第21話 Diary

文字数 4,437文字

 浦佐駅から東京駅までの上越新幹線に乗って席に座っても、加奈の言葉が頭の中で繰り返されている。

「お姉ちゃんにはね、彼氏なんていなかったんだよ。初めから最期まで愛した人は哲也さんだけだったの」  

 加奈からそれを聞いた瞬間から、僕は言葉が出なくなった。
「あの時、お姉ちゃんには哲也さんには絶対黙っているように言われてたの」

 どうして幸恵は嘘をついたんだろう?

 実は、その問いに対する答えはもう分かっている。幸恵の考えそうな事だ。3年半も付き合ってればそれくらいの事は想像出来る。

 じゃあ、どうして幸恵が別れを切り出した時に、僕は気づかなかったのか。

 いや……、それよりも何故、彼女を最後まで信じる事が出来なかったのか。

 その時、昔幸恵に言われた言葉を思い出した。
「もっと自分に自信を持って。私はずっと哲也君を愛しているよ」

 帰りの浦佐駅で、加奈は鞄に入ったスマートフォンを取り出した。
「このスマホ……、このお姉ちゃんのスマホの中の日記を読めば、その時のお姉ちゃんの気持ちが分かる気がするの」
 そう言って僕に手渡した。
「このままだと、お姉ちゃんがあまりにも可哀そうで」

 渡されたスマートフォンを眺めていると、裏には幸恵の好きな赤色の花のシールが貼ってあった。
 僕は、加奈に教えてもらった番号でスマートフォンのロックを解除した。画面には昔幸恵と一緒に見ていたアプリがいくつか並んでいる。

 そしてDiaryの『D』と書かれたアプリを見つけて押してみると、アルファベットを含めた6文字の入力を求めてきた。
 昔、幸恵は何かの会員カードを作った時、僕に暗証番号を教えてくれた。それは、僕と幸恵の誕生日に二人のイニシャルを組み合わせたもの。

 幸恵は、他で使う暗証番号も組み合わせはほとんど同じだと言っていた。その時、僕はセキュリティ上危ないから変えた方がいいよ、とよく注意したものだったが、今になって思えば良かったのかもしれない。

 僕はいくつかの組み合わせを試そうと数字とアルファベットを押していくと、3回目で『Diary』のアプリが開いた。

 画面を見ると、淡い緑色の表紙に『Diary』と金色の印字が入っている。
 そして、その下には僕と幸恵が東京ディズニーランドに行った時の写真が貼ってある。二人でディズニーキャラクターのかぶり物をしてはしゃいでいる姿を見ると、いたたまれない気持ちになる。

 この『Diary』に書いてある日記の大半は僕と付き合っていた頃の出来事だ。その中には表紙の写真のような幸せな時間もあったが、僕の知らない辛く苦しい病との闘いの中では、日記にはどんな事が記されているのだろう。
 ……少しでいいから幸福を感じる瞬間も記されてないだろうか。いろいろな思いが僕の頭の中で交錯している。

 すでに5年が経っているが、この日記を読むと一気に過去に戻ってしまいそうな怖さも感じている。


 東京駅で降りて、大岡山の駅に向かう電車の中で、陽が落ち始めた風景を車窓から眺めながら、幸恵との最後の光景を思い出している。
 アパートの玄関で、僕に別れを切り出した時、幸恵は何を思って泣きながら何度も謝っていたんだろうか。

 本当は幸恵の気持ちに気づかない、情けない僕に対しての涙だったんじゃないだろうか。


 アパートに着くと、僕は気持ちを落ち着かせる為にシャワーを浴びてから、リビングの中央のテーブルに置いたスマートフォンを手に取った。結局、新幹線の中では、感情が抑えられなくなりそうだったので、怖くて日記の内容まで見れなかった。

 幸恵のスマートフォンをゆっくり撫でながら目をつむると、まるで幸恵に触れているかのように思えてくる。

 僕が覚悟を決めて『Diary』を開くと、僕が幸恵と出会った日と告白した日が記念日として登録されていた。そして、このアプリは5年日記帳というもので、5年間の同じ日にどんな事があったか一目で分かるようになっていた。

 そして、僕は幸恵の日記を読み始める。


 2006年9月8日(金)晴れ
 今日は渋谷で哲也君と付き合ってから3回目のデートの日。渋谷のロフトで私の好きな赤色の花の絵のついたハンカチを買ってもらった。哲也君からの初めてのプレゼントだ、うれしかった。

 2006年12月24日(日)雪
 今日は楽しみにしていたクリスマスイブの箱根旅行。哲也君がアルバイトを頑張って、高価なペンションに泊まらせてくれました。あんな大きな七面鳥の丸焼きなんて初めてみたな。雪のイブなんてとってもロマンティックだった。夜は……ごめんね、と哲也君に謝った。今日はダメな日だったの。


 僕は付き合いだした頃の、幸恵との楽しかったデートの様子を思い出しながらページをめくっていく。まるで彼女が傍にいるかのような感覚になって、時折笑みがこぼれた。


 2007年7月31日(火)曇り
 今日は大学の前期試験の最終日。試験が終わって直ぐに哲也君から車に轢かれたっていうメールが来た。最初の文面を見た時には心臓が飛び出るかと思うくらいだった。私に気を使って試験終わるまで連絡するのを控えてくれていたみたい。
 明日から哲也君の看病がんばるぞ。そういえば今日哲也君のお母さんに初めてお会いした日だった。お母さんからこれからもずっとよろしくって言われてうれしかった。

 2008年4月26日(土)晴れ
 今日は初めて哲也君に怒られちゃった。仕事の都合だったけど、急に約束破ちゃったんだから私が悪いよね。こんな大事な日だったのに……ごめんね、哲也君。
 でも、私はずっと変わらず愛しているんだから、哲也君にも自信をもって欲しいなって言っちゃった。伝わってるといいな、この気持ち。


 この頃は、二人の交際は順調で幸せだった。それは幸恵の日記からも伝わってくる。この時期は僕との付き合いを大事にしながら、彼女は保育士になるという夢に向かって努力していた。そして、区の保育園の保育士に採用され、仕事も頑張っていた。

 だが、ページを捲ると、2009年夏頃からは日記にも体調の変化が少しずつ書かれるようになっている。


 2009年9月3日(木)晴れ
 今日は哲也君の就職する会社が決まった日。哲也君の会社がどこの場所になっても私はついて行くつもりだけど、東京の会社に決まって内心喜んでいる私もいるの。哲也君のお父さんには申し訳ないけどね……。今日はネクタイをプレゼントしたけど、喜んでくれたかな? 
 そして池袋の大好きなイタリア料理店でお祝いをしました。ちょっと体調悪くて哲也君に心配かけちゃったけどね。早く治さなくちゃ。


 この日以降、仕事の忙しさと体の変調で幸恵の日記の文面にも、どことなく焦燥感に駆られる様子が伝わってくる。この間、僕とも何回か会っていたが、その時彼女は僕に心配かけまいと隠していたんだと今さら気づく。


 12月7日に行く予定だったパシフィコ横浜のイベントに行けなくなったと、前日彼女から連絡があった時の様子が普段と違っていたのも、今なら理解できる。なぜあの時、気づいてあげられなかったのか、そう思うとひどく悔やまれた。

 そして、12月22日……


 2009年12月22日(火)雨
 今日は朝から病院に行った。昼からお母さんも来て一緒に検査の結果を先生に聞いた。どうやら急性骨髄性白血病で、発見が遅れて病気は進んでしまっていると言われた。ただ、まだ完治する可能性はあるらしい。凄いショックだったけど、ほんの少しでも可能性があるなら頑張ってみようと思う。お医者さんからは、今日にでも入院するように言われたけど、なんとか仕事を最後までやり遂げたいと無理を言ってしまった。

 2009年12月24日(木)晴れ
 今日は哲也君と、4回目のクリスマスイブだ。本当はもっとお洒落して、雰囲気のいいレストランで食事したかったのにな。私の病気が本当に憎い。今日は病気の事を話そうと思っていたけど、結局話せませんでした。
 明日の保育園のクリスマス会が、どうやら今の保育士としての最後の大仕事になる。トナカイの帽子かぶって頑張るぞ。どうか泣きませんように。


 幸恵は夢だった保育士になれて本当に喜んでいた。その保育士を、2年も経たずに、一旦であれ辞める選択をしなければならなかったというのは、どれ程の辛さだったのだろうか。
 そして、この日記には1年目と4年目の事が一目で分かるようになっている。過去の幸せな日々を見ながら、この4年目の日記を書いている彼女を想像すると胸が締め付けられる思いがする。

 12月28日には幸恵の思いが綴られていた。ただそれは、日記の1日分の行数を超えてしまい、5年目の分まで書かれていた。それを見ると、もう5年目が必要無い事を幸恵は覚悟していたように思えてしまう。


 2009年12月28日(月)曇り
 今日は哲也君と別れる事を決めた日。もし治療して完治したら、今日の事は笑いながら報告したい。その時は、また付き合ってくれるといいな。きっと哲也君なら許してくれる。でもその時、哲也君に新しい彼女ができていたら諦めよう。
 哲也君はもうすぐ社会人。卒業もしなくちゃだし、人生で一番大事な時期に私が重荷になりたくない。あの人は、真面目でほんの少し不器用な人だからきっと仕事が手に付かなくなっちゃいそうだしね。哲也君も卒業に向けて頑張ってるし、さて、私も頑張って病気治すぞ。

 2010年1月5日(火)晴れ
 今日は哲也君に別れを告げました。でも、私はこれからもずっと哲也君を愛しています。ずっと……。


 この日を境に、日記に僕の名前は出てこなくなった。まるで避けているかのように……。この時の幸恵の気持ちは当然分からない。ただ、日記の文面には所々に治療の辛さが綴られている。それを見るたびに僕の心は痛んだ。


 2010年4月26日(月)晴れ
 今日は、お母さんに最後のお願いをしました。絶対ダメって言われると思ったけど、大森先生からもお許しが出たみたい。もう私、長くないからかもね。
午後から子供の頃よく遊んだ墓地の野原に連れていってもらった。あの色の雪椿の花がまた咲いてたのはびっくりした。もし、私が亡くなったらここにお墓を立て欲しいってお願いしちゃった。たくさんの雪椿に囲まれて過ごしたい。そして、またいつかここで彼と会えると嬉しいな。ちょっとわがまますぎるかな(笑)


「遅くなってごめんね、幸恵」
 僕は、幸恵のスマートフォンに呟いた。

 日記は幸恵が亡くなる3日前の2010年5月4日で終わっていた。それまでの日記を読みながら、治療の辛さに負けそうになりながらも生きるために一生懸命頑張っていた彼女の姿が目に浮かぶ。
 日記を開いた時は夕方であったが、今はもう部屋の中は日記を読む為に灯した小さな室内灯以外は、すっかり暗くなっていた。

 誰もいない暗い部屋の中央で、僕は両手を床について前かがみになり、こみ上げてくる想いを抑えきれずに泣き続けた。
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