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文字数 1,698文字

その部屋は物で溢れかえっていた――それらの『物』の異様さに、イグネフェルの目は宙をさまよう。
種々の小銃。
見事な護拳を持つサーベルの数々。
流さごとに分けられた槍。
馬具馬蹄。
子供がおもちゃを飾るように、それらはきちんと手入れをされた状態で陳列されていた。
そのように部屋を眺める時間が命取りとならなかったのは、部屋の主人(あるじ)もまた、深夜の来訪者の異様さゆえに、取るべき行動を実行へと移しかねていたからであった。
……イグネフェルか?
否定を(こいねが)う問いかけに、イグネフェルは視線を向けるべき位置に向けた。

ドーム型の天井、そのドームの最も高い位置の真下、つまり部屋の中央にその男は立っていた。

そこにだけ丸い絨毯が敷かれ、月と星の移ろいを写す窓と向かい合うソファ、そして小さなテーブル。

テーブルにはワインが既に二本空けられていた。

貴様、イグネフェルなのか……?
膝立ちのままのイグネフェルが翼をぴんと張り、左手を翼の内側に添えるのと、老いた男がガウンのポケットに手を入れるのが同時だった。
その手がポケットから抜き出されるや、イグネフェルは床を蹴った。
天井高くで滞空。

男の動作で床に物がばら撒かれるのを見た。

それは、赤の、黄の、青の、緑の……コインだった。

その色彩の豊富さから、おもちゃであることがわかる。

そして、コインから赤い火柱が、黄色の槍が、青の氷柱が、緑のあざなえる縄が、噴き上がり、天井近くのイグネフェルを襲った。
イグネフェルは空中を滑り、城塞の主人の背後に回って翼を撫でる。


右手で触れる

『錬鉄』

『小銃』

左手で触れた紋様は、武器ではない。それは物語から生まれた紋様だった。


『魔弾の射手』


魔弾。

イグネフェルはその単語の意味を想像する。知らない物語を空想する。


両手を前へ。

小銃兵が小銃を構えるように。

イグネフェルが構える見えない銃から、立て続けに銃弾が発射された。

だが、相手は戦い慣れた紋様術師。

その手には既に意中のコインが握られているのだろう。


体の向きを変えたアグアが顔の前で両腕を交差させる。


鈍色(にびいろ)の丸盾が出現した。

雨粒が大海に落ちるように、全ての弾が盾に吸収されていく。

イグネフェルは射撃をやめなかった。
じりじりと高度を下げる。
そうしながら、もう一度背後に回り込もうとするように、位置を変えていく。

アグアの体の前面から、真上へ。

それに合わせて、アグアの盾の位置も、体の向きも変えざるを得ない状況へ追い込んだ。

いよいよ頭上から背後に回り込もうという直前、射撃をやめた。
アグアの真正面に着地。
翼を撫でる。
(つるぎ)
盾から露出し、無防備になったアグアの腹を一閃が襲う。

直撃したか確かめるまでもなく、顔に血しぶきを浴びた。

絶望的な声を上げ、アグアが弾き飛ばされる。遠くへ。

顔の血を(ぬぐ)って視界を回復させるのと、部屋の奥でアグアの体がドサリと音を立てるのが同時だった。

アグアが吹き飛ばされた線上に、血とおもちゃのコインとが、か細い道筋を描いていた。

紋様の明かりも届かぬ部屋の奥。

その薄闇へと滑っていき、イグネフェルは、この室内でもっとも異様な物を見た。

異様と言うよりは、異常でさえあった。
その大きさは平均的な成人女性の、十倍、いや二十倍、いやもっと――
とにかく巨大な裸婦であった。
足を崩して床に座り、その頭頂は、低くなった天井と触れ合うほどの位置にある。

とりわけ二つの乳房は大きく垂れ下がり――

マ……

……ママ…………

――50も過ぎたであろう男が、痛みと失血に我を失い、床を這い、その乳房に手を伸ばす。
アグアはもう、イグネフェルに顔を向けようともしなかった。
ママあのね――聞いて――

ぼくかんがえたんよ――

かわい、そうな…………

…………。
テレス


しなない


もの


がたり


…………――――――

汚れた指が裸婦の膝に触れると、その裸婦は自ら動いてアグアを抱き上げた。

そして、息絶えようとしているその顔を、あたかも乳児の母のように、己の乳房に押し付けた。

イグネフェルはまず目を背けた。

次に顔を背け、それから背を向けて歩み去った。

たた、自分が世にある間、これ以上醜いものを見ずに済むようにと願った。
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登場人物紹介

イグネフェル

本作主人公の紋様兵器。魔女を討伐するべく旅に出る。

涙を流す機能がない。

ヴィオレンタ

本作のヒロイン。

セレナル

『世界の涙の魔女』。

30年前の器継承戦争によって魔女の地位を継いだ。

ミクリラ

30年前に名を上げた英雄オーレリアの孫娘。

ナーシュ

イグネフェルの創り主。

30年前の器継承戦争で息子イグネフェルを失い、自身は顔面を奪われた。

ヴィゼリー

西の浮遊要塞の司令官。生ける紋様兵器。

リーセリー

ヴィゼリーが連れている紋様兵器。

オーレリア

30年前の器継承戦争の英雄。ミクリラの祖父。

アグア

東の浮遊要塞の司令官。

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