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文字数 2,967文字

一時間ほど山中をさまよい見つけた『手土産』は、両手にすっぽり収まる大きさの木箱だった。

表面にはいくつもの紋様が重ねられ、ほとんどでたらめの線のようだった。

(でも……読める)
左手で箱をしっかり持ち、右手で固い蓋をずらした。

わずかに蓋が開いた時、紋様が溢れた。

周囲の景色が塗り替えられる。
光に刺された。
快晴の、夏の、暑い日。
空気は湿り()を含んでいない。

〈水没〉に見舞われていないのだ。

そして身を包む人の気配。
(兵士?)
右には(まる)い小塔をそなえた城壁が見えた。守護の紋様がその冷たい色彩を彩っている。

左にそびえるのは堅牢な城塞(じょうさい)

訓練が終わったのか、または非番なのか。兵士たちが壁の陰や木陰に座り、くつろいでいる。

談笑したり、賭け事をしたり。

昼寝をしている者もいた。


誰もイグネフェルを見ていない。

見えないのだろう。

イグネフェルはしゃがんで地面の砂に触れてみた。

その感触は、山中の湿った土と草のもの。

(僕が移動したわけじゃなさそうだ……紋様で作り出した光景かな)

それでよぉ。

どうだぁ? お前んとこの女房の腹はよぅ?

それがよぉ〜。

もうこぉんなに膨らんでよぉ。中のチビが腹を蹴飛ばすんだとよ。

地面に座り込んで札遊びに興じる兵士たちだった。

どうもよ、腹ん中いてもわかるみてぇでよ。俺が父親だってよ。

俺が近くに寄ると反応が違うんだってよ!

元気よく暴れるってなあ!

うっはぁ、そりゃ可愛くてたまんねぇや!
そうそう、お前んとこはどうだよ?
おお?

うちの坊主かよ。

聞けよ、ようやくハイハイするようになってよぉ。こないだの非番で帰ったときなんかもニッコニコで俺のほうにハイハイしてきてよぉ!

もう可愛いのなんの――。

その二人の兵士が、立て続けに首から血を吹き出した。

首筋に何かが当たったようだった。

一緒に札遊びをしていた兵士がまずそれに気付いた。

札に手をかけたままの兵士はただ、二人の同僚を見つめていた。
砂に飛び散る血はすぐにその勢いを落とし、兵士の胸に垂れ落ちて、そのシャツを染めた。

その体が前のめりに傾くと、見ていた兵士は初めて、悪い冗談を聞いたかのように、表情を変えた。

ふざけるのはよせ、怒るぞ、とでも言いたげだった。

それから本当に怒った顔をした。
何かがその兵士を二人の骸もろとも()し潰し、イグネフェルを視界を塞いだのは、いよいよ不平の言葉が兵士の口から漏れようとしたときだった。
岩だった。

この城塞に突如として現れた、それは。

この城塞は見たところ、三階建てか四階建てか。

その天辺(てっぺん)の屋根付きの歩廊に達するほど、岩は巨大だった。

兵士たちは岩を見つめ、まだ、誰も何も言わなかった。

その沈黙は、張り詰めて、それでいて妙に浮わついていた。

何か新しい、面白い()しものが始まるような期待さえ(はら)んでいた。

次の刺激で場が爆笑に包まれてもおかしくない感じだった。

岩を取り巻く無精髭の兵士の口許(くちもと)に薄笑いが浮かぶのを、イグネフェルは見た。

同じ笑いが二人、三人。

ついにその軽薄な笑いが誰かの口から漏れた。

待ち構えていたように、影が落ち、土塊(つちくれ)が、豪雨のように降り注ぎ始めた。

兵士たちは……
笑っていた。
土塊に岩が混じる。わずかに悲鳴や呻きが聞こえたが、あらゆる声が、じきに聞こえなくなった。

視界は完全に土の雨で塞がれている。


と、空が見えた。


今度はイグネフェルは空中にいた。

アグアは何をやっているの!?
足に黄色い光をまとい、少女が土煙の届かぬ場所まで舞い上がる。
下方は煙っていた。

その土煙は、襲撃者を迎え撃つ城壁の数々の紋様の輝きで淡く光っていた。

地下の儀式さ……リーセリー、高度下げろ!
少女は、その答えの前半しか聞いていなかった。

はあああっ!?

の臆病者!

少女は青年の警告を聞き入れず、さらに高度を上げていく。
アグア!
おい、リーセリー!
アグア!!

あんたの『耳』なら聞こえてるんでしょう!?

さっさと出てきなさいよ!

あんたの兵士たちが殺されてんの!

わかんないの!?

――そして。
見つけた!
乱れ舞う紋様の矢、剣、槍、盾、拳、大砲。毒を持つ花粉、糸束、鎖。

土も岩もなお降り注ぐ。

城塞が破壊されるのは時間の問題に思えた。

そして。それらの破壊の源が、空中でただ一人、翼を広げていた。

イグネフェル……!
ヴィゼリー!

後ろに回って!

青年は低い高度を保ち、姿を土煙の中に隠した。

少女は真正面から敵の紋様術師に立ち向かうようだ。

その姿が大きくなってくる。

そして表情がわかるようにまでなった。

この悪魔!!

今日はまた随分と派手にやってくれたわね!

………………。
死ねよ。
邪魔なんだよ、お前ら。

たて続けに二度、三度、紋様どうしがぶつかり合う。

それは互いを相殺し、砕け、弾け飛び、さまざまな色と形の光が正面から互いを貫こうとし、背後に回りこもうとし、頭上や足許から相手を捉えようとした。

早すぎて、見ているだけのイグネフェルには個々の紋様を見抜くなどとてもできなかった。

道路を作る必要があってな。
王の軍が通る。
……ッ!!!

いらねぇんだよ、こんな城塞。

お前ら全部、埋めて(なら)して道路にしてやるよ。
その男めがけて、人の背丈ほどもあるハンマーヘッドが横薙ぎに振るわれた。
チィッ!
少女の足許をくぐるように回避した男を、さらなる追撃が襲う。

お前も邪魔だな……。

消えろ。
水音が耳を打つ。
下界に降る土と岩の雨が、わずかに弱まった。
そして。
横手から迫って来たものは、三段櫂の軍船。
一糸(いっし)乱れぬ動きで櫂が(くう)を打つたびに、水の音がする。
帆は畳まれ、(いくさ)の構え。
青銅の衝角(しょうかく)が、まっすぐ紋様術師を向いている。

弩兵も小銃兵もいない。

あるのは紋様。

加えてひときわ目立つのが、攻城櫓の大鏡。

鏡に集まる太陽の光が、紋様の力によって幾重にも増幅されていく――。

おいアグア!!

バカ!

無能!!

やめろ!!!

やめろ!!!!!

空飛ぶ船の大鏡から、熱線が放たれた。

鏡は巧みに向きを変え、敵の紋様術師を追う。

紋様術師が少女の背後に回る。

糸が少女を縛り上げた。

身動きを封じ、盾として己の体にかざす。

熱線が直撃し――

リーセリー!!!!!
そこで、すべての光景が消えた。

イグネフェルは山の中に一人。

大気は湿り、空は曇り、じっとりと蒸し暑い。

気付けば両手に土を握りしめていた。

記憶を解かれた木箱からは、すべての紋様が消え失せていた。

(……今のが……)
(悪い魔女から人々を解放しようとした英雄? 悲劇の英雄なの?)
(ねぇ……? お父さん?)

堪らない思いにかられて、イグネフェルは地を蹴る。

衝動的に翼を開き、緑の闇を抜ける。

大地を見下ろす。

泥。

泥。

泥。

泥。

きれいな水が欲しかった。

せめて手だけはきれいにしたかった。

海を見つけた。

頭から飛び込む。

それでも記憶は洗えない。

(僕は何を見たの?)

(あれがイグネフェルなの?

 あれが……あんな……)

海面に顔を出した。

浅瀬へ泳ぎ、足がつく場所まで着くと、あとは歩く。

(……そうか)
(これが『恐怖』なのか……)
身震いは襲ってこなかった。
(あれがイグネフェル)

(あの、表情のない顔……。

 あの、光のない目……)

イグネフェルはふと気になって、水面(みなも)に映る(おのれ)を見た。
その顔に、表情はなく、目には光がなかった。
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登場人物紹介

イグネフェル

本作主人公の紋様兵器。魔女を討伐するべく旅に出る。

涙を流す機能がない。

ヴィオレンタ

本作のヒロイン。

セレナル

『世界の涙の魔女』。

30年前の器継承戦争によって魔女の地位を継いだ。

ミクリラ

30年前に名を上げた英雄オーレリアの孫娘。

ナーシュ

イグネフェルの創り主。

30年前の器継承戦争で息子イグネフェルを失い、自身は顔面を奪われた。

ヴィゼリー

西の浮遊要塞の司令官。生ける紋様兵器。

リーセリー

ヴィゼリーが連れている紋様兵器。

オーレリア

30年前の器継承戦争の英雄。ミクリラの祖父。

アグア

東の浮遊要塞の司令官。

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