杉江さん以外はみんな地方から出てきていたので、大学に入学して間もないこの時期、近藤の茨城弁や僕の名古屋弁は、ほとんど抜けていない。それに比べると、幸恵の新潟や林さんの静岡の訛りは標準語に聞こえた。
「後藤さんは新潟なんだね」
 幸恵の正面に座っていた永田が言うと、僕が言葉を続けた。

「俺も昔新潟に住んでたことあるんだ」
「そうなんだ。橋本君はどこに住んでたの?」
 これが、僕と幸恵の初めての会話だった。

「魚沼市って親が言ってた。小さい頃だから、全然住んでた頃の記憶はないけど」
「私、南魚沼だから隣の市だよ」
「そうなんだ。でも……、新潟の地理は分からないな」
 僕が申し訳なさそうに言うと幸恵は笑った。
「あはは、まぁそうだよね。受験で出てくるようなとこじゃないしね」

 そして、先輩たちへの挨拶回りで1年生がテーブルを移動し始める頃になると、それ以上は話すことはなかった。


 歓迎会が終わってアパートに帰ると、近藤は僕の部屋に当たり前のように入ってきた。
 大学に入学する同じ時期に入居したので、知り合ってからは2階の角部屋にあるお互いの部屋を自由に行き来して、ほとんど同居しているような状態になっていたからだ。

 近藤は部屋に入ると、帰りにコンビニエンスストアで買ってきたカップ麺に、手慣れた感じでポットからお湯を入れて蓋をした。そして、アクエリアスのペットボトルを開けて一口飲むと、もう1本のペットボトルを、僕に投げて渡した。

「今日はどうだった?」
 近藤は、お湯の入ったカップ麺を手に上機嫌に部屋の真ん中に座った。
 正直、この日の新入生歓迎会に僕は手応えなんてなかった。女の子たちとの会話は幸恵たちとの後も数回あったが、近藤や永田の会話のおこぼれをもらっていただけだった。もちろん連絡先を上手く訊いたのも近藤だった。

「どうって、別に」

 僕は、部屋の奥の壁にもたれ掛って座ると、ペットボトルに入ったアクエリアスを一口飲んだ。
「別にって……まあいいや。さて、作戦会議だ。哲也、これからどうするよ」
 僕は近藤とは違い、口数が多い方ではないので、派手な子や活発な子は苦手だった。
「俺は林さんとこかなぁ。真野さんのところは俺には無理だな」
 実際、真野さんのグループの時、僕は彼女たちの勢いに圧倒されて何もしゃべれず、ずっと空いたコップの中の溶けていく氷を眺めていただけだった。

「分かった! 林さんのとこの杉江さん狙いだな、お前!」
 近藤はそう言うと、カップ麺を食べるための箸の先を僕に向けた。
「よく分かったな」
 僕が驚いた顔をしたので、彼はその顔に満足したように頷き、カップ麺を食べ始めた。
「お前の目を見てれば分かるわ。分かりやすい奴だ」
 この時、まだ知り合って1か月くらいなのに、僕の事を全て知っているかのように話す近藤がおかしかった。

 ただ杉江さんの事は、幸恵もすぐに気づいたらしく、しばらく嫌味っぽく言われていた。だから、やっぱり僕は分かりやすかったのだと思う。

「そっか、じゃあ真野さんとこは赤城たちを誘うかな」
 赤城とは彼の大学のバンドサークルの友達だ。ちなみに近藤は、派手な外見からするとバンドのボーカルかギターのような気もするが、キーボードを担当していた。子供のころ習っていたピアノでは、水戸の神童と呼ばれていたとよく自慢していた。
 しかしそれは満更でもなく、現在、彼はその道で世間でもそこそこ知られる有名人である。

「よし、じゃあ林さんに連絡いれとくわ。場所は、そうだな池袋のカラオケボックスでいいよな」

 そう言って立ち上がると、近藤は空になったカップ麺をゴミ箱にいれ、ケツメイシの「さくら」を口ずさみながら自分の部屋へと戻っていった。
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