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文字数 1,567文字

薄明、光が見えた。

鋭い光ではない。

誘うような、包み込むような、優しい光だった。

眠ることも、休むことも必要とせず空を漂っていたイグネフェルは、手をかざし、目を細めて光の正体を見定めた。

空と大地を隔てる紋様、『世界の涙の器』。
そのかけらが、雲母のごとく剥がれ落ち、きらめきながら地に注ぐ。


あとから水が一筋、二筋、そしてわずかな亀裂から(つつみ)が決壊するように、太い水の束が、真下へと、急激に落下した。


小さな町の夜警(ものみ)の光が一瞬にして消え去った。


ピションに残る最後の王国の、小さな町がまた一つ死ぬ。

……ああ…………
嘆くには、水は美しく、光は優しすぎた。

イグネフェルはただ息をつく。

風に流され漂いながら、目は瀑布から離れない。

そのうちに、アグアをなくした浮遊城塞が見えてきた。

イグネフェルは翼を撫でる。


『弔旗』


指はその紋様に留まり動かない。

何かの言い訳のように。

夜明け、イグネフェルは地に立ち翼を折り畳んだ。

血塗られた右の翼は右の掌に、左の翼は左の掌に、紋様となって隠された。

水没は続いていた。
地に注ぐ瀑布によって、(あた)りは霧となった。

歩き続けると、霧の向こう、人影が見えてきた。

二十ばかりの人々が、彫像のように動かずに、イグネフェルに横顔を向け、彼方に視線を送っている。

あの……
老女。

中年の女。

中年の男。

すみません……。

声をかけながら、一行の後ろを歩いた。

端にいる、三十前後の男がようやく反応して振り向いた。

近くにいる女性と子供、そして手を組み一心に祈る老女は彼の家族であるようだった。

ああ……なんだ。見かけない顔だな……
王都に向かう旅の者です。

みなさんどうされたのですか?

道を見てるんだ。
男は目を細めた。

凝視の対象を指で差すような真似はしなかった。

道?
もはや道も野も畑もない。

(たたず)む丘の下は泥水の海と化していた。

あそこに道があったんだ。
道が。
あの道は俺の父親だった。
………………???
答えた男もまた、それきり自分の世界、自分の思いに引きこもり、口を閉ざしてしまった。

イグネフェルは背を向けて歩く。

『器』があの状況では、いずれ彼らが立つ場所にも水が届くだろう。

瀑布を右手に見て歩くこと十分。

今度は大木が見えた。

その木陰には、大人の背よりも大きな墓碑。

英雄的な人物の墓なのだろう。

その前に立っている人が二人。

墓に寄りかかって倒れている人が一人いた。

臭いで死んでいるとわかった。

一人の農夫が棒で死者をつついた。
おい……これ、オーレリアじゃないか?
え?

いや……似てなくもないが……

待てよ。首に通したコインに見覚えがある。

と、腰を屈めて死者の首飾りを確かめた。羽虫が一斉に飛び立ち、農夫は咳き込みながら顔の前を仰いだ。
間違いない、『テレスの飛空艇』紋だ。東の城塞のアグアから奪ったっていう……

だとしたらおもちゃじゃない!

純金だぜ!!

おい!

先にコイツを見つけたのは俺だからな!!

言い争いを始める二人のそばを、イグネフェルは気付かれずに通り過ぎた。
…………。
(……あれが英雄の死か…………)
イグネフェルは歩く。

人でなき身に疲れなどあるはずもなく、それでもなお、今すぐ次の敵を求めて飛び去る気にはなれなかった。

歩く内、今度は荒れた教会が見えてきた。

ガイアの紋様が掲げられた屋根までが、蔦に覆われている。

そのため充分に近付くまで、その建物が木造なのか、石造なのかもわからなかった。

ただ、夜まで身を(ひそ)めるには都合がよさそうだった。

門代わりの木の柵を通り抜ける。
すると、待ち構えていたように、教会の木戸が内側から開かれた。
白い祭服に身を包む女司祭。

若い司祭だった。

誰?
教会に司祭がいたところで不思議はない。

だが、女司祭は質問に気を悪くするでもなく、静かな、透き通る声でイグネフェルを招いた。

いらっしゃい……。

珍しいお客さま。

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登場人物紹介

イグネフェル

本作主人公の紋様兵器。魔女を討伐するべく旅に出る。

涙を流す機能がない。

ヴィオレンタ

本作のヒロイン。

セレナル

『世界の涙の魔女』。

30年前の器継承戦争によって魔女の地位を継いだ。

ミクリラ

30年前に名を上げた英雄オーレリアの孫娘。

ナーシュ

イグネフェルの創り主。

30年前の器継承戦争で息子イグネフェルを失い、自身は顔面を奪われた。

ヴィゼリー

西の浮遊要塞の司令官。生ける紋様兵器。

リーセリー

ヴィゼリーが連れている紋様兵器。

オーレリア

30年前の器継承戦争の英雄。ミクリラの祖父。

アグア

東の浮遊要塞の司令官。

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